もう見事なまでの寝不足。
一泊分の荷造りしてる最中も色々考えすぎちゃって、あれもこれもと荷物が増えたり減らしたりの繰り返しだし。
やっぱり友達とはいえ未成年女子が男所帯の男の子の家に泊まりに行くのは些か問題があるのでは?と、山田君に先延ばしを訴えようにも。
LINEの山田君なんか異様にテンション高くて言うに言えなかったし。
お母さんもお母さんで、初めての子の家なら手土産どうしようかって張り切っちゃてるし。
なんかもう、今更なにをやっても中止不可みたいな後の祭り感が半端なかったのだ。
マジでなんで私あの時なんの疑問も持たなかったんだろうレベル。
でもねあの時はね、本気で流石山田君!盲点!気付かなかった!みたいなことしか思えなかったのである。
いやマジで。名案だと思ったんだほんとマジで。
取り合えず男の人しか居ない家に何があるのか全く予測付かなかったので。
一応簡単なミニお風呂セットと寝間着と歯ブラシは確実に持っていくことにした。
ドライヤーの存在がちょっと危ぶまれてるけど、ドライヤーは男女関係なくきっとあると判断して持っていくのはやめた。
荷物ありすぎると持っていく時大変だし。
山田君もお年頃だし、きっとあるって信じてる。
ガタンゴトン、と時々音の外れる電車の音。
それをうつらうつらと遠い意識で聞きながら、山田君はなんとも思わないんだろうかとぼんやり思う。
だって私、友達だけど一応女で、異性だよ?
ただまあ、どこかで思わないんだろうなあと察してる自分も居て。
なんというか学校の外の山田君て、こう凄く、いつもどんな時も風船みたいなのだ。
なにをするでも楽しい、みたいな。
色々こう澄まし顔してるけど、内心めっちゃ満喫してる感じ。
友達が少ないのか、本当にひとりも出来たことがなかったのか。
そのどっちかはわかんないけど、つまり多分いま、山田君は凄く浮足立っているのかもしれない。
ガタンゴトン、鉄の鈍い音がする。
私が通っているのはイケブクロディビジョンの、公立中学。
あの高い壁がこの東京を区切った時に、色んなルールが壁の向こう側で生まれたらしい。
基本、壁の外の子供は男女関係なく区域の指定された公立校に通う。
例えばイケブクロなら、イケブクロ内の定められた学校に。
というか別ディビジョンの学校に入学や編入しようとしても、よっぽどのことがない限り受理されないのだ。
だから、別のディビジョンの学校に通いたい子は私立校に受験するしかない。
まあ、私立校は馬鹿みたいにお金がかかるから、基本女の子しか受験しないけど。
H法案が制定されて、その学費の高さから男子生徒数を確保できなかったいくつもの私立学校が共学から女子校に変わったのは有名な話で。
なんたって、男子生徒のための授業料補助が国から降りないのだ。
だからよほどのお金持ちでもない限り、男子は基本、公立校にしか通えなくなってしまっている。
今じゃ、男子校なんてのはプレミアム中のプレミアムだ。
いつくかの学校はそのまま共学を貫いてはいるらしいけど、男女の比率は圧倒的に女子率の方が高くて、もはやほぼ女子校化しているらしい。
まあ、実情はよく知らない。
だって私、公立の共学通いだし。
ゆっくりと電車の速度は落ちていき、一度大きく揺れた後に車体は完全に停止した。
気づけば、目的の駅に着いていたらしい。
そうしてモーター音と共に、ゆっくりと鉄の扉は開いていく。
溢れ出る人混みに紛れるように私もコンクリートのホームを踏みしめて、もはや流れ作業のように改札を目指して歩き出す。
朝の駅は、いつも大人気だ。

やっぱり、本日の山田君はなんだかご機嫌な模様。
いやもうほんとに、これを浮足立っていると言わずに何と言うレベル。
いつもの来るな触れるな近寄るなの、一切合切の馴れ合いを拒否する雰囲気が、今日はなんだか柔らかい。
その証拠に、なんと今日は朝イチで山田君から「おはよう」と言われてしまったのである。
あの頑なに、"そっちが挨拶してくるから仕方なく返してやっているだけ"というスタンスを崩さなかった山田君が、である。
しかも、ほんのちょっと口端まで吊り上げているというオプション付き。
本日の山田君、確実にご機嫌である。
というかなんだろうこの、野良猫にやっと懐かれた感じの達成感。
その時の私はまさしく、手のひらの煮干しをお猫様にそのまま食べて貰えた感動を味わっていていたのだ。
そして、それと同時にこうも思ってしまった。
こりゃあ、今日ナシにするのは無理だわ──と。
私は思った。
というかそう思うしかなかった。
だってこんなに浮足立ってる山田君に、"やっぱり性別的な意味でちょっと問題視される可能性あるからお泊り中止しない?"とか、流石に言えなくない?
