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もう無理だな。と、ふと思った。
今までも幾度と無く限界を超えて、その度に何故か何となくやり過ごしてしまって、のらりくらりと生きてきたけれど。
最後のリミッターが外れる時は案外静かで、何気なくて、少し可笑しいくらいだった。



『………』



ここぞとばかりに次々に頭に流れ込んでくる綺麗な記憶たちを辿っても、そのどれにも、私が明日を生きる理由は無かった。
幸せな瞬間だってあった。大切な友達だって沢山居る。ウォンビン先輩にも、また会いたい。だけど、それらはひとつだって、この先も続く地獄に対する絶望には敵わない。

力の入らない体はそれでもどういう訳か軽く感じて、もう私は既に半分くらいしんでしまったのかな、なんてバカみたいな事を考えながら適当な靴を引っ掛けて家を出る。

行く宛も行きたい場所も何もない。ただここではない静かな場所で、最後の時間を過ごしたいと思った。



「……ユリ?」


『……、…ウォンビン、先輩…』



ああ、やっぱり半分しんでるのかな。ウォンビン先輩の声が聞こえて、姿まで見える。



「こんな時間に何やってんの、てかその格好何、まじ何してんのお前」



今が何時かは分からなくて、言われてみれば寒いような気もする。ぐちゃぐちゃのシャツからはきっとキャミソールだって見えてる。幻覚だとしても、こんな姿を先輩に見られるなんて最悪だ。

どんどん近付いてきた先輩は、大きな目を顰めて私の顔を凝視している。
メイクなんて崩れているどころではないだろうし、もうどこから血が出ていてどこが腫れているのかもよく分からない。本当、最悪。



「お前、それ…」


『……』


「……彼氏?」


『……』


「…いじめられてんの、お前」


『……』


「…知らないやつからされた?」



全部に首を振る度、眉間に寄せられた皺は深くなっていく。



「…お前、……まさか、」


『っやめてください』


「…ユリ、」


『お願いします…何も、言わないでください……』


「………ごめん」



先輩が謝る事なんて何もないのに。そう、何ひとつだって。
貴方が私の光だった。貴方と居ると心が擽ったくて、暖かくなって、底無しに湧き上がるそれが愛だと知った。貴方の笑った顔を見るのが、本当に幸せだった。

無意識に俯いていた顔を上げて先輩を見上げると、先輩はこちらを真っ直ぐに見つめたままだった。
その顔はこんな時でも信じられないくらいに綺麗で、世界は捨てたものではないのだと思った。



『…先輩は、何してたんですか』


「……カラオケ行ってた。チャニョン達と。」


『夜遊びだ』


「ん。」


『いいなあ、私もしてみたかったです。』


「夜遊び?」


『うん。』


「今度、一緒に来れば。お前ならあいつらも喜ぶだろうし。」



今度、かあ。それは明日なのか、1週間後なのか、もっと先なのか。その間に私の心は何度しんで、どのくらいの感情を擦り減らすんだろう。

先輩と夜遊び、してみたかったな。色んなことを想像してみたけど、だけどもうどうしたって、気力が湧かない。もう本当に、疲れてしまった。

曖昧に笑ったつもりでいると、ウォンビン先輩が1歩、また1歩と近づいて来る。そしてゆっくりとその手を伸ばして、熱が私の頬に触れた。



『……』


「…痛いよな」


『…平気です、慣れてるので。』



傷の痛みなんかより、先輩の手のひら熱さの方が痛い。好きな人に触れられることはこんなにも切なくて痛いんだと、わたしはまたひとつ、先輩から教えてもらった。

そのしなやかな手に、頭を撫でて欲しい。頑張ったなって、もういいよって、優しく撫でて欲しい。
だけどそんな事言えるはずもなくて、これ以上、綺麗な先輩がこんな私に触れることなど、許せなくて。
ただ、もっと近くでその温もりを感じたいと思った時には、体は動いてしまっていた。



「……、」


『………先輩、』



先輩の胸元に額を寄せる。腕を回すことなんて出来ない私が許される精一杯。

一度だけでいい、この胸の中で眠ってみたかった。なんて、気持ち悪いな。先輩と手だって繋いでみたかったし、思い切り抱き締めて貰いたかった。そんな事をされればきっと、私の心臓は壊れてしまうだろうけど。



『…先輩の、1番好きな景色って、どんな景色ですか』


「景色?」



先輩もまた、私に腕を回すことはしない。それは優しさなのか、これ以上の距離を拒んでいるのかは分からない。分からないけれど、もうそんな駆け引きはどうでも良かった。



「…星が見える海、かな。」


『…星、』



その瞬間、すぐ近くに見える先輩のネックレスが目に入った。そう、先輩の名前にこもった大切な意味。暗闇で彷徨っていた私の星。



『』