雨傘の下





無事にテストを乗り切って6月。朝から薄曇りだった空は放課後には雨模様に変わっていた。こんな時のために下駄箱の傘立てに置いていたはずのビニール傘はすでに誰かにパクられた後だった。
やるせない気持ちになりながら下駄箱で小雨になるのを待っていると、どこからともなく猿飛先輩と幸村くんが現れた。


「アキ殿、今帰りでござるか?」


「うん、傘パクられちゃったから、もうちょっと雨宿りしていくけど」


「なに、盗られたと!?それは許し難い」


「じゃあ俺様が送ってあげるよ」


名案とばかりにそう言った先輩の手には深緑の傘が握られていた。


「いや、いいですそんな、もう少し小雨になったら走って帰るので」


「ダメだよ、女の子が体冷やしたら」


先輩は時々こうしてお母さんのような小言を言うことがある。普段は主に幸村くんに向けられてるのだが、ちょっとしたきっかけで私に向くこともある。
寝不足だとすぐに気づかれるし、ちゃんと食べてるかとかも聞かれる。幸村くんには、制服の襟が曲がってるだとか、大声出さないのとか、子供にする注意みたいなことも言う。
もともと気質が世話焼き体質の苦労人なのかもと、最近では思い始めている。


「わざわざ送ってもらうのは悪いですし!あ、それにバイトは?今日はないんですか?」


「バイトはないし、アキちゃんが濡れて帰るのは見過ごせないから」


猿飛先輩に世話焼きモードのスイッチが入ったことを悟る。こうなってしまうと私の必死の遠慮も意味をなさない。助けを求めるように幸村くんを見れば、彼は赤い傘を開きながらそれがいいでござる!と満面の笑みで頷かれた。



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男物の傘とはいえ、二人で入るには狭く、ぴたりと肩を寄せ合いながら歩く。顔は前を向いているけど、距離としてはかなり近い。時折、とんっと触れて離れる肩に落ち着かない気持ちになった。


「遠回りさせちゃって、ごめんなさい」


「全然!アキちゃんと一緒にいられるならむしろご褒美だから」


本当に口が達者だなぁと、感心する。幸村くんと共にお世話になっているという下宿先の道場は、学校からほど近いと言っていた。私の家は多分だけど道場とは逆方面だ。中学も違ったし、きっとそれなりに離れているのだろう。


「休みの日は何してるの?」


「家で漫画読んでます。あと犬の散歩」


「犬?犬ってどんな犬?」


「白い雑種で、名前はいなりです」


「…それほんとに犬?」


「犬ですよ。とっても賢くて、たまに言葉がわかるんじゃないかって思うくらい」


「なんでいなりって名前にしたの?」


「えー、なんでだったかなぁ、私が物心ついた頃にはうちにいたので、誰が名前をつけたのか。母かなぁ、多分スピッツの血が入ってるのかちょっと見た目が狐っぽいんですよね。それでじゃないですか?」


「そっか」


時間にすれば20分ほどの道を猿飛先輩と会話しながら歩いて行く。主に猿飛先輩が私に質問をして、それに答えて行く感じだ。


「猿飛先輩は休みの日何してるんですか?」


「バイトか、下宿先の家事だね」


「働き者ですね、遊びに行ったりしないんですか?」


「あんまり興味ないんだよねぇ、バイトも家事も割と好きだし。あ、でもアキちゃんと出掛けるなら別!俺様いつでも予定合わせるから!」


急にこちらを向くと距離の近さにびっくりするからやめてほしい。休みの日に遊びに行こうという誘いを受け流していると、家が見えた。


「あ、うちに着きました」


「残念、もっと話していたかったのに」


ちぇ、と拗ねたように肩をすくめる猿飛先輩の右肩が濡れていてギョッとする。私は全く濡れていないから、多分先輩がとても気を遣ってくれていたんだろう。


「先輩!肩めちゃめちゃ濡れてるじゃないですか!タオル貸すのでうち寄ってってください」


「このくらい平気だよ。急に来たらお家の人もびっくりするでしょ」


いつもの押しの強さはどこへ行ったのかというくらい、遠慮する猿飛先輩。そういう迷惑はちゃんと考えるのに、どうして私に対してはあんなにグイグイくるんだろう。


「この時間ならまだ誰も帰ってきてないので大丈夫ですよ」


「…なら余計にダメ」


家族に気を遣っているのかと、そう言ってみたら先輩の声色が少し変わった。でも初夏とはいえ雨は冷たいし、冷えて風邪ひかせたら申し訳ないし。


「風邪ひく方がダメですよ」


とりあえず玄関でタオルで拭くだけでも、と思って食い下がると、猿飛先輩がじっとこちらを見つめた。その視線の強さに面食らう。


「絶対ダメ。人目のないところでアキちゃんと二人きりになったら俺様何するかわかんないし」


真顔でそういう猿飛先輩の目は冗談には見えなかった。そう言えば理由はわからないがこの人から猛烈なアプローチを受けていたことを今更思い出す。とりあえずお友達から、と押しに負けて了承して以降は、本当に友達の一人のような感覚だったけれど。
最初から猿飛先輩のスタンスは変わってない。
言葉の意味を理解すると同時に、思考が停止する。


「あはー、なんてね、冗談だよ。本当に大丈夫だから俺様のことは気にしないで。またね」


咄嗟に反応ができなかった私を見かねて、空気を変えるように猿飛先輩は冗談ということにしてくれた。矢継ぎ早にそう言って、去って行こうとする。
何か言わなくちゃ。咄嗟に背を向けた先輩のシャツを掴んだ。


「あ、あの、送ってくれてありがとうございました。帰り、風邪ひかないように、気をつけてくださいね。…また、学校で」


「うん、ありがとう、じゃあね」


傘をさして去っていく後ろ姿を見送りながら、これでよかったんだろうかと、後悔の念がじわりと胸に広がった。



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