古を廻る







気がつくと夢の中だった。

まるで鳥にでもなったかのように、空の上から眼下を見降ろしていた。

青空に映える、深い緑の森に囲まれた古い屋敷。整えられた広い庭に時折見える人影は、皆揃って時代錯誤な着物を着ていた。庭に出て遊ぶ子供。井戸端会議に勤しむ女達。まるで無音映画をみているかのように音も匂いも伝わってこないが、それはとても長閑な光景だった。


自分の中に、ほかの誰かの意識が入り込んでいるような感覚だ。私は知らない筈のこと、見たことがないもの。それなのに懐かしく、愛おしい。


(……私は、此処を知っている、此処は……私は……誰?)



突然、見えないなにかに引っ張られるように視界がゆがみ、場面が変わる。


#


屋敷が燃えていた。暗闇の中に真っ赤な炎が立ち上り、天高く空を焦がしていた。逃げ惑う人々、それを追いかける男達。目の前で次々と人が殺されていた。


怒りと悲しみが胸に渦を巻く。怒っているのは、悲しんでいるのは。


(……誰?)



場面が切り替わり、再び穏やかな風景が見える。生き伸びた人々は逃げて、逃げて、やがてひっそりと平穏な暮らしを取り戻したのだ。しかし、それも長くは続かない。



再興して、滅ぼされて、また栄えて……隠れるように慎ましく、穏やかな日々を望んでいるだけなのに。栄華や贅沢を望んだことなど無かったのに。つかの間の平和は幾度となく壊され、蹂躙されて………。



それは何度目かの強襲だった。追っ手に追われて懸命に逃げるのは、若い女性だ。その顔を見て息を飲んだ。


(...お母さん...?)


血の気が引くような心地がした。他人の空似では済まされないほど、自分の母親に瓜二つだったのだ。
胸に抱えているのはあの紅い本。身篭っているようで、着物の上からでもわかるほど大きくなった腹を護るように懸命に逃げていた。
しかし身重の体で追っ手を振り切ることは困難で、ついには脚を射抜かれその場に崩れ落ちてしまう。


(助けて...誰か...!)


見ていることしか出来ないことがもどかしく、目の前の光景に目をつぶりたいのに、自分の意思は何一つ反映されない。声にならない思いで必死に祈る。


(死なないで...!やめて、やめて...!)


しかし追っ手に捕まった女性は抵抗も虚しく腹と胸とに刃を突き立てられて、糸が切れたようにがくりと地に伏した。じわりとじわりと溢れた血が胸に抱えた本を濡らす。あまりの光景に喉から絶叫が迸る。しかし、音のない空間ではその声が耳に届くことはなかった。


血濡れの本はそのままに、追っ手は姿を消す。残った本はぼんやりと光を放ったかと思うと、たちまち跡形もなく掻き消えた。



人間に対しての狂ったような憎悪が流れ込んでいるようだった。同時に、理不尽に耐えて、追われてもなお己と共にいようとしてくれた人間に対する愛情も感じた。憎悪も幸せも与えたのは人間だったから。たとえ全てを失っても、それでも人間を見放すことは出来なかったのだ。



(そうか、これは...)




この映像は、この感情は、あの本の記憶だ。


揺蕩う意識の中で不思議とそう確信していた。
あの本は、この一族の要。
古から護り、護られてきた、


___稲荷神。



めまぐるしく見せられた記憶を通して理解する。この本は、稲荷神そのもの。仮の姿を纏ってそっと一族とともにあり続けた。
一族は時に、神楽を歌い舞い踊る巫。時に、その身を貸して神の言葉を伝え、力を借りて人々を救う、狐憑きだったのだ。
しかし、強大な力を使う一族は、欲に溺れた権力者達には喉から手が出るほど欲しい勢力だ。さらには、思うようにならない力は脅威でしかない。私利私欲に走ることも、地位や富にこだわる事も無い小さな一族は、そんな身勝手な理由で殺戮されることとなる。



独りになった稲荷神は、寂しくて、悲しくて、力あるものを探した。
本として人の手を渡り、各地を巡った。けれど、素質のある者はいても、依代となれる程の力を持った存在にはついぞ逢うことは無かった。




そうして神は、世を渡る。


#



「…っ、…佐助さん、」


「よかった、目が覚めて。具合はどう?」


「……大丈夫です」


意識が浮上して、ゆっくりと目を開くと、佐助さんが心配そうな顔で覗き込んでいた。自室のベッドに寝かされているらしく、視界の端に映るサイドテーブルにはあの本が置かれている。


「なにか食べれそう?おかゆ作っといたけど」


「ありがとうございます」


じゃあ持ってきてあげるから、と佐助さんが部屋を出ていった後、ベッドから体を起こした私はサイドテーブルの本に手を伸ばした。

覚悟していた眩暈や頭痛はなく、あっさりと開いた頁には、依然として謎の文字が踊る。

あの夢は、この本が私に見せた、記憶だ。音や臭いこそ無かったけれど、人が殺されていくのを何度も目の当たりにした。その度に同調するように感情が入り込んできて、胸が苦しくなった。稲荷神の愛した一族は、幾度と無く襲われ追われて最後にはすべて滅ぼされてしまったんだ。あのお母さんに似た人は、一族最後の生き残りだった。


ふと、自分が泣いていることに気付く。自覚なく、ただ静かに涙が溢れていた。凄惨な記憶に心がついていかなかったのか、はたまた稲荷神の意識に同調しているのか。あとからあとから流れるそれは、お粥を持ってきてくれた佐助さんをびっくりさせて。おろおろと頭を撫でる温かい手に、さらに涙が溢れた。


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