02

ピンポーン
大きな門の前でインターホンを鳴らして、両手で抱えたダンボールを持ち直しつつ待つ。
立派なお向かいさんの家から門までは距離があるのに「勝己出て!」なんて声がここまで聞こえてくる。
それに怒鳴るような声と、スパーンと大きないい音がして数秒後、玄関の扉が荒々しくあいた。


「こんばんは、かっちゃん」
「おう」


片手を振って挨拶をすれば、かっちゃんは短く返事をくれた。
おすそ分けです、と見せるように軽く持ち上げた段ボールを彼はひったくるように抱える。
そのまま踵を返し、玄関に向かって歩いていってしまう彼の後を追いながら、白菜だよ、と告げたが返事はなかった。
にこにこと出迎えてくれるような人ではないが、普段より機嫌が悪いというか、こんなことを言ったら怒られるかもしれないが、少しだけ元気がないようにみえた。
ずかずかと前を歩く彼の背中からでは表情は伺えない。
何かあれば話してくれるだろうし、何かあったとしても彼から話があるまではこちらからは詮索しないほうがいいだろう。
おじゃましまーすと慣れた手つきで靴を揃えてリビングに入ると、かっちゃんママが迎えてくれた。


「なまえちゃん久しぶり!お野菜、いつもありがとうねー!」
「いえいえ、うちだけだと消費しきれないんで助かります」


かっちゃんがドンっとテーブルに置いた段ボールの白菜を覗き込み、今日はお鍋するよ!とかっちゃんママが笑顔でわたしの頭を撫でる。
わたしの叔父夫婦が祖父母の畑を継いで農業をやっているため、たまに野菜を送ってくれるのだが、根菜ならともかく足が速い葉物は特にこうして、お向かいのかっちゃん家におすそ分けをしている。
幼い頃からの付き合いの為わたしを娘のように可愛がってくれるかっちゃんママは、わたしがおすそ分けにやってくると必ず夕飯を食べさせてくれた。
昔からずーっとそうやってきたから、今はもう何も違和感なく爆豪家に馴染んでご飯を食べる。


「一昨日なまえちゃんママから連絡あったから、お鍋にしようと思ってね!お肉買っといたよ!」


かっちゃんママがニカッと笑って、わたしもお肉に胸を踊らせた。


◇◇◇


食事を終えてお話ししながらゆっくりテーブルを片していたら、かっちゃんが部屋に行くとわたしに言った。
かっちゃんママが後はいいよと言ってくれたので、かっちゃんのあとを追う。
あんまり遅くまで女の子連れ込むんじゃないよ!って聞こえたけど、変な意味が含まれていないのはわたしもかっちゃんも理解している。

部屋に入るなりかっちゃんはベットに寝転んだので、わたしはかっちゃんのお腹あたりの位置(つまりベットの真ん中)に腰かけた。
部屋にきても特にすることはない。
彼は枕元にあった漫画を読み始めたので、わたしもその一個前の巻をみつけて読み始めた。

15分ぐらいそうして、読み終わって次を貰おうと彼に振り返ると、視線がばっちり絡んだ。


「あれ、読み終わってたの?」


そう問いながら彼の読んでいた漫画にちらっと視線を移し、再び彼の顔へと戻しても返事はなかった。
小さい頃宝石みたいだと思った赤い瞳は昔と変わらずに、ただまっすぐにわたしをみつめている。
体調悪いのかな、とも思ったけど夕飯はすごくいっぱい食べてたし、具合が悪いわけではなさそうだ。
とすれば、やっぱり何かあったのか、同じように横に寝転んで双眸のルビーをみつめると、深いその赤の中心に、滅多に見せない彼の弱気な部分をみた気がした。


「どうしたの?」
「……ンもねーよ」
「嘘ー?ちょっと寂しそうな目してたよ」
「するかボケ!」


あいたっ。からかうように笑ったら、デコピンがとんできた。
痛いなーって言いながらケラケラ笑うと、彼は少し複雑そうな顔をして、だけどすぐにハンッと鼻を鳴らした。
わたしに甘いこの彼の優しさを、少しでも出久にわけてあげられたらいいのに。
今日の放課後悔しそうにノートを握りしめていたもう一人の幼馴染を思い出しながら心の中で呟いて、彼のもやもやの一部に気がつかないふりをした。
滅多にみせないその表情を君がするときは、出久が関係している可能性が高いという事をわたしは知っている。
それに触れないように、彼の眉間を指先でなぞれば、嫌そうに舌打ちをして顔を逸らされた。
かっちゃんはわたしが出久に暴力を振るっていることを恐らく知らないし、これから先知る必要もない。
わたしとかっちゃんの間では、出久の話はタブーだ。
それがこうして彼の心に何かしらの不安を抱かせ、解消できなくしてしまってる事に申し訳なさを感じる一方で、どこか安心してしまってる自分がいた。
彼の瞳にはもう先程の弱さはなく、それ以上お互いに何も言うことはなかった。