私は言えない。そんなこと言ったら最後罪悪感で心中ヤバいことになってしまう。
そして残念なことに、流石にそこまで空気読めない質ではないのだ。
むしろ私、どっちかと言えば空気読むの上手い方じゃないかと自負してる方である。
少なくとも、山田君よりは世渡りは上手いと思う。
山田君が下手っぴなだけなのもあるけど。
ついでに言うと、今日の山田君、かなり時計に熱い視線を送っていらっしゃる。
これは確実に早く授業終わんないかな、からの早く放課後になんないかな、みたいな視線の向け方である。
わかるわかる。
私も用事ある時とかそうなるからめちゃくちゃよくわかる。
でももう山田君わかりやす過ぎだろ。
ポーカーフェイスはいったいどこに落としてきたんだクールビューティー代表山田君。
そわそわしすぎて、今日の山田君は普通の男の子みたい。
とまあ、そう思っている内にも時間は刻々と進んでいくもので。
あっという間に流れた時計の針は、すでに下校時間を示していた。
つまりはそう、放課後である。
「夏帆〜〜! 一緒に帰ろ!」
「あ、汐里ちゃん」
私に元気よくそう声をかけてきたのは、同じクラスかつ席の近い汐里ちゃん。
お母さんが中王区に勤めてる、ほんとなら中王区で育っていたはずの女の子だ。
にんまりと綺麗な形の瞳を細めた彼女は、囁くようにこう呟いてくる。
「ねえ、だめ?」
「駄目じゃないよ、一緒に帰ろ」
──ほんとは速攻家に帰って待ち合わせ場所にダッシュで向かいたかったけど。
しかしこうやって声を掛けられてしまったので、これはもう仕方ない。
汐里ちゃんは流石中王区の女というか、こう、我が強いのだ。
中王区の女とは、いわゆる
つまり、イケブクロディビジョンに住んで親も特に中王区勤めと言うわけではない私は、ただの女ということになる。
中王区住まいは、上流階級にのみ許された特権だ。
所得額が多くて優秀な人材のみが中王区に住むことを許されているのである。
一応女性である私は中王区に行くことも、そこで泊まることも許されてはいる。
だけど、ただの一般市民である私はそこに居住を構えることはできないのだ。
それに対し、汐里ちゃんはお母さんが中王区内の大手企業に勤めてる。
親が中王区で勤める18際未満の子供は生まれた時から中王区在住権を手にしてる、言わば選ばれた子なのである。
だからつまり、汐里ちゃんも選ばれた子で、汐里ちゃんは中王区の女。
私とは違う、権力を有した人間なのでである。
「今日遊べる?」
「あ〜〜ごめん、ちょっと今日と、あと明日予定入っちゃってるんだ」
「ええ、つまんない」
誘われた言葉に、しかし断りで返せば途端に不満そうな声。
それにあ〜〜やっちゃった〜〜と思うも事実だから仕方ない。
一緒に帰ろの段階でちょっと覚悟していたとはいえ、汐里ちゃんからの誘いを断るのはなんだかひやっとする。
「最近夏帆付き合い悪い。もっと私に構ってよ」
「え〜〜? いつもお昼一緒じゃん。お菓子も一緒に食べたし」
「それとこれとは別なの」
二人で廊下を歩きながら、会話を続けてく。
ちなみに山田くんはとっくに帰っている。
掃除当番でも日直でもない日の山田くんは、いつも速攻帰り支度を済ませて教室から出ていってしまうのだ。
そして、公園とかで私を待ってる。
だから今日も、もしかしたら私のことを待っているかもしれない。
だとしたら、汐里ちゃんと居たらガッカリせちゃうかな。
軽い足取りで汐里ちゃんは私よりもやや早く歩くから。
自然と私は、彼女を後ろから追いかける形になる。
華奢な身体と綺麗な顔は、まさしく選ばれた民って感じ。
基本有能な人しか中王区には居ないからなのか、中王区の女はみんな綺麗な人が多い。
優れていることに誇りを抱いてる人が、殆どなのだ。
「──最近、夏帆、山田と仲いいよね」
「え、あ、うん。隣の席だし」
「今日なんて山田から夏帆に挨拶してた」
「なんかいいことあったんじゃないかな。機嫌よかったんじゃない?」
「ふぅん」
ん〜〜?
