43

「きゃっ!」

宇都美はガシャンという大きな音と同時に、衝撃で尻餅をついた。

状況を悟った宇都美は、さっと血の気が引くのを感じた。

目を開けると、手に持っていたはずの香は粉々に砕け散っている。

「っ…!!」

宇都美は動けないまま、香の残骸から吹き上げた桃色の煙幕に飲み込まれた。




噴き上がった煙は幸村のいるコートを覆い、視界を遮った。

真琴はむせ込みながら濃い香の煙に必死に目を凝らすが、幸村の姿は見えない。

彼女は迷うことなくその中へ飛び込んだ。



「ごほっ…。精市くん…?」

煙は少しずつ晴れているが、風が弱くまだ視界が悪い。

甘く重い香りに頭痛がしたが、幸村が心配だ。

真琴は手探りで歩みを進める。

ネットに沿って、センターラインまで来た時だった。

突然背後に気配を感じたかと思うと、次の瞬間真琴は背中から地面に叩きつけられていた。

「かは…っ!」

衝撃で視界がぐらぐらと揺れる。

ようやく焦点が合うと、そこに立って居たのはやはり幸村だった。

彼はゆっくりと真琴に覆い被さり、首に手を掛ける。

濃い香に当てられ、その目は虚だった。

逃げなければと思うのだが、まだ頭がくらくらしてまともに働かない上、幸村がのしかかっているので動けなかった。

ひやりとした彼の指が首に触れ、その瞬間から時の流れが遅くなった気がした。

「せ…いち……く…。」

彼の両の掌が少しずつ首に密着し、そして徐々に力が込められていくのがわかる。

幸村の向こうに、青い空が見えた。

ふと顎のあたりが冷たくなるのを感じる。

視線を下ろすと、幸村が泣いていた。

じわじわと確実に力を強めている両手とは裏腹に、彼の呪縛は少しずつ解け始めているようだ。

「……っ、……。」

息ができない苦しさに、意識が離れて行きそうになった時だった。

「やめろっ!」

突然幸村が視界から消え、目の前には青い空だけが映し出された。

同時に、真琴の首を絞めていた手が離れる。

解放されてもすぐには上手く息ができなくて、真琴は酷く咳き込んだ。

「天澤ちゃんっ!大丈夫?!」

瀬川が真琴に駆け寄り、背中をさすってくれる。

横を見ると、乾が幸村を引き剥がしてくれていたのだと分かった。

彼にもう害意がないことが分かると、乾は幸村を解放し深呼吸を促した。

「ゆっくり呼吸するんだ。新鮮な空気を取り込めば、体内の香がじきに全て出て行く。」

「…。」

幸村は黙って頷いた。

もう香は随分薄くなっていて、立海の選手達は正気を取り戻していた。

「精市!天澤!大丈夫か?!」

真田、柳が幸村と真琴の元へ駆け寄ると、立海の選手達は皆その周りに集まった。

丸井は頭を押さえて俯いている。

身体だけでなく、心も辛いのだろう。

「気分悪ぃ…。てか、俺は何であんなこと…。」

「同感です。少し記憶が曖昧ですが…夢だったと思いたい。」

皆、戻ってきてくれた。

真琴と瀬川、乾は顔を見合わせてほっと胸を撫で下ろした。

幸村がようやく顔を上げると真琴と目があった。

彼女は疲れた顔で、それでも幸村に微笑みかけてくれた。罪悪感で目眩がする。

「…ごめん。」

自分の意思ではないとはいえ彼女を傷つけたという事実が許せなくて、それ以上何も言えなかった。

「詳しいことは…彼女から聞こうか。」

乾の言葉に、宇都美は肩をびくりと震わせた。