続き、続きと読んでいったらすっかり遅くなってしまった。
道路を挟んだお向かいだから危ないことなんて何一つないのに、彼はわたしを門の前まで見送りに来てくれる。
しん、と静まり返った住宅街の空気は少しだけ肌寒かった。
そそくさと手を振って帰ろうとしたが、それを許さない彼の声でわたしの歩みはとまった。


「なまえは」


息を潜めるかのように小さな声は、他に音のないこの空間でははっきりと耳に入ってきた。
小一時間前、部屋で感じたような雰囲気を纏う彼に、どきりと心臓がはねる。
だけどそれすらも何でもないように、彼に気づかれないように「ん?」と返す。
そんなわたしを見て、彼は気まずそうに視線を斜め下にやった後、何かを諦めたかのようにわたしをルビーにおさめた。


「お前は、進路どうすンだよ」
「……あー、うん。ね?」


出久関連を少しだけ覚悟していたわたしは、思わず拍子抜けしてへらりと笑ってしまった。
部屋でも何か言いたそうにしてたのは本当にこのことだったのだろうか。
ふと湧く疑問から目を逸らすと、安堵からか「あはは」と自分でも情けない声が漏れた。
しかしかっちゃんはそれが気に食わなかったらしく、眉間に寄せていた皺を更に険しくして口を尖らせる。


「ンだよその返事は」
「いやぁ、予想外すぎて」
「ハア?」
「ごめんごめん、進路ね、進路」


宥めるように手を振って笑えば、彼は舌打ちを一つ零したけれどそれ以上攻めてくることはなかった。
しかしそうか、進路か。
まだ彼には伝えていなかったことを、わたしは緊張を飲み込んで口にする。


「雄英の、経営科に行こうと思う」


今度は彼が驚く番だった。
あんなに眉が寄せられて鋭かった瞳が大きく見開かれたが、しかしそれは一瞬で。
経営科、小さく転がすように復唱した彼の眉間はすぐにまた険しくなっていく。


「昔はヒーロー憧れてたんだけどさ、今は事務所とかプロデュースのほうに興味があるんだ」


半分。本当だけど、これが全てではない。
「だから科は違うけど同じだよ」と言いかっちゃんをみると、一瞬、少しだけ寂しそうな表情をしていたような気がして言葉が詰まる。
彼は何とも言い表し難い表情で、わたしの目をまっすぐみつめて言う。


「……経営科っつーことは、サイドキックにはなんねぇんだな」


サイドキック。
今度は完全に言葉が詰まった。
昔小さかった頃、遊びの中でした口約束をまさか彼が覚えているとは夢にも思わず、一瞬頭が追いつかずにぽかんと口を開けてしまった。


「あー、いや、うん、覚えていてくれたのは非常に嬉しいんだけど、流石にちょっと恥ずかしいかな……」


彼はどういう感情で口にしたんだろう。その言葉を覚えていてくれた君は、一体どんな心境なの?
先程から読めない表情をしているが、彼にとってあれは幼い頃の戯れではなかったのか。
少し恥ずかしくて、顔を隠すように手の甲を口元に寄せ視線を逸らす。
彼はそんなわたしをみて、きょとんとしたかと思うと、すぐにニヤニヤと口角をあげ楽しそうな顔をした。
わざわざ顔を覗き込んできて「ほー?」なんていう彼はほんとに意地が悪い。


「ちょ」
「その反応は結構マジだったなぁ、お前」
「ぐ、」
「で、経営科か、まぁ悪くねーんじゃね?」


そん時はてめーに預けてやるわ。

満足そうにそう言った彼の赤い両の目に捉われて、思わず呼吸を忘れた。
わたしの一番のヒーローは、昔から変わらず今もキラキラと輝いてみえる。
後ろめたさと心の中の陰りを彼にバレないようにしながら、わたしは笑みを返した。


「預けてもらえるなら」


彼が許してくれるのなら、彼の望みであるなら、わたしはできることをなんだってやろう。
隠し事はしてるけど嘘は言っていない。
それに薄々何かを感じとっているのに何も言わない彼は、本当にわたしに甘い。
その甘さは罪悪感からか、それとも。
日中の暖かい空気とは違う涼しげな夜風はたしかに春の匂いがした。わたしはまだ先のはずの冬を思い浮かべて、あっという間にすぎるんだろうな、と彼の視線を背中に感じながら、玄関の扉を閉めた。