雨傘
「今夜は雨になりそうだ」
昼下がりにリビングでのんびりしていた時だった。ふと窓の外を見た佐助さんがぽつりとそう呟く。テレビから流れる天気予報には星マークが出ていて、今夜は晴れると告げていた。
「雨ですか?」
「うん、雨の匂いがする」
換気に開けていた窓から冷たい風が入ってきて、思わず縮こまる。ここ最近一気に冷え込んで、季節はもう冬のようだ。佐助さんは傘持っていきなね、と優しく笑って窓を閉めた。
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ザァァ……
本当に降ってる……。
いつも通りバイトに来るまでは何ら問題は無かったのに。夜の10時をまわった頃に、ふと外の音に耳をすませるとシトシトと雨が降っていた。
閉店作業を終えて店の外に出る頃にはさらに強さを増していて。冷たい雨が、道路に跳ね返って靴を濡らした。最悪だ……佐助さんの言葉を聞いて準備しておいたのに、出掛けにばたばたして結局玄関に傘を忘れてきた。
「寒っ、予報では雨なんて言ってなかったのにな」
丸井くんが身震いしてダウンのポケットに手を突っ込んだ。今日の出勤は4人。店長と後輩の女の子、丸井くん、それに私だ。
店の置き傘を探したものの、普段なら忘れ物なり沢山あるはずなのに、間の悪いことに先日まとめて処分したばかりだった。あるのは店用の2本のビニール傘だけ。さらには帰る方向も、私と3人では逆方向だ。
「私、近くなので走って帰りますね」
2本を3人で、というのもまだちょっと無理があるけど。店長が一本使うとして、後輩ちゃんは小柄だし、丸井くんと入れば問題ないだろう。そう思い上着のフードを被ると。
「待て待て、俺が送る」
後輩ちゃんを店長の傘に入れて、丸井くんが傘を差し出した。
「え、いいよ」
「いいわけ無いだろ」
「丸井くんに遠回りさせちゃうから...」
「近いんだろ、なら大して変わんねーよ」
ほら、行くぞと半ば強引に傘を傾けられて渋々お言葉に甘える。別に帰ってすぐお風呂に入ればこんな雨どうってことないのに。
本当にいい人だなぁ丸井くん。カッコイイし、きっと凄くモテるんだろうな。
隣を歩く丸井くんの肩は少し濡れていて、気を使ってくれることに有り難さと申し訳なさが募る。そもそも私が忘れなければこんな事にはならなかったのだ。
雨降るよって言われてたのになぁ。そう心の中でボヤいたつもりが口に出ていたらしい。
「誰に?」
丸井くんにそう聞き返されて、咄嗟に返答に詰まった。丸井くんは、私が今一人で暮らしていることを知っている。
「えー、と、親戚。そう、親戚がね。今ちょっと泊まりに来てて」
「親戚?なんだ、彼氏かと思った」
その手があったよ、彼氏の方がよほど自然だ。テンパってつい適当な事言っちゃった。
「彼氏はちょっと色々あってね」
「ふーん、別れたわけ?」
「そうなるね」
こないだの落ち込んでた時か?と聞いてくる丸井くんはやっぱり人のことをよく見てるんだなと思う。察しが良過ぎるよ。その上好奇心という訳でもなく、野次馬根性でもなく、さらっと聞いてくるもんだからこっちもついつい喋ってしまうのだ。
先日、佐助さんにぶちまけたせいか経緯を話す私は自分でも驚くほど平静で、苦しくもなかった。
軽く話を終えると、そうか、と言ったきり丸井くんは黙ってしまう。まあ、こんな話聞いても楽しくはないよね。商店街の通りに差し掛かっても気まずい沈黙が続き、私は他の話題を振ろうと口を開いた。
「そういえば...」
「なぁアキ、俺と...」
同じタイミングで、何か言いかけた丸井くんがその場でピタリ止まる。私は咄嗟に黙ってその先を待つが、何故か言葉は続かない。どうしたんだろ。俺と?なに?横に立つ丸井くんを見上げると、視線は前を向いていて。
「…親戚ってさ…男?」
「へ?」
前を向いたまま、脈略のない事を言う丸井くんに間抜けな声が出た。何でまたそんなこと、と丸井くんの視線をたどると、
!!
その先には、いつぞやに座り込んでいたドラッグストアの前で佐助さんが傘をさして立っていた。その手にはもう一つ傘が握られている。
「佐助さん!?迎えにきてくれたんですか」
びっくりして思わず丸井くんの傘から飛び出した。駆け寄ると、佐助さんが傘を傾けてくれる。
「アキちゃんが忘れてったから……て、もしかして俺様お邪魔だった?」
「え、なんでですか。ありがとうございます!すみませんわざわざ...」
へらりと笑う佐助さんにお礼を言って傘を受け取る。家まで丸井くんを付き合わせるのも申し訳無かったし、私が面白くない話をしたせいでちょっと気まずかったから正直助かった。
「ありがとう丸井くん、ここまでで大丈夫だから」
「...おお、……親戚、似てねーのな」
丸井くんにお礼を言うと、じっと佐助さんを見ていた彼から鋭い返答が返ってくる。何でそんなに食いつくの丸井くん、そこは流してくれていいのに。どうせ私は佐助さんとは似ても似つかないどこまでも平凡な顔してるけどさ。
「まあ、アキちゃんとは血は繋がってないからね」
親戚云々の打ち合わせは一切していなかったが、話の流れから察したのだろう。佐助さんはなぜだか私の肩を抱き寄せて、あの胡散臭い笑顔で丸井くんにそう返した。いらん事言うな。
丸井くんは佐助さんと無言でしばらく見つめ合ったかと思うと、
「じゃ、また次のシフトで。気をつけて帰れよ、アキ」
そう言ってくるりと背を向けて帰っていく。その背中に向けて、送ってくれてありがとうと呼びかけると、後ろを向いたままひらひらと手を振ってくれた。家に帰ったらもう一度お礼のLINEをしておこう。