部活が終わり、ほとんどの部員はすでに帰っていた。
残っているのは、ミーティング中の幸村、真田、柳と、これから勉強会の切原と真琴だけだ。
「天澤。頼むぞ…。」
切原は部室の片隅にある机に両肘を突き、組んだ手の後ろから目から上だけ覗かせている。
いつになく重い雰囲気に、真琴は一瞬たじろいだ。
「ど、どうしたの。切原くん。」
「今、頭の中で出撃のBGM流してやる気出してるとこ。」
"頼むぞ…"なんて言われたけれど、真琴はむしろ切原にそう言いたかった。
「じゃあ、とりあえず次の追試のところね。
授業でやった英文を持ってきたから、まずは一回解いてみて。」
「おう!」
切原は意気揚々と問題に取り掛かった。
…が、5分もしないうちに撃沈し、干からびていた。
「だめだ…なんにもわかんねえ…。
わかんねえこと考えてもわかんねえだろ…。」
確かにこれはなかなか手強い。
切原はそもそも、長時間机に向かっていられないタイプだった。
(試合の時はあんなに集中できてるのになあ。)
元々苦手なことを、集中力が切れた状態でやったって身につかないだろう。
真琴は、少し方向を変えることにした。
「じゃあ、この括弧は分かる?」
「have…かな。」
「…切原くん。」
真琴は一度深呼吸した。
そして切原の手を取り、彼の目を見つめながら両手で包み込んだ。
「すごい!正解だよ。
こんな難しいの解けると思わなかったよ〜。すごいね!
次も頑張っていこ!」
真琴は感じたことを15倍くらいにして切原に返した。
切原はちょっと顔を赤くしたかと思うと、自慢げに鼻の下をこすった。
「へへ、そうだろ?
こん時はたまたま聴いてて、覚えてたんだぜ。」
あまりに簡単な問題なので逆に馬鹿にしているような気もするが、切原はうまく乗ってくれたようだった。
(これなら良い感じかも!)
そこから、真琴はとにかく正解したら褒めちぎり、間違った時はやんわりと訂正したうえで至極丁寧に解説を加えた。
繰り返すごとに段々とミスが減り、同じようなレベルの問題なら半分以上正解できるようになってきていた。
「やべえ、これなら俺いけるかも!天澤教えるの上手いな〜!」
「それなら良かった。追試、絶対一回で通ってね。」
また切原が正解したので、真琴が彼の手を握ったところで部室のドアが開いた。
「あ、精市くん。」
切原はそこに立っていた幸村の顔と、握られた自分の手を交互に見る。
そして、サーッと血の気が引くのを感じた。
柳が後ろで困ったように手を額に当てている。
幸村はつかつかと2人に近づくと、静かに真琴の両手を切原から奪った。
真琴はきょとんとしている。
「赤也、真琴に勉強を教わっていたのかい。
…へえ、随分進んでるじゃないか。」
切原は尋常じゃない量の汗が身体を伝うのを感じていた。
(よく考えたらこの状況、一番怒らせたくねえ人の地雷をばっちり踏んでねえか?)
幸村はにっこりと笑って言った。
「…あとは一人でできるよね?」
「…ッス。じゃ、じゃあ天澤、ありがとな。
俺はこれで…。」
「あっ、切原くん…。」
そう言って切原はそそくさと部室を出て行った。
(…もう良かったのかな?)
真琴は手を握られたままであることに気づき、幸村を見上げ、そのまま衝撃で固まった。
彼はとんでもなくむくれていた。
それはもう、小さい子供のような膨れっ面だった。
見たことのない幸村の表情に、真琴はぽかんと口を開けていた。
柳は必死で笑いを噛み殺していたが、堪え切れずにくっくっくっ…と小さく声が漏れた。
真田も大きな溜め息をつく。
幸村は真琴の手を持ったまま、ずいっと詰め寄ってきた。
「いいかい。男はみんな狼なんだ。
奴らの前で簡単に可愛い顔したり、手を握ったりしちゃだめだ。」
「え、でも…。」
真琴は今も握られている手元をちらりと見た。
「俺は良いんだ。分かったね。」
そう言って、幸村はそっと真琴の手を彼女の膝の上に返した。
(なんという暴論…。)
真琴はあまりの勢いに呆気に取られて、しばらく言葉を失っていた。
幸村はよろよろと柳に寄り掛かり、小声で訴える。
「蓮二…。どうしよう、赤也が羨ましいよ…。」
「や、やめろ…ふふっ、精市、これ以上笑わせるな…腹が捩れる…。」
幸村のキャラ崩壊が、柳はすっかりツボに入ってしまっている。
真田が珍しく、気を遣って声をかけた。
「ひとまず、今日は帰ろう。もう遅いから4人でな。」
真琴はわけがわからないまま真田の言葉に頷き、3人とともに部室を後にした。
因みに、後日切原は追試に一発合格を果たしたが、その後真琴に勉強を教わることはなかった。