07

ほかほかのグラタン皿に、たっぷり詰まった熱々のグラタン。
出来上がった四つのお皿を鍋つかみで掴んで食卓に運びながら、その大きさに正直ちょっと吃驚してる。

私の家で作るグラタンよりも、なんというか、三倍くらいある気がする。
いやというかこれ、所謂大皿な気がしてならない。

ちなみにグラタン自体は、ほぼほぼ山田君が作ってくれた。
私は本当に野菜の皮を剥いたり、じゃかじゃか洗い物をしたり、お豆腐の水を切ったり、電子レンジ温めたりとかそんな感じ。
もう山田君の足手まといにならないように必死だった。
だって山田君ほんとにてきぱき作っちゃうんだもん。

「ほんとにその大きさで足りるの?」
「足りる足りる」

後ろから私の分のグラタンを運んできてくれた山田君が、訝し気な声音でそう問いかけてくるけど。
その言葉にへらりと笑うだけに留め、むしろそれでもちょっと大きい、とは黙っておくことにした。

三人家族の山田君家には、グラタン皿はやっぱり三人分しかなくて。
私のは、小学生の頃に使っていたという厚手の土鍋で作ることになったのである。
といってもその土鍋は所謂お粥用のもので、私が家で使っているものよりも、やや大きい。
本当に小学生の頃から風邪の日にこんなに食べていたのかと思う程度には、うん、大きい。

引っ張り出した四つの鍋敷き上に、それぞれのグラタンを置いて。
山田君が盛り付ける前にご飯を盛るべく、早足でキッチンの方に戻っていく。

今までの流れで、なんとなく白米の食べる分量も私とは違うのであろうことは察し済みなのだ。
というか絶対、山田君にお願いしたら山盛りに盛りつけられる気がしてならないというか。

「よっと」

かぱりと炊飯器の蓋を開ける。
私の家で炊くよりも確実に量の多い白米に、素直に凄いなと思いつつ。
グッと力を込めておしゃもじでつやつやのお米を混ぜほぐしていく。
山田君家は、グラタンの時もシチューの時もお米は必要不可欠なんだとか。

ちなみに私の家でも基本お米。
たまにお母さんの気分でパンになったりもする。
ついでに量は、いつも2合で、それでも少し余るくらい。

それに対して山田君は、普通に当然といった顔でお釜に4合のお米をいれていた。
思わず二度見したし研ぎながらも確認したけどやっぱり4合だった。
4合って凄くない??従妹が泊まりに来てもそんな量炊いたことないんだけど。

山田君の家族がいつも使っているらしいお茶碗を手に、このくらいか?このくらいか?と盛り付けていく。
山田家の普通がわからなくてちょっと困っていると、お茶を入れに来たらしい山田君がキッチンに戻ってきた。
ので、これ幸いと聞いてみることにする。

「山田君、ご飯の盛り付けってこのくらい?」
「ん、それのあともうちょいくらい。あ、赤い茶碗にはあと3pくらい盛っても大丈夫。いち兄そのくらいは普通に食べるから」

──マジで?
思わず手の中のお茶碗をまじまじと見直す。
底の深いお茶碗の縁に、お米がややはみ出るくらいに盛りつけたご飯。
私的には既に多いというか、これだけでお腹いっぱいになりそうというか。

そんな細い身体のどこにこんな量が、と思いつつ、言われるがままに盛り付けていく。
なんというか、漫画に出てきそうな山盛りである。

こんな感じか……と盛り付け終えた後に、自分の分のご飯も盛り付けてみる。
山田君が小学生の頃に使っていたというお茶碗。
ぶっちゃけ、今私が使っているのとほぼほぼサイズ感が変わらない。
もうね、山田君たちの使ってるお茶碗と深さが違いすぎるのだ。
ほんとにもう、大人と子供って感じ。

いつも自分が食べる通りの量を盛り付けていたら、また山田君がこっちに戻ってきた。
そうして、私が盛り付けた私用のご飯を見て、一言。

「えっそれで足りる……?」
「それがねー凄く足りるんだな〜〜」

むしろこの量を見て真っ先に出る言葉が"足りなさそう"な所に胃袋の格の違いを感じてしまって仕方がない。
これが男女の差、と謎の感動を覚えていると、ふと、ガチャリと扉の開く音が聞こえた。

それに、お?っと思うと同時に。
隣で私が持てない分のお茶碗を持ってくれている山田君の瞳がきらりと輝いたのが見えたから、私の中で、予想が確信に変わる。
つまり──お兄さんが、帰ってきたのだろう。

