幸村が目線を上げると、ウェーブの髪をおさげにした少女がじっとこちらを見つめていた。
襟のある上品なワンピースとぴかぴかの硬そうな靴が、なんとなくお嬢様な雰囲気に感じられた。
少女の大きな瞳は吸い込まれそうなくらい綺麗で、胸の奥がじわりと熱くなるような感覚を覚えた。
数秒固まっていたことに気がつき、幸村ははっと彼女から目を逸らす。
(なんか、変な感じだ。)
そんな幸村をよそに、少女はひょいとテニスボールを拾い上げた。
「これを取ろうとしてたんだよね。はい、どうぞ。」
そう言ってにこっと微笑んだ彼女に、幸村はまた落ち着かない気持ちになった。
「…ありがとう。」
理由もなく冷静を装ってボールを受け取る。
さっきから心臓の音が煩くて、自分はどうかしてしまったのかと少し心配になった。
じゃあ、と少女は立ち上がって幸村に背を向けようとした。
「ねえ、君。名前は。」
言ってから自分でびっくりしてしまった。
なぜか彼女と離れたくなくて、無意識に引き留めていたからだ。
幸村が立ち上がり向かい合うと、少女との背丈はさほど変わらないくらいだった。
顔立ちから自分よりも幼いと思っていたが、同い年くらいなのかもしれない。
「天澤真琴だよ。」
「俺は幸村精市。また今度、来てもいいかな。」
不思議そうな顔をする真琴に、幸村は慌てて何かないかと辺りを見回す。
不意に、彼女の家の豪華な庭が目に留まった。
「ええっと…俺、花とか好きなんだ。
君のお庭には、たくさん咲いているみたいだから。」
「そうなんだ。私もお庭が大好きなの。
遊びに来てくれたら嬉しいな。」
その返事にほっとした幸村は少女に別れを告げ、再び真田と柳の待つテニスコートへ急いだのだった。
(さっきの、なんだったんだろう。)
まだ高鳴っている鼓動の意味など、当時の幸村には分からなかった。
それが幼い自分の初恋だったと気付いたのは、もう少し後になってからだった。
(…あのあと必死で植物の図鑑を見て、真琴の家に行ったんだっけ。)
過去の自分が可笑しくなり、幸村はふっと笑った。
自室の本棚には、季節の草花や趣味のガーデニングの本がずらりと並んでいるコーナーがある。
その一角に、日焼けした植物図鑑が今も置かれていた。
真琴とまた会うためにと始めた草花の勉強は、いつのまにか自分の好きなことに変わっていたのだった。