あれから、・・・もう少し詳しくいえば柳くん吸血鬼事件から三日。わたしは必死におじいちゃんやお母さんが残してくれた資料を手がかりに、吸血鬼について調べていた。・・・・・けれど、有力な情報を得ることはできず、結局わからないことだらけ。

 幸い柳くんとは顔をあわせずにすんでいるけれど・・・いい意味でも悪い意味でもなにもおこらなかった。

 すこしでも手をとめれば・・・立ち止まれば、おじいちゃんの笑顔が浮かんで・・・・それから、脳裏にうかぶのは柳くんの声。
"なにも知らない"この言葉は数日がたった今でも存在を示し、・・・・それに、もうひとつわたしを苦しめる要因は・・・柳くんに何かされた薬指。つけられたそれは痕は消えたものの、たまに思い出させるようにじんわりと熱を帯びるのだ。

 わからないことは最大の弱さだと、どこかできいた。・・・・全くその通りだ。

 でも・・・このままになんてできない。わたしはわたしのできることをしたい。その思いは変わらない。
そんなわたしが尋ねた人物は、



「忠告はしたはずだが、・・・・・なぜまた俺に近付いた?」



 やはり、柳くんだった。ついさっきまではこんな空気を放ってはいなかったし、わたしの呼び出しに驚くほどすんなり応じてくれたのに・・・。二人きりになった途端にこうだもの。すこし油断しかけた分余計に気を引き締める。
 柳くんは感情の読み取れない目でわたしを見下ろしたまま、動かない。



「知りたいの」
「・・・・知りたい?」
「・・・・ちゃんと説明して、わたしが知らないこと全部・・・!」



 こんな風に柳くんに丸投げにする方法、出来れば選びたくはなかったんだけど・・・そうはいってられない現状だ。

 一方、柳くんは一瞬驚いたような様子をみせ・・・それからすぐに黙り込んでしまった。あまりの緊張感に、わたしも思わず小さく息をのむ。

・・・・・しかし、それからの柳くんの行動はわたしの予想に反したもので。



「・・・例えば、何について聞きたい?」
「・・・・教えてくれるの?」
「構わない。しかし、後悔してもいいのか?」
「・・・・・・後悔、したって・・・このまま知らないままでいるのは嫌なの。おじいちゃんが残してくれた最後の願いなんだもん。ちゃんと考えたい」



 頼んだのはほかでもない、わたしだけど・・・・正直面食らってしまった。柳くんは相変わらず読めない顔をしているけれど・・・特段気になる点はないし、わたしだってこんな行動にでたぐらいだったんだもん。・・・・予想外とはいえ、有り難い。

 もしかしたら哀れみとか、そういった感情あっての判断かもしれないけれど・・・ひとまずそういうことは考えずにただただ柳くんの話に耳を傾ける。



「・・・まず、俺に害はないと言っただろう。血はなくとも生活はしていける」
「え」
「当然だろう。どちらに傾くかは個人差があるらしいが・・・あくまで俺の場合は血に困ったりはしない」
「・・・・そうだったんだ」



 それなら純正の吸血鬼が減り、柳くんのような存在を知らずにいた理由も、あまり文献が残っていない理由もすこしは頷ける。
・・・うん。・・・・たったこれだけなのに、なんだか随分と気が楽になった。
少なくとも、柳くんの餌になることは避けられる・・・・ってことだもんね。
事がいいように進むと考えかけたそのときだった。



「・・・・ただ、吸血鬼である以上血を好むのは確かだ。そして・・・・・今お前はなんらかの方式で血を解放していると説明したはずだな?」
「・・・何が言いたいの」



 瞬間、まるで縫い付けられたかのように動けなくなった。柳くんのまなざし、空気・・・それから、懸念していたこと。すべてが重なって・・・・・重くのし掛かっているのだ。
 祈るような気持ちで息をのむ。・・・・柳くんは、うっすらと目を細め・・・・そして、



「・・・率直に言おう。俺はその血に興味がある」
「い、今・・・血をのむ必要はないって!」
「・・・・お前は規格外で、それにこの状況だ。正直、いつ俺が理性をなくして襲い掛かるかわからない、そんな空間にいる事を肝に命じておくといいだろう」



 わたしには、柳くんのような人たちの"力"を察知できても、見分ける目はもっていない。なのに、いまの柳くんが異質な空気をまとっているようにみえるのは・・・・・きっと、緊張や先入観、そして・・・・恐怖のせい。
 自然と鞄を握る右手は強まるばかりだし、左手に至っては動かすこともできず。・・・正直、足だってもう、立っている感覚すらない。

