▽11

フタバは火影室から出た後ただやみくもに走った。身体を動かしていないとこの胸の痛みでどうにかなってしまいそうだ。
しかし気付くと足は止まっていて、その場に伏して涙を流すしかなかった。

「フタバか?」

1人で泣いてどれくらい経っただろうか。自分の名前を呼ぶ声に振り向くとそこにはイルカの姿があった。

「イルカ先生…どうしてここに」
「どうしてって、ここはアカデミーの敷地内だぞ。下校の時間だったから見回っていたんだ」

ふと辺りを見渡すと確かに見覚えのある場所だ。自分はいつのまにかこんなところに来ていたのか。
フタバはイルカに心配かけまいと慌てて涙をぬぐった。

「…今更そんなことしても遅い。久々にお前に会えたと思ったのにそんな顔じゃあな」

イルカはポンッとフタバの頭に手を置くと自分のポケットからハンカチを取り出し渡してくれた。それを受け取り改めて涙をぬぐうと、久しぶりの恩師の優しさが胸に沁みてまた涙腺が緩んでいく。

「イルカ先生…私…」
「うん、何かあったのは見れば分かるよ。話せるだけ話してくれるか?」

イルカはフタバをベンチまで連れて行き腰掛けさせた。
そして彼女はさっき知った全てを話し始めた。ところどころで言葉に詰まってしまったが、イルカは急かすことなく真剣に聴いてくれている。フタバの震える手に気付いたのか、何も言わずただ手を握ってくれた。


「…というわけで、私の母は本当の母ではなかったみたいなんです」


全てを説明し終え、フタバは無理に笑ってみせた。イルカはそんな彼女の目を正面から見つめ握っていた手にぎゅっと力を込める。

「フタバ、俺はお前の母親と幾度となく話し合って来た」
「…忍術が使えないのにチャクラ量は膨大だとわかった時ですね」
「そうだ。でもな、その度に彼女は言っていたんだ。フタバが元気でいてくれさえすれば何も求めない。忍にだって無理になる必要はない。お前が自由に笑って過ごせるならそれだけで自分も亡き夫も幸せだから、と」
「手紙にあったことと同じ…」
「ああ。お前の生みの親の願いは、お前の育ての親の願いとして生き続けているんだ。フタバ、お前が羨ましいよ。心から愛してくれる親が4人もいるんだから」

イルカは握っていた手を離し、今度はフタバの頬をむぎゅっと掴んだ。

「俺だってお前のことは妹のように、家族のように思っている。特別な存在だ。その気持ちに血が繋がっているとかそうじゃないとかは関係ないだろ?」

イルカは照れたように笑い、少しキメすぎたかな?と頭をかいた。
するとフタバはみるみるうちに涙を流しはじめ、焦ったイルカがまた彼女の顔にハンカチをあてる。

「す、すまんフタバ!知ったようなことを言いすぎた!」
「ち、違うんです…嬉しくて…イルカ先生、ありがとうございます!」

フタバは急に立ち上がるとイルカに抱きついた。
その顔には笑顔が浮かんでいる。


「私、大切なことを忘れていました。確かに血の繋がりなんて大したことじゃない!過去に起こったことを引きずるより、今をどう生きていくかですよね!」

自分に言い聞かせるかのように大声でそう叫んだ。
大蛇丸の被験体であったということを知りながら自分を受け入れてくれた柊夫婦には感謝しかない。そしてアビスマ夫婦もそうだ。自分を生かすために命を投げ出してまで行動を起こしてくれた。守られているばかりではいけない。少しずつこの恩を返していかなければ。忍になると決めた時、そう決意したはずだ。それを忘れてうじうじしている場合ではない。

「…イルカ先生、私母に謝ってきます。そして感謝の言葉をちゃんと言います!火影様に真実が伝わった以上、大蛇丸も私に手を出しにくいはずです。でももっと強くなって私も戦えるようにしなきゃ。中忍試験も控えてるし、すぐ修行だ!」

フタバは思ったことを全て吐き出し、足早にその場を去った。がしかし、またすぐにイルカの元に駆け寄ってきてもう一度彼に抱きついた。

「イルカ先生、気付かせてくれてありがとうございます!私が無意識のうちにここに来たのは、イルカ先生なら助けてくれると心のどこかで分かっていたからかもしれません」
「…そんな大層なことはしてないよ。フタバが素直な心で物事を見ているから気付けたことだ。でもそう思ってくれていて嬉しいよ、こちらこそありがとな」