なんかちょっとこう、刺々しい感じ。
汐里ちゃんと山田君って仲悪かったっけ?と思いながら、いつの間にやらついていた下駄箱に、中履きを脱いで靴をはきかえる。
「ねえ、夏帆」
「なあにー?」
スニーカーに足を差し込んで、トントンと爪先を蹴る。
すっぽり踵まで収まったのを感じて汐里ちゃんの方を振り返れば、彼女はなぜか、じっと私のことを見詰めていて。
その少しいつもと違う様子に、どうしてだか少し、身構えてしまった。
「な、なあに?」
思わず同じ言葉を繰り返した私に。
しかし汐里ちゃんは私の顔をじっと見るばかりで、一向に返事をしてくれない。
え、何これ怖い。
なんかクトゥルフの導入辺みたいな異様さ。
これがマジで逆光で汐里ちゃんの表情が見れなかったら邪神に目をつけられてデスゲームが開始したんだなって脳内ダイスロール回し始めちゃうレベルで怖い。
つまり怖い。どうしちゃったの汐里ちゃん。
「夏帆と一番仲いいのは、私だよね?」
「えっうん」
え?うん??
思わず元気にお返事しちゃったけど、ううん??
えっなんだろう突然。
いや普通に友達だし仲いいと思うけど、え、なにどうしたの一体。
これから一体なにが始まるの??
私はいったい何を求められてんの?
「私、汐里ちゃんと凄く仲いいと、思ってるよ……?」
いやうん、うちのクラス平和だし、皆仲いいし。
ちょっとクラス内でも山田君が割と異端児なだけで、基本は和気藹々みんな仲良しクラスだし。
だからほんと、え、どうしちゃったんだろうか。
なんて、混乱の極みに居る私に対して。
汐里ちゃんはそれでもやっぱりじっと私の瞳を見詰めるだけで。
だけどそれも「ふぅん」という呟きと共に、突然終わりを告げたのだ。
「なら、いいよ。帰ろ。寄り道も今日はなし?」
「う、うん。ごめんね。来週は寄り道とかしよ」
いつも通りの笑顔で、にこりと華やかに汐里ちゃんは微笑んでいる。
だけどどうにも私の頭の中はさっきの無表情が焼き付いて離れなくて、なんだったらちょっと胸がどきどき鼓動を早める程度にはビビっている。
だけど、うん。
多分腹の中では色々考えてるっぽいけど、それでも確かにいいよと言ってくれたのだ。
ここで私が蒸し返せば、それこそ藪蛇な気しかしない。
だから、うん、気にしないでおこう。
取り合えず、今は早く、家に帰らなきゃ。
だから、ほんの少し震えた膝先は、気付かない振りをした。
気づかないことが、多分、正解なのだ。

背中には、大きなリュック。
そして手には、大きな袋にぱんぱんに詰めた手土産。
そんな大荷物を抱えて、私は足早で待ち合わせ場所の改札口まで小走りで進んでいた。
あの後、なにかと汐里ちゃんが道草をしたがって、中々家に帰れなかったのだ。
荷物自体は昨日作ってたから、もう速攻家に駆けこんで荷物持って家から飛び出た感じ。
ほんとはもう一回くらい荷物の確認したかなったんだけど、時間的に無理になってしまったのである。
待ち合わせの駅は、山田君家の最寄駅。
そこの改札口で待っているらしい山田君は、恐らくだけど確実にもうついているに違いない。
連絡通路の下り階段を駆け下りて、そのまま改札機をタッチして通り抜ける。