「お帰りなさい、いち兄!」

山田君が大きな声を張り上げて、お茶碗を持ちながらもリビングの方に進んでいく。
その姿をぼんやりと見た後、はっとして、慌ててその背中についていくことにした。
いやなんか、なんとなく吃驚してしまったのだ。

ちょっと控えめに、伺うように進みながらキッチンの入り口から顔を覗かす。
するとリビングの入り口に山田君の背中があって、どうやら誰かと──お兄さんらしき人と、話してる模様。

食卓にお茶碗を置いて、私も山田君の背中を追うようにそろりそろりと近づいていく。
そうして、なんて声を掛けるか迷いつつも、まあ当たり障りのないことを言っておこうと、そっと口を開いた。

「お、お邪魔してます!」

あ、ちょっとどもってしまった。
だけどここで変に照れたらそれはそれで恥ずかしさが倍増することはわかってるので、気にしないでそのまま山田君の横に並ぶ。
目の前には──白いパーカーと赤いジャンパー。

「お──おお! 三郎の友達の子、だな。俺は山田一郎、三郎の兄だ。よく来たな」

一瞬、なにか言い淀んだような気配を感じるも、その後は明るい声が降りかかってきて。
それに私も、笑顔で返そうと見上げて──あまりの大きさに、思わずたたらを踏んでしまった。

だって、あれ。
思ったところに顔がないんだけど。

「あぶな。なによろけてんの」
「ご、ごめん。ありがと。えっと、久遠夏帆です。山田君のクラスメイトです。よろしくお願いします」

上を見すぎてふらりとよろけた身体を危なっかしいと思ったのか、山田君の手に腕をがしりと掴まれる。
それに思わず私も肘を曲げて山田君の脇腹らへんの服を掴みながら、私よりも遥か高い位置にある顔を見上げるのだ。
いやもう──デカくない?

え、おかしい。
いやもう、身長差がおかしい。
普通に立ってると、目線の位置が胸なんだけど。
えっ待って二郎さんの時点で大きいなあと思ってたけど、それよりも大きく感じる。
いやていうかそもそも山田君自体大きい。
えっ山田家、なんか皆大きくない??

「お、おっきいですね……!」
「久遠さんがチビなんじゃない?」
「いやいや、だから私ほぼ標準なんだって」

あまりの大きさに、なんかもう圧倒されてしまう。
だってお兄さん凄い、私のお父さんよりも全然大きい。

何となく居心地が悪いというか、心許なくて。
指に絡めた山田君の服に、きゅっと力をいれてしまう。
しわになったらごめん山田君。
でもまだ離れないでほしい。

山田君のお兄さんの瞳は、山田君とは違う色で。
けど、やっぱり左右で色の違う二色の色彩が、じぃっと私のことを見詰めている。

「……、…」

それになんだか、ごくりと息を呑んで。
そうして、なんだろ、なにか言った方がいいのかな、と迷っていたら。

ぐいっと、一気にあんなに高かった瞳が一気に目の前に来て。
思わず、ほんの少し飛び跳ねながら真横に居る山田君にしがみついてしまった。

これはあれだ。
屈んでくれた、のは、わかる。
ただちょっと心が追い付かなかっただけで、それは、わかった。
純粋に──ビビった。

「……!」
「おっと、悪い驚かせたか?」
「ぃ、いえっ! 大丈夫です!」
「いや驚いてんじゃん」

山田君の突っ込みが入るけど、ぶっちゃけそれどころではない。
屈んでくれたおかげてよく見えるようになった顔をまじまじと見つめて、何故だか感じる異様な緊張感に、いつのまにか私はガチガチになってしまっていた。

というか、そうだ、あれだ。
その人が、あの──TDDの、山田一郎なのだ。

「三郎から話は聞いてる。そんなに緊張しないで、自分家だと思って寛いでくれ」
「はっはい……!」
「いち兄、今はこいつガチガチですけど、図太いんでその内馴れます。だから大丈夫です」
「えっ、……です!」

いや何を勝手にいっちゃってるんだ山田君!
そう思うけど、しかし口からは勝手に謎の肯定の言葉が出てきてしまって、更にパニックな感じだ。
なんか凄く顔が熱いというか、ぽかぽかする。
緊張しすぎて暑くなってきた。
なんかもう、変なこと口走る前に逃げてしまいたい。

すると、そんな私を察してか気遣ってくれてか。
にかりと大きく笑顔を作った一郎さんは、微笑んだ後その大きな手のひらで私の頭をぽんと撫でた。
ぴくりと、なんとなく山田君を掴んでる指に、力が入る。
視線が交わって、ゆるりと瞳が細められるのがわかった。

