天気予報は雨だと告げていた。だから、すこし憂鬱な朝だったのに・・・その結果とは裏腹に、今日の天気は曇り。
 ・・・・空に広がる雲は灰色で、その奥には青空がすこしだけ顔を覗かせている。この分じゃきっと雨は降らない筈だ。
 そう考えるだけで、わかりやすいくらいに気持ちは明るくなった。

 そうして、チャイムが鳴り・・・ようやく休憩時間になったとき。



「みょうじ!」
「・・・・丸井くん?久しぶりだね、どうしたの?」



 背後からいきなり声をかけられたものだから、思わず大袈裟に驚いてしまったんだと思う。その張本人である丸井くんまですこし面食らった様子でわたしを見下ろしていた。

 丸井くんとは一年生のときにおなじクラスで、今年は委員会が一緒。仲がいい、とまではいかないけど、わたしの少ない男友達のなかではよくしゃべる方だ。

こんな風に丸井くんがわたしを尋ねるということは・・・狙いは教科書かなにかだと思ったんだけど、今回はなにやらちがうらしい。



「最近、なんか元気ないだろ?だから様子みにきたぜい!」
「全然元気だけどなあ」
「ついでになんか菓子もってねえ?」



 ・・・・元気ない、かあ。普通にしていたつもりではいたけれど、一人になるとつい考え事をしてしまっていたのは事実だ。

 ・・・・それに、気持ちはうれしいけれど、丸井くんに相談するわけにもいかないし、
わたしに出来ることは、やはりなんでもないように振る舞うことだけだ。



「・・・飴ならあるけど」
「サンキュー!あ、そういやさ、みたぜ!例のやつ!」
「みた?みえた?」
「みえたみえた!つい笑っちまった!」



 わたしから飴を受けとるなりにっこり笑う丸井くんに、すこしだけ頬が綻ぶ。わたしがこんな風に飴や小さなお菓子をポーチにいれて持ってくるようになったのは思えば去年の餌付けの名残なのかもしれない。


 それからも、授業の話や・・・共通の友達や先生こと。いろんなはなしをした。

 ・・・・・改めて、日常が戻ってきたんだなあって思うと・・・こんな小さなことですら嬉しくなって。
 丸井くんと別れたあともしばらく上機嫌だった。




 ・・・・でも、一体何しにきたんだろう?

昨日、だっけ。丸井くんと話したのなんてほんの二言ぐらいだったのに
そのときにわたしの様子に気付いて、心配して来てくれたとはあんまり思えないし・・・・そんなに重症にみえたんなら、反省しなきゃ。もうわたしは解放されたんだ。あとはわたしの力でゆっくり解決すればいい。・・・・・わたしを脅かすひとは、もういない。




 不意に窓の外をみれば、空はすっかり太陽が顔をだし、青く輝いていた。そこには一点の曇りもなく、先ほどの天気なんて嘘みたいだ。

 そうして、友達とこっそりノートの隅で放課後の寄り道の計画をたてている頃には、小さな疑問なんてすっかり忘れてしまったのだった。



「おー」
「・・・これから部活?」
「そ。みょうじは何してんだよ」
「友達待ってるの、これからかいもの!」
「三井、だっけ。仲いいな」



 放課後、移動教室に忘れ物をしたという友達を待っていたわたしに声をかけたのはまたしても丸井くんだった。

 今日はよくあうね、って。なんのきなしにいってみると、丸井くんはそうか?なんていって笑う。

向こうの方からこちらへ向かってきている友達の姿をみつけて話を切り上げたのと、丸井くんがこちらへ向けて手を伸ばしたのはほぼ同時だった。

丸井くんの手は、すっかり固まってしまったわたしの肩に触れて、すぐに離れていく。そこに摘まれた小さな綿埃をみつけたのもそれからすぐ。



「ついてたぜい」
「・・・・ありがと」
「じゃーまたな!」



 ・・・・・・一瞬のうちに、なんだかものすごく恥ずかしい勘違いをしたようだった

 悲鳴をあげたものなら今ごろ赤面していたにちがいない。

あのとき、もし丸井くんが幸村くんや柳くんのような"なにか"だったら、そう思うと怖かった。
わたしは丸井くんの善意を疑ってしまったのだ


 遠くにみえる黒い雲はみないふりをして、あるきだす。・・・きっと、一人になればまたいろんなことを考えてしまうだろうから、隣で笑う友達の存在はとてもありがたかった。



#mtr3#



「・・・仁王か」
「えらく早いのう」
「いつも通りだが」
「他のやつらは?」
「委員会と聞いているな」



 部室でこうして仁王と柳が二人になるのは、随分と久しぶりだった。
仁王は自分のロッカーに荷物を仕舞うと、定位置であるベンチに腰かける。その正面にはちょうど着替えを済ませた柳が制服を丁寧に畳んでいる姿がみえる。

 無遠慮に向けられる視線に、柳はなんだ、と、一言声をかけるも・・・返ってきたのはなんでもない、という曖昧な返事のみで。

 それ以降、会話がない空間は異様な空気を感じるほどに静まり返っていた。仁王が柳の顔を盗み見たところでその表情は変わらず。

それからすこし後。先に口を開いたのは意外にも柳だった。



「・・・・手を貸していたそうだな」
「ん?」
「みょうじのことだ。俺はてっきりちょっかいを出しているだけだと思っていたが・・・」
「まさか。・・・噛まれるのはごめんじゃき」
「誰が噛むんだ?」
「一人しかおらんじゃろ」
「・・・人聞きが悪いな」



