静かな攻防
部屋に戻っても橋田はいなかった。部屋にいた清水さんと谷地さんに聞いてみたが、見ていないという。いったいどこへ行ったんだろう。
どこかの自主練組に混ざっているのかなと練習できそうな場所をハシゴしてみたけど、結局橋田を見つけることはできなかった。消灯間際になって部屋に戻ってきた橋田にやっと声をかける。
「橋田さん、どこ行ってたの?」
「先輩に関係あります?」
「ちょっと話したいことがあったから探してたんだけど」
「夕食後は自由時間ですよね」
「…わかった、じゃあ明日のどこかで時間をちょうだい」
「暇があれば」
ピリついた空気に何故か谷地さんが泣きそうだった。本当にごめんね。こんなの部屋の外でやれって話だよね。にしても橋田はなかなか図太い神経の持ち主だ。ふと職場の後輩を思い出した。確かに仕事の時間以外で仕事の話は萎えるのはわかる。もしこれが指導という名の注意なら業務時間内にしろというのも至極真っ当な意見だ。…もやもやはするけど。消灯まで時間もないしこれ以上この場での話は無意味だと切り上げて、布団に入った。
それとこれとは別として、朝方になぜか私の分のタオルケットを巻き込んで持っていった橋田は許さない。朝方肌寒くて起きたんだからな、風邪引いたらどうするんだ。
◆◇◆
二日目の朝。朝食の準備のため食堂に向かう。部屋からめちゃくちゃ急かしたので、機嫌は最悪だがかろうじて橋田もいた。
朝食の席で隣に座った黒尾から、橋田と話はできたか?と聞かれたので、探したけど会えなかったと伝えた。周りに聞こえないように声量に配慮していたが、反対隣の夜久には聞こえていたらしく、橋田なら山本たちと部屋でトランプしてたぞとコソッと報告をもらった。
なるほど、まさか男子部屋にいるとは盲点…思い付いたとしても自分から訪ねない場所だ。やれやれとため息をついて、練習が始まる前に橋田をちょっと借りたいと黒尾に申し出ておいた。
黒尾に許可をもらってるという権限を振り翳してようやく橋田を呼び出した。
「なんなんですか、私忙しいんですけど」
「手短に済ませるよ。昨日夕飯の準備遅刻してきたことと、今朝も自分の準備に必死で遅れかけたことと。あとは昨日の練習中の行動を見てて、私は正直橋田さんが他校のマネージャーと比べて意識が低いなって思うんだけど。自分ではどう思ってるの?」
「絵梨花は自分なりに精一杯やってます。みんなも一生懸命やってて偉いなって言ってくれるし」
「みんな?そのみんなにコーチや黒尾は入ってる?」
「…っ先輩こそ、黒尾先輩の友達だからって無理矢理合宿参加して図々しいと思わないんですか?」
図々しいという言葉に、傍目にはそう見えるのか、そうだよなぁと妙に納得する自分がいた。黙った私に優勢だと思ったのか、橋田の口角があがる。
「うーん、仮にそうだとして。その飛び入りの素人から意識低いとか思われてることに危機感は感じないの?」
思わず口をついて出た言葉に、橋田の顔が鬼のような形相に変わる。やば、地雷踏んだかも。でもまぁ間違ったことは言ってないぞ、私は。ブチ切れる?手が出る?それとも泣く?どう出るかと様子を伺う。
「この…っ」
「おーい、練習試合始まるぞ。早く戻ってこい」
「夜久」
「はーい、すぐ行きまーす!」
夜久の絶妙なタイミングでの登場に、橋田は即座に表情を作り替えた。女優ばりの切り替えの速さに驚く。声のトーンも上がって、さっきの逆上はどこへやら、普段の橋田のテンションに違和感なく戻っている。私が見たのは幻だったのかな。
先に背を向けて歩いていく夜久を追いかけた橋田は、一瞬だけこちらを振り返る。その目は欠片も笑ってない。口パクで何かを言っていたけど、聞き取れるはずもない。
「…女の子って怖いなぁ」
人知れず漏れた呟きは、遠くから聞こえる試合開始の挨拶の声にかき消された。くしゅんとひとつくしゃみが出る。ろくな噂をされてる気がしない。今日も夏日なはずだけど、体育館の裏庭は少し肌寒いような気がした。