予知3
匂いの発生源はやはりここだったのか。マイロは寒空に花を咲かせる落葉樹を見て思う。小さくて白い花。名は何というのだろう。
街を見回ればいいのだから、どうせならこんな風景を見ながらの方が良いかもしれない。ふと思いついた気まぐれからマイロは公園の奥へ歩みを進める。
遊具などは無いが寒冷地でもよく成長する種類の芝生が素晴らしい。目の休まる光景に息ついたものの、デーモンが発生した際に備えて自分はこの街いるのだから、やっぱり人が見当たらないここに来たのは趣旨違いかもしれない。そんな風に思い始めた時だった。
人がいる。ふわふわとした髪の毛が風に泳いでいるのが目に留まった。そっと近づいてみてから、マイロは一瞬どきりとする。
ナシュカと見間違えたのだ。次の瞬間にはすぐに他人であると分かるほどにしか似てはいないが。
その少女は一人で芝生に座り込み、花輪を紡いでいた。
髪の色も背格好もナシュカに似ている。同じ年頃かもしれない。
一人だというのに少女の顔には寂しさといった色はない。だから似ている印象が薄いのかもしれなかった。
「誰?」
少女の方もマイロに気づき、視線を合わせてきた。
「……この街の警護に来た何でも屋だよ」
それを聞いて少女は「ふうん」とあまり興味が無さそうに呟く。
「この街の状況は知ってるだろう?一人でいたら危ないぞ」
マイロが言うと少女はきょとん、とした後笑い出した。
「こんな誰もいない所にデーモンなんて現れないわ。そうでしょう?」
少女の返事にマイロはどきりとする。誰もいないからデーモンは現れない。デーモンは人間に取り憑いて具現化するのだからその通りなのだが、はっきりとそれを言う人間はいない。何となくタブーにしているからかもしれない。お互いが疑心暗鬼となり、それは混乱を呼ぶ。だからこそ、誰も口にしない。それをこの少女はあっけらかんと口にしたのだ。
「あなたお名前は?」
「……マイロ」
一瞬躊躇した後、マイロは自分の名前を告げる。
「マイロ?犬みたいな名前ね」
けらけらと笑う少女には邪気が無い。あまり怒る気になれなかった。
「わたしはね、フリュカっていうのよ」
そっちこそ変な名前だな。マイロがそう軽口を言おうとした時、向こうから中年の女の声がする。
「お嬢様ーっ、お嬢様!」
太った体の割に軽やかな足取りで近づいてきた女はフリュカを見て更に足を早めた。
「こんな所におられたんですか。早くお屋敷に戻りましょう。一人で遊んでいたなんて旦那様に何と報告すればいいのか……」
黒いメイド服といい、口調といいフリュカの家の女中か何かなのかもしれない。マイロは無関係な自分の立場に何となく二人から背を向ける。
「大丈夫よ、サリナ。たまには一人になりたいのよ」
「そんな我が侭おっしゃらないで下さい。私が旦那様に怒られます」
「わかってるわ。帰るわよ。……でもサリナ、あなた目どうしたの?真っ赤で兎みたい」
その言葉を聞いた瞬間、マイロはベルトから剣を引き抜く。間を置かぬまま二人の間に走って入ると、女中の体の中心に向かって剣を突いた。
芝生を真っ赤な鮮血が飛び散る。フリュカの悲鳴が耳を震わせた。
「……くそっ」
自分の剣先を見てマイロは舌打ちする。心臓を外していた。これでは駄目だ。マイロは急いで女中の体から剣を抜く。
「う、う、うう」
サリナと言われていた女中は胸元を押さえながらよろよろと後ろに下がった。マイロは剣を構え直す。
「う、う、う、うるるるるるるるるるる」
苦しみの声が次第に不気味なものにかわっていく。フリュカが息を飲むのがわかった。みしり、と嫌な音を立ててサリナの体が変形していく。背中が割れ、黒い鱗に覆われた翼が現れた。
「な、何……?」
「下がってろ!」
フリュカの乾いた声にマイロは怒鳴り声を上げ、手を振り上げる。
次の瞬間、獣のような咆哮が響き渡った。サリナの体は最早人間ではなくなっている。赤黒い肌、額から伸びる角、マイロの胴回りは有ろうかという太い腕に指先から伸びる巨大な爪。
サリナの姿はデーモンに成り代わっていた。
振り下ろされた拳をマイロはぎりぎりでかわす。マイロの力では相対することは不可能だからだ。
相手の攻撃をかわしながら状況突破を考える。一人ならどうにかする自信はあった。ただ今は腰を抜かしたのか動けなくなっているフリュカがいる。
逃げろ、と叫び声を上げたところで少女が駆け出すとは思えなかった。
獣の咆哮に似た叫びをあげながら振り下ろされるデーモンの一撃を避ける。空振りした右手はそのまま大地に突き刺さった。
