病のような
ホテルマンに手を引かれて歩くのは正直悪目立ちだ。急足で前を行く猿飛先輩に慣れないヒールでなんとかついていく。
「猿飛先輩、ちょ、待ってください。手、離して…!」
本当に転びそうで切羽詰まった声が出た。猿飛先輩はようやく足を止めてくれたが手は離してくれない。随分奥まったところに来た。廊下に並ぶのは男女のトイレと、パウダールーム、喫煙ルーム。その先は従業員専用口だ。どこもかしこも磨き上げられて綺麗だけど、賑やかロビーに比べて人気はない。
こちらを振り返った猿飛先輩はじっと私を見つめる。改めて上から下まで観察されると居心地が悪い。学校ではすっぴんだし、こんな気合の入った格好したことないし、今更だけどこんなに肩を露出したこともない。人生で初めてヌーブラをつけた。もうちょっというとそれによって普段より若干胸が盛れている。
そんな裏事情を思い出していると、不意に露出した方の肩に手が触れた。
「な、なんですか」
素肌を触られる感覚に慣れなくて、挙動不審になる。なんとなく政宗先輩が終始腰に腕を回していたのは、素肌に触れないための配慮だったのか?と思ったりした。いや腰もなかなか慣れなかったけど。
「今何考えた?」
「へ?」
顎を掬われじっ、と目の奥を覗き込むように無理矢理視線を合わせられた。必然的に距離が近くなる。少しでも動いたら鼻先が触れそうで、体に自然と力が入った。
「…アキちゃんのこと大事にしたいのに、時折無性に酷いことしたくなる」
「…っ、」
何言ってるんですか、と言い返そうとして言葉を飲み込んだ。こちらを見る目が、雰囲気が、味わったことのない熱を孕んでいる。食べられてしまいそう。まるで肉食獣を前にしたときのような、自分が餌として認識されているような。直感的にそう思って震えた。
私が心底怯えた顔をしたのだろう、猿飛先輩は我に返ったようにハッとして、誤魔化すように笑った。
「…無防備な格好してるからつい意地悪言っちゃった。俺様着替えくるから、アキちゃんもパウダールームで着替えておいで。多分俺様のが早いと思うけど、もし先に着替え終わったらまたここで待ってて?」
「…はい」
着替えの荷物を手渡されて受け取る。ちゃっかり着替え以外の荷物は返してくれないところに勝手に帰るなよという言外の圧力を感じた。パウダールームに他の利用客はおらず、ようやく一人になると、思わずその場にしゃがみ込んだ。
なにあれ、なに、あの顔。見たことない、わかんない。なのに一瞬雰囲気に呑まれそうだった。両手で顔を覆う。化粧してるけどかまってられない。つくづくなんで思い出せないのだろう。あんなに執着されてるって絶対におかしい。なに、いつかの私、猿飛先輩に何したの?
意味がわからないのに拒絶できない自分がもっとわからない。
答えの見つからない問いにひとしきり頭を悩ませ、よろよろと、立ち上がる。
疲労感が強くて着替えるのが面倒だけど、先輩が戻ってきて私が着替えていなかったら、本気で全部脱がされかねない。イヤリングとネックレスを外して傷がつかないように慎重にしまい、四苦八苦しながら背中のファスナーをおろし、着替えを進めた。
▼▼
右目の旦那にバイトを頼まれるのは珍しいことじゃない。日雇いで色んなバイトをしているから、ホテルスタッフの仕事だって大体立ち回りはわかる。俺はバイトでお金を貯めたい。旦那は人手が足りない時に動けるやつが欲しい。Win-Winだ。
相変わらず独眼竜の会社はやることが派手だな、と準備の段階からそんな程度の感想だった。前世ではそれぞれ一城の城主だった奴らも、この世では皆、出自も年齢もバラバラ。そんな中で独眼竜がボンボンなのはなんか似合ってて面白い。前世の関わりがなければ絶対につるんでないような立場だと、パーティが始まってみて余計に思う。どこもかしこも金持ちで育ちの良さそうなやつしかいないな、と参加者を横目に淡々と自分の仕事をこなしていった。
裏方や配膳でバタバタしているうちにパーティは終盤に差し掛かり、ぼちぼち片付けの準備に取りかかろうとして、目の端に今日初めてみる独眼竜を捉えた。相変わらずスーツを着るとボンボンらしさが際立つな、と思った次の瞬間、隣にいる人物と目があった。
「アキちゃん…?」
「猿飛先輩?」
間違いなく声の主は彼女だったが、前世今世合わせて今まで見たことのない装いに、目を奪われた。ざっくり肩から胸元が露出したワンピースに、キラキラしたアクセサリー。顔は大人っぽいメイクが施されて、前世の顔を彷彿とさせた。腰に回った独眼竜の腕に目を細める。
長曾我部が、独眼竜が、毛利が、それぞれ過去の彼女と面識があったのは知ってるが、どんなやりとりがあったのかまでは知らない。
けれど今世の彼らは彼女に対して不思議な距離感を保っている。友愛なのかはたまた家族愛のようなものなのか、長曾我部も独眼竜もよく分からない。その均衡はちょっと傾いたらまるで恋慕のように見える。己と彼女の関係を知っていながら、記憶がないことをいいことに新たな関係値を築こうとしているようで気が気じゃない。アドバンテージなんて、あってないようなものなのだ。
当の本人が一番戸惑っているのは分かっている。でもあまりの無防備さに、いっそ無理矢理自分のものにしてしまえたらと物騒なことが過ぎる。何も知らないまま、強引に体に教え込んでしまえば。囲って閉じ込めて、依存させてしまおうかなんて。もう二度としないでと、言われたことですら自制が効かなくなりそうだ。
虚になりかけた思考に、我にかえる。更衣室の鏡に映った自分は、随分と据わった目をしていた。彼女が怯えたのはこのせいか、と頭を振る。
「はは、俺様ってば、本当に余裕ないな…」
やっと。やっと同じ世界で出逢ったのに、離れるなんて考えられない。この感情が、醜い執着だとしても、過去への妄執だとしても。例え彼女がこの先一生思い出さなかったとしても。絶対に手放すことはできない。
でも、拒絶されたら本末転倒だ。優しく、ゆっくりと。はやく彼女がこの腕の中に堕ちてきますように。
祈るような思いで更衣室のドアを閉めた。