名前を呼んで




風呂から出ると、猿飛さんはリビングでぼんやりとテレビを見ていた。その表情は昨日の夜のように頼りない。
さっきまでの飄々とした態度はどこへやら。目線はテレビに向けられているものの、観てはいないのだろう。


「猿飛さん、晩酌付き合ってくれませんか?」


そう投げかけると、翳りは一瞬のうちに綺麗に隠れて、不敵な笑顔になる。


「俺様結構強いぜ?」


「だれも勝負しようとは言ってないですよ」


適当にあしらって、取り出したるは、ウイスキー。


「なにこれ、南蛮の酒?」


「南蛮...ではないですけど、海の向こうのお酒ですね」


「綺麗な色だね」


「猿飛さんの目の色に似てますよね」


何気無く言ったつもりだったが、視線を向けると猿飛さんはその目を丸くしていた。
お構い無しに、グラスに氷を詰めて、ウイスキーを注ぐ。強いならロックでもいけるでしょ。ちなみに私はお湯割にして角砂糖をひとつ、ホットウィスキーだ。


一口飲んだ猿飛さんの感想は、

「結構強いね、けど美味しい」

ふむ。本当にいけるクチなのかもしれない。
並んでソファに座り、ぼんやりテレビを眺めながら、時折グラスを傾け、取り留めのない話をする。

ついていたテレビ番組が、バラエティからドラマに変わり、またバラエティに変わる頃。


「…ねぇ」


何杯目かのグラスを干した猿飛さんがポツリとこぼした。


「なんですか?」


「なんで、俺だったんだと思う?」


「.........」


猿飛さんの視線はグラスの中の氷に注がれている。その質問に答えられないまま、ぽつりぽつりと彼の口から言葉が零れる。


「乱世なんだ...旦那は親方様と一緒に天下をとりに行く。...なのに、俺はどうしてここにいる......どうして旦那の傍じゃなく、独りでこの世界にいるんだ」


「猿飛さん...」


ようやく分かった、猿飛さんがずっと思い出していたのは、旦那はーー真田幸村のことだ。
乱世が一体どんな世か、想像もつかないけれど。きっと猿飛さんはずっと真田さんと一緒に戦ってきたんだ。それなのに、突然知らない世界に来て、わからないことだらけで、帰る術も無い。
猿飛さんは冷静だ、なんて。何を勘違いしていたんだ私は。猿飛さんはずっと隠してたんだ。戸惑いも、絶望も、悲しみも…...全て隠して飄々と笑っていた。


「このまま、帰れないのかな...」


掠れた声に、たまらなくなって思わず身体が動いた。俯く頭を引き寄せて、抱き締める。思っていたよりもずっと柔らかい髪を撫でながら、一生懸命言葉を探す。


「絶対に...絶対に、真田さんのところに帰りましょう。なんとしてでも、その方法を探しましょう。それ迄は、私が猿飛さんを助けますから、だから、...っ...」


安心して、なんて軽々しく言えない。私には何の保証も出来ないのに。続く言葉が見つからなくて、唇を噛む。歯痒くて、悔しい。


「...名前......」


「え...?」


「名前、呼んでよ」


私の肩に顔を埋めて、猿飛さんは震える声でそう言った。腕が背中に回って、抱き締め返される。


「呼んで...」


「......佐助さん」


「もっと」


「佐助さん、佐助さん」


ギュッと腕の力が強まる。苦しいくらいに抱き締められて、小さく漏れる嗚咽を宥めるように背中を撫でると、肩口がじんわり暖かくなった。


変わった一人称も、この涙も、先程の吐露も、全部お酒のせいで現れた猿飛さんの心中なのだろう。
でも、箍が外れてくれて少し安心している。あの寂しげな表情は、きっと元の世界に帰るまで無くなりはしないけど。でも、これからは今までよりは少しだけ、猿飛さんの考えてることが分かるかもしれない。
抱き締められた腕の中で、そんなことを考える。ああ、私も酔ってるなぁ。馴染む互いの体温の暖かさにだんだんと意識は微睡み、いつの間にか途切れていた。

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