世の中には不思議なことがたくさんある。それは大抵"普通"の人には関わる必要のないことだったり・・・・形はさまざま
 だけど・・・・たしかに存在している。


 事実、わたしは代々悪魔とかそういった類いのものを祓う退魔士として名高い一族の跡取り・・・・・・・の妹だ。

 とはいえ、悪魔が日本に蔓延っていたのは今からずっと昔のはなしで。才能溢れる兄が西洋に留学した一方で、落ちこぼれのわたしは日々地縛霊とかそういったものの解放をしながら学生の役目を果たしていた。

 ・・・・つまり、わたしはただすこーし特別な血が流れていて、すこーし特別な家に住んで・・・・・ほんの僅かな力を持っているいるだけの女子高生、というわけだ。


 そんな生活をまるごと変えてしまったのは、大好きなおじいちゃんの死だった。

 ・・・・・・一族には珍しい程才能がなく、すっかり見限られたわたしを見放さずにずっと応援してくれていたおじいちゃん。大好きだった。唯一の、心の拠り所だったといってもいい。でも、これからはわたしを退魔士として見てくれる人はもう、いない。

 兄と共に海外に行っていた母でさえ・・・・帰ってくるなり、わたしにこう言ったのだ

 もう退魔士として生きなくていい、普通の女として幸せになりなさい
・・・って。
 勿論、わたしに選択する権利なんてなかった。今までつかってきた退魔のための道具を母に引き渡したのだ。残ったのは、わたしにも特別な血が流れているから念のためにと渡された一枚の鏡だけ。


 母はすでに日本を発った。
ほかの話はたくさんしたけれど、退魔に関する話はそれだけ。長年、わたしなりにやってきたつもりだった。けれど・・・・随分あっけないものだった。



 ちなみに・・・・お兄ちゃんは向こうでの仕事がたてこんでいるらしく、帰ってきていない。わたしはそれを内心喜んでしまっていた。お兄ちゃんがこの家にいるとわたしの居場所はなくなってしまう。理由はただそれだけ。・・・・最も、今だってないに等しいけれど。

 わたしがこんな風に悩んだときはいつだっておじいちゃんが手招きしてくれて・・・・いろんな話を聞かせてくれたっけ。昔昔、まだ日本にも悪魔が実在した頃の、おじいちゃんのおはなし。わたしはそれを聞くのが大好きで・・・・・おじいちゃんはわたしにとって憧れの退魔士だった。



 そして、わたしは今、おばあちゃんから手渡された・・・おじいちゃんからの手紙を手にしている。いろんな気持ちが込み上げて、また少し泣いて・・・ようやくそれを開いた。


 そこには・・・・懐かしい、おじいちゃんの字で、自分の死を悟っていること、わたしとの思い出のこと、わたしの成長を見届けられないのが残念だってことと・・・・・・・・・・わたしへの、最後の願いがかかれていた。


 まっすぐ生きること、後悔のないように生きること。それから・・・・・・・・・・吸血鬼を、封印してほしい、こと。

 ・・・・・・・吸血鬼?封印?なんの前触れもなくでてきたその言葉に、勿論心当たりがあるわけじゃない。不審に思いながらもぱらりと捲ってみれば、さらにでてきたのは地図のようなもので。


 ・・・そんなわけで、わたしはその地図に従いみょうじ家の蔵へ忍び込んだ。ここへ入るのはいつぶりだろう。そう考えて、最後に入ったのはわたしがまだ期待されていた頃だって気付き・・・今日何度目かのため息をつく。
けれど、落ち込んだりしてられない。おじいちゃんが最後にわたしに託したことだもん。しっかりやり遂げたい。


 その一心で埃が詰まった棚を隅から隅まで探し・・・・ようやくみつけたのは、小さな箱。わたしは、深く息を吸い・・・・わたしでも解けるくらいの術式が施されたそれを・・・開けた。




 そんなわけで、わたしはそこに入っていたメモの通り、小さな飴玉を食べながら通学したのである。
・・・・食べてからのことは・・・・実をいうとなにもわかっていない。おじいちゃんのメモにも、すべてわたしに任す、としか書かれていないし・・・・ましてや家の人に聞くわけにもいかない。

 それに、その飴玉というのも見た目は特に変わったことはなく、とにかく赤くて・・・・例えるなら・・・・血のような赤、とでもいえばいいのだろうか。
ちなみに、肝心の味の方は、どうにも形容しがたい味をしている。

 吸血鬼なんてわたしにどうこうできるのか、
確信があるわけでもないのに、不思議と、わたしには迷いはなかった。
 おじいちゃんがわたしに託したんだもん。・・・・お兄ちゃんじゃなくて、わたしに。自分を、というよりもおじいちゃんを信じてるから。そう言い切れる。


