これには母が深く関与している。
というか簡単に言って、母は仕事で時間の空きがなく、そして父が私の新しい居住先の住所を知ることを強く拒絶したのだ。
曰く、"壁の外に残すことは譲歩してやったんだから、娘の所在地を知ることは許さない"──とかなんとか。
しかしその割には、私の生活費や交通費は全て父から出るらしく、もうわけがわからない。
請求書が父親の所に届く時点で住所なんて簡単に調べることが可能だと思うんだけどそれはどうなんだろう。
マジで母の考えていることがわからない。
まあ多分、結局はただの嫌がらせなんだろう。
そして、新しい引っ越し先について。
そんな暇ないからと一緒に選んでも立ち会ってもくれない癖に、母はそりゃもう割と厳しい条件を私に突き付けたのだ。
オートロック式。
駅からは10分圏内。
大型のショッピングモールがある。
2階以上で、2LDK以上。
そして最後に、築5年以内。
──マジで、学生の一人暮らしに2LDK居る?
1DKでも十分だと思うんだけど、本当に2LDK必要??
もう確実に、父への嫌がらせにしか感じない。
だってマジで家賃がやばいくらいに高いのだ。
そりゃ、ヨコハマディビジョンは広いし確かに立地的にもピンからキリまである。
安いところは確かに安い。でもそういうところは治安が悪い。
女の、しかも未成年の一人暮らしで治安が悪い所に住むのは流石に怖いから、少しでも治安がよろしい所に住みたいとは思うんだけど。
しかしそうなると、駅から10分圏内の2LDKなんて20万くらい軽く越えてしまう。
きっと離婚に向けて準備はしていたとしても、父はこれから再婚やら新居やら教育費やらが積み重なってくる。
そこに私の家賃と生活費までのし掛かるとなると、もう、正直暮らしていけるのかさえ危ういだろう。
いやあの人の貯金額とか給与なんてわかんないけども。
ああそうだ、もしかしたら大丈夫なのかもしれないけど。
それでも、あまり強い負担はかけたくない。
──いや、正直金銭にしても何にしても、もう、強いかかわり合いを持ちたくないのだ。
せめて、家賃くらいは抑えておきたい。
目標で言えば、10万台。
これはもう、私自身の意地の問題だ。
──と、決意だけは固めてるんだけど。
「う〜〜ん、こことか如何ですか? 駅から15分、3階、2LDK、21万」
「築何年ですか?」
「……7年ですね」
ははは、とおっさんからこぼれる苦笑いは、最初から却下されることを予測していたのだろうか。
手元のマウスをカコカコと動かしながら、あまりに難しい条件にややうんざりしているのが見受けられる。
最初に時期的にもいい物件はもう埋まってるとは云われていたけど、本当に難航中だ。
マジでもうかすりもしない。
「凄く厳しんですよねえ。いや、女の子の一人暮らしだし、色々気になるのはわかるんだよ? けどねえ、ちょっとねえ、難しいからなあ」
突然のタメ口である。
なんかもう、あまりに私がごねるせいで対応が段々とおざなりになってきてしまっているように感じる。
いやまあ、わかるけど。
もうちょっと頑張ってよ、社会人。
──ここじゃ、駄目だろうか。
対応もおざなりだし、いい感じの物件もないし。
別の不動産に移動した方がいいかなあ、なんて。
ちろっと思っていた、時だった。
「──あ、」
ついうっかりこぼれました、みたいな声。
それに何かいい物件でも見つかったのだろうかと視線を向けて見れば、逆にこっちを伺うような視線。
それは見るからに"訳アリだけどいい物件見つけちゃったよどうしよう"みたいな感じで。
私自身、ぶっちゃけ疲れてきたというか何でもよくなってきてしまっていて。
もう、まさかのあと一週間以内に私はヨコハマディビジョンに越さなければならないのだ。
つまり物件が決定した後も引っ越し業者の手配とか荷物の整理とか、やらなきゃいけないこと山済みで。
もうお父さんはいなくて、お母さんもいなくて。
──もうマジで、割りとうんざり。
「……いいとこ見つかりました?」
「あ、ああ。一応、条件ぴったりのところが……」
「なにか訳アリですか?」
「…………ええと、ちょっと隣人がね」
「条件は?」
一週間って、時間があるようでない。
お母さんは、母の荷造りはとっくに済んでいて、既に中王区に移ってしまっているから、私はひとりで荷物を詰めなきゃいけない。
やんなきゃいけないことが沢山ある。
引っ越しの手続き、電車の定期券の発行、引っ越しの挨拶。
ああでも挨拶って一人暮らしはしない方がいいんだっけ。
違ったかな。手土産って素麺?
