淡く想う







※黒尾視点


「うーん、意外とこの状況はクるなぁ」


目の前にはぐっすりと寝こけている芳乃。いつもよりあどけない寝顔に、寝返りを打ったせいで若干乱れた胸元が視界にちらつく。一人暮らしと言っていたくらいだし、今ここには俺しかいないし、誰かに邪魔されることもない。


まさに不眠不休で働いていたらしい芳乃は、学祭まで残り一週間というところでついにぶっ倒れた。再三忠告したにも関わらず大丈夫大丈夫とかわされて、挙句に倒れたもんだからさすがにちょっと怒っていいと思う。心配くらいさせろ。

なおも残ると頑なな芳乃を無理やり連れ帰ったまでは良かった。親に引き渡して戻ろうかと思った矢先にまさかの一人暮らしという事実が発覚したのだ。ていうか、高校生で女が一人暮らしってちょっと不用心なんじゃねーのか。いくらしっかりしてるって言ったって心配するだろ普通。本人は何でもないことのように話してはいるが、理由を聞いていいのか悩んだ挙句、結局聞けなかった。

芳乃が寝たのを見届けてふと部屋をみる。ベージュのカーテンととこげ茶色の色味で揃った家具。ベッドは薄いピンクで、小物は少ない。一緒に出かけた時の服装といい、全体的に落ち着いてる印象を受けた。もっと言えば生活感や個性に欠ける部屋だ。なんとなく、ここに芳乃の特別好きなものは何も置いてないように思えた。ふと端に洗濯物が吊るしてあるのが目に入る。芳乃からしてみれば寝室にまで俺を入れる気はなかったのだろう。ふつーに下着が干してあって、しかも妙に大人っぽくて、こんなんつけてんだ、と想像するあたり自分の思春期が恨めしい。誰も見ていないのにひとり気まずくなって、視線を逸らした。


普段が大人びている分、眠っていると年相応で新鮮だ。こんな至近距離で顔を見つめる機会などそうない。量の多い睫毛に、柔らかそうな頬。そうっと手を伸ばしてみる。指先が頬に触れ、そのまま顎の線をたどって首筋をなぞる。起きないのをいいことに唇に手を伸ばした。ふにっと柔らかな感触に感動したその時。


「んん、…」


擽ったそうにこぼれた声に、今更ながらこの状況の危うさに気付いた。好きな女が無防備に寝ていて、部屋には俺1人。この上ない据え膳だけど、ここでやらかしたらきっと俺に未来はない。試されてんのか、これ。なんだ、どうしたらいいんだ。研磨のゲームでいうならここで一旦セーブしたいくらいだ。そしたら、好き勝手やってゲームオーバーになってもまたやり直せるのに。

AVとか、雑誌とか。そりゃこの歳になればお世話にならないわけがない。彼女もいたことはあるけど、正直性に目覚めた頃の付き合いは完全に性欲と好奇心に忠実だったと言わざるを得ない。そこそこモテる自覚はあるし、告白されて付き合って、俺があまりにも部活ばっかりするもんだから長続きせずフラれる。そんなことがままあって、面倒くさくなって避けていた。

寝返りを打ってなおも安らかに寝いる芳乃を見て思う。可愛い、好きだ。
厄介な思春期に振り回されつつも、この欲が今までとは違う感情だということにはとっくに気づいていた。
珍しく相手に嫌われたくないと思っているのだ。今の関係性も気に入っているからこそ、あわよくば抱きたいと心の底から思いながら、芳乃が離れていくくらいならとその思いを押し殺している。これが本気の恋だというなら、なんて厄介なものだろう。


「芳乃、」


呼び掛けてみても返事は勿論返ってこない。聞こえてなくていい、どうかこのまま眠っていてくれ。俺の気持ちを知られたらと思うと、反応が怖い。そんな対象じゃないと笑われるんだろうか。困らせるんだろうか。喜んで受け入れてくれる様子が想像できないのは、芳乃がまだ俺にすべてを打ち明けていないのを知っているから。転校してきてから何かとつるんで、クラスの中じゃ一番芳乃と仲がいいはずだ。…たぶん、そう、たぶん。
人のことにはよく気づくし、他愛ない話はいくらでもするのに未だにパーソナルな部分が曖昧で。ちょっかいをかけるのはいつも俺から。反応を見る限り拒否られてはいないんだろうけど、手放しで歓迎もされてないような、そんな距離感。ここまでっていう見えない線からその先に踏み込めない。


「…好きだ」


誰にも言えない気持ちを吐露して、起きるなと祈るような思いで唇を塞ぐ。俺はいつからこんな女々しい変態になったんだ。寝込みを襲うなんて、最低なことまでして。
唇で触れてもやっぱり柔らかくて、そのまま先に進みたくなる。触って、抱き締めて、キスをして…そんで、、。


ー♪、ー♪


「…うぉっ!?」


ムラっとした直後にスマホが鳴って情けないくらいビクついてしまった。慌てて取り出して通知を切る。恐る恐る芳乃の反応を見るも、変わらず寝息を立てている。よかった、起こしてない。…俺今すげーダサいな。邪な考えを断罪するかのように、画面に次々とメッセージが浮かぶ。クラスのヤツらからだ。気づけば1時間くらい経ってる、そろそろ戻らないとやばい。芳乃にああ言った以上、そのあいだ何も進んでませんでしたじゃ済まない。勿論、芳乃の采配が上手いのは本当で、お陰様でこのままいけば前日には準備は終わる。うちのクラスは部活の出し物と並行してるやつが多くて、クラスの方に注力できるやつが少なかった筈だ。他のクラスでは喧嘩が勃発しまくったと聞くが、うちのクラスがいたって和気藹々と進んでいったのはその辺の稼働を芳乃が背負ってくれていたからだろうか。本当に不思議なやつだ。


素早く戸締りして、鍵をドアポストに投げ込む。学校への道を歩きながら、自分の唇に触れてみる。まだ芳乃の唇の感触が残っているような気がした。起きているあいつにキスをしたらどんな顔をするんだろう。照れている顔でさえ貴重なのだ。あまつさえ欲情してる顔なんて見れた日には…



……やばい、このまま帰れねぇ。

ちょっと寄り道して頭冷やそう。ついでにクラスのヤツらへの差入れを考えながら、コンビニに足を向けた。

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