そうして山田くん──じゃなくて三郎くんに渡された大小のタオル二枚。
それを持って、いま私は高揚感と戦っていた。
つまり、お風呂タイム突入なのである。
お夕飯を食べ終わった後。
なんでも山田家ではご飯を作った人が食器を洗うルールがあるらしく、三郎くんはその後片付けのためにキッチンにいってしまったのだ。
それに私もお手伝いしようも思ったんだけど、三郎くんにいいよと止められてしまって。
さらにお兄さんたちに「先に風呂入んな」と気を使わせてしまったわけで。
そのご厚意を無下にすることも出来ずに今こうして脱衣場にいるのである。
用意してきた荷物を取りに行ったら、その間に三郎くんはタオルを用意しててくれて。
お風呂場にあるものは全部適当に使っていいよと私を脱衣場に押し込んで戻っていってしまった。
今頃洗い物頑張ってるのかな。
まあ、わかっていたというか、なんというか。
泊まるにあたって、お風呂にはいるという行為があることは、勿論わかってた。
わかってたんだけど──なんか、どきまぎするのは何でだろう。
──なんか、ちょっとこう、緊張するな。
そう思いつつ、とりあえず服を脱いでいく。
お風呂にはいるためにはまず脱がねばならない。
当たり前のことである。
ちょっと悩んで、蓋の閉まってる洗濯機の上に着替えとタオルを置いて。
その横に、脱いだ服を畳んで積んでおく。
脱いだ服は、お風呂上がった時に入れてきた袋に仕舞おう。
いや、あーでも、やっぱり今しまっとこ。
万が一見られたりしたら、ちょっと恥ずかしい。
カラカラと折り畳み式の扉を開けて、お風呂の中に足を踏み入れる。
するとその瞬間鼻に触れた香りに、一瞬にして体感温度が上がってしまった。
「、……!」
──お、男の子の匂いだ!
ぶわりと熱気に包まれて、頭が目覚めるような感覚に。
びびび、と肌が粟立った気がする。
うちとは全然ちがう。
なんだろう、なんかこう、男臭い感じ。
いやもうほんと、男の子の匂い!
脱衣場でもちょっと感じてたんだけど、え、なんだろう、凄い。
なんでかわかんないけど、あれだ、なんか本能的に男の子の匂いってわかる。
こう、スーっとした匂いと、苦いのとはまた違う、ワックスとかのちょっともっさりした匂いと──あとなんだろ、純粋に山田三兄弟の体臭?
臭い訳じゃないんだけど、なんか、自分とは全然ちがう。
その匂いに、うお、うおお……!と謎の感動みたいな気持ちを覚えて、ちょっとおかしなテンションでぺたぺたタイルを踏んでいく。
ここは男の子のお家の、お風呂なのだ。
そうだ、そうだった。
山田家には、男の子しかいないのだ。
そりゃ、こうなるわ。
山田家のお風呂の蓋は、どうやら巻いて捲るタイプのようで。
カラカラと蓋を巻きながら、湯船に、ちょっと指先を入れてみる。
やや熱い。
いや熱いわ、熱いぞ。
これ40度いってんじゃないだろうか。
熱いな〜〜と思って、腕を突っ込んでぐるぐると混ぜてみる。
やっぱり底の方はまだ温──くはないな、熱いわ。
覚悟しろ私。
これは茹で蛸になるかもしれない。
とりあえず身体を流そうと思って、シャワーを手にとって蛇口を捻る。
そっちの方も温度設定が40を指していたから、それはちょっと弱めに35くらい捻っておいた。
「あ゛〜〜きもちぃー、」
──おっさんみたいな声が出てしまった。
そう思いつつも、まあ、実際気持ちいんだから仕方ない。
シャワーを流したまま、後ろ手に椅子を手繰り寄せて座ろうとして──。
「……でっか!」
その高さに、ぽろっと言葉が出てしまった。
いやだって、えっ椅子高くない?