「ええとね」
隣人問題?
そんなの、やばそうだったらまた引っ越せばいいだけだ。

──と、あっさり決めてしまったのだけれど。
意外と、いや、思った以上?
かなりこう、決まった物件は、良さげなもので。
積み上がった段ボールはうんざりする量。
しかしそれでも、解放感が凄い。
「はあ、凄い、天井が広い……」
エレベータ付き10階立ての、ここは最上階。
南向きのしかも角部屋。まさかの角部屋!
マンション自体と部屋の入り口は指紋認証、パスコード、カードキーのどれがで、万が一鍵を無くしても部屋に入れる親切設定!
カードキーを無くしたときは三万取られるから気を付けてって言われたけど、指紋と番号で入れるんだからそもそも持ち歩くつもりはないし。
億劫だった引っ越しの挨拶も大家さん自体に、ここの住人は皆してないからいいよって言われたし。
壁は防音で、最上階だから上からの振動とかも気にしなくていい。
これでなんと、家賃7万!
やばくない??他軒並み20万超えの中に7万ってやばくない??
「マジでありがとう隣人さん……!」
そう隣人。
話題の隣人。
20万超えの中でこの部屋の価値を半額以下に落とした隣人。
ぶっちゃけまだチラリとも見てはいないんだけど、不動産のおっさんと大家さん曰くは、なんとその人ヤクザらしい。
ヤクザ。
暴力団組合員。
任侠映画とかでよく取り上げられる、厳つい顔の小指がなかったり入れ墨入ってたりする怖い人種。
なんでもここに入居した人たちは、最初はいいものの段々ヤクザが怖くなってしまって出ていってしまうのだと言う。
だからここの隣の部屋の両隣──つまり私の部屋と二個向こうの部屋は、基本的に人が居着かないんだとか。
築4年のかなり新しい物件だって言うのに、最長で8ヶ月しか持たなかったって言うんだから噂のヤクザとやらはもう相当怖いんだろう。
だからか大家さんはかなり不安そうに私を見ては、2年契約だからその前に解約とかすると違約金掛かるけど大丈夫かと何度も聞いてきた。
だけどまあ私的には、7万と言う破格の金額でここを借り入れられた段階で父には既に義理立て完了したようなものだし。
ここまで自分一人で漕ぎ着けられたことがもう及第点だから、ぶっちゃけ別に違約金についてはもう気になどしていないのだ。
というかマジでこんな素敵な7万の物件を見つけた私を褒め称えて欲しいくらいである。
「とりあえず、冷蔵庫とかベッドはあるし。あとはゆっくり荷解きしてけばいっかな」
ベッドも机も、新しいやつだ。
今まで自宅で使ってたものを持っていくつもり満々だったけど、父の痕跡を残したくない母の断固拒否を受けて新品を購入するに至ったのだ。
ちなみにこれは母持ちのお支払である。
どんだけ父が憎たらしいんだろうと思うも、まあ、事情が事情だし仕方ないのかもしれない。
なんてったって浮気で妊娠で離婚である。
しかもその浮気相手、私と3つしか違わないって言うんだから、ぞっとする。
そりゃ憎いし、割りとこう、キモい。
広いリビングに積まれに積まれまくっている段ボールを見渡しながら、少し気が遠くなりつつも取り合えず手前の物に手を掛けた。
それには自分の字でデカデカと "衣類!!その@" と書かれていて、これそのBまであるんだよなあ、とやっぱりちょっと気が遠くなる。
「よっと、」
中に入っているものは衣類だけとはいえ、ぱんぱんに詰められた段ボールは結構重い。
だから持ち上げるのは早々に諦め、両手でずりずりと押して移動させることにした。
まだカーペットなんてどこにも敷いていないフローリングの床はするするすべすべでとても滑りが良い。
