にい

「片付けは得意でないから諦めてちょうだいね。適当におかけになってくださいな」

 玄関に上がった時点で整理整頓は苦手な口なんだろうと理解した。そこかしこにペンチだとか義肢やらなにやらが転がっている。雄英で言うとサポート科タイプだな。と考察しながら案内された洋室に入ると、そこは廊下よりかは整頓されているように感じつつ、ソファに腰かける。

「お金がなかったならお食事はどうされていたの?」
「ああ……手持ちのゼリーで食いつないでましたね」
「ゼリー? ああ、最近ご令嬢の間で流行ってるあれね。ええっと、ちょうど夕食の時間ですけど、おにいさんも召し上がって行って」
「……助かります」
「簡単なものしか作れませんけどね。うちは使用人もいないから」

 言いながら部屋を出ると、彼女は別室から大変だと声を上げる。

「ごめんなさい、買い物してくるの忘れてしまって。ホットケーキくらいしか作れないんですけどよろしい?」
「あ、ええ、はい」

 そんなことかと受け入れれば少女は嬉しそうに笑った。


 ざっと見た感じの町並みや人々の装いからして恐らくここは酷く遠い過去だ。個性を持った人間もいないようだし、教科書ではほぼ省かれたような時代だろうと理解し、近くにあった新聞を手に取る。せめて少しは聞きかじった年であってほしいと日付を探すと大正時代と言うことが分かった。まあずっと昔だ。正確な計算をパッとするには俺でも難しい。そうして一週間とすこし前の記憶を辿ればまたひとつの心当たりが浮かんで、かき消すように首を振った。


 それからいい香りが漂ってくると腹が鳴りそうになる。ドアが開くとヨッと器用に片足で閉めて、すたすたとローテーブルまで来れば皿を置き、一人掛けのソファに腰かけた。

「めしあがれ」
「頂きます……」

 ここでは箸でホットケーキを食べるものなのだろうか。そう思いながら少女が器用にホットケーキを箸で挟み、かじるのを見てから俺もマネをした。

「そーそう、いつまでもおにいさんではアレね」

 ふと話題が振られ顔を上げて返す。

「まあ、そう呼ばれるのは慣れないですね」
「そう? 私のことはモカと気軽に呼んでくださいな。おにいさんのことはなんとお呼びすればいいかしら……先生、とか?」
「……」
「お嫌かしら?」
「いえ。相澤消太と……言います」

 すこし悩んで、先生というのも違うかと考え本名を答えると、彼女は首を傾けて口元に人差し指を持っていく。こういう仕草を見ると大人びて見えるのでこの年頃の女はすごいな、と感じた。恐らく18前後に見えるから。

「ええっと、それじゃあ……」

 彼女が言いかけたところで、玄関先から激しいノックの音と声が聞こえてきた。

「モカ! モカさーん! 腕ぇ壊れっちまった!」
「はいはーい! ちょっとごめんなさい」

 言葉を遮られたまま彼女は皿をテーブルに置いて立ち上がり、スタスタと玄関へ向かう。俺も様子を見に行くと玄関先に青年の影が見えた。和装の彼は袖をまくると義手を見せてモカさんに手当てを受けているようだ。

「大事にしてちょうだいよね。うちもずっと診てあげるなんてできないんだから」
「へーへえ。にしてもよ、モカもここ五年ですっかりご令嬢だなあ、女学校教育のたまものっていうか」
「ふふん。そーお? まあ、そのせいであたし、すっかり不良だコリだなんて呼ばれてるわよ」
「おっちゃんも喜んでんだろなあ。おれだって町でお前見ると化かされたように声もかけられねえよ」
「なんで隠し言葉が分かるのよ。あたしだって覚えたばっかなのに」
「おれなあ、最近女学生が来るカッフェーの近くで商売してんだ。だからモカより覚えも良いってもんよ!」
「まあそう。というか卒業も近いわけだし、今さら隠し言葉なんてどーでも良いわ。それと久助。お父さまのことも手伝ってるんでしょ。済んだならさっさと帰りなさいよ」
「げえ! サボりの言い訳があ〜〜」
「あはは。お急ぎなさいよ、ほら。駆け足!」

 追い出すように青年へジェスチャーで急かす。それから彼女は出て行った彼の足音が遠のくと、ひとつため息を吐きドアを閉めた。

「! ……ええっと、消太さん」

 戻ってきた彼女は俺に気が付くと一度肩を揺らして目を見開いた。どうやら名前で呼ぶことにしたようだ。

「すみません、盗み見るようになってしまって」
「いいえ。ええっと、食事。続けましょう?」

 ドアを支えてモカさんを先に通すと、彼女はあどけなく笑った。


「失礼ですが……もしかして一人暮らしですか?」

 食事を終えると、モカさんは明かりを点けて俺の足をもうすこしよく見たいのだと話した。
 ズボンの裾をまくった俺の足を、しばらく上げ下げしたり傾けたりして、恐らくここでは珍しい型の義足を観察する。その傍らであまりにも暇だったものだから質問を投げかけた。すると彼女はこくりと頷く。