派手な地響きと共に地面にクレーターを空ける。
「きゃあああ!」
フリュカの悲鳴がマイロを焦らせた。
落ち着け、落ち着くんだ。自分に言い聞かせると、マイロは呪文を唱えだす。
その間にもデーモンからの攻撃は止まなかった。だがマイロの方に攻撃が向いているということは少女に害は及ばない。落ち着きを取り戻し、マイロは唱え終えた呪文を解放する。
「ジャッジメント・コート!」
マイロの放つ言葉に空気が震えた。地中から伸びた無数の光の柱がデーモンを囲んでいく。
元女であったデーモンが自分を取り囲む周りの力に気付いたのか怒り狂った叫びをあげた。
「悪いな」
デーモンを倒す時、マイロは決まってこの言葉を口にする。我ながら偽善的だと思いながら。
次の瞬間、マイロの長剣がデーモンの中心部を貫いていた。
「起きろ。腰抜かしたか?」
マイロは芝生の上でへたりこんだままのフリュカに手を差し延べる。
少女は力の戻らない瞳をしたまま、マイロの手を取った。
マイロが力を入れ起き上がらせると、フリュカはデーモンが塵となって消えていった空間を見つめながら尋ねてきた。
「サリナは……、魅入られてしまったの?」
自分でも答えはわかっているのだろう。そんな空気を感じながらマイロは答える。
「そうだ」
「そう……」
フリュカの横顔を暫く見つめていると、少女はぱっとマイロの方を見遣った。
「ありがとう。あなた、若いのに強いのね」
強い、のだろうか。マイロは自問する。
「俺の倍、年齢を重ねた仲間は俺の倍、強いぜ」
マイロはひょいと肩を竦めた。フリュカは弱々しい笑顔を覗かせる。気丈に見えるが、ショックは大きかったのだろう。
「さあ、家に帰りな」
「……あなた、うちに来てくれない?」
フリュカの申し出に首を振り強く拒否を表すと、フリュカは残念そうに口をつぐんだ。お嬢様、なんて呼ばれるぐらいだ。フリュカの家の規模が知れる。もしかしたらマイロを知るような人物がいるかもしれなかった。
上流階級出身というのは思わぬ足枷が多いものだ。マイロは苦笑した。いくら自分が棄てた気になったところで、周りは違うのだ。
フリュカの呟きにマイロは少し同情する。
デーモン化は誰にでも起こり得る。信じて貰えない話しではないが、一人外出したことを厳しく咎められることは必至だ。覚えのあるマイロは一瞬、少女に付いて行ってやることを考えたが踏み留まった。
自分で頑張るしかないんだ。そう胸の中だけで声を掛けると、マイロは少女に背を向け歩き出した。
『マイロ?何かドンパチあったみたいね。大丈夫だった?』
ポールから手渡されたカードから聞こえてきた声に、マイロは顔をしかめる。
どうしてこうも筒抜けなのだろう。
「大丈夫。ただのレッサーデーモンだった。そっちは?」
カードに語りかけると波うつように光り輝く。不思議な道具だ。
『うーん、実はちょっと面倒なことに成っちゃったのね』
意外な返答にマイロは少し驚いた。道を歩いてきた中年の女が、カードに話し掛けるマイロを見て怪訝な顔して通り過ぎる。
「……何があった?」
『アダムが捕まった』
マイロの頭に軽快なシーフの姿が思い出される。絵に描いたような盗賊の男。好奇心が過ぎて警備隊に捕まったか。
「で、どうするの?」
『ほっとく訳にもいかないでしょ。別に世話になった覚えも無いんだけど』
「……あんたにも仲間意識はあったんだ」
『まーね。……というわけで、ナディアかアンジェラに会うようなことがあったらよろしく』
その言葉を最後にカードは光を失う。交信が終わったのだろう。マイロは「こっちから連絡する方法を聞いておくの忘れた……」と舌打ちした。
あの双子を探せということか。マイロはあの二人が苦手だった。どうも自分には苦手な人物が多い。とマイロは苦笑する。
しかしあの二人にしても迷惑にならないだろうか。ポールとは普段から仕事を斡旋するような仲だとしても、彼女達はガーディアンであり国側の人間だ。国が『探りを入れるような動きをした人物は排除』と命令しているなら、そっちを優先するのではないか。
ポールやマイロがアダムの行方を聞いたところで彼女達が自分達を捕まえるようなことは無いだろうが、嫌な顔一つはされそうな気がする。
「何だか変な流れになってきたな……」
マイロは灰色に染まる町並みを眺めて息を吐いた。
暫く街中を巡回するも双子はおろかデーモンに遭遇することもなかった。