「あっはっは! そうか、早く馴れてくれよ」
「っ、!」

ぽんぽん、と大きな手のひらが私の頭を撫でていく。
あの山田一郎に頭を撫でられるとはまさか思わず、声を発することも出来ないまま、私はこくこくと頭を縦に小さく振った。
なんかもう、口から心臓が飛び出てしまいそうだ。

「じゃあ俺、手洗ってくる。……あ、洗う前に頭触っちまって悪かった。ごめんな、嫌だったか?」
「……!、!」
「嫌じゃないみたいです、いち兄」
「ならよかった。二郎ももうすぐ上がってくるから、お客さんの前で喧嘩すんなよ」
「はい!」

そう言って、一郎さんは廊下の方へと戻っていく。
それを山田君と見送りつつ、私は硬直した身体で、それでも確かにこう呟いたのだ。

「お、おっきい……」
「だから久遠さんが小っちゃいんだって」
「う、うぅ……」

だからそうだけど、そうじゃないんだってば山田君。
なんかもう、山田家って、凄いの連続だ。




──質問の嵐とは、この事か。
なんて、ご飯を食べつつ思う私である。

「んで、夏帆ちゃんはそれで三郎と遊ぶようになったのか。凄いな、普通ビビんねぇ? 放課後に自分より図体のでかい男に腕捕まれたら普通怖いだろ」
「んー、いやそれよりも、同じ趣味持ってるのかな? って期待の方がおっきかったかもです。ボドゲとかの人口密度ってほんとに少ないんで」
「ゲーム繋がりか、三郎、夏帆ちゃんと友達になれてよかったな」

このナチュラルな夏帆ちゃん呼びよ。
クラスメイトの男子からも、呼ばれ方は普通に名字一択なもんだから、名前を呼ばれる度になんか凄くそわそわしてしまう。
男の人から夏帆ちゃんなんて呼ばれるのは、それこそもう親族くらいだけだし。
ううん、凄くこそばゆい。

ちなみに上から二郎さん、私、一郎さんである。
とりあえず家族構成とかは既に話していて、今は山田君との出会いを根掘り葉掘り聞かれてる感じだ。
なんというか、特に二郎さんって、すっごくお喋りなのかもしれないなあ、なんて。
思いつつ、隙を見てグラタンを口に放り込む。

お豆腐とチーズでかさ増しをしたグラタンは、ふわふわでとろとろ。
いっぱいつまったジャガイモはほくほくしてて、なのに玉ねぎはしゃくしゃくしてて、人参は甘くって。
つまりもの凄く美味しい。

山田君凄い。
お料理上手だ。

「それで、三郎とは教室ではどんな感じなんだ?」

一郎さんが、微笑みながらそう問いかけてくる。
その瞬間、私の太ももを山田君がとん、と叩いてきた。
なんというか、手でチョップするような感じ。
それにおっとこれは、と私はご飯を飲み込みながら思案するのだ。

多分、よくわかんないけど。
これは恐らく"余計なことは言うな"って感じのサインだと思う。
多分だけど。

そして、その余計なこととはなんだと考える。
余計なことってつまり──教室では、あんまり喋ってないこととかかな。
確かにお兄ちゃんに知られたら、からかわれちゃいそうだよね。

「えっと、普通に? 隣の席なんで、普通に仲良くしてます!」

普通とは。
そこ突っ込まれたら確実に詰む言い訳である。
いやでも他になんて言えばいいのかわかんないし。
山田君からも突っ込みの代わりのように再度太ももにチョップを入れられてしまった。
いやうん。ごめんて。

「へえ、意外だな。ぜってぇ三郎って教室じゃあ喋るなとか言ってそうなタイプだと思ってた」
「、えっ」
「そうか? 三郎だって友達とくらい喋るだろ」
「いやいや、兄ちゃん。こいつ絶対喋んないって。むしろ謎ルールを作ってそうじゃん」
「そうかあ?」

──めちゃくちゃその通りですお兄さん。
すごい、理解度が凄い。
まさにまんまその通り。

もう横に座ってる山田君の顔が見れない程度には、その通りが過ぎる。
というか山田君がずっと無言なとこがちょっと段々気になりつつあるんだけど、いいのかお兄さんたち。
なんかこれ、山田君拗ねてきてない?
 
