逆転
「わ、私見ました…っ、橋田さんが三池先輩の鞄触ってるとこ」
成り行きを見守っていたギャラリーの中から、谷地さんが声を上げた。しん、と嫌な沈黙が落ちる。泣きまねをしていたはずの橋田の顔が歪む。まさか谷地さんがここでそんな発言するなんて。まさにそう言いたげな顔だった。私だってびっくりだ。
「それっていつの話?」
「あ、朝ご飯の準備の時です。橋田さんが準備に来なくて、私呼びに行って…その時は何してるのか、わからなかったけど。…それに、練習前に最後に部屋を出たのは私と清水先輩で、部屋の鍵をかけて先生に預けたのも私です」
穏やかに促した黒尾に、緊張に震えながらもしっかりと話をしてくれる谷地さん。隣で清水さんも頷く。思わぬところからの援護射撃に二人を抱きしめたい衝動に駆られた。
「そんな…」
「ほんとに絵梨花が?」
全く関係のない他校のマネージャーがわざわざ嘘をつくとは流石に思わなかったらしい。山本とリエーフが信じられないという顔で橋田を見る。夜久や海はというと、意外にも驚いた顔はしていない。なんとなく自作自演に気づいていたということか。さて、意図せず吊し上げみたいな空気になりそうなんだけど。橋田自身はどう出るのだろう。ここは無難に泣いて謝った方が丸く収まりそうな気もするけど。つい出来心でーとか言っとけば、許してくれそう。みんな優しいし。
けれど、予想に反して橋田はまさかの逆ギレという行動に出た。
「絵梨花は…絵梨花は悪くないよ、だって、みんなして三池先輩ばっかり優しくして。先輩は絵梨花のことが嫌いで、絵梨花虐められてるのに、信じてくれないなんて酷いよぅ」
痛そうに右手首をさすり涙を流す橋田は一見庇護欲を誘うが、実際本当に痛めているのかもあやしい。だって髪巻く時普通に右手でコテ巻いてたじゃん。今日も完璧なゆるふわ具合だよ?
イライラが溜まっていく。こんなことで彼らの貴重な練習時間を奪いたくない。橋田のせいで練習内容まで変えさせて。なおも食い下がろうとする橋田は、何を思ったのか近くにいたリエーフの腕にしがみつくと、きっと私を睨みつけた。
「どうせ男目当ての癖にっ!私たちの邪魔しないでよ!」
あんたがそれをいうのか。今まで言おうと思って飲み込んできた言葉をあろうことか私が言われる側になるなんて。自分の中でぶちりと何かが切れた音がした気がした。黒尾の静止を振り切って橋田に近づくと、そのまま胸ぐらを掴む。私の剣幕と行動にリエーフがビビって距離をとった。
「いい加減にしろよクソガキ…本気で振り向いて欲しいなら、まずは本気で仕事してみろって言ってんの。今のあんたの行動は部活やってるあいつらにとって邪魔なの。わかる?みんな一生懸命やってんだよ。勝ちたくて、上手くなりたくて必死だからここに来てんの。
それなのに、わざわざ他校もいる前でくそ面倒なこと繰り広げやがって。なんなの?馬鹿なの?恋愛ごっこがやりたいなら他でやれ。あんたが誰と恋愛しようが正直どうでもいいけどね、あんたの幼稚な行動で、頑張ってる人の足引っ張るようなことになったら絶対に許さないからな」
熱で頭が沸いてるせいか、理性が働かず冷静さも失って。感情そのままに暴言を吐いた。頭は痛いし、一息にいったせいで息も苦しい。掴んでいた手をぱっと離すと橋田はだって、だってと泣きながら、女子トイレの方に駆けて行った。バレー部の面々はというと、びっくりしたように目を見開いて固まってる。いつの間にいたのか月島くんが小声で口悪…と呟いたのが聞こえた。やっちゃった。絶対ドン引きされてる、消えたい。後悔するのと同時に、限界を超えたのかがくんと膝の力が抜けた。身体が前のめりに倒れていく。あ、やば。
地面と衝突すると思って目を瞑った直後、ぐい、と腕を引っ張られたお陰で予想していた衝撃は来なかった。ずるずると床に座り込む。寄ってきた夜久が私の顔色を見ておでこに手を当てた。
「おい、芳乃大丈夫か!?お前凄い熱だぞ」
腕を引いたのは黒尾だったらしい。そのまま体を抱えられて、足が宙に浮いた。
「おろして、…歩ける」
「無理すんな、あとは任せて寝ろ」
「うぅ…ごめ…ありがと」
ぐわんぐわんと視界が回って気持ち悪いし、ぜぇぜぇと熱い息が耳にうるさい。こんな投げ出し方一番困るでしょ、と思うもののこの事態に収集をつけるまで頑張れる気力もなかった。もう疲れたし寝たい。
「ありがとうはこっちのセリフだよ」
半ば気絶するように意識を手放す間際、穏やかな声が聞こえた。
##
穏便にしたかったのに結局バレー部を巻き込んでしまってほんとに申し訳ない。あのあとの私はと言うと、熱のせいで個室に隔離され、薬を飲んでまさかの翌日の朝まで寝続けた。寝たら驚くほどすっかり回復して。その日の練習から手伝いに復帰した。思うにストレスと知恵熱だったっぽい。枕元には、山のような差し入れがあって。部屋から出た直後には、山本とリエーフに土下座をされた。潔すぎて怒るよりも先にちょっと笑ってしまった。
私が寝ている間、橋田はというと、あのあと女子トイレにニ時間こもって泣き腫らし、その後黒尾の部屋に謝りに来たらしい。そのままフェードアウトするかと思ったけど、少しは根性あるみたい。バレー部の個人に執着してるのか、バレー部に執着してるのか知らないが、今から必死で頑張ればいいマネージャーになれる余地はあるかも知れない。彼女はまだ一年生だし。黒尾がチャンスをあげるかは別としてだけど。そこまでは口出せないしなぁ。