残高は700円くらいあって、チャージしなくても家に帰れる金額だ。
地味にガザガザ足に当たるお土産が入った紙袋が痛いなあと思いつつ、人の波から少し外れて辺りを見渡す。
山田君は──あ、いた。
「山田君っ」
いつもよりは大きいけど、叫ぶという程大きくはない声。
なんたって相手はあの山田君。
大声で呼んだりなんかしたら絶対に嫌な顔をする。
私の中途半端な声量は、しかしきちんと山田君の耳に届いたのだろう。
あのぱちりとした猫目が私のことを見つけて、ゆっくりと瞬いた。
「ごめんね、待った?」
「ううん、今きたとこ」
──あ、なんかこれ凄くあれだ、恥ずかしいやつだ。
応答しながらなんとなく気恥ずかしい気分になってきて。
内心でうお、うおお、と叫びつつ、こちらをじっと見てくる山田君から視線を反らしてみれば。
ほんの少し離れてるとこに立ってるお姉さんが、なにやらとても微笑ましいものを見る様な眼差しで私たちのことを見ているのに気が付いてしまった。
いやまって、違う。
そういうんじゃまるでない。マジで。ほんとに。
そう口に出したいけど出せるわけもなく、少しでも早くここから脱出したい気持ちに胸が一杯になる。
というか、あのお姉さんの目にはこんな大きなリュックと袋を持った私とお尻のポッケにお財布だけ突っ込んでる山田君の姿が映ってるわけで。
いったいこれからどこに行くように見えてんのかなと、ちょっと気にはなったりしたりして。
「こっち。早く行こ。あとそれ持つから」
「え? あ、えっ」
言われるや否や、軽くなる手。
有言実行と言うか、え、いつの間に。
「いいよ、悪いよ山田君! 私持てるよ!」
「だめ」
慌てて言い寄る私に、しかしツンと顔を澄ませて山田君は歩いて行ってしまう。
しかも、私に取られないように、紙袋を私がいる方とは反対側の手に持ち替えてしまうという徹底ぶり。
何が起きたかというと。
こっち、と指をさされて指が示す方向に視線を向けた瞬間に、持っていた紙袋をひょいと山田君に奪われてしまったのである。
本当に一瞬意識を反らしただけなのに、あんなにしっかり握っていた紙袋は今この手の中にはなくなってしまったのだ。
なんなんだ山田君、そのスキルは一体なんなんだ山田君。
しかも例のお姉さんが視界の端っこで、あらあらまあまあ、みたいな顔でこっちを見ているのがわかってしまって、もっともっと気恥ずかしくなってしまう。
ああもう違う、違うんすよお姉さん。
ほんとに、マジで、確かにボーイフレンドだけどライクでフレンドなベストフレンドなだけだから。
しかし山田君から紙袋を取り返そうにも、悲しいことに私と山田君とじゃ足のコンパスが違いすぎるわけで。
すいすい前に進んでしまう山田君を追いかけるのに精いっぱいな私には、もちろん紙袋を取り返す余裕なんてない。
でも、おかしい。
いつもは歩幅を合わせてくれるのに、なんだかいつもより大分山田くんの進むスピードが早い気がする。
いやというかこれは確実に、私に紙袋を取り換えさせないために歩調を速めているのでは。
ちくしょう。山田君たらほんと、変なとこで意地っ張りになるのやめて欲しい!