暗くなり始めた景色にマイロは「お腹空いたな」と呟く。無意味な仕草だと分かっていながら胃の辺りを摩った。
一軒の民家の台所だろうか、換気口から煙りが出ている。今日は茹でた芋と塩漬肉ではなく、何かきちんとした料理が食べたいものだ。
「ねえ」
ふいに掛けられた声にマイロは振り向いた。双子の白い方、アンジェラが立っていた。
「今日はこんなところでいいわよ。これ、今日の分のお駄賃」
そう言ってマイロに数枚の紙幣を手渡してくる。
「お駄賃……」
マイロはアンジェラの言いように文句を言いかけたが止める。どうせ簡単にあしらわれるだけだ。
「……ポールは?」
「一人捕まった奴がいるらしくて、そいつを追ってる」
マイロがアンジェラの問いに答えると彼女は眉を寄せた。
「誰?」
「アダムって盗賊だ」
「ああ……、あの」
「知っているの?」
マイロは意外だと思い聞いてみる。
「自分の事腕利きの盗賊だと勘違いしてるおマヌケさんでしょ?ガーディアンの方にも要注意人物の通達が回ってきてるもの」
辛辣な言葉だが仕方ない。ガーディアン達にはお見通しということだ。
「……でも、ポールが追ってるっていうのはまずいわね」
アンジェラが声を潜める。
「なぜ?」
マイロが聞くも答えに間があった。アンジェラは辺りに視線を走らせた後、口を開く。
「保安省から通達があった要注意人物の筆頭があなた達だからよ」
マイロは一瞬、意味が分からずにぽかんと口を開けた。
「……どういう意味?」
マイロの問いにアンジェラが口を開く。
「腕利きだからじゃない?ポールが」
わざわざ『ポールが』と付け加えたのにも納得がいかないが、答えになっていない答えにも満足いかずにマイロは舌打ちした。
「……手伝うだけ手伝わせて余計なことするな、っていうのはムシのいい話しじゃないか?俺達にだって自由がある」
その言葉を聞いても、アンジェラは微かに眉を動かしただけだった。
マイロは目の前のガーディアンを改めて見る。マイロ達と違い闘いのみに重点を置いたガーディアンは皆、見た目からして物騒だ。大抵が重い甲冑に武器と盾、という外見を見ただけでガーディアンだと判る。アンジェラもブレストプレートに白の戦闘服という防寒は二の次な格好だ。ただしアンジェラは武器を携帯していない。小ぶりのダガーを太股にくくり付けただけの姿はミスマッチともいえる。
「……何よ」
じろじろと見られることが不服だったのか、アンジェラが少し不機嫌そうになる。双子の片割れ、ナディアと違ってこの程度のものだとしても感情が表に出る彼女に、マイロは妙にほっとした。
その時だった。何の前触れも無く、アンジェラの左肩から鈍い音がする。鮮血、貫かれたショルダーガード、前のめりに倒れ肩を押さえるアンジェラ。肩から飛び出るのは一本の矢。黒く光る矢の先を見て背中がざわついた。毒だ。
目の前の視界が白く霞むような感覚にマイロは咄嗟に片目を押さえた。
「……何よ」
アンジェラの声にはっ、とする。見れば綺麗なままの左肩に不機嫌顔のアンジェラがいた。
「……伏せろ!」
マイロは素早くアンジェラの腕を引っ張ると真横に押し倒す。二人の横を何かが飛んでいき、民家の壁に突き刺さった。アンジェラが跳ね起きる。
「時計台の方向だ!」
マイロは駆けるアンジェラに叫んだ。アンジェラの手から腕にかけて黒い霧のようなものが収縮し始める。徐々に形作られるそれは死神の大鎌を連想させる黒いシミター。マイロは後ろを走りながら、彼女の動きの素早さからして確実に敵を討つことを確信していた。 しかし、暫く走ったところでアンジェラの足が止まる。
「逃げられたわ」
彼女の視線の先を見ると、植え込みの影にクロスボウが転がっているのがわかった。
二人は顔を見合わせるとクロスボウを拾い、元の場所まで戻る。
「そのクロスボウの矢で間違いなさそうね」
民家の壁から生えた異物を抜くと、アンジェラはマイロの手にあるクロスボウと見比べた。
「何で捨てて行ったんだ?」
マイロが聞くとアンジェラは通りを指差す。
「持って走ってたら犯人だって自供しているようなものじゃない」
通りには少ないながらもぱらぱらと町人が歩いていた。中にもしかしたら犯人がいるかもしれないが、確かに確認しようがない。
「……矢もこの一本しか用意していなかったんだろうな」
マイロは呟くと犯人の狡猾さに顔をしかめた。
クロスボウはもともと連射や早討ちは出来ない一対一には向かない武器だ。普通の弓よりは威力が高いが、討つまでの時間がかかり過ぎる。始めから一発勝負できて、外れたとしてもこのように逃げるつもりだったのだろう。