 数日前のときのように押さえつけられてるわけでも、ましてや近くにいるわけでもないのに・・・・・この空気ですら刺すような感覚に陥る気分になるのだ。

 このまま逃げ出せば、柳くんのことも、左手の薬指のことも忘れて・・・・今まで通り生きていけるかもしれない。
それでも・・・・それでも、わたしは



「・・・・・話を聞かせて」



 そう、言った。・・・・すごく勇気がいったけれど・・・不思議と後悔はなかった。一方、柳くんはひどく驚いているようにみえる。大丈夫、そんな意味をこめてじっとみつめれば・・・・・やがて、



「・・・まずは静馬殿の遺言、というのを先に聞かせてもらえないか?」



 観念したようにため息をついて、そう言った。これにはわたしもひどく安心し・・・・・からだの力がふわりと抜けるのを感じた。・・・・これで、なにかわかるかもしれないんだ。
とはいえ、気を抜いてはいられない。改めて浅く深呼吸をし、まずは柳くんの要求通りおじいちゃんの残した手紙のことを話した。



「成る程、そういう事か」
「・・・そういう事、って?」



 柳くんはわたしのおじいちゃんを知っていた。ううん、それどころ意外な繋がりすら持っていた。・・・・・だからって、なにがわかったっていうの?わたしにはなにもわからないことばかりなのに。・・・・・・わたしの焦りや苛立ちを知ってか、・・・寧ろそれを楽しむかのように。柳くんが口をひらいたのはそれから随分あと。
 また、それも酷く衝撃的なものだった。



「静馬殿と俺の父は今から十年程前に俺たちの結婚の約束を取り付けている」
「・・・・・え?」
「つまり、この遺言とやらは事を便利に進める為の駒に過ぎない」
「・・・・今、なんて・・・・」



 わたしの、か細い声だけが部屋に響いた。結婚、約束、・・・・・駒?その単語だけがわたしの頭のなかをぐるぐるとまわって、なにも結び付こうとはしない。

 それなのに、柳くんは話はそれだけだ、とでもいうようにわたしの側を通り抜け・・・今にもドアに手を伸ばす。わたしがそんな柳くんの腕をつかんだのはいうまでもなく。



「待って、まだ、わたしは・・・!」
「現実から目をそらすな。俺は吸血鬼であり・・人間だ。お前は手だしできない。・・・・それはよくわかった筈だが?」
「っじゃあ、なんで・・・・なんでおじいちゃんは吸血鬼を退治してほしいって!」
「さあな。俺には関係のないことだ。」
「・・・・・・な、」



 柳くんのいうことは、正しい。わたしは行き場のない思いを・・・柳くんにぶつけた、ただそれだけだ。

 小さく深呼吸をして・・・・ゆっくりと、柳くんを見据える。しっかり、しないと。おばあちゃんや、お母さん・・・みょうじの家には頼らない。わたしはわたしの力で解決する。そのためにまずすべきなのは
 ・・・・・・・・自分の目で、たしかめること。



「柳くん」
「・・・なんだ?」
「わたしはまだ貴方を信用したわけじゃない。逃れるために嘘をついている可能性だって、」
「・・・・いい心がけだ。だが、ならばどうする?また鏡をかざすか?みょうじ御用達の刀の鞘を持ち込んだって構わない。・・・どうする?」



 実際に、様々な手口でまんまと騙されて油断した際に怪我を負わされたひとをわたしは知っている。見逃した故に犠牲者がでた事件も、目の当たりにしてきた。

 今回、その可能性は低いとはいえ・・・・・できることをしたい。その一心でなんとか言ってはみたものの・・・・正直、顔色一つ変えずにわたしをじっと見据える柳くんには驚いた。・・・・それどころか、ゆっくりと足を進めてきたのだからわたしははっとして息を呑む始末だ。
にじみ出る汗に・・・蘇るのはこの間の恐怖。ぐんと距離が縮まった柳くんをまえに、わたしも負けじと見上げるけれど・・・・柳くんはひるむことなく手をのばす。



「・・・・・・・・・柳くん?」
「鏡は・・・右のポケットのなかだな」
「な、」



 後ずさるけれど、すぐに机にぶつかったわたしは柳くんから離れる一心で座り込んでしまう。・・・そんなわたしを柳くんが逃がすはずもなく、この体勢に追い込んだことをひどく後悔した。さらに、すぐ目の前でわたしを見下ろしていたのもつかの間。柳くんは膝をおって、わたしのポケットのなかから手鏡を奪い取ってしまった。


 鏡自体には退ける力しかないにせよ、直接触れて無事でいられるわけがない。・・・それが、いくら半分人間である柳くんだったとしても。
 わたしの方が半ば泣きたいような気持ちのまま恐る恐る顔をあげると、そこには・・・
 手鏡を握ってみせる柳くんがいて。