 ・・・・だから、なにも考えていなかった。
どうしてか、うまくできるって思い込んでしまったのだ。それで、見直してもらえれば・・・なんて、我ながら未練がましい夢を・・・・みていた



 まさか同じ学校・・・それも、クラスは違えども同じ学年に吸血鬼が潜んでいたとはおもわなかった。それも、どういうわけだか向こうからわたしに近付いてきたおかげで感知することができたのだから余計に驚いた。
・・・・力を持っていても、それを隠してやりすごしていた。そうなると・・・相手はかなりの力をもつと予想できる。一方、わたしはまったくの未熟者で・・・・・あの、今朝の飴の効果ですら把握していない。圧倒的に不利だ。


 だけど、このチャンスを逃すわけにはいかない。そう思ったわたしは早速その"彼"と接触を試みたのだった。



「突然呼び出したりしてごめんね」



 それが・・・・立海テニス部のレギュラーで、三強としても知られる・・・・・・柳蓮二。

 彼はすんなり誘いにのってきた。話したことも、関わったことすらないということもあって・・・別の意味でも緊張するけれど・・・相手は吸血鬼なんだ。そう言い聞かせて、静かに息を呑む。

 そうして、どう切り出すか考えた末、先に動き出したのは・・・・・・柳くんの方だった。それも、一気に距離を詰められたかと思えば、後ずさるわたしの背中に壁があたる。目をしろくろさせる間もなく左の、ちょうど耳のあたりに柳くんの右手がおかれ・・・・もしかしなくとも、この状況って・・・・所謂壁ドンってやつ・・・・?



「あ、あの・・・・柳くん・・・?」



 わたしの戸惑いの声が響くが・・・肝心の柳くんは黙ったままでいる。

 むしろ、彼の端正な顔がじわじわ近付いて・・・・小さく悲鳴をあげそうになるのをなんとかせき止めた。
堂々として、つけこまれないように。昔聞かされた退魔の基本を頭のなかで繰り返し・・・前をみることに専念。・・・・だけど緊張のせいか、足の震えは止まらない。



「・・・・・・・なぜ黙ったままでいる?抵抗しないのか」
「・・・・柳くんこそ、こんな事をして・・・わたしの血を吸いたいの・・・?」



 負けじと反撃すれば、わずかにだけど・・・柳くんの眉がひくりと動いたのをわたしは見逃さなかった。・・・もう確定していたけれど・・・・それでも信じきれていなかった分、衝撃は大きい。
 わたしは、ゆっくりと息を吸い込み・・・ポケットのなかの鏡の持ち手を握りしめる。



「・・・・・・やっぱり柳くん、貴方が・・・・吸血鬼なんだ。おじいちゃんに代わってわたしが貴方を、」
「・・・やはり・・・・・・なにも知らないようだな」
「どういう意味?」



しかし、柳くんはそう言うなり呆れたようにため息をつく。

 ・・・わたしの虚勢も、すべて見透かされているような・・・そんな気さえして・・・・いいようのない不安に駆られてしまう。けれど・・・なんとか前を見据えたまま、柳くんの次の言葉をまった。情けないけれど、わからないことが多すぎる以上、情報はほしい。


 だが、柳くんもさすがになにかを思案している様子をみせ・・・・すこし後、わたしを一瞥し、そして・・・ようやく口をひらく。



「・・・その体はどうした?なにをした?・・・一体どういうつもりでこんなことをしたんだ?」
「・・・っ柳くんには関係ない!・・・・・とにかく、わたしは貴方を祓いに、・・・・っい、」



 ・・・体、そう言われてまず頭によぎったのは勿論あの、飴玉の存在だ。知らない、とは言えずにとっさに強がったわたしの腕を柳くんが捕らえたのは、まさに一瞬の出来事で。

 こんな細い腕のどこから力がでるのだろうか。そんな風にすら思う程の痛みに、思わず顔をしかめるわたしを柳くんは容赦なくみおろしている。





「答えろ、・・・・何を使った?」
「な・・・にも使ってなんか、」
「まあいい、・・・・・・・罠もはっていない、仲間もいない。・・・まさか、誘き寄せておいて一人で俺を祓うつもりだったか?」
「だったらどうするの・・・っ、・・・・・・もう貴方に逃げ場は、」
「・・・・今手を退けば、見逃してやる」
「っな、」



 柳くんは落ち着きを崩さないままにそう続けた。一方わたしはこっそり手に汗を握るばかりで。


 ・・・でも、同時に疑問だって浮かんだ。柳くんにとってわたしなんかすぐにどうにでもできるかもしれないのに、それをしない理由は?というか今まで接触なんてしなかったのに・・・・・今日は、わたしの異変に気付いたから近付いたってこと?

