秘密の約束
(佐助視点)
霧に覆われた視界の中で、思い出す。そういえばこちらの世界に来る時も同じような霧が出ていた。
俺様は結局このお狐様の気まぐれに巻き込まれたってわけ?いい迷惑だよ本当に。
この世界で過ごした間に触れた暖かみも、感情も、あちらの世界では余計なものだ。どうせ捨てるくらいならはじめから知りたくなかった。
旦那の元に戻らなければと思う一方で、今すぐこの霧から飛び出して、アキちゃんを抱きしめたい。必死で泣くのをこらえて笑うその顔に胸が締め付けられた。
最後くらい、縋って泣いてくれたっていいのに。俺のために、自分のためにそれをしない。その頑なささえも愛おしい。
「ねぇ、あんた神なんだよね」
視界が完全に霧に覆われ、アキちゃんが見えなくなってから、呼びかけた。気配で分かる。まだそこにいるんでしょ、お狐様。
「ああ」
ゆらりと霧が揺れて目の前に現れたのは俺の背も軽く超えるほどの大きな狐。同時に感じる、誰もが躊躇いなく膝を折りたくなるほどの威圧感。なるほど、これが神か。本能的に畏れているのか、つぅと首筋に冷や汗が伝った。
「神様はさ、人の記憶をいじったりとかも出来る?」
「……何が言いたい」
努めていつもの口調で問いかける。胡乱気なその返答に、俺は覚悟を決めた。
「俺様が居なくなったらさ、アキちゃんの中にある俺様の記憶を消して欲しいんだ」
言った瞬間取り下げたくなる。でも、これはここ数日ずっと考えていたことだ。
「結論から言えばそれは可能だ、が。お前はそれでいいのか? 」
「俺様は思い出だけで生きていけるからさ」
「……情というものは、お前が思うほど簡単なものではないぞ」
分かってるさ、痛いほど。
元の世界に戻ったらきっと、この先俺は死ぬまで誰かを本気で愛することは無いのだろう。アキちゃんとの思い出の中で、それだけを糧に生きていく。生きていける。
けれどアキちゃんは?
平和な世界を生きている彼女は、結婚して子を産んで、生涯を寄り添って生きてくれる人を望んでいい。望んで欲しい。俺にできないなら、せめてほかの誰かと。
だからこそ、この世界に生きるアキちゃんに俺との記憶は余計だ。
「頼むよ、アキちゃんには幸せになってほしいんだ」
「...よかろう」
「悪いね、あんたはここに残るんだろ?アキちゃんをよろしくね」
「ふん、貴様に頼まれるまでもない」
うん、これで安心だ。
心置きなく、旦那の元に戻れる。
今ならこの引き裂くような胸の痛みも好きになれそうだ。俺様ってば、こんなに献身的だったんだなぁなんて自分に苦笑して、目を閉じる。
さよなら、アキちゃん
どうか、幸せになって
嗅ぎなれた濃い緑の匂いに再び目を開けるとそこは、見覚えのある森の中だった。