私の膝位置よりも座るところが高いんだけど。
え、すごい。平均身長178越えの脅威を再度認識してしまう。
そうだったよ。
この家、巨人族の巣窟だったよ。
そりゃ巨人の身長に合わせたら椅子も大きくなるよね。
「いやでも大きい……」
ちょっとシャワーのお湯をかけて温めた後、ぺたんとお尻をつけて再度そう呟く。
なんかね。お尻の位置がね、今までにない感じ。
つまりやっぱり高い。
一番風呂なので、もう全部洗ってからお風呂に浸からせてもらうことにする。
折角の綺麗なお湯を汚しちゃうのもどうかと思うし。
持ってきたシャンプーとかのボトルをお風呂セットの中から取り出しながら、ふと棚のほうに置いてあるボトルに目がいった。
そうして、理解する。
「……なるほど、スースーするシャンプーばっかなのか」
ボトルにデカデカと印字されてる"COOL"の表記に、なんか納得してしまう。
最初に入った時に感じた匂いの一部は、多分ここから来てるんだろう。
そういやうちのお父さんもスースーするタイプ使ってたなと思い出しつつ、自分で持ってきたシャンプーで頭をわしゃわしゃと洗い始める。
いやでも、そうか。
山田くんもスースーするタイプが好きなのか。
──今度いっかい、使ってみようかな。

ガシャガシャと、食器を洗っていく。
水は小まめに止めて、だけど洗剤はたっぷり使う。
早く久遠さ──夏帆、と、遊びたいなあと思って、ぐしゃりとスポンジを強く握った。
指の間から漏れ出る泡が、皿を滑ってシンクに落ちる。
「これもよろ」
「ん」
ようやく食べ終わったらしい二郎が使い終わった皿を持ってきた。
それを横目に蛇口のレバーを押して水を出してやる。
すると二郎は茶碗にその水を注ぎだすから、なら文句つけるところはないなと無言で作業を進めていく。
久遠さ──じゃなくて、夏帆。
夏帆、夏帆。早く言い慣れてしまいたいと思いつつも、暫く上手く言えなさそうで困る。
というか夏帆、は、僕のことを三郎じゃなくて三郎くんと呼んでいて。
そっちは距離感がどうだこうだ言ってたのは反映されないのかとちょっと疑問に思う。
いやでも。
いや、うん。
「…………」
わしわしとスポンジを握って泡立てながら、洗い物を進めていく。
なんだ。なんか、無性に恥ずかしくなってきた。
そうか、名前呼び、名前呼びだ。
僕はあいつのことを夏帆って呼んで、向こうは三郎くんって呼んできて。
……名前呼びだ。
僕はこれから、友達に名前で呼ばれるんだ。
そして、僕も。
二郎が持ってきた食器も洗い終えて、ふう、と息を吐く。
どうしようか、なにしていよう。
あいつが上がる前までに次の遊ぶゲーム出しとこうかな。
次はなにしよう。そういやこの前中古で買っといた奴どこに仕舞ったっけ。
そう思ってくるりと振り向いて。
──台所の入り口で、壁に寄りかかりながらこっちのことをガン見していた二郎に、思わずぎょっと肩が揺れてしまった。
「ぅ──うわっ! な、なんだよ低脳、キモいことしてんなよ」
なにしてんだこいつ。
というかなにお前ずっとそこにいたのか。
え、意味わからない、キモい、と思いながら訝し気な視線を向けていたら。
その背後で、のそりといち兄もこっちを見ていることに気が付いて。
──いち兄まで、どうしたんだろ。
見ればいち兄と二郎は、僕の前で意味深に目配せをし合っている。
それはまるで、以前僕が買ったプリンを二人が勝手に食べた時と同じような反応で。
まさか、久遠さ──夏帆、が、来ているというのにまた人のものを勝手に食べたんだろうか。
あの時あんなに怒ったのに?
いやまさか。
二郎はともかく、いち兄はまさか。
いやでも──もしかして?
僕がじっと身構えているのに気づいてか。
いち兄は、ちょいちょい、と手招きをしてこう言ってきた。
「三郎、ちょっとこっちに来てくれ」
「…………」
なんでいち兄そんな及び腰なの。
そう思いつつも、呼ばれたのだからと素直にいち兄が手招く方へと歩いていく。
二郎はそんな僕の後ろに、まるで逃げ道を塞ぐようについてきて。
それがなんだかもの凄く腑に落ちない。
別に逃げる気はないし。
ほんとに、なんなの。
招かれた先はまあ、ソファーで。
そこには何故か、押し入れに仕舞ってあるはずの来客用の敷布団と掛け布団が積まれていて。
──いや、なんで?
どうしてこれが出ているんだろうと、いち兄の方をじっと見つめる。
するといち兄は、どことなく言いにくそうにこう切り出し始めた。
「あのな三郎、夏帆ちゃんは、あー、女の子だな?」
「え、はい」
「そんで三郎は男、そうだろう?」
「……? はい……?」
──僕は何を聞かれているんだろう。
そう思いつつも、取り合えず答えるし、なんなら頷いておく。
これが例えば二郎だったら鼻で笑って自室に戻ってるところだけど、相手はいち兄。
いち兄には、敬意を示さなきゃ。
ついでに言うとそんないち兄をはらはらしながら見ている二郎がうざい。
「三郎は、今日どうやって寝ようと思っていたんだ?」
立ちっぱなしは威圧的だとでも思ったのだろうか。
いち兄はソファーに腰かけ、自分の隣をぽんぽんと叩いた。
いつもなら飛びつく筈の二郎はそれになんの反応も見せなくて、それを不思議に思いながらも誘われるままにその隣に腰かけた。
足元には、布団の袋が二つ。
ほんとになんか、変な感じだ。
「普通に一緒に寝ようと思っていました」
「……」
「……あぁ」
──え、ほんとになんなのこれ。
いち兄は何故か目を瞑ってぎゅっと唇を噛み締めたし、二郎はそっと目を反らしやがった。
いやほんと、何なんだ一体。
二人の言いたいことがよくわからない。
「……三郎、あのな」
「はい、なんですか」
暫くの沈黙の後、重々しく口を開くいち兄に、申し訳ないけどやや胡乱気な視線を向けてしまう。
いやでも仕方ないだろう。
二郎も含めて、言いたいことはもうちょっとはっきり伝えて欲しい。
「──夏帆ちゃんと、同じベッドで寝てはいけません」
──。
────。
──────は?