これ、床暖房付きなんだぜ。
マジでこんなに素敵物件をあんなに格安で借りれるなんて、ヤクザ様様である。
この辺マジで家賃高かったから、ほんとにここが見つからなかったら詰んでた。
ちなみにこの家の簡単な間取りとしては、玄関があって右にトイレと手洗い場。左に個室その一。
そして正面の扉を開くと、窓からいい感じの日差しが差し込む広々としたダイニングキッチンなリビング。
その奥の三つの扉があって、一番右が個室その二で真ん中がトイレ、一番左が洗面所と浴室スペースだ。
ついでに右側の個室その二の部屋には、割と深めなウォークインクローゼットもついてる。
そんでもって、個室その一よりも部屋が広い。
だからベッドは一応個室その二に配置してもらった。
その壁の向こうは礼のヤクザさんと隣接してるから物音問題とかちょっと悩んだんだけど、やっぱりクローゼットのかある部屋が寝室の方が楽かなあと。
向こう側は、あちらさんが寝室でないことを願うばかりだ。
ちなみに個室その二の部屋にはベランダがあって、物干し竿も設備されてる。
他に干すとこもないし、洗濯はここで干すのが確定だ。
そんでもってまたちょっと不安なのが、このベランダが割りと隣人と近いこと。
部屋を覗き見ることは無理だけど、ちょっと身を乗り出せば向こう側に乗り込めてしまいそうなほど、ベランダとベランダの距離か近いのだ。
マジで建築的になに考えてこの距離感にしたの?って聞きたくなるレベル。
こんなに広いんだから、もうちょっと距離とるなり仕切り作るなりすればいいのに。
「ま、あんま外なんて出ないだろうけど」
それこそ、洗濯物干すぐらい?
まあそれは置いとくとして、早いとこ全部の段ボール運んでしまおう。
なんたって明日は月曜日。
普通に私、学校あるわけだ。

日も暮れて、今は夕方。
大体の段ボールを部屋に運び終えて、今はちょっと早めの夕食をとってる。
夕食と言っても、カップラーメンだけど。
引っ越し初日からちゃんとしたご飯を作るきにはまあなれない。
「はあ〜〜んまい……」
ずずびっとノーマルなカップ麺を啜って一息。
割りとお腹はまだ余裕で、なんだったらもう一個食べれそうな感じだ。
どうしようかな、食べちゃうかな。
でもさすがにカロリー気になるし、どうしよう、しかし微妙に小腹が空きそう……。
「──あ、そういや近くにコンビニあんじゃん」
ここから歩いて2分ちょいくらいの、曲がり角のまがったすぐそこ。
そこにちんまりと存在しているコンビニのことを思い出しながら、私は最後の麺をちゅるりと口の中に吸い込んだ。
そうだ、そこでなんか買えばいい。
ついでに明日の朝食用にお弁当系を買っといて、明日はお米食べるとかもありかも。
そうと決まればすぐ行動というわけで、立ち上がりつつ机代わりの段ボールの上から空になったカップ麺とペットボトルを持ち上げた。
キッチンカウンターが結構大きくて、それをダイニングテーブルにする予定だから現在机がないのである。
ついでに椅子も、まだ届いてないからなくって、仕方なく段ボールを机代わりにしたというわけだ。
炊飯器も、一応明日届く予定。
「よっこいしょっと」
テレビもない部屋の中は、割りと声が響くようだ。
なんだかこのままだと独り言が癖になりそうだなあと思いつつ、カウンターにペットボトルを置いて流しに空のカップ麺お箸を置いた。
春から夏に以降している途中の今はまだ寒さもない。
だから特になにも羽織ることなく、Tシャツにデニムというラフな格好のまま私はミニバックを腕に引っ掛けて部屋を出た。
玄関を出た廊下は大理石っぽい石畳で、完全にまだ室内。
