雨に降られる







諸々あった夏休みが明け。学校帰りに買い出しをして、そのまま夕食の準備をしていた。先程から土砂降りの雨が降り出して外は暗い。不意にピンポーンとインターフォンが鳴った。あれ、今日宅配の予定なんてないよなぁ。訝しがりながらもドアスコープを見ると見慣れた顔が立っている。どうしてここにいるんだ…?無視するわけにも行かず仕方なくドアを開けた。


「来ちゃった」


語尾にハートマークが見えた気がして、開いたドアを速攻で閉めようとした。が、そこは流石の運動神経、素早くドアの隙間に身体を滑り込ませて阻んでくる。さながらやり手の訪問販売員のようだ。


「新聞なら読まないので、どうぞお引き取りください」


「ごめんて!急に降られたから、傘かしてくれ!!!」


なおもドアを閉めようとする私に、焦りながら黒尾はそう言った。よくよく見ればいつものクリエイティブな髪型が萎れている。というかびっしょびしょなのだ。え、なに、どうしたのこれ。
聞けば学校を出た直後に豪雨に降られたらしい。不憫だな。夏休み明けのテスト期間で部活も休みだし、ご近所の研磨は先に帰っていたらしい。芳乃のうちが近かったから雨宿りしようと思って、と下がった前髪から水を滴らせて笑う黒尾に、そんだけ濡れて今更雨宿りもなにもないのでは?と思ったが黙っておく。


「はぁ。…まぁ、とりあえず上がれば?」


風邪を引かれても事だと思って、しぶしぶドアを開ける。視界に入った黒尾は思ってた以上に濡れ鼠だった。制服色変わってるし…。
そのまま部屋のラグに座られるのはちょっとご遠慮願いたかった私は黒尾を招き入れるとそのまま風呂場に突っ込んだ。


「ほら。脱いで」


「え、大胆」


私の発言に目を丸くした黒尾は、ばっと手を交差して胸を隠す。誰得だよ。見たかねぇよ。そもそも胸を隠すな気持ち悪い!


「そんなに濡れた状態でソファに座らせられないから。風呂入って。ほらこれ着替え」

バスタオルと一緒にスウェットとTシャツを押しつける。どう見てもメンズのそれを見て黒尾がなんで持ってるの?という視線を寄越した。私の部屋着だけどなんか文句ある?オーバーサイズ好きなんだもん。


「一緒に入る?」



「脱いだ服は洗濯機いれといて。乾燥かけるから」



「無視はさすがにつらい」


うるさい。とっとと入りなさい。


ドア越しに聞こえるシャワーの音をBGMに途中だった夕飯の準備を再開する。最近急な豪雨とか増えたよなぁ。さっきまで晴れていたと思いきや、この雨だもの。さっさと買い出し行って正解だったわ。



「おー!チャーハン!俺の分もある?」


首にタオルを引っ掛けて、風呂を出て開口一番そういう黒尾は図々しいにも程があると思う。家に帰れば夕飯があるんじゃないかと聞いてみれば、たまたま今日は親が出かけていて夕飯がないらしい。完全なる確信犯だよねこれ。
1人前作るのもコスパ悪いからと翌日の分も兼ねて作っていたチャーハンは、やむなく黒尾の分になった。運動部の男子ってどんだけ食べるのかな。絶対チャーハンだけじゃ足りないよね?
慌てて適当な材料を見繕って、肉野菜炒めと卵スープを追加する。これで足りなきゃあとは冷食でも温めて勝手にやってくれ。


「芳乃はいい嫁になりそうだよな」


「なに突然」


忙しなく動き回る私に対して、ラグでくつろがながらこっちを見ていた黒尾がふざけたことを言う。嫁って、黒尾の年代なら彼女じゃないの?ていうか手伝え。


「彼女すっ飛ばして嫁?あ、そこの引き出しからスプーンと箸持ってきて」


「ここ?あ、あった。そうそう嫁。なんつーの、家庭的な感じ?ちょっといまの新婚さんみたいじゃない?俺ら」


「冗談はその髪型だけにして」


「ひどっ!」


大袈裟なリアクションの黒尾を流しながらも、ちょっとだけ照れてしまった、不覚。新婚さんって私にとっては結構焦燥感を煽る言葉だ。元の年齢考えたらの話だけど。こっちに来る前、高校の同級生から結婚式の招待状が届いていたことを思い出す。確か、仕事が山場で欠席に丸をつけた。結婚や妊娠の話題が出ても、若いねーという感想がでなくなったのはいつからだろう。いまは何故か高校生やってるけど、これって元に戻る時が来るのかな。それとも、この年のままこの先の人生を重ねていくの?戻るにしろ戻らないにしろ、やりづらいなぁ。


