episode.4






部屋の用意ができた、と処置室から移された部屋はイッカクとの相部屋だった。この船にイッカク以外の女子はいないらしい。同性がいてくれるだけで安心感が違う。
あれから2日が経ち、私は起き上がって歩けるまでになった。まだ完全に傷は塞がっていないので動きは慎重にならざるを得ないが、ベッドに寝たきりよりずっといい。他の船員との顔合わせをした覚えはなかったが、処置室に運び込まれ治療されていたことは周知のようだった。
イッカクが連れ出してくれた談話室では何人かの船員が自己紹介がてら話しかけてくれた。


「動けるようになってよかったよ」


「ベポ、本当にありがとう」


ローからベポというミンク族がいると聞いてはいたが、初対面で本人のあまりの白熊具合に驚いてしまった。私は自分以外のミンク族を見たことがない。母には父がミンク族だと聞いていたが、写真を持っていたわけでもなかったから、なんとなく自分と似た容姿だと勝手に思っていたのだ。実際は違うらしい。ベポは、お前はオレの子分だから、困ったらなんでも聞いてくれと得意げに笑う。
子分…まだ私の身の振りは保留のままだけど、そう言ってくれるのはなんだか嬉しかった。


「あの、ここは海の中なの?」


せっかくだから気になっていたことを聞いてみた。壁に嵌め込まれた窓の外は真っ暗で。最初は夜なのかと思っていたが、いつまで経っても明るくならないのを見て首を傾げた。
私の質問に答えてくれたのは、帽子を目深に被ったペンギンとサングラスをつけたシャチだ。


「そうだ、ポーラータング号は潜水艦なんだ。カッコいいだろう?」


「たまに海上にも上がるから、その時は甲板にも出られるぞ」


「そうなんだ」


話しながら2人の頭の帽子が可愛くてついじぃっとみてしまった。どこから居場所がバレるか分からないから顔を晒したくないし、私も帽子被ろうかなぁ。海の中という感覚に実感は湧かない。それなりに深いところにいるらしく、窓の外の真っ暗な暗闇を見ていると、そのまま吸い込まれてしまいそうで少し怖い。
ペンギンの話だともうすぐ一度海面に上がって、島へ食糧などの必要物資を調達に行くらしい。海の上に出るのが楽しみだ。なんとなくローは落ち着いていて神経質な印象を受けたけど、船のクルーは明るくて優しい。彼らに慕われているローにはまだ私の知らない顔があるのかもしれない。


◆◇◆


夜。イッカクの静かな寝息と、壁越しに他の部屋から聞こえる豪快ないびきの中で寝返りを打った。身体が回復してくるにつれどんどん眠れなくなっていた。何がというわけではないけれど、落ち着かない。根底にあるのは漠然とした不安感。目を瞑ると過去の光景が瞼に浮かぶのだ。暗い部屋、鎖の音、ベッド。迫る葉巻の火。理不尽な暴力。夢だとわかっていても、身体が金縛りのように動かなくなって、逃げられない。そんな夢を見ては飛び起きるを繰り返している。昨日は叫び声をあげて飛び起きたせいで、寝ていたイッカクを起こしてしまった。身体はまだ全快ではないのだし、疲れれば勝手に寝るだろうと思っていたが、一向に訪れる気配のない眠気にそっと部屋を抜け出した。


人気のない通路を歩く。寝静まった時間ゆえに通路に灯りはなく、手に持ったランプが頼りだ。夜目の効く私でも、通路の先は暗くて見通せない。それが余計に不安感を煽った。出てきたのは失敗だったのかもしれない。操舵室に行けば誰かしら見張りの船員が起きているのだろうが、まだ全員と顔見知りでない上に、正式な船員でもない私が夜中に出歩いていたらきっといい顔はされない。戻ろうと踵を返した瞬間、唐突に足がすくんだ。目の前のがらんとした暗がりが、夢の中に似ていた。ヒュッと喉が鳴る。違う、ここはもう安全な場所。わかってる、ここは違う。言い聞かせてもすくんだ足は踏み出せないどころか、力が抜けて床にへたり込んだ。ランプが手から滑り落ち、衝撃で灯りがかき消える。自分を落ち着かせようと呼吸を繰り返すが、溺れているかのように上手く息が吸えない。苦しさに体を縮こませらせて、胸元を握りしめた手が急速に温度を失っていく。