「あーーもうっ取り返さないから! もうちょっと遅くして、追いつけないっ」
「ほんとに?」
「ほんと! 山田君てば足の長さ考えて」
「だって久遠さんって変なとこで意地張るじゃん」
「山田君にだけは言われたくないよ!」
今まさに意地張ってんの間違いなく山田君じゃん!
そう思う、そう激しく思うけど、しかしこういう時の山田君にそんなことを言ってみろ。
確実に意地悪な顔をしてあの時はどうでこの時はどうだったと記憶をほじくり返してくるに違いない。
なんだったら今間違いなく"だってあの時ああだったじゃん"と言う準備をしている顔だ。
なんたって、やるならやるぞと目が物語っている。
口喧嘩だと、悔しいことに負けるのは確実に私である。
「あ゛〜〜もうっわかったから! 大人しくするからゆっくり歩いて。辛い」
「はいはい。取ろうとしたら早歩きするからね」
「しないってば!」
というか山田君の早歩きは私の小走りになるからほんとにやめて欲しい。
そのくらい腰の位置が違う事実に気づいて欲しい。
いや多分わかっててやってるんだろうけど!
やっと歩調をゆるめてくれた山田君に、やっとこさ私は追いついて。
逆らう気はありませんよとアピールするために、袋を持っているのとは反対の左側に並んだ。
そして思わずふう、と息をひとつ吐きながら、澄まし顔で歩く山田君の顔を盗み見る。
盗み見るというか、下から覗き見るみたいな感じ。
なんたって、山田君と私は20pくらいの身長差があるのである。
丁度私の視線の先に山田君の方が鎖骨がある感じ。
なので、割と至近距離で目を合わせるのは大変だったりする。
するとふいに、山田君のぱっちりした瞳が私のことをちらりと映した。
「なに?」
私は今山田君の左側に居るから、見えるのは青色。
そういえば入学当初はこの青と緑の瞳に皆できゃーきゃー言ってたなあと思い出しつつ、思っていたことを素直に口にする。
「山田君ておっきいよね。身長何p?」
「173」
「うわっ巨人だ」
思わずそう口にすれば、山田君は私を見ながら「ふっ」と鼻で笑った。
とんでもなくムカつく笑い方である。
「そういう久遠さんは何p?」
「……今年の健康診断は153だった」
「ふっ20p差。確かに小人だ」
「いや大体平均だし」
なんという屈辱。
というか山田君が他よりも大きすぎるだけなことを自覚してほしい。
しかもまた鼻で笑われたんだけど。
2回目なんだけど。
なんという屈辱。
「家に着いたらなにして遊ぶ?」
しかもこの唐突な話題転換。
どうやら身長差の話は山田君の中では既に過去のことらしい。
小人という認識のままで話題が終わってしまったことはとんでもなく不満だけど、こうなったらもうひっくり返しようもないことは経験済みで。
だから私は、少々不満な心を隠さずに、しかし寛大な心できちんと受け答えしてあげるのである。
確実に、絶対に、私の方が山田君より精神年齢上だと思う。
「色々持ってきたよ。とりあえずガイスターやりたいかも」
「いいね、今何勝何敗だっけ」
「私が5勝で山田君が3勝」
ガイスターは駒の分からないチェスみたいなゲームだ。
赤いマークの"悪いオバケ"と青いマークの"良いオバケ"4体を、奪ったり奪わせたりするゲーム。
6×6のマスの中で前後左右に駒を動かして、自分の"悪いオバケ"を全部取らせるか、もしくは相手の"良いオバケ"を全部取ったら勝ちになる。
ちなみに駒の色は自分にしかわからなくて、互いにあの駒の色は何色かって考えながら相手を誘って取り合い取らせ合い合戦をするのだ。
つまりは心理戦というやつ。
今んとこは、まだ私の勝ち越しだ。
「久遠さんって地味に心理戦強いよね。割とブラフ張るっていうか」
