それは本当に偶然の出来事だった。
友達に借りた教科書を返しにいった帰り道。廊下で話す男女の姿をみるなりわたしは息を潜めて壁を背に立ち止まった。あれは、柳くんと・・・まえにも一緒にいた女の子?

 ・・・・・セガワ、・・・・さん。
柳くんは彼女をそう呼んだ。

 柳くんのファンなんて沢山いるし、中には喜んで血を差し出すような子なんていくらでもいるかもしれない。そんなこと、わかってた筈だ。・・・・わたしには、関係ない。そう言い聞かせてきた筈だった。
 ふつふつと沸き上がる感情が悔しさなのか、それとも別のなにかなのか・・・・・・頭の隅ではわかってる。でも、知らないふりをしていたかった。なのに、目の前の光景が、もやもやした気持ちがわたしに現実を突きつける。
さらに、そんなわたしに近づくのは・・・・・・



「妙に仲がいいよね、あの二人。・・・・・君達みたいに、さ」
「・・・・・っ幸村、くん・・・」
「俺の名前、覚えていてくれたんだ。嬉しいな」



 幸村くんだった。
 驚いて思わず声を荒げてしまい、幸い二人はこちらに気付いていないみたいで・・ひとまずは安心するけれど・・・・・・
無意識にぴんと背筋を伸ばしながら、わたしは彼と対峙した。

 ・・・・幸村、精市。決して気を許してはいけない相手なのに・・・・・・それよりも彼のいう事が妙に引っかかった。しかし、聞いてみようか迷う間もなく彼はこう続ける。



「蓮二は瀬川さんから血をもらったことがあるんだよ」
「・・・・・・知ってます」
「なんだ、もしかして仁王から聞いた?まあ、彼女らも君と蓮二よりかは浅いみたいだけどね」
「・・・・は!?」
「わかるんだ、俺にはね」




 それきり、わたしはすっかり身をかたくしたままじわりと嫌な感覚に包まれ、僅かに眉をひそめる。表情は穏やかで、いつも女の子たちから騒がれる幸村精市そのものなのに・・・・違和感は確実にわたしの心に入り込んでじわじわと浸食していく。



「・・・・怖いかい?」
「・・・・貴方は、祓うことができる。だから怖くなんか、」
「祓う、だって?怖いことを言うなあ」



 くすくすと笑いながら、幸村くんはわたしの前をゆっくり通りすぎていく。

 ・・・正直、わたしは彼に圧倒されていた。一歩も動けなかったしそれに・・・祓うなんてていったけど、わたしが太刀打ちできるわけがない。・・・・・幸村くんもきっとそれに気付いてる。
 ・・・・結局わたしは彼ら吸血鬼のどちらも祓う力はないのだ。



「でも、蓮二なら簡単に祓えるよ。君ならね」
「・・・・無理です!」
「ふふ、知ってるんだ。祓い方。それも仁王から聞いたのかな?」



 おしゃべりだからな、仁王は、って。楽しそうに笑いながらそういった幸村くんに、わたしは何もいえないでいた。図星だからっていう理由だけじゃなく、単に返答に困ったのだ。幸村くんは吸血鬼どうこうがなくても苦手だったかもしれない。そんな事すら考えてしまう。
そうして、すっかり黙ったままでいるわたしへ、幸村くんは手短に別れを告げて歩きだす。飽きてくれたならわたしも一安心なんだけれど…気のせいか、少々気味がわるい。
わたしは、小さく返事をすると、遠ざかっていく背中を睨み付け・・・・・見えなくなったあとにようやく息を吐き出した。

 ・・・その一瞬で、まるで体がからっぽになったみたいにがくりと力が抜けた。同時に、緊張でかたくなった体のあちこちが痛みだして・・・・自嘲ぎみた笑みを浮かべながらそっと壁に凭れかかる。


 色々と、わからない事ばかりだけど・・・・・・・わたしは自分の身を守ることだけを考えればいい。それは変わらないはずだ。

 言ってしまえば柳くんのことは関係ないし、幸村くんだって・・・このまま手を出してこなければひとまず大丈夫なんだから。・・・・惑わされちゃだめだ。
そう言い聞かせ・・・まだ重い体を引き摺るようにしてなんとか歩き出す。・・・それからすぐの事だ。