知らず知らずの内に、目蓋が強く持ち上がって。
しかし、いち兄に噛みつきたくはなくて。
だけど、けれど、湧き上がる感情は止まらなくて。
いや、なぜ。
いや──何故?
「……いやです」
戦慄く口で、そう吐き出す。
頭から、冷水を叩きつけられたような気分だ。
でも、だって、おかしい。
だって二郎はいつも"友達"と同じベッドで寝ていた。
夏の暑苦しい日でも、うざったい程べたべたしながら一緒に寝ていただろう。
布団を出すのは2人からだ。
それだって、あいつはべったりベッドにくっつけてたり、なんなら結局2枚の布団で三人でぎゅうぎゅう詰めで寝ていたりもした。
知ってる。
僕は知ってる。
だっていつも、そうだったじゃないか。
なのになんで、僕だけいけないの?
「いや、嫌じゃなくてな。女の子と男が同じベッドで寝るのは、問題があるんだ」
「問題ってなんですか」
「あー、なんだ、世間的な面でな」
「世間ってなんですか。それはどういう面ですか。どうして僕だけ駄目なんですか」
「お前だからダメなんじゃない。お前が男で、あの子は女の子だからダメなんだ」
ぐっと喉が強張る。
酷い、なんで。
どうしていち兄、そんな冷たいこと言うんだ。
「男も女も関係ない! だって友達なのに! なんで男だと駄目なの? なんで女だったら駄目なの! そんなの、いっこも理由になんてなってないッ!」
男だからなんだ、女だからなんだ。
世間ってなに、なんでいけないの。
友達なんだから別にいいじゃないか。
友達を家に呼んでもいいって言ったのはいち兄なのに!
二郎は何回もしてるのに!
なんで、僕だけいけないの!?
「さ──三郎! お前、いち兄困らせんなよ」
「困らせたくて困らせてるんじゃないっだっておかしいじゃないか! こんなの何一つ答えになってないッ不条理だ! 理不尽だ!」
視界の中に、いち兄の困った顔が入り込む。
わかってる、困らせてる。
そんな顔させたいわけじゃない。
だけど納得できない、理解できない。
なのに承諾なんて出来るわけがないだろう。
答えて欲しい。
なんで男だったらいけないの。
なんで女だったらいけないの。
友達だからじゃ理由にはならないの。
友達以上に大事なものってなんなの。
なんで駄目っていうのに、その理由を教えてくれないんだ。
駄目っていうなら、ちゃんと理由を教えてよ。
「……三郎、」
「……っ、……」
じわじわと、目の奥が熱くなってくる。
最悪だ。こんなの、最悪の更に最悪だ。
折角楽しい一日だったのに、全部全部、台無しになってしまう。
なんでだ。酷い。
あんなに楽しかったのに。
あんなに楽しみにしてたのに。
なのになんで、いち兄も、二郎も。
二人して、僕の邪魔をするの。
膝をぎゅうと、手で握りしめる。
目が熱い。視界が滲む。
だけど、それは絶対に溢したくない。
それは嫌だ。悔しい。絶対に嫌だ。嫌なんだ。
鼻がツンとして、ひくひくと喉まで熱くなってくる。
何かを言おうといち兄の唇がはくりと空気を噛んだのを視界に入れて、僕は、ぐっと息を呑み込んで──
「──お風呂、あがりまし………、」
た、と詰まって消えそうな声が、耳に届いた。
ああ、あいつの、夏帆の、声だ。
その声を聞いて、聞いたら、なんだかもう、堪らなくなって。
ぼろり、と。
一粒の涙が、僕の目から零れ落ちていく。
そうして、呆然と揺らぐ視界の中に、驚く顔が、みえて。
「さ、さぶろ、く、……!」
「……、」
ばっと俯いたまま立ち上がり、そのままリビングの出入り口──つまり、彼女の横を通り過ぎていく。
顔を見られたくない。だけど、身長が違いすぎるから、きっとこんな顔、見られているに決まってる。
わかってる。わかってるけど、ああ、くそ、嫌なんだ。
すれ違い様に、お風呂上がりのまだ水気を孕んだ指先が、腕に触れたのがわかったけど。
今はもう、悔しくて、情けなくて。
構ってほしくなくて、構いたくなくて。
その腕を掴まれる前に引いて素早く階段を駆け上がった。
響く自分の足音が煩わしい。
ああ、もう、お願いだから。
今はもう、僕に触れないでよ。