「んふふっ顔に出にくいの」
「いっつもにやにやしてるしね」
「にこにこだから。にこにこ!」
そういう間にも、割と進んでいっていて。
いつの間にかちょっと商店街を通り抜けた奥の路地っぽいとこに入り込んでいて、ほんの少しだけ山田君の方に近づいた。
これは、ひとりで帰るのは怖いかもしれない。
明日はあんま遅くなる前に帰った方がいいかも。
なんて思っていたら、山田君の歩調が突然ゆっくりになる。
それになに?なに??と思っていれば、ばちりと交わる視線。
青と緑色の瞳が私を見てから小さく細まって、そのまま少し微笑んで。
そうして紙袋を持っている方の腕を持ち上げて、小さく「そこ」と呟いた。
山田君の持ち上がった腕の先は、小さなビルの2階を指し示している。
「ここの二階? 一階は事務所って書いてある」
「そう。一階はいち兄の事務所なんだ」
「事務所! へえすごい!コナンみたい!」
「コナン・ドイル?」
「違うよ。見た目は子供で頭脳は大人の方」
「ああ、名探偵」
ガラス張りのちょっと重たそうな扉を開いて、山田君は目線で入ってと伝えてくる。
なのでなんとなくぺこりと頭を下げながら、私は山田君の脇をすり抜けて扉の中へと滑り込んだ。
中はよくある感じの細い廊下になっていた。
右の壁側に郵便受けがあって、少し歩いた先に"万事屋ヤマダ"と書かれた扉がある。
──山田君のお兄さんは、今この扉の向こうにいるのだろうか。
そう聞こうかと思って山田君の方を振り返れば、山田君は左の人差し指を口元に当てた。
つまりは、"静かに"のジェスチャー。
ということは、お兄さんはお仕事中。
なんとなく神妙な気分になった私も指を一本口に当てて、こくこくと2回顔を縦に振ってみる。
すると山田君は「ふっ」と本日3回目の鼻笑いを見事に披露してくれた。
他と変わらず、半分小馬鹿にした感じの。
いやでも待って。
なんで今笑われたのかわからないんだけど。
ちょっと、いやかなり遺憾の意。
先導するように、山田君は奥の階段を上っていく。
一応横にエレベーターもあったけど、多分いつも使ってないんだと思う。
2階だしね。電気代勿体ないだけか。
あんまり足音立てたくないなあと思うのに、きゅっきゅっと靴底の擦れる音がしてしまう。
それに少々申し訳ない気持ちになりながら山田君の背中を追うように階段を上っていけば、2階の渡り廊下に出た。
そうしてそのまま、山田君は階段の少し歩いた先にある扉に鍵を差し込んでいく。
2回ほどガチガチと鍵がぶつかる音がして、3回目にガチャリと回る音。
そうして鍵を指したまま扉を引いてい私を招くように手招きするのだ。
「入って」
「……おじゃましまーす」
「っなにその泥棒みたいな動き」
「音を最小限にしていると言って」
「くっ、ぐふっ……ッ!」
今ぐふって言ったぞクールビューティー山田君。
ぷるぷるとお腹を小刻みに震わせる山田君の脇腹にすれ違いざまにスライドチョップを入れてみたけど、しかし更に吹き出すだけだった。
なんだろうこの1mmもダメージ入ってない感じ。
なんなんだろうこの圧倒的敗北感。
取り合えず玄関の中に入って靴を脱いでいれば、後ろで扉が閉まる音と共に、ガチャリと鍵のかかる音。
山田君戸締りしっかりしてるなあ、いやでも当然か、とぼんやり思っていれば。
私よりもサクサク靴を脱いだ山田君が、フローリングに立ちつつ私を見下ろしてこう問いかけてきた。
ちなみに私は背中のリュックに邪魔されて、ちょっと靴を脱ぐのにもたついている。
「スリッパないと死ぬ人種?」
「スリッパあってもトイレに忘れる人種。裸足を愛してるとも言う」
「んじゃなくていいね」
流石山田君。
素早い状況判断である。