 彼が自らなまえの話題を振るとは思わず、一瞬面食らう仁王だったが・・・またすぐに口元はゆるく弧を描く。


 そのときだ。仁王の脳裏に、"お願い"を持ちかけてきたときのなまえの表情がよぎった。

 彼女がつけたというその傷は・・・・・柳を苦しめていた。
事実、柳は天候が悪い日には必ず顔を真っ青にして、酷い時には倒れることもあったのだ。


 わたしがやった事だから
なまえはそう言って、酷く胸を傷めていた。
 そうして、得意だと胸を張った通り、彼女は繊細な作業を簡単にこなし・・・・水を作り上げたのだ。



「のう柳、ずっときになっとったんじゃが・・・あの水、どうじゃ?」
「ああ、あれか。・・・まあ、効果はあるさ」
「・・・・・・効果、ねえ」



 仁王はそれきり、なにかを言いあぐねた様子で黙り込んでしまう。柳はそんな仁王を一瞥し、再びロッカーへと視線をもどした。
 再び静寂が訪れる。どちらも、居心地がいいとは言えないこの場から去ろうとはしない。・・・寧ろ、お互い牽制しあっているようにすらみえるのだ。

 次に口を開いたのは仁王の方だった
その眼差しはまっすぐ柳に向けられ・・・その当人は、まるで獲物に狙いを定めるようだと。他人事のようなことを考えていた。



「・・・その傷、どうして治さんの?」
「・・・・俺がわざと治さないような言いぐさじゃないか」



 穏やかな口調や、笑みを帯びた口許とは裏腹に、鋭い眼光でお互いを見つめ合う。
幸か不幸か、誰も立ち入る気配はなく・・・・切り取られたように静かな空間で二人は対峙していた。窓の隙間から入り込む風の音だけが、あたりに小さく響く。

 やがて・・・仁王はゆっくりと口を開き、柳もまたその動作を見守った。



「みょうじとの唯一の繋がり、っちゅーわけか。・・・可哀想に、おまんがそれを大事にする限りみょうじはずっとその傷を気に病んだままぜよ」



聞きのがしてしまってもおかしくはないような、小さな声だった。
柳の瞳が動揺で僅かに揺れる。その奥に映るのは、仁王ではない、ありし日の少女の後ろ姿が揺らいでいた。




#mtr3#



「っわたし、・・・ごめんなさい、本当に・・・ごめんなさい・・」



 少女は、小さな手のひらを横たわる少年の腹部に翳し・・・か細い声で何度もそう呟いた。
横たわったまま額にじんわりと汗を浮かべた少年は、静かにその少女を見上げる。


 彼の体を蝕む熱は数日前に彼女が放った術式によるものだ。

 吸血鬼だと紹介され・・・・仲良くしなさいと、
その声をきくまえになまえはそれを行動に移してしまった。
真似事のような、未熟な術でさえも幼い体を蝕むのには十分だったのだ。


死には至らないと言った祖父に自分でなおすと宣言をしてからというもの・・・
なまえは毎日こうして蓮二のもとへ訪れて、習ったばかりの治癒を施している。



「泣かないで」
「・・・・でも、」
「なまえちゃんが一緒にいてくれるから、平気だから」
「・・・じゃあ、なまえ・・・ずっと一緒にいる・・・・明日も、そのつぎの明日も、あいにくる!」
「本当に?」
「約束!」



 二人はぎこちなく絡まる小指をみつめると・・・顔を見合わせ、わらいあう。



 吸血鬼だから、と幽閉に近い状態だった蓮二にとって世界は家族となまえとの二つだけだった。
後に、学校に通うになってもそれは変わらず・・・・思い出も、なまえ自身も。蓮二にとっては宝物だったのだ。

だから、





「おじいさんなら、出来るでしょう」
「君は、それでいいのか」



 だまりこむ少年を、灰色の空がしずかに見下ろしている。

それは、凍てつくような雪の日のことだった。少年と向かい合う白髪の老人の瞳は、形容できない優しさを帯びていて・・・・なまえによくにている、少年は頭の隅でそんな風に考えた。

 記憶のなかで、少女が微笑んでいる。少年は、しずかに頷いた





「・・・・・・また、あの夢か・・・・」



 ひとり呟いて、ゆっくりと上体を起こす。あたりには見慣れた景色と・・・夢でみた灰色の空ではなく、青空が広がっている。


 つい先ほどまで繋がっていたような、そんな感触がして、慌てて右手を掲げるが・・・
そこにはあのときよりも成長した小指がただ存在するだけだ。


 吸血鬼だから
昔から何度も唱えた呪いの言葉を封じ込めるようにして、ふたたびベッドにしずみこむ。


記憶のなかの彼女の笑顔はまだあたらしいまま、忘れられそうにはないのに。
・・・どうしたって、重ならない

なまえの笑顔を最後にみたのはいつだっただろうか
そんなことすら考えて・・・ひとり、自嘲じみた笑みを浮かべた。



20140908

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