イルカもフタバを抱きしめ返し、自分の腕の中にいる彼女の顔を見て思わず声を出して笑った。あまりにも嬉しそうな顔をしていたからだ。

「…ところでフタバ、お前卒業した途端顔を見せなくなるなんて薄情じゃないか?メシでも行こうと言っただろ」
「へへ…ついついナルトにその役を譲ってしまって…でも今度から我慢せずにイルカ先生に会いに行くことにします!」

そう言ってフタバはイルカから離れ、ペコっとお辞儀をした。

「イルカ先生、本当にありがとう。やっぱり先生のことが大好きです!それじゃ!」
「ああ、俺もだよ。あんまり無理するんじゃないぞ!」
「はい!アスマ先生とカカシ先生、紅先生っていうこれまた大好きな先生たちがいるから大丈夫です!」

イルカは笑顔で手を振るフタバの後ろ姿を見えなくなるまで見送っていた。

「イルカ先生」

急に背後から呼ぶ声に振り向くと、そこにはアスマが立っていた。

「アスマさん!いらっしゃってたんですね」
「ああ、実は火影命令でずっと見てた。ま、あの様子ならもう大丈夫だな。…いやー、にしても先生、あんなにフタバに頼りにされちゃって。ちょっと妬けちまうぜ」

タバコをふかしながら言うアスマに、イルカは笑ってみせた。

「あいつが小さい頃からの付き合いですからね」
「それでも、さ。俺たちじゃあいつの苦しみを無くしてやれなかった。あいつにとってイルカ先生は特別なんだな」
「…そうなんですかね」

イルカはアカデミー時代のフタバを思い出していた。よく学びよく遊びよく笑い、そして人知れず悩み泣いていたフタバのことを。
卒業してから、フタバは忍として成長した。
しかし忍にしては涙もろいところは相変わらずだ。そして人間として優しく前向きなところも。

「…でもあいつ、アスマさんのことだって大好きって言ってましたよ。フタバはまだ照れ臭くて直接言えてないだけだと思います」
「……焼肉でも奢ってやるか」
「ハハハ!きっと喜びますよ」


自分の家の方に走って行ったフタバの姿はもう見えないが、2人はしばらくその方向を見つめたままだった。


* * *

あたりはもう薄暗くなっていた。
母親が心配しているんじゃないか、そう思ったフタバはなるべく急いで走った。

家の近くに着くと、玄関の前に人影が見えた。母親だけでない、4人分の影。
近寄ってみると、その影が誰のものかはっきりとわかった。

「お母さん…シカマル達まで…」

それはフタバの母親のマキナ、そしてシカマル、その父親のシカク、母親のヨシノだった。
皆そわそわしており、どこか落ち着かない様子だ。するとマキナが帰ってきたフタバに気付き、慌てて駆け寄ってきた。

「フタバ!ああよかった!アスマ先生が見守ってくださるから私は家で待つようにと火影様に言われたのだけれど、居ても立っても居られなくて…」
「お母さん…本当にごめんなさい」

きっと母はずっとここに居たのだろう。そして昔から母と仲が良くしょっちゅう家に遊びに来るヨシノが今日も来て、それで事情を話したに違いない。母は親友であるヨシノにも話さず、全ての事実を父亡き今1人で抱えていたのだ。改めてその苦悩を思い知った。

「フタバちゃん、本当に良かった。マキナから事情を聞いて驚いていたらシカマルとこの人も偶々通りかかってね。皆であなたを待ってたの。よく無事に帰ってきてくれたわ」

いつもは凛としているヨシノの顔に少し焦りが見えた。それほど心配してくれていたのだろう。

「…ヨシノさんありがとう、私もう大丈夫です!シカクさんもシカマルもこんな時間まで…」

シカクは何も言わず微笑みながらフタバの頭をくしゃっと撫でた。ごつごつとした硬い大きな手がどことなく心地良い。
隣にいるシカマルを見ると複雑な表情を浮かべている。

「シカマルどうしたの…?」
「っ!どうしたのじゃねぇよ!フタバが急に火影室から出て行ったってマキナさんが言うから!あんな真実知ったお前がどんな気持ちで1人でいるのかって考えたら俺は…」

珍しく感情を表に出した様子で話すシカマルに、フタバは小さくごめんねと呟いた。

「…たしかに最初は苦しかった。でもね、私には本当に愛してくれるマキナっていうお母さんがいるのも事実だって気付けたの。それにほら!こうやってシカマルやシカクさん、ヨシノさんまでいてくれる。私には大切な人が沢山いるから全然平気じゃん!てね」