やっと靴が脱げて、山田君の靴の横に自分の靴を並べつつ。
背中のリュックを背負いなおして、山田君の後を追えば。
私が着いてきたことを確認した山田くんは、なにやら警戒した様子で鋭い目つきのまま、神経を尖らすように首を伸ばしつつゆっくりと進んでいく。
突然どうした山田君。
いや、というか首を伸ばすというかあれかも。
耳を向けて、遠くの音を聞こうとしているみたいな感じ。
なんというか動物番組でよく見る感じの動作だ。
チーターとか獲物の気配探るときによくやってるよね。
そんでもって、その様子にさっきまで話してたんだから今更黙っても遅くない?と思いつつ。
まあここは山田君のお家なので山田君の望むようにさせるかと、私はお口にチャックをすることにした。
だって今下手に話しかけたら、ちょっと静かにしててと怒られそう。
抜き足差し足、と言った感じで静かに廊下を通る山田くんは、確実にあの階段を目指しているのが見て取れて。
階段に上るのもいいけど手を洗いたいなあと思う私はしかし、素直に山田君の後ろについていく。
ちなみに先ほど泥棒ルックを笑ったからもちろんもう私は抜き足差し足はしてあげない。
さっき笑ったことをせいぜい後悔したまえ山田君。
突き当りの階段まであともう少し。
というところで、がちゃりと扉の開く音。
「──三郎、お前なにやってんだ?」
あ、知らない声だ。
私がそう思ったのとほぼ同じ瞬間に、私の視界は大きな背中ですっぽり隠されてしまった。
「え?」
つまりは、山田君がまるで壁みたいに私の目の前に立ちふさがったのだ。
ついでに言うと、なぜかそのまま軽く凭れ掛かって来たから、私は壁と山田君で今軽くサンドされてしまってる。
背中のリュックが胃袋と肺を絶妙に圧迫してきて、大変息苦しい。
「ぐえっ」
「えっお前なにやってんの」
「……うるさい」
あ、嫌そうな声。
そう思うけど、潰されて前は見えないからもちろん山田君が今どんな顔をしているのかはわからない。
というか、いやもう、本気で苦しい。
なんで突然山田君からこんな一方的なスキンシップをされてるんだろうか。
スキンシップっていうか、ほぼ押しつぶされてるだけだけど。
マジで苦しいから、さっきから腕をバシバシ叩いてるのに、山田君はぴくりともしやしない。
いや、なんでもいいから押すのやめて。
「なにやってんだよお前マジで。後ろの奴すげー潰してんじゃん」
「こいつは潰すと喜ぶんだ」
「え゛っ!?」
「いや明らかに違うだろ。つかそいつお前のことめちゃくちゃ叩いてね?」
「喜んでんだよ察せよなんでここにいるんだよリビングに引っ込んでればいいだろ早くあっちいけよ」
山田君てば凄く早口。
と呑気に思いたいけどちょっと割と本気で胸が圧迫され過ぎて思えない。
いや思ってるんだけど、思う以前に息が苦しい。
「そいつ例の奴だろ! んだよ隠してねーで見せろよ」
「はあ? 嫌だよ。なんで二郎なんかに見せなきゃなんないんだ。ほんとにいいから早くあっちいって」
「なんで嫌なんだよ。どうせ今日泊まるんだから顔みるだろ」
「嫌なもんは嫌なんだよ。もうほんとにしつこい。あっち行けって言ってるだろ!」
「……ンだよんな言い方ねーだろ」
──あっれなんか不穏な雰囲気になって来たんだけど。
山田君の声はいつもよりも大分ツンケンしてるし、最初はおちょくる感じだったお兄さんの声も、なんかこう、重く怖い感じになってきている。
え、なに。
まさかここで喧嘩が始まるというのだろうか。
いつも低能低能言っているのは愛情の裏返しだと思っていたんだけど、もしかして山田君は本当にお兄さんと仲が悪いのだろうか。
いやというか、ほんとに、いつまで私のこと潰してるの!