「おい、そこでなにしてる」


低い声がした。ランプの灯りとともに誰かが近づいてくる気配がして、チカチカする視界でなんとか顔を上げると、暗闇を背にローが立っていた。事情を伝えたかったがはくはくと口が動くだけで声がでない。頭の上からチッと舌打ちが聞こえた思ったら、突然身体が浮いた。咄嗟になにが起きたかわからなかったが、抱えられているのだと自覚して目を閉じる。かすかに消毒液の匂いが鼻を掠めた。
連れていかれたのはどこかの部屋で、ベッドに降ろされる。ほの明るい室内にホッと体の力が抜けた。雑にかけられた毛布からも消毒液のような匂いがする。これはローの匂いなのかもしれない。いくらか息も整ってきたが、依然として頭は重い。びっしょりとかいた冷や汗が不快だった。ローは何も言わずに出て行ったかと思うと、戻ってきた時にはマグカップを二つ持っていた。ふわりと香るのはいくつかのハーブの匂い。少しぬるめに入れられたお茶を両手で受け取る。じんわりとした温かさが指に伝わった。ゆっくり飲むと、胃にも温かさが沁み渡る感覚がした。少し余裕が出てきて部屋の中を見回す。自分のいるベッドの脇に机があって、読みかけの本がランプに照らされていた。壁に並んだ本棚には難しそうな本がぎっしり収まっている。机とベッドと本棚、それと大きな扉のクローゼット。船長の部屋にしては簡素な気がした。と言っても船長の部屋というイメージがそもそも湧かなかったのだけど。


「ここは、ローの部屋?」


「なんであんなところにいた」


「…眠れなくて」


私の問いには答えはないまま、ローから質問が飛んできた。ロー相手に下手な誤魔化しは通用しないだろうと、正直に話をする。具体的な内容は伏せて、悪い夢を見るとだけ。


「答えたくなければそれでもいいが、その夢はお前の傷に関連してるのか」


「…う、ん」


「気の滅入りそうな夢だな」


「滅入るどころじゃない…」


つい夢に関連したことを思い出し、途端に息苦しくなって、深呼吸を繰り返す。ローが私の背中に手を当てたかと思うと


「馬鹿が。過呼吸は吸いすぎてなるんだ、息を吐け」


と言われた。余計に苦しくなるんじゃないかと危惧しながらも、言われた通りに細く、長くゆっくりと吐く方に集中して呼吸をする。数回繰り返していると本当に楽になってきた。


「ローお医者さんみたい」


「俺は医者だ」


目の前の医者に命を救われて置きながら、今更それを実感した。ローは頑なに私の恩人はベポだと言うけれど、きっかけがベポなのであって、実際治療を施してくれたのは他でもないローだ。


「お前の場合は、原因から離れて養生する他に方法はない。暗闇が起因するなら灯りをつけたまま寝るでもいい」


「でもそれじゃぁイッカクが寝辛いよ」


「……チッ」


暗闇が原因と思ったことは今までなかったが、思い返せば悪夢の始まりはいつも暗い部屋だった。医者の立場からされた助言は、そのまま現状でやるには少し難しい。消灯という時間は決まっていないが、イッカクは美容と健康のためにも夜更かしはしない主義だ。それに隣のベッドがいつまでも煌々としてたら眠れないだろう。


「ねぇ、ローはいつもこの時間起きてるの?」


「夜はどうしても警戒が薄くなるからな。普段から2、3時間の仮眠を分けて取るようにしてる。ペンギンにはそれでよく怒られるが」


「じゃあ、邪魔しないからもう少しだけここにいてもいい?」


「あ?」


「ローがもう少し起きてるなら、私もここにいさせて。部屋の隅でいいから」


私の申し出にしばらく黙るロー。何か考えを巡らせていたようだが、最後には勝手にしろと言ってくれた。ありがとうと言ってベッドから降りる。別にいていいと言われたが、ローが眠たくなったらすぐに寝られる方がいい。代わりに投げてよこされたのは毛布で、ありがたくそれに包まって顔を埋めた。ローの匂いは何故かとても安心する。再び机に向かい本を読み始めたローの背中を見つめる。机には羽ペンと、紙の束の他に、時計が置いてあった。ローの部屋には時計があるんだなぁ。海賊は自由だから、時間を気にしないのかと思った。現にイッカクの部屋には時計はない。けれど考えてみればローは医者なのだし、治療のタイミング次第では時間を気にすることもあるのかもしれない。それにこの船は潜水艦だから朝夕が分からなくならないように置いているのかも。カチカチとリズム良くなる音を聞きながら、温かいランプの光を見ていたらくぁとあくびが出た。

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