「香織。」
下校中に香織を呼び止めたのは幸村だった。
もう部活を引退した幸村は、制服姿で花壇に水をやっている。
ガーデニングが趣味なので、園芸委員としての役割も楽しんでこなしているらしい。
花壇にはピンクや白のコスモスが咲き始めていた。
今日のお花の指導が始まるまでにはまだ時間があることを確認し、香織は幸村の隣に歩いて行った。
彼女が近くにくると、幸村は水栓を捻って水を止めた。
「最近は赤也と一緒にいないのかい。」
コスモスをバックに微笑む幸村は、悔しいが絵になる。
「ええ。最近忙しそうだから。
私もやることがたくさんあるんだし、ちょうど良いわ。」
「…その割に、寂しそうな顔するんだね。」
「…。」
この男は察しが良すぎるし、いちいちそれを口に出す。
だから嫌なのだ。
無理に押し込めた痛みは、何度も香織を呑み込もうと迫ってくる。
「私、ね。」
香織は静かに言った。
「自由になったら、切原にテニスを教えてもらう約束をしたわ。」
その言葉は幸村に言っているというより、自分の心の拠り所にしていることだった。
いつか切原とテニスをする。
それは寂しさを完全になかったことにはできなかった香織の、最後の逃げ道だった。
「だから今は…これで良いの。」
「そうなのかい?高校生になるまで、このまま?」
香織が高校生になるまでにはあと1年半ある。
そんなことは分かっているのに、改めてそう言われるとまだまだ先だとということを再認識させられた。
「そうね。
…その頃にはもう、私と約束してたことなんて忘れているでしょうけど。」
「何勝手に忘れることにしてんだよ。」
突然背後から声がした。
香織が振り返ると、切原が不満そうな顔で腰に手を当てて立っていた。
威勢は良いが、以前見た時よりも顔色が悪い。
「俺は忘れてないぜ。
アンタにテニスを教える約束。
俺は部のエースとして、必ず立海を全国優勝させる。
だ、から…。」
「切原!」
不意にふら、と切原がよろめいたのを幸村が咄嗟に支えた。
「あ、…れ…?」
かなり疲れている様子の切原を見て、幸村はため息をついた。
「無茶ばかりしているからだ。
俺も弦一郎も、忠告したはずだよ。」
「…ッス。」
幸村は切原に肩を貸した。
「香織、悪いけど赤也の鞄を持ってくれるかい。」
「わかったわ。」
ラケットバッグが見た目より軽いところを見るに、勉強道具はほぼ入っていないらしい。
「…わり、」
「いいから、保健室に行くわよ。」
3人はゆっくりと歩き出した。