「それでさ、兄ちゃん。最近こいつ帰ってくんの遅いな〜〜って思ってたらさ、夏帆ちゃんと遊んでんだって」
「へえ、そうなのか! いいなあ、楽しそうだ。ああ、でもどこで遊ぶんだ?」
「それはえっと、公園とか机のあるとこで遊んでます」
「まだ日も長いしな。よかったな。楽しいだろ、三郎」
「……うん」

一郎さんに話しかけられた山田君は、しかしちょっとこう、素っ気ない。
──やっぱりこれ、山田君、拗ねている気がする。

しかしあれだ、今までの流れの中でどこに拗ねる要素があったんだろうか。
根掘り葉掘り私が答えすぎた?でも答えないと答えないで感じ悪いし。

ええ、どうしよう。
そんな風にひとりで焦る私の前で、同じく山田君の様子が気になったらしい二郎さんが山田君にこう声をかけていく。

「んだよ、なにぶーたれてんだよ」
「べっつに」
「そうだぞ三郎。夏帆ちゃんも困っちゃうだろ」
「あ、いや私は別に」

慣れてるし──と言いかけて、やめた。
そんなことを言うものなら、火に油を注ぐだけである。
そんなことしたら、ボヤ騒ぎ間違いなしだ。

「…………ほんとに、別に」
「三郎、言いたいことがあるんならはっきり言え」

──うお。
突然一郎さんから発せられたお腹にずしりと来る声の重さに、肩にぐっと力が入った。

なんか、凄く男兄弟って感じだ。
今までの山田君との会話と、そしてお兄さんたちとの会話の端々からも感じてたけど。
山田家では、やっぱり一郎さんが大黒柱で保護者なんだろう。
だからこそ、この真っ直ぐ山田君に言葉を叩きつけるとことか、上手く言えないけど凄いなと感じてしまう。

──いやでも、うん。
山田君のお兄ちゃんは、お父さんなんだなあ。
なんて、思っていたら。

「……いえあの、本当に、大したことではなくて」
「でも嫌なことがあるんだろう?」
「嫌な、と、言うほどでも、なくて……」
「三郎」

なんとなく、私は無言。
そして私と対角線上にいる二郎さんも、無言。
いつの間にかお説教チックな雰囲気に変わってしまったこの食卓の上で、とりあえず二人でもりもりご飯を食べている。

ふと二郎さんの方を見てみれば、ぱちりと視線が交わって。
そうして、ちょっと困った──いや違うな。
ごめんねと、謝るみたいに瞳を細められたから、なんとなく私も瞳を細めてこっそり、小さく首を振った。
だって、これは山田家の中では大事なことなんだろうなって、思ったから。

「……、……えっと」
「……」

山田君は、言い淀んでる。
それを隣で感じながら、ふと、もしかして私がここにいるから話しにくいのではと唐突に思い至った。
だって、ここまで話すように一郎さんに急かされても口をまごつかせたままだから。

どうしようか迷って、取り敢えず再度二郎さんの方を向く。
そうして二郎さんの視線がまたこっちに向いた時に、ちらちらと出入り口のドアの方を見てみた。

はたして、きちんと伝わるだろうか。
"私出てった方がいいですか"って感じの意思表示である。

すると二郎さんは、横の一郎さんを見て、そして目の前の山田君を見て。
少し迷った顔をしつつ、私を見ながら小さく顔を横に振った。
これはあれか、"今は存在感を消しとけ"って感じだろうか。

まあここで下手に動いたら存在感出ちゃうもんなあ、とも思って、納得して。
なんか段々と心配になってきた山田君の方を、ちらりと見た、ら。
なんか、思っていた顔色とは、違って、て?

いや、あれなんか。
山田君の顔──赤くない?

「……だって、いち兄も、二郎も」

ぽつりと、山田君が小さく呟く。
散々迷って吐き出したのだろう言葉はとても小さくて、吹いたら消えてしまいそうなほどか細い。

そんな山田君の言葉を聞き取るためなんだろうか。
一郎さんも、そして二郎さんも、一言も話そうとしない。
二人とも、ただじっと山田君のことを見てる。

「いや、いち兄はいいんですけど、でも、いや、なんというか、その」

山田君は、自己主張が苦手だ。
そうして、山田君は二種類の言葉を持っている。

軽い言葉と、重い言葉。
簡単に口からこぼれ落ちる言葉と、後少しのところで引っ掛かって出てきてくれない言葉。

軽い言葉なら、山田君はぽんぽんと口に出す。
揶揄いの言葉だったり、ちょっと皮肉っぽい言葉だったり。
その手の言葉は、するりとその唇からこぼれて、饒舌に思いの丈を伝えてくれるのだけれど。
重い言葉は、多分、そうはいかないのだ。