 辺りは異様な程に静まり返っていて・・・・さらに、歩いても歩いても廊下の終わりはみえず、同じ景色ばかりが立ち並ぶ。
足を進めるたびに、疑問は確信へと変わった。

 ・・・・・閉じ込められてしまったらしい。
普段ならこんな罠、すぐに気付けたはずなのに・・・・幸村くんに意識を集中しすぎた、というと言い訳になるだろうか。自嘲ぎみにため息をついたところで気は紛れず・・・・ゆっくり息を吸い込んだ。

 わたしなら出来るはず。・・・・・みょうじの人間だもの。
 得体の知れない何かに悟られないようそっとポケットに右手を忍ばせながらそう言い聞かせる。

 ・・・いつもなら魔法の呪文のように自信が沸き上がるのに・・・・今回はちがう。不安がより強く胸を支配していく。・・・・あの件以来、わたしは自分でも気付かないうちにこんなにも自信を失っていたらしい。
そうなると、崩れるのははやいもので・・・足を止めて、じっと前を見据えた。


 気配は、一つ。・・・・どこから間違えてしまったんだろう。お兄ちゃんの真似事で御札を手にして、母に褒めてもらったのがきっかけだった。わたしは・・・ただ純粋に皆が褒めてくれるのが嬉しくて、退魔を習いはじめた。・・・さすがみょうじの子だって、頭を撫でてくれたおじいちゃんの笑顔が嬉しかった。

 ・・・いつから、いつから期待に応えられなくなった?力が使えなくなった、そんな認識はあるのに肝心なことが思い出せない。聞いたっておじいちゃんは押し黙るばかりで、お兄ちゃんはただ向いてなかったんだ、って。わたしを突き放した

 思い出そうと記憶を辿ってもそれを阻むように深い霧が現れる。・・・・・柳くんとのことも、柳くんの口から聞くまではっきり思い出すことはできなかった。酷いことをしたのに。・・・わたしは彼と出会ったことすら覚えていなかった


「・・・・っ、う・・・・・」



 辛くて・・・苦しくて、吐き出した声はか細く・・・ただただ溶け込むようにして消えた。置いていかないで、・・・一人にしないで。無意識に呟いたその言葉が胸を締め上げる。・・・・前にも、こんなことがあったっけ。


 あれは確か・・・・徐々に力を失ったあの時。夜になるたびに知らない顔の遠い親戚が集まってわたしの話をした。・・・毎晩、毎晩。わたしが出来なくなることの数の分だけ口論は激しくなる。
 わたしを庇うおじいちゃんを批難するひどい声が耳から離れなくなることもあった。



 息ができなくなるような、そんな感覚。懐かしい、なんていう表現は間違っているだろうけど・・・・そう思えずにはいられなかった。
 また、だめだった。



「・・・・・い、・・・か・・・・・え、・・・か」



 こえが聞こえたような気がして、意識を傾ける。目の前には先程と変わらない景色が広がるだけなのに、たしかにその声は・・・声だけがそこに存在していた。

 ・・・わたしを惑わすための罠ならたちが悪すぎる。だってこれは、この声は・・・



「・・・・・・ろ、・・・なまえ・・・・・、なまえ!」



 ・・・・柳くんの声だ。

 徐々に聞き取れるようになって・・最後にははっきりと耳に届いた。
なのに、わたしがいくら叫ぼうとも声はでず、代わりにひゅうひゅうと妙な音が喉から漏れる。

 ・・・・どうして柳くんが、だとか・・・そんな風に思うよりも先に走り出していた。さっきまでは動かなかった足が軽い。・・・・それに、柳くんの姿も、位置ですらわからないはずなのに・・・ただ一点を目指して、もがくように進んだ。感覚で進んでいる、という方が正しいかもしれない。


 走馬灯のようにまとわりついてきた過去の記憶は消えた。わたしはただ、声に導かれるようにして夢中で前へ、前へと進む。
 そうして・・・前方に現れた光の波に躊躇なく飛び込んだ。
おじいちゃんが遺してくれた手鏡から光がもれているのをみたのを最後に、わたしは意識を手放したのだった。