いつものようにニコッと笑うと、急にシカマルがフタバを抱きしめた。
それをみたマキナとヨシノ、シカク、そしてフタバ本人も突然のことに非常に驚いた。

「シシシ、シカマル!?皆見てるよ!いや、そういうことじゃなくて!どうしたの!」
「…うるせぇ。しばらく黙ってこのままでいてくれ」
「シカ、マル…?」

彼の身体が少し震えているのがわかる。フタバからは見えなかったが、親達にはシカマルの目から涙が流れるのが見えていた。

1分ほど経っただろうか、シカマルは「わりぃ」と呟きフタバの身体を解放した。
涙はもう止まっており、最後までフタバに気付かれることはなかった。

「シカマルもすごく心配してくれてたんだね。ありがとう」
「…別に礼を言われることじゃねぇよ、幼馴染なんだから心配くらいするだろ」

シカマルはそう言って後ろを向くと、ニヤニヤと笑っているシカクに近付きその背中をグーで殴った。

「…お母さん、私お母さんに謝らなきゃ。あんな態度とってごめんなさい」
「何を言っているの。謝るのは私。今までこんな大きなことを黙っていてごめんなさい。あなたが忍術が使えないと悩んでいるのを知っていながら…きっと実験の弊害とはそのことだと分かっていたのに」
「ううん…お母さんも辛かったよね。確かに驚きはしたけど、今は自分の力の真実がわかってむしろ嬉しい。私もっと強くなるよ!それにね、イルカ先生が言ってくれたの。愛してくれる親が4人もいて羨ましいって。だから私は人よりも幸せだよ。本当にありがとう」


そう微笑んで言うと、マキナはまた涙を流しながらフタバを抱きしめた。ヨシノもそれに加わり、しばらく3人で抱き合っていた。


「…さ!それじゃご飯にしましょう!ヨシノ達も今日はウチで食べてって!」
「じゃあお言葉に甘えようかしら」
「お、そりゃいい。マキナさんのメシはうまいからな!」
「あら、私の料理はマズイみたいな言い方してくれるじゃないの」
「そ、そんな意味じゃねえって…」

シカクとヨシノのそんなやりとりをみて、フタバは笑いながら家に入った。


* * *

「それじゃあいただきます!」

食卓についた5人は手を合わせて食事をとり始めた。
フタバの隣にはシカマルが座っており、用意されたサバの味噌煮を美味しそうに食べている。

「…シカマルは私のこと幼馴染って言ったけど、私はそれ以上だと思ってるよ」

突然ポツリとそう言ったフタバの言葉に、思わずシカマルがむせ返る。
マキナが慌てて水を渡し、フタバがシカマルの背をさすった。

「なんだよいきなり!」
「ご、ごめん、そんなに驚くと思わなくて…私たちの関係は幼馴染じゃ言い表せないなって思ったから」
「…じゃあなんだって言うんだよ」


フタバの答えをきくため、誰も話さなくなってしまった。
シカマルは自分で尋ねておきながら心臓の音が痛いほど鳴り止まない。幼馴染以上ってことは、つまりそれは…。


「うん、シカマルは幼馴染なんかじゃなくて私のお兄ちゃんみたいだなーって!」


シカマルは思わずズルッと効果音がつきそうなほどに身体の力が抜けていくのを感じた。
シカクにいたっては声を押し殺して笑っている。ヨシノもそんなシカクの肩を叩きはしたが、同じように笑いをこらえている。


「ね、だからシカマルは私の大切な人だよ。前からシカマルには幼馴染って言うよりもっとしっくりくる言葉があると思ってたの。ようやくわかったんだ」
「…そうかよ」
「うん、これからもよろしくね!」

ニコニコと微笑むフタバを見ていたら、シカマルは自分がなんでこんなに落ち込んでいるのかわからなくなった。
しかし兄だと言い切られたのは癪に触る。少しくらい、自分を意識してくれてもいいはずだ。
シカマルはフタバの耳元に口を寄せ、フタバにしか聴こえない声で呟いた。

「…"今は"兄止まりでいいよ」


意味がわかったのかわかっていないのか、フタバは小さく「うん」と笑った。


シカマルはそう言いながらも疑問に思っていた。
自分を意識してほしいと何故思うのかはっきりとはわかっていなかったからだ。
幼い自分にはこの気持ちがなんなのかわからない…。
シカマルはもやもやする気持ちを無理矢理心の奥深くに押し込んだ。


「…我が子ながらやきもきするやりとりしてるわね」
「まったくだわ。でも今はこれでいいのよ。あの子達のペースで、ね」


心配そうに、そして楽しそうに笑う母親達にフタバとシカマルは気付かなかった。


その日の夜、フタバはどこか懐かしい感じがする優しげな女性と男性、そして育ての母であるマキナ、いつも写真で見ている父に囲まれ幸せそうに笑う自分の夢を見たのだった。


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