「北風と太陽」
「へぇ、みおが800メートル走と障害物競争ね」
「本当に嫌。できると思う?思わないでしょ」
「思わない」
放課後、私は部活の休憩中に精市に愚痴ることで鬱憤を晴らしていた。幼い頃から私のことを知っている彼はドンマイとでも言うように私の頭をポンっと撫でた。
「いくら幸村くんでもみおに触るのはなんか嫌!」
「は?俺がみおに特別な感情抱くわけないんだからこれくらい見逃してよブン太。怒るよ」
私の愚痴をこっそり聞いていたらしいブン太は珍しく精市に意見して案の定言い返されている。そもそも私と精市は本当に男女の壁がない。兄と妹、そんな感じなんだから周りからみたら理解できないことももしかしたら多いのかな。
私はブスッとしているブン太に近寄り精市が私にしたのと同じようにブン太の頭を撫でた。
「ほら、これでいいでしょ。まったくいつも言ってるでしょ。精市と私の関係に口出さないでって」
「う、あ、そ、その…わりぃみお。幸村くんも」
「うむ、よかろう」
ブン太はわかりやすく顔を赤らめ大人しくなった。精市はやれやれといった様子でこちらをみて苦笑いしてる。私がやれやれだわ。
相変わらずこんな私を好いてくれているみたい。ブン太はモテているはずなのに案外こういったことに耐性がない。なんだか私が悪いことしたみたいじゃないか。
「ブン太、私誰とでもこんな風にしてるわけじゃないのはわかるよね?精市は幼馴染だからだよ。変なヤキモチ妬かないの」
「…わかってんだけどよ、お前が絡むとどうもな」
本当にピュアな奴。私と付き合っているわけでもないのに…なのになんだか嬉しいのはなぜだろう。こんな真っ直ぐに想われるのは幸せなんだろうけどな。
そんな私達2人の背中をグイッと押し、精市は部活再開するよー!と大きな声を出した。
* * *
「…以上、今言ったそれぞれの課題を少しでも改善するように。それじゃあまた明日の朝練でね。解散」
精市は私がノートに記録した部員の動きを参考に毎日一人一人にこうやってアドバイスをする。だから立海は強いんだろう。自分の欠点はなかなか自分じゃ気付けないもの。人から言ってもらうのはかなり良い方法だ。
私はそんなことを思いながら皆が着替えを済ませ部室から出てくるのを待っていた。
ひょこっと1番最初に出てきたのは仁王だった。
「みお、さっきお前さんブンちゃんからヤキモチ妬かれとったじゃろ」
「おつかれ仁王。…あー、うん。意外とそういうとこあるよねブン太って」
「嫌か?」
「嫌っていうか…私が不特定多数とベタベタするならわかるけど、精市とだけあんな感じなんだから許してほしいなと」
「…それって彼氏に対する言い訳みたいじゃな」
「へ?」
今度は仁王が変なことを言い出した。今日はなんなのかな。やけに私が責められてるみたいなんだけど。
5月の夕方はまだ微妙に日が落ちるのが早い。この時間はもう割と暗くてあまり仁王の表情が見えない。
「…俺はブン太に対するそんなみおの思いに妬いてしまっとる」
今あなたはどんな顔でその言葉を言っているの。
「…どうしたの仁王、なんか珍しいね」
「俺だって1人の男じゃ。好いとる女が自分の意にそぐわんことしたらそうなる」
「なんか随分わがままなこと言うね。私まだブン太とも仁王とも付き合ってないのに」
「…まだってことはいずれ絶対にどっちかとは付き合ってくれるっちゅうことか?」
私はその問いに答えられないでいた。わからないよそんなの。でも頑張って1年以内に答え出そうとしてるじゃない。
…頑張って?なんで私こんな上から目線なんだろ。頑張ってるのはブン太と仁王じゃないか。
今もほら、仁王は柄にもないことを消え入りそうな声で言っている。
精一杯に自分の気持ちを伝えてくれているんだよね。
知ってた。今まで逃げてた分向き合うって決めたくせに、私はまた逃げようとしてる。
2人の気持ちが、少しめんどくさいかもって思ってしまってる。
だったら素直にそう伝えればいいのに、それはしない。告白された当初は断り続けてたのに、今は諦めた体にしてこの状況を受け入れている。
私今2人に好かれていることに満足してるの?私そんなずるい女だった?
いや、ずるいよね。そうだよ。
「ごめんね仁王。私が間違ってた。私気付かないうちに浮かれてたのかもしれない。答え出すとか言っておきながらあと1年もあるしまだいいやっておもってた」
早く答え出せるならそれが1番だよね。
「仁王、私どっちとも付き合わない。やっぱり友達でいるのが1番だよ」
「…それがみおの答えなのか?」
「うん、私には2人はもったいないよ」
「お前随分卑怯な言い方するんじゃな。俺が好きだったみおはどこに行ったんじゃ」
仁王は他の部員が出てくるのも待たずに去って行ってしまった。
ずるい女にならないようにって出した答えが卑怯と言われてしまってはどうしようもない。何やってんだ私。
急に足の力が入らない。ずるずると地面に吸い込まれるように座り込むと、部室の扉が開きそこから部員たちが出てきた。
「む、みお!腹でも痛いのか?」
「みお先輩!俺肩貸しますよ!」
「は?赤也でしゃばんなよぃ!ここは先輩の俺に任せと、け…みお?なんで泣いてんだ…」
私泣いてるの?
目をこするとたしかに手が濡れた。意味わからない。自分から振っといて泣くなんて私が嫌いな女そのものじゃないか。
「…皆、今日はお疲れ様。みおのことは俺に任せて。家も近くだし俺が送っていくよ。ブン太、ここは引いてくれ。きっとみおもこんな姿いつまでも見せていたくないと思うから」
「…幸村くんがそこまで言うなら頼む。みお、何があったか知らねぇが無理すんなよ。じゃあ俺たちは帰るから。またな」
ブン太は案外あっさりと引き下がり、心配し続ける他の部員の背を押して帰って行った。
精市は私の手を取ると、歩ける?と優しく尋ねてきた。
「…歩ける。ねえ精市、私最低だ」
「俺たちより先に仁王が出て行ったから、原因は仁王だね。話せるだけ話してよ」
私は家までの帰り道、全てを精市に話した。
精市は「バカだなぁ」と言うと私にデコピンをした。私はその痛みのせいにしてまた泣いた。精市は俺のせいでごめんねと呟く。
そのごめんねは今のデコピンに対してなのか、部活中ブン太の前で頭を撫でたことで結果的に仁王まで傷付けてしまったことなのか。
おそらくどっちも。私たちは幼馴染だからという理由であまりにも男女の気遣いができていなかったのかもしれない。
「精市、女ってめんどくさいね」
「男だってめんどくさいからね。大変だね、生きるって」
「ね。正解なんて探そうとするだけ無駄なのかも」
「うーんどうだろ。とりあえず俺たちは大人になりかけてる途中だから色んなことが難しく感じても仕方ないのかもよ」
「ハハ。そっか。今のこの状況を手探りで進んでいくしかないんだね」
「うん。ブン太や仁王だってそうだよ。きっとみおの苦しさもそのうちわかるんじゃないかな」
「…あの2人の方が苦しいんだよ」
それから精市は黙って私の隣にいてくれた。家に着いてからもしばらく玄関を開けないでいる私に何も言わずに付き合ってくれている。
明日仁王に謝るね。私はそう精市に告げ、玄関の鍵を開けた。
しかし次の日、仁王は学校に来なかった。
『北風と太陽』
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