重い言葉は、多分山田君のして欲しいことが詰まってる。
ああして欲しいとか、こうだったら嬉しいとか。
そういうことを山田君の中で、考えて、考えて、考えて尽くして。
伝えようと思って、だけどやっぱり"それを受け入れてもらえなかったら嫌だ"って、口を閉ざしちゃうのだと、勝手に私は感じてる。

私だったらなにも考えずに呟いてしまう言葉。
それを発する前の、ワンクッション。
そこに、山田君の中では、きっと何よりも高くぶ厚い壁がある。

山田君て、どうしてもどこか、受け身のところが強いのだ。
自分を第一に考えていなくて、自分の気持ちとは裏腹なのに。
相手が少しでも違う気持ちを顕にするとそれで諦めて身を引いてしまう。
いつだって、どこか、相手の反応に身構えていて。

だから山田君は、誰かに言葉を遮られたらそこで伝えることを諦めるきらいがある。
出鼻をくじかれるとか、そんな軽いものではなくて。
心のなかで、ああこの人は自分の言葉を聞く気がないんだって、手を離してしまう感じ。
そして、それを私なんかよりも、やっぱり家族である二人の方が沢山沢山わかってるんだろう。

──私、ほんとにここにいていいのかな。
なんて、思ってしまうことは、多分仕方がないことで。

気まずさとはまたなんか違う。
人の、踏み込んじゃいけない場所に足を踏み入れてしまったような。
そんな、覚束ない不安感を、感じた、ら。


「──久遠さん、は、僕の、友達、なのに」


ぽつりと、呟かれた言葉。
その言葉が耳に触れて、頭にとけて。
気づけば私の視線は、真横の山田君に、奪われていた。


「な、なのに、」


山田君の、横顔。
鼻が高くって、なのに細くて。
すっと涼やかな顔立ちが、私の視界の中にある。


「ふ、二人の方が、名前で呼びあってるの、おかしいじゃないですか……」


じわりじわりと、染まる赤。
目尻と、頬と、耳たぶの色。
それがゆっくりゆっくり、どんどん熱く赤く色づいていく。
山田君はもともとの色が白いから、ほんとにもう、林檎みたい。
林檎みたいな、顔になって、て。

「──じゃあ、名前で呼べばいいじゃん」

気付けば。
そう、ああ、気付いたら。

山田君の瞳が、まあるく丸まっていく。
猫目の人見が端までぱっちり見開かれていくのは、なんだかちょっと圧巻だ。
こぼれ落ちちゃいそう。落ちたら大変。
そんな言葉が頭の中で次から次へと散らばって、私の頭をぐちゃぐちゃに混ぜていく。

そうして、色んな感情が絡まってぐちゃぐちゃになっている私は、そんな、私の口からは。
気付いた時には、ぽろりと、言葉をこぼれ落としてしまっていたのだ。


「名前で呼んでよ、三郎くん、、、、


突然なんだよ、とか。
名前呼びとか気持ち悪い、とか。
思われるかもしれないけど。
距離を縮めすぎかも、知れないけど。

少しずつ、少しずつ、胸の奥の心音が早くなっていく。
握ったスプーンを、ぎゅうと痛いほど強く握りしめてて。
だけど、それの弱めかたなんか、わかんなくて。

どくどく、ばくばく、心臓が暴れてる。
だけどそれすら気にならない程、私の意識は、いま、山田君でいっぱいなのだ。

「──、……」

わなわな、と。
薄い唇が、空気を食むように動いてる。
だけど私はそこじゃなくて。
その上にある、綺麗な綺麗な山田君の、三郎、くんの、瞳を、みてて。

──呼んでほしい。
そう、訴えるように視線力を、込めていく。
今じゃなきゃいけないと思うから。
今しかないって、なんでかわかんないけど、思うから。

呼んで、呼んでって、心の中で、念じて、瞳で訴えて。
ゆっくりゆっくり形を結んでいく三郎くんの唇に、願いを込めるように瞬いた。


「──夏帆、ちゃ、さ、ん?」


なんか、ふたつくらい混ざった言葉。
呟いた瞬間に、三郎くんの顔が"やってしまった"って、歪むけど。
だけど私はそれが、嬉しくて。
なんにも悪くないよ、なんにも間違ってなんかいないよって。
気持ちを沢山沢山込めて、めいっぱいの微笑みを返すのだ。

だってこんなの、嬉しすぎる!

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