#mtr3#



「・・・・・・・・ん・・・」



 長い夢でもみていたような心地で目を覚ましたわたしを出迎えたのは、他の誰でもない・・・柳くんだった。

 まだ鈍く軋む体をなんとか起こして、あたりを見回す。そこは・・・・図書室だった。外にはさっきわたしがさ迷い歩いた廊下と似た景色が広がっていて・・・・違うのは、そこが異世界でないことと、ちゃんと人の気配があること。

 ・・・・戻って、これたんだ。

次に視線を戻すと・・・そこにはわたしと同じように、安堵の表情を浮かべた柳くんがわたしをのぞきこむような体勢で膝をついていて。
さらに、ちょうどわたしが寝ていた場所に柳くんのものと思わしきジャージが敷いてあるのをみて、思わず小さく息を呑んだ。



「・・・・無事、みたいだな」
「・・・・うん、えっと・・・この通り」



 居心地悪そうしているくせに、立ち上がる様子もなく、寧ろ腰を下ろした柳くんはもういつもの柳くんに戻っていた。
 ・・・・心配、してた、よね。それで助けてくれた、とか・・・?・・・でも、どうやって?・・・・今のは、何?



「・・・簡潔に言うと、心に種を植え付けられていた。それも、精神の奥を蝕むとびきりの物をな」



 わたしの思いを察してか、柳くんは静かにそう言った。
心に根付く、種。・・・昔、聞いたことがある。用途や手順は様々だけど・・・根付いた種は主の心のなかの記憶をみせ・・・持ち主の精神を支配するんだとか。

 一見呪いのような類いに聞こえるけれど・・・実際は栽培も難しく、質の向上はほとんど望めない。その為・・・用途は専らとある一族の修行だと聞いていた。

 ・・・それがまさかあんな風になるなんて、
思い出すだけで目の前が眩む。



「・・・・・大丈夫か?」
「・・え?」



 そんなときだ。指摘され、ようやく自分が震えている事に気付いた。
・・・さっきの事だけじゃない。恐らく悪意を持った人間がわたしに種を仕掛けた。それがとても恐かったのだ。

 助けてもらってばかりで、一人ではなにもできないって・・・また呆れられてしまう。こんな姿、見せたくなかったのに。そんな思いとは裏腹に・・・・わたしは笑顔さえ作れずにいる。



「種なら除去されている。もう平気だろう」
「・・・・・柳くんが?」
「いや・・・俺は手を貸しただけにすぎないさ。打開したのはお前自身だ」
「・・・ありがとう」



 副作用はない、その言葉に安堵したのも束の間だ。・・・・やっぱり、一刻もはやく血を封印しなきゃいけない。改めてそう思い知らされた。
 ・・・・こんな風になるなんて考えてもみなかった。わたしが、弱いから。柳くんがいなければきっと助からなかっただろう。

心からお礼をいったものの・・・柳くんへの複雑な感情が変化するわけもなく。今こうして向かい合っているだけでわたしの緊張は最高潮に達していた。


 何も話さないまま、沈黙が続く。・・・すぐに立ち去るものだとばかり思っていたのに、柳くんは一歩も動かないまま、わたしの隣にいる。
 ・・・・・出ていくタイミングを逃してる、とか・・・柳くんに限ってそんな事はないだろうし。なら・・・・わたしが心配・・・・・だとか。・・・・・・・・ない、よね。でも、義務だと思われているならそれは申し訳ない。・・でも、自意識過剰だって言われたら、・・・・そう思えば何も言えない。



「・・・・今って、何時・・・かな?」
「・・・・・・6限が始まった頃だな」
「・・はじめて授業さぼっちゃった」
「・・・俺もだ」



 何気なく呟いたわたしに同調した柳くんは、小さく微笑む。

 静まり返った図書室で二人きり。こんなに広いのに身を寄せあうように座っているのに、ちぐはぐな方向を向いているのがおかしくって・・・頬が綻ぶ。
・・・足の震えは、いつのまにか消えていた




20141012

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