それを右側に進んでエレベーターのあるすぐ横の広間まで突き進んでいく。
扉は結構連なっていて、当たり前だけどそのどれもがぴったりと閉まっている。
部屋番号しか表記されてない扉はどこが誰さんだなんてわからなくって、部屋間違えちゃったら大変だな、と端部屋だから間違うことなんて早々ないのにちょこっと思ってしまった。
チン、と音を立てて止まるエレベーターに乗って、そのまま一階のボタンを押した。
すると特に音は出ないけど、ボタンがパッと光って箱が下降を開始する。
他の階で乗り降りする人は居なかったのだろう。
一分もたつことなく一階に到達したエレベーターは静かなモーター音のまま、ゆっくりと扉を開いていく。
そもそもエレベーター自体4つあって、その中でもここは一番奥まったところだから使用自体少ないのかもしれない。
なんとなく周りを伺うようにしながら降りてみれば、丁度中央ホールから誰かが来るようだ。
なんとなく壁がわの窪み、というか自動販売機が設置されてるスペースに入って、初住人を見てみようとして──ぎょっと、肩を動かしてしまった。
そこには、めちゃくちゃ強面のお兄さんたちがいた。
着ているシャツは結構ラフな感じだけど、袖から覗く時計とかブレスレットとか指輪とか、かなりゴテゴテの金きらで高級そうだし。
顔に傷があったり、ゴツめのサングラス着けてたり、なんか煙草吸ってるし……いや煙草は関係ないか。
パッと視線を外して、自動販売機に夢中な振りを装いながら、ばくばく激しく動く心臓を服の上から押さえつけた。
──多分、あの人たちが、噂のヤクザだ。
じゃあ、噂の隣人さんは、いったいどれだろう。
「兄貴、これのことなんすけど」
「……ああ、部屋に運んどけ。散らかすんじゃねーぞ」
「はい」
ちらっと一瞬だけ振り返ってみる。
そこには、なにかを持っている感じな若い男の人と、恰幅のいいスキンヘッドの男の人。
他にも二人いるけど、多分今喋ったのはあの二人。
そんでもって、部屋に運んどけっていったあの人が──隣人さん?
「……」
──こっっっわ。
直ぐ様見なかった振りをして、そのまま玄関口まで早歩きで進んでく。
あれは、怖い。
確かにあんな人が隣に住んでて怒鳴り声が聞こえたり因縁とかつけられたりしたらかなり怖い。
最長8ヶ月しか持たなかったのも納得の柄の悪さだ。
後ろからエレベーターの閉まる音が聞こえたから、多分あの人たちはあのまま10階まで上がっていくんだろう。
時間がずれててよかった。扉が開いてあの顔があったら飛び上がってビビっていた自信がある。
本当に良かった、因縁付けられるところだった。
自動ドアの出入り口ゲートをくぐって、そのままコンビニまで突き進んでいく。
是非とも、もう暫くは会いたくないものだ。

がしゃがしゃとぱんぱんの袋を両手にぶら下げて、来た道を戻っていく。
最初は普通にお菓子とお弁当だけしか買ってなかったんだけど、そういえばあれも、これも、とどんどん荷物が増えていってしまったのだ。
お陰様で大変重たい仕様に出来上がった二つの袋は、取っ手が千切れてしまいそうなほど固く伸びてしまっている。
「おっも……」
なんとか入り口付近まで近づいて、あとちょっとでエレベーター、と自分を奮い立たせる。
そうだ、あの中に入って、ちょっと歩けば、あとはエレベーターが私を運んでくれる。
がつんがつん足にぶつかる2リットルのペットボトルの攻撃力に地味に呻きながらも、ガラス張りのゲートの下に行って──。
そして、気が付いた。
マンションに入るためには、片手が空いていなければいけないことに。
「あ゛〜〜〜っ」
くっそ!
あああくっそ〜〜!
