「専用の靴を借りるのね。」
香織は本当にボウリング場に来るのが初めてらしい。
きょろきょろと周囲を見回す彼女の瞳は好奇心に輝いている。
「そ。球はあっちにあるから、好きなの選んでいいぜ。
ルールは知ってるよな?」
「大体ね。」
「まあこういうのは、やってみて覚えるのが一番だ。
見てな。」
まずは一球、切原から投げてみせる。
球は真っ直ぐにレーンの真ん中を滑って行った。
「おっ、どうだ!」
快音と共にピンがたくさん倒れたが、一本だけ倒れずに残っていた。
「あーくそ。
ストライク行ったと思ったのになあ。」
二投目で見事に残ったピンを回収し、"spare"の文字がディスプレイに映し出された。
「っし!」
切原が小さく手を上げると、香織も手のひらを向けてハイタッチに応じてくれた。
ぱち、と当たった手のひらは切原よりも一回り小さく薄かった。
「じゃあ、次は私の番ね。」
香織は立ち上がり、自分のボールを持った。
「投げるときはこうして腕を引いて…んで、足はこうな。」
切原が投げるふりをしてみせると、香織は頷いた。
「…なるほどね。やってみるわ。」
香織が見様見真似で投げた球は一番先頭のピンに当たったが、左右のピンが残ってしまった。
切原はあちゃー、と頭に手を当てた。
「あーらら。これまた絶望的なスプリットだねえ。」
「う…。仕方ないわね、右を狙うわ。」
香織が投げた球は宣言通り、右のピンを一本だけ倒して奥に消えて行った。
「おっ、やるじゃん!俺も負けてらんねえな。」
「私も楽しくなってきたわ。
こういう遊びも悪くないわね。」
(俺だけ楽しむ感じになんねえか心配だったけど…。)
香織が楽しそうに球を取りに行くのを見ながら、切原は満足げに頷いた。
その後も切原は調子良くスコアを上げていった。
「初めてきたからわからなかったけど…。
切原は結構上手いのね。」
香織はスマホで一般的なスコアを調べてみたようだ。
実際、ボウリングには結構自信がある方だった。
「ボウリング好きの先輩がいてさ。
よく付き合わされてんだよ。」
切原の頭には丸井の顔が浮かんでいた。
(ボウリングで丸井先輩に負けてはお菓子を奢らされてたけど、まさかこんなところで役立つとはな。
おかげで、新宮にちょっとはいいとこ見せられそうだぜ。)
切原は心の中で丸井にほんの少し感謝した。
今投げた球はなかなか良かったな、と思っていると狙い通りストライクだった。
「よっしゃ、ストライク!」
「やったわね!2連続じゃない。」
香織は自分のことのようにはしゃいでいた。
へへ、と切原は得意げに鼻の下を擦った。
「この俺にかかればこんなもんよ。
けどさ、新宮も初めてにしては上手くね?
フォームも結構綺麗だし。」
「本当?」
香織がずいっと切原の方に身を乗り出したので、思わずドキッとした。
何も知らない彼女は屈託なく笑う。
「きっと切原の教え方と投げ方が良いのね。
もう少し重い方がいいかしら。変えてくるわ。」
ご機嫌な様子で球を選びに行った香織を見送って、切原ははあーと頭を抱えた。
「…あー、ずりぃなあ。」
今日は意識させられっぱなしだ。
自分だけに向けられる香織の笑顔、動きに合わせて揺れる髪やスカート、細く白い腕…切原は彼女の全部に酷く心を揺さぶられていた。
(なんというか…完敗って感じ。)
恋をするって、こういうことか。
(こんなにも、冷静でいられないもんなのか。)
切原は人知れず、もう一度大きなため息をついた。