 そのとき、柳くんはたしかにわたしを一目みて驚いていた。驚く理由は・・・?それに・・・"その体はどうした"って、"おびき寄せた"・・・・・ってどういうことなの?聞きたいことばかりで、どうしたって嫌になる。



「提案がある」
「・・・・なに?」
「お互い知らないままで生きていく。俺はお前に危害を与えない、・・・お前も俺に関わらない、どうだ?」
「・・・・・っなにそれ、怖いの?」
「どの口が強がりを、お前は今、身動き一つ取れないだろうに」
「っ・・・・」
「・・・・・どうする。逃げるのか、逃げないのか・・・・」



 柳くんのいうとおり、うではぴくりとも動かない。
大体、提案だっていわれても・・・・こんな体勢で・・・・なにも考えられるわけがない。

 ・・・・柳くんがこんな提案をだす意味は?わたしへの情け?それなら、逃げるなんて選択は・・・・



「や、やな、・・・・っ!」



 なんて、考えてる間にもネクタイは取り払われ、シャツのボタンがはずされたことにより肌が外気に触れる。

 目の前の柳くんは、冷えた目でわたしをみおろしていた。
・・・・わたしの血を、吸う気なの・・・・?吸われたらわたし、どうなるの?吸血鬼のことなんか・・・・・わからないし・・・・、こんなとき、こんなときどうすれば・・・!必死に記憶を辿るけれど意味はなく、抑え込まれた体だって、びくともしない。

 柳くんがじりじりと近付いてきて・・・・ついに、首筋に鼻先がぶつかる、


今は、どうすればいいかわからないし・・・・・・どうする事も出来ないかもしれないけど・・・でも、・・・でも、わたし・・・諦めたくない。だってこれは、わたしの最後のチャンス。



「・・・・・・・・・・っ逃げない、わたしは、・・・・・・わたしだってみょうじの端くれ、こんなのすぐに・・・・っ」



 悲痛な声を搾り出しながらもなんとか抜け出そうと、精一杯足掻いた。
 ・・・・すると、
驚くことに、突然するりと腕を解放されて、同時に体も自由になった。どういうわけかはわからないけど、このチャンスを逃すわけもなく、わたしはすぐに手鏡を取り出す。

 柳くんは・・・そんなわたしをじっと見据えたまま、動かない。・・・この余裕がこわい、けど・・・・この手鏡にはすこしならば動きを封じる力をもってる。これにはさすがの柳くんだって・・・・敵わないはず。

 ・・・・・どこまでできるかはわからないけど・・・・・吸血鬼とはいえ、今まで普通に人間として過ごしてきた柳くんを、退治する。わたしが柳蓮二という存在を消してしまう可能性があるのだ。
 ・・・・それでも、わたしは。ゆっくりと、手鏡をかかげる。わたしのなかの力が手鏡へ供給されるのを感じて・・・・・ぎゅう、と唇をかんだ。

ごめんなさい、柳くん。お母さん、わたし・・・・・わたし、吸血鬼を、





 手鏡が光を放出して、わたしの体は反動で壁に軽く打ち付けられる。
眩む視界のなか、精一杯体勢を建て直し・・・・そして、



「・・・・あ、れ?・・・・なんで・・・・」



 先ほどと変わらない柳くんの様子をみて、落胆の声をあげた。
 みまちがいじゃない。・・・・柳くんは、びくともしないまま、わたしをみおろしている。

 わたしの力が弱いとはいえ、効果が現れない、ということは・・・ない、はず。じゃあ、どうして?


 わたしはもう、ただ愕然としたまま柳くんをみつめることしかできなかった。



「・・・・・・一つ、教えてやろう。俺は完全な吸血鬼ではない」
「・・・・え?」
「俺には半分人間の血が流れている。よってお前達に害を及ばす事もなければ、祓うことも出来ない」



 半分、人間。その言葉をきいて・・・そういうイレギュラーなものもいる、という話を思い出した。しかも、その場合は・・・・たしかに、柳くんのいうとおり、祓う事なんて出来ないのも確か。



「・・・・・・・つまり、」
「父が吸血鬼だ。それも純正の、な。しかし・・・・・・・・父はお前の祖父、静馬殿にすでに祓われている。それ以来の古い友人で、通夜にも出向いているぞ」
「・・・っな、そんな・・・・・わたし、おじいちゃんの遺言で、吸血鬼を封印しろって・・・」
「・・・ほう、」