「話しには聞いていたけど、すごいのね」
アンジェラの言葉にマイロは顔を上げた。
「何が?」
「君の能力。そうでしょ?」
マイロは曖昧に返事をしてその場を濁す。別にやろうと思って発動したわけではないのに、すごいといえるのだろうか。
そういえばこんな短期間の内に『予知』が見えることも珍しい。昨日、鳥の落とし物を避けた時の事を思い出し、マイロは首を捻った。
暫くそのまま歩みを進めていると、おもむろにアンジェラが口を開く。
「これは私の問題。あなたは余計なこと考えないこと」
有無を言わせない淡々とした口調に、マイロは隣を歩くアンジェラを見た。先程の出来事を言っているのだろうが、マイロが狙われたとは考えないのか。反論しようとしたが、口を紡ぐ。何を言っても無駄だろう。
二人でポールを探して歩いているのだが中々見付からない。アンジェラと並んで歩く苦痛から、マイロは「こんなにあの男に早く出会いたい、と思ったことはない」と考えていた。
「平気なの?」
沈黙が苦痛だった為に思わず口にした自分の呟きにアンジェラがこちらを見るのがわかり、マイロは言葉を続ける。
「俺と一緒にいて。あんたの立場的に問題あるんじゃないの?……目を付けられてるのはポールだけかもしれないけど」
後半は自虐的すぎて口に出したことを少し後悔した。が、アンジェラは意外な事を言う。
「ポールだけじゃない。あなたもちゃんと注目の人物よ。ポールよりも関心を示している人だっているぐらいなんだから」
どういう意味なのだろう。マイロが上流家庭の出身だと知ったからなのか。戸惑いつつ聞き返そうとマイロが口を開きかけた時、何やら騒がしい喧騒のような声が響いてきた。 声の方向を見ると、広場の一角に不思議な集団がいる。揃いの赤い上着が並ぶ姿は異様な雰囲気を作り出していた。
「何、あれ?」
マイロは集団が持つ旗を顎で指す。どうやら先程から叫んでいる言葉も掲げた旗の文面らしい。
「『反デーモン狩り』を主張する集団よ。同じ生命であることには変わらないデーモンを無差別に狩るべきじゃない、って主張してるのよ。最近、増えてきてるわ」
アンジェラの説明にマイロは驚き、改めて集団を見る。老若男女、普通の町人に見えるが何処か目の焦点が合わないように見えるのは気のせいだろうか。
「デーモンを?まさか『酷い』とか『残忍』だとでも?」
「彼らに言わせれば、ね。ねえ、私達がなぜデーモンやモンスターを倒すか、考えたことある?」
マイロは暫し考える。そして無言で首を振った。
「……やらなきゃやられる。防衛本能と言っていいわね。ああいう人はね、自分達人間は他の生き物よりも少しだけ賢いと、頭のどこかで思ってる。だからああいう上から目線の寝言が言えるのよ」
アンジェラは抑揚の無い声だったが、侮蔑の色を強く感じた。彼女のようなガーディアンにしたら当然の反応かもしれない。
「よお、お二人さん。デートかい?」
後ろからした暢気な声にマイロとアンジェラはゆっくりと振り向く。
「どうだったの?デーモンいっぱい倒した?」
何も言わない二人をおっかないとでも思ったのか、ポールは片手を上げて笑顔を見せつつ質問を重ねた。傍らにはナディアがいつもの無表情のまま、腰に手を当て立っている。示し合わせてもいないのに鏡のように同じポーズを取るナディアとアンジェラを、マイロは不思議な面持ちで見ていた。
「……色々あったけど、無い事にしておくよ」
マイロがアンジェラの顔を見るとポールは頷く。
「取り合えず飯食いに行こうぜ。今日は俺が奢ってやろう」
双子の二人はお互いの顔を見ると、揃って王宮のある北へと向き直った。
「私達は帰る」
ナディアの言葉にポールは顔をしかめる。
「なんだよ、つまんねえの」
そのまま立ち去ろうとする二人をマイロが見ていると、アンジェラが振り向いた。
「またね」
普段には無い行動にマイロは戸惑いつつ、片手を上げて答える。ポールがそのやり取りを見て呟いた。
「……何かあったな?」
「……別に」
「うわ、なんだよその『モテる男』みたいな受け答え!ムカつくムカつくムカつく!」
マイロは騒ぐ年上の相棒を無視して歩きだす。
「早く行こうぜ。奢ってくれるんだろ」
「はあ、つまんない子」
ポールは肩を竦めるとマイロの後を追い掛けた。
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