指紋認証は、部屋の玄関は登録が済んでるけど、この出入り口のゲートは明日にならないと反映されない。
から、カードキーか暗証番号を打ち込まなきゃいけない。
だけどカードキーは部屋に置いてきてしまったし、暗証番号を打ち込むとしたら片手を開けなきゃいけない。
いやというか、どっちにしろ片手は開けなきゃいけないんだけど、それがかなり辛い。
今の私の姿をおさらいするとすれば、肩にショルダーバック、両手に中身がぱんぱんに詰め込まれたビニール袋。
正直持っているのもやっとなのに、これを片手に持ち直すとか、指取れちゃうんじゃないだろうか。
だけどそうしないとこの中に入れないわけで、迷う選択肢すら持てず、重たいビニール袋を片手に持ち直しにかかる。
しかし、そもそもぱんぱんに張りつめているビニール袋はとてもかさ張って、中々片手だけじゃ掴めない。
そうこうしている内にどんどん指先は真っ赤になっていくし、もう、最悪だ。
「んんん」
マジでもうこんなに買い込むんじゃなかった。
もしくは、次回からはキャリーバックが必要かもしれない。
そう涙目で思っていた、ら。
モーター音が聞こえて。
うんともすんとも言っていなかったゲートが、静かに御開帳したのである。
「、え」
思わずぽかんとアホ面をさらしていたら、向かいから人が出てきて慌てて横に避けた。
がしゃん、とまた袋が足に当たって痛かったけど、出入りを遮っちゃいけない。
というかなんだろうとても今恥ずかしい。
一瞬このまま入れないものかと思うものの、それは無理かと思いなおす。
大家さんから一番最初に、ここは防衛の為に入場の時と退出の時で開錠の時間が違うと説明されていたからだ。
しかも出る時と入る時で、反応するセンサーは違うらしく、例えば誰かが出てきたから入ろうとしても、入り口側のセンサーは反応しないため極稀に挟まれかける人が出ているらしい。
ついで、その場合は警報が鳴っちゃうとも。
だから、危ないから出てきた人がいても慌てて入ろうとしないでね、と確かに言われていて。
しかも今私は両手に重たい荷物をぶら下げているわけで、移動もきっとめちゃめちゃ重い。
なのでこの人が出ていったら、自分で開けて入ろうと思ったんだけど。
「……」
「……ぇ?」
──なぜか、退かない。
多分、センサーが反応する、ぎりぎりの位置。
そこに器用に片足が残ってて、ゲートは開いたまんまで、え、これってもしかして?
ゲートと、その人──背の高いお兄さんを、視線で行ったり来たりする。
ちょっとツンツンした雰囲気の、かなりのイケメン。
がしかし、何にも言ってくれないから、ちょっと怖い。
いや割と怖い。え、これやっぱり開けてくれてる?
「──入んねーのか」
考え込んでいる最中にそう声が落とされて、なんとなくピンっと背筋が伸びた。
なんというか、良い声だ。よく伸びそうな、凛とした声。
そして掛けられた言葉の内容に、あ、やっぱり開けてくれてたんだと気付いた私は、最早条件反射レベルでこう声を上げていた。
「すみません! お兄さんありがとうございますっ!」
そしてダッシュ──とまではいかない、小走り。
足を動かせば動かすほどがっしゃがっしゃと五月蠅いビニール袋が相変わらず足を攻撃するけど、なんかもう気になんない。
ゲートをくぐり抜けてくるりと回れば、丁度ガラス張りのゲートが閉まりそうなところで。
もう聞こえないかも、と思うけど。
なんとなく、最後にもう一回、私は声を張り上げていた。
「あのっほんとにありがとうございましたッ!」
そう言えば、お兄さんはこちらに背を向けたままひらりと手を振ってくれた。
なんだあれ、めちゃくちゃ格好いい。
え〜〜ええ〜〜あの人も多分ここに住んでる人だよね。
えっ格好いい。
えっどうしよう凄く目の保養なんだけど。
「ふ、ふふっ!」
がしゃんと、またビニール袋が足に当たって痛いけど。
それ以上に湧き上がる胸のときめきに、頬をにやつかせながら私はすっかり上機嫌でエレベーター目指して歩き出す。
やっぱり、このマンションにしてよかった!
なんて思ってしまうのは、ちょっと現金かもしれないけど。
「荷造り、がんばろ」
心の潤いは、大事なものなのだ。