「ええ。母はとっくにですけど……。父もすこし前に戦死しましたから。ここは私一人ですよ。それにしてもネジがずいぶん小さいわ。これじゃあうちの義足で代用ってのも難しそうね」

 少なくとも近年に戦争があった時代にいるというのが分かった。変わらず熱中して俺の足を見ている彼女の興味の方向は理解しがたく、また一人暮らしの理由は初対面で聞くにはあまりよくないものだろうから、俺はすこし言葉に詰まりながら返事をした。

「それは……失礼しました」

 するとなぜ謝るのと彼女は可笑しそうに肩を揺らした。

「消太さんだって片足に片目もお怪我されてるじゃないですか。今どき珍しくなんてないわ」

 それに、と言葉は続く。

「父は義肢の研究をしていたんです。戦争に参加するとなってありったけ上等な義肢を持って行ったの。こんな立派な家に失敗作ばっかりおいた上、帰っても来なかったけれど……私は誇りに思ってますし、むしろ父の話ができて嬉しいわ」

 そうして、父の遺産と遺言を守って暮らしているのだと彼女は言葉を締めた。

「そうですか……あなたも義肢の研究を?」
「いいえ。でもまあ、父ほどの腕はないけども、壊れたものを直すぐらいならできるわ。完璧に壊れてしまっては難しいけどね。ちょっと待っていてくださる?」

 立ち上がる彼女は俺にそう声をかけて部屋を出て行く。そして四本の義足を持って戻ってきた。

「こっちの二本は父の失敗作の改良版なの。残りは動きが悪くなったものを直したの。おにいさんの足と見比べてもよろしいかしら?」

 受け入れると彼女は研究者のようにルーペを使って俺の義足をこれでもかと観察する。
 一通り見終えたのか、今度は何も言わずに立ち上がってまた部屋を出た。
 そしてまた一本の義足を持って戻ってくる。俺の足を観察するその表情は真剣であったり、興味津々を表情に表したものだったり……コロコロと変わる。
 持ってきた一本の義足はところどころサビていたり新しい部品が付けられていたりするので、もしかしたら練習用ではないかと感じた。

「うーん。足首やら指はどーにもならないか。これはイチから作らないと……。消太さん、この足どちらの装具士に頼まれたの?」

 口が悪くなったり丁寧になったり、きっと前者が素なんだろう。しかし女学校に通っているとか、令嬢と呼ばれたところとかを聞くに恐らく、品のある言動に矯正しているんだろうと察する。

「……恐らく言っても分からないかと」

 考察しつつ適当に返す俺の言葉を聞くと、彼女は一度立って俺が座っているソファの隣に腰かけた。

「そう……さっきのゆーえいってところで作ったの?」
「まあ、その辺です」

 そこは言っても本当に分からないだろうという話なので誤魔化す。するとモカさんはまだ問いかけた。

「異国の技術かしらと思ったのだけど、それも違う?」
「俺もあまり詳しくないので」

 本心を隠さずに返すと彼女は肩を落としてため息を吐いた。

「ちぇ、つまらないの。まあ義肢をお持ちのご本人ってそう言う感じよね」

 それから、この仕草はクセだろうか。人差し指を口元にあてて問いかけてくる。

「そーだわ。帰るあてがないんでしたよね?」
「ああ、はい。まあおかげで足も良くなったので、この辺で出て行きます」

 彼女は俺の言葉を聞くと首を傾けた。

「帰るあてができたわけではないんでしょう?」
「それは……ないですが。これ以上はさすがに迷惑でしょう」

 感じた時代背景的に未婚の少女の元に長居は良くないだろうと思ってそう伝えると、彼女は面白そうに笑ってから凛々しい表情で俺に視線を向けた。

「そんなことないわ。父の遺言で困っている人には手をお貸しする主義ですし」
「そう、ですか……けど」

 俺がまた言い訳を探そうとしていると、彼女は肩をすくめる。

「私だってばかじゃないわ。消太さんがきっとどこか……想像もできないほどに遠い場所から来られたってことくらい、義足を見れば分かります」

 誤魔化していたところを痛く突く彼女は少し身を前に倒すと、俺の義足の付け根に触れてから自身の膝に頬杖をつき、まっすぐに瞳を向けて話した。

「そうね。けど確かに理由もなく貴方を置くことはできないわ。だから足を一日に一度、見せてくださいな。良い言い訳になりますから」

 ついに断る理由がなくなってしまい、俺は一度片目を覆ってから髪をかき上げ、お願いしますと軽く頭を下げた。