 つい大きな声をだしてしまい、恥ずかしくなった。でも、こんな現実、認めらるはずもなく。
 たしかに、わたしのおじいちゃんの名前は静馬。・・・・でも、だとすると辻褄があわないことばかりで、


 膝から崩れ落ちたわたしをみる、柳くんのまなざしは心なしかやさしい。・・・・やさしいというか、愚かなわたしを哀れんでいるのかもしれない。・・・・わたしは恥ずかしくって、消えたくなって・・・・俯く。そんなわたしに追い討ちをかけるのは、勿論柳くん。



「それで、なにか特別なことは?」
「特別な、こと?」
「元々みょうじや、そういった有名な血族はその由縁か、いい血をもっている。・・・・最高の餌なんだ。だが、同時にそれは誘き寄せるための格好の手段となり・・・弱点ともなる」



 知ってるよ。だからお母さんはこの手鏡を、わたしに託した。それでも返事をしなかったのはわたしの小さな抵抗、ちっぽけな自尊心を守るためだ。



「だから退魔士は悪魔やそういった類から身を守る為に、無意識のうちにそれを封じ込めて過ごしている。なにか特別な処置を施さない限りは・・・・な。お前は今、」
「・・・封印が、解かれているの?」
「・・・・・・・やはり心当たりがあるようだな」



 ・・・・・あの飴だ。じわじわと考えていたそれは、今ようやく確信へと繋がった。
 もう、知らないことを隠したりはしないのは、一種の諦めだ。


 それよりも、あの飴が柳くんをおびき寄せる為だったとしても、おじいちゃんはどうしてわたしに何も教えてくれなかったの?柳くんは退治できない。・・・封印の意味だって、わからない。
退治できない、柳くんはそういった。じゃあ、封印は?退治とは別で、なにか方法があって・・・・柳くんのお父さんが今も実在していることと・・・関係してる?
そんななか・・・



「・・・・何も、知らないんだな」



 ぽつりと、柳くんの声が響く。なんだか違和感を覚えたわたしが反射的に顔をあげると・・・その違和感はより濃いものになる。

 ・・・・どうしてそんな表情をしてるの?悲しそう、というより寂しそうなそれが目にやきついて離れない。

 どれぐらいみつめあってただろう。いろいろ、この数分のあいだにおこったことを思い起こすとどうにも頭のなかがぐちゃぐちゃになって・・・・・そんなわたしの意識を現実へと引き戻したのは、肩にはしった小さな痛み。
 壁に押し付けられた、そう気付くまでに時間はいらなかった。



「・・・・・っや、は、はなし」
「このまま逃して他の魔物に魅入られでもすれば目覚めが悪い。どうせ解放した血の封印方法も知らないんだろう」
「っそれは・・・!・・・・っや、柳くん!?なに、して」
「ただのマーキングだ」
「・・・・っ勝手にそんなこと!やだ!やだやだ!自分の身くらい自分で守るから、・・はなして!」



 柳くんが近づいてきたその瞬間。わたしは渾身の力で腕を振りほどいて、自分の身体を守るような体勢をつくりあげた。
 ・・・どうにもできないけれど、血は、血だけは吸わせたくない。その一心だ。少々にらみ合いになったが・・・・柳くんは表情を崩したりせずに、わたしの手首を掴むと・・・・・なんと、左手の薬指に吸い付いた。



「・・・・・・・っや、・・・!」



 身をひいたって、しっかり手首を掴まれていたおかげで逃げられず。わたしの声にならない叫びが部屋に反響し・・・・。それから、ちゅう、と音をたてて柳くんがわたしの薬指を解放した。


 残された力でなんとか柳くんを押し退けるけれど、同時にしずかに息を呑むことにもなる。
わたしの目に飛び込んできたのは、薬指にくっきりと浮かんだ、指輪のようにぐるりと丸く囲む赤い痕。異質なそれは、眺めているうちにもまるでわたしの中に溶け込むように・・・消えていく。



「・・・・っ・・・・!?」
「これで他の奴はお前に手出しできないだろう。・・・それに、心配せずとも他に作用はない」



 ・・・・これに懲りたらもう二度と俺に近付かないことだ

そう言い残し、踵を返す柳くんにかける言葉なんてみつからず。わたしはただ、彼の背中をみつめるだけだった。悔しい。そんな思いが渦巻くけれど・・・・・わたしにはどうすることだって、できない



一度にいろんなものを失ったような、そんな心持ちのままわたしはしばらくその場に座り込んで放心したのだった

20131211

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