「芳乃?」


「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」


「料理してんのに考え事は危ねぇぞ」


「そうだね。はい、これも持ってって」


「おー、美味そう」




それは、ちょっとした気まぐれだった。
誰にも言えない不安を、なにかで誤魔化したかったのかもしれない。
用意したご飯をあっという間に平らげて満足気な黒尾は、ラグにくつろいでテレビを見ている。空になったコップに麦茶を継ぎ足して、私もテレビを見ようと隣に移動した。


「ねぇ、黒尾」


「んー?」


「私ほんとに、いいお嫁さんになれると思う?」


「おー、俺なら今すぐにでも嫁にする」


「それはありがたい……て、えっ!?」


即答された答えに普通に返事しかけてから3秒後、流しちゃいけない発言だったと気がついた。びっくりした拍子に膝をローテーブルにぶつけた。痛い。
ズキズキする膝を抱えながら、考える。これに他意はない?嫁にするとサラリと言った黒尾に年甲斐もなく動揺してしまった。相手は高校生だ。この年代で言うこの手の発言がどれほど本気かなんて分かったもんじゃない。


「あのね黒尾、聞いた私も悪いけどね、そういうことは人を勘違いさせるから言っちゃダメだよ。当たり障りなく返すのが正解だからね」


何言ってんだよーあははーでいいのだ。動揺した私も私だ。笑って流してしまおうと黒尾を伺った瞬間、至近距離でこちらを見る真剣な瞳とぶつかった。予想してなかった距離感に思わず固まると、そのまま唇が塞がる。


え、…?


多分一瞬だった。けど体感にしてみれば優に数秒はあった。唇が離れて、黒尾がこちらを見る。うっすらと頬が赤いのは、もしかして照れているのだろうか。でも真剣な表情は変わらない。あの黒尾が?嘘でしょ。ていうか。この空気的に…まさか。


「芳乃、俺は」


その先を聞いていいのだろうか。この場で、私は返事ができる?いいや、無理だ。だって、私の立場はひどく不安定だから。彼の人生に踏み込んでいいのかも定かじゃないのに。断る?断れる?


「待って!お願い…言わないで…」


気づいたら遮っていた。黒尾の驚いた表情が目に焼き付く。なんで、と表情が物語る。どうしよう、なんて言おう。私はこの世界の人間じゃないんだよって、言うの?本気?じゃあ何も言わずに振ればいいのか。ごめん恋愛対象じゃないとか言えばいい?友達のままでいようって。それがどれだけ相手を傷つけるか、分かってるくせに。黒尾のことは大事だ。恋愛なのか親愛なのかハッキリしないけどこの上なく大事に思ってることは確かだ。そんな黒尾を傷つけるようなことは言いたくない。いや、嘘だ。大事だから嫌われたくないのは私の方。黒尾を傷付けて、離れていって欲しくない。せっかくこの居心地のいい関係を壊したくない、ただの自己保身だ。言わないでなんて、最低…。自問自答が駆け巡る。


「芳乃、泣くなよ」


「っ…え、?」


言われてようやく自分が泣いていることに気付いた。


「泣くほど嫌だった?」


そう言って苦笑した黒尾の表情が歪んで見えて。傷付けた、と痛感した。やってしまった、我が身の可愛さを優先させて黒尾を傷付けた。傷付けたくないと言いながら、一番させたくない顔をさせてる。


「ちがう!」


慌てて違うと首を振る。ちがうの、そうじゃないの。ボロボロと泣きながらそういう私を、黒尾はどう思って見てるんだろう。違う違うと否定しながらも、確信には触れない。あまつさえ告白を遮って、承諾の気配もない。私の否定は、何に対して。


ピーピーと非情なタイミングで乾燥機の音が鳴る。服乾いたみたいだな、と努めて能天気な声音でいう黒尾の表情がみれない。顔をあげられないままでいる私の頭をポンポンと撫でて、黒尾が立ち上がる。脱衣所に入る音がして、着替えてるんだろう衣擦れの音をラグを見つめながらぼんやりと聞いた。


「…飯ありがとな、あと服も。俺帰るから、ちゃんと戸締りしろよな」


「……うん」


着替えを終えて出てきた黒尾はもう一度私の頭を撫でて、そのまま玄関に向かう。このまま見送ってしまったら、きっと私と黒尾の間には距離があいてしまう。そう確信しているのに、それは嫌だと思うのに。身体はラグに座り込んだまま張り付いたように動かない。かろうじて返事をするものの、依然として俯いたままガチャンと扉の閉まる音を聞いた。聞きなれた音のはずなのに、酷く重い扉がしまったように感じた。







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