「許婚ってお前…。漫画とかで良くある、アレのことか?」
彼女は気まずそうにこくりと頷いた。
「私も全然知らなくて、2年くらい前に言われたの。
相手の人も悪い人じゃなかったからいいかなって思ってて。
出会い方は特殊だけど、それだけだしね。
でもなんでかな…。
最近どうしてもどうしても違和感があってね。
それで、頼み込んでなんとか解消して貰ったの。」
許婚が決まってたなんて、なかなか珍しいことだと思う。
しかももう解消したって、簡単に言うけど結構大変なことだったんじゃないだろうか。
「何、急に