「ゃ、やまだ、くんっ! もっあのっ苦しいッ!」
「!」
「えっ」
ぐっと無理やり腕を伸ばして山田君のお腹をぽんぽん叩けば、やっと私を押しつぶしていた背中は前へと戻っていってくれる。
なので私は大きく呼吸をしつつ、突然身体が軽くなったせいかよろけそうになったので、そのまま山田君の背中にしがみついた。
すらっとしてるけど、私がしがみついてもその身体がよろけることはない。
それに素直に感心しつつ、圧迫されて苦しかった胸とお腹をさすって、突然の暴挙に文句を言うべく山田君の服を引っ張った。
「なんでいきなり押し潰すの。内臓潰れるかと思った」
「あー、ごめん。低能に絡まれたくなくて」
「低能じゃなくて二郎さんでしょ」
「は? なんで二郎のことわかるの?」
いやなんでそんなところで不機嫌になるの。
むしろ突然押し潰された私の方が不機嫌になるはずじゃないのだろうか。
しかしきっと、言ったって意味はない。
だからなんとなく、あのねえ、と呟いてから山田君の顔を見るべく横からそっと覗き込んでみる。
するとやっぱり、山田君は不貞腐れていた。
「だって山田君いち兄さんだったら絶対よろこんで私のこと見せるでしょ」
「……」
「ほら図星」
ぐっと面白くなさそうに黙り込んだ山田君に、今度は私が小さく鼻で笑って。
そして、なぜだかこっちを吃驚した顔で見ている"二郎さん"のことを見上げてみる。
山田君より背が高い。
そしてぱっちり二重の山田君とは違って、二郎さんの瞳はおっとり垂れ目。
なんだかちょっと色っぽい顔してるなあと思いつつ、驚く顔は山田君にやっぱり似てて、ちょっと面白い。
これぞ正しく、血のつながり。
「お邪魔してます。久遠夏帆です。山田君と同じクラスです。今日と明日、お世話になります」
「えっ? あ、ああ……」
おずおずと笑いつつもそう挨拶してみるけど、なんでかやっぱり驚愕顔。
というか私の上から下までを何度も何度も見返してる。
どうしたのか心配になるくらいかなり挙動不審である。
しかしそんなお兄さんには目もくれず。
山田君は、どうやら私の態度が気に食わなかったみたいで。
嫌そうに顔を歪めたかと思ったら、とんでもないことをほざき始めたのである。
「は? なに二郎にぶりっ子してんの」
「山田君。ぶりっ子って言い方よくない。愛想がいいって言って」
「媚び売ってる」
「お上品って言って」
「色目使ってる」
「どこが!? めっちゃ清楚じゃん!」
「僕と話す時よりも声が高いとこ。あと清楚の意味ちゃんとわかってる?」
「判定厳しすぎない? あと言葉が痛いよ山田君。もうちょっと言葉の殺傷能力弱くして」
腕を軽く叩きながらそう言えば「ふっ」と鼻で笑われた。
本日4回目なんだけど、ちょっともういい加減鼻で笑いすぎでしょ山田君。
そのうち癖になっても知らないよ。
「もういいでしょ。ほら行くよ」
「あ、うん」
「…………」
「あ、これ久遠さんからもらった手土産。渡しとくけど全部食うなよ」
「あ、それお菓子の詰め合わせみたいな。バームクーヘンとかクッキーとかポテチとか入ってます」
「ポテチだけ場違いすぎない?」
「ポテチだけ私のチョイス」
「あー、理解した」
うるさいな、いいじゃんポテチ美味しいじゃん。
それに友達の家でおやつといったらやっぱりポテチが一番人気じゃん。
何て思いつつ、もう用は済んだとばかりに山田君は進んでいっちゃうから。
私も二郎さんに再度ぺこりと頭を下げつつ着いていく。
さっきの言葉からして、二郎さんが出てきたとこがリビングなんだろう。
そして、この階段の上に山田君の部屋があるのかな。
きし、きし、と階段を上る気分は、ちょっとした探検チックだ。
はじめての友達の家って、なんかこう、どきどきする。
だから私は気づかなかった。
今なお、ぽかんと私のことを見つめ続ける二郎さんに。
二郎さんが、こんなことを呟いてたことに。
「お、おん、なの、子……?」
全くもって、気づいていなかったのだ。