「言っただろう。俺を祓うことはできない、と」
「・・・・っ」
「俺がお前を騙す?なんの為に?今見逃してやっているのは誰だ?」
「・・・・か、返して」



 わたしの想いも虚しく手鏡は放られ、鈍い音をたてて地面に着地した。しかし、それを目で追う隙もなく柳くんと睨みあいが続く。圧倒的に不利な状況。・・・・それに、すごくこわいのにこんな風に立ち向かっていけたのは・・・・やけになっていた、と言った方がいいのかもしれない。

 静かな時間が流れて、・・・それも、酷く長く感じた。柳くんの表情からはなんの感情も読み取れないのに、わたしはきっと酷い顔をしているだろう。
 ・・・そのながい沈黙をやぶったのは、わたしの小さな悲鳴。



「・・・多くは求めない。話した報酬として味見をする程度だ」
「・・・・・・っや、やだ!やだやだ!!こんなの、や・・・・っはなして!」
「・・・・嫌だ?性行為をしようというわけではないんだがな」
「・・・・っ・・・!そういう事じゃなくて、」
「なら"人間"らしく付き合うか?」
「・・・・・・・な、」
「・・・好きだ、なまえ・・」



 最低
そう叫んだはずの声は虚空に溶け込んでいく。柳くんは自身のいうとおり、まるで恋人にささやくように優しくわたしの体を引き寄せ・・・・首筋にゆるくあまがみをし、そして、
 牙を立てた



「・・・・・・・・・・ひっ・・・・・ん、・・・い、いた・・・いた、い・・・・やな、・・・・・いっいた、・・・・い、」



 こんな、こんな最低な仕打ち・・・それなのに、視界も脳もぐらりとゆれる。そんな衝撃がわたしをおそった。悔しいのに、いやなのに・・・・・抵抗すらできない。それに、血を吸われているはずなのに、体の芯からなにかを注ぎ込まれるような、そんな甘い感覚が駆け抜けていく。力が抜けて・・・ゆっくり侵食されるそれに違和感を覚えたのは、柳くんがすっかり血を吸い終え、わたしから離れた後。



「・・・少量でこんなに、・・・・想像以上だ」
「・・・・・・っ、」



 体の異変がおさまらず、しばらく朦朧としているわたしと、そのわたしの衣服の乱れをなおす柳くん。それだけでも屈辱的なのに・・上気した肌に柳くんの冷たい指があたるたびに小さく肩を震わせてしまい、いろんな感情が込み上げて、泣き出したくなった。それでも泣かなかったのは最後の意地。
 ・・・それに、まだ終わらない。動けずにいるわたしからすこし離れた場所であさっての方を向きながらも、柳くんは居座り続けたのだ。でていって欲しいのに、・・・わたしなんて放って帰ればいいのに。口にだすのもままならないまま、時間が経ち・・・
 ようやく意識がはっきりとした頃にはすっかり陽も暮れていた。わたしはよろめく足でなんとか立ち上がって、小さな声で帰る、と呟くと・・・・・



「お別れだ、みょうじ」



 それに応えるように柳くんもそういった。
そのまま柳くんを無視して出ていけたならどれだけよかっただろうか。そう思ったときにはもう遅く。わたしは再び柳くんと対峙していた。




「・・・・・・・ら、」



 予想はしていたけれど、やはり柳くんは顔色一つ変えずにわたしをじっと見ている。わたしはその視線にもひるまずに、もう一度ゆっくり口を開いた。




「・・・・・ぜったい、は、祓ってやるんだから・・・・・!」
「・・・・俺は祓えないと、」
「その半分の血を封印してみせる」
「・・・勝手にするといい」
「・・・・な、」
「だが忘れるな。お前は餌だという事を」




 言葉を失ったまま立ちすくむわたしに、柳くんが一度だけ振り返る。視線は交わらない。ただ、お互いがどこかをみつめたまま、柳くんがゆっくりと、口をひらいた。



「・・・結婚の事も忘れろ。俺は吸血鬼で、お前は人間だ」




 そんなことはわかってるのに。柳くんの声は遠く、冷たい。それに、遠ざかっていく背中へ投げかける言葉は・・・・・・もう、思いつかなかった。

 全部に決着をつける、そう思って今日こうしてやってきた。それなのに・・・・・・決着どころか、残ったのはどろどろとした気持ちと、ぬぐえなかった不安。
そして・・・・・・・・・ついに吸血鬼に血を吸われてしまった。この事実だけがわたしのなかをずっと渦巻いている。



帰らなきゃ、
まるで自分に言い聞かせるように小さくそう呟いて、まだ淡く熱の残る首筋をなぞりながらもわたしは教室をあとにした



わたしを包む夕日はこんなにも暖かいのに、
吸血鬼憑きの証である首筋の傷を照らされているような気がして、どうにも居た堪れなくなったわたしはそっと陽の光を避けるようにして歩いたのだった



20140129

- 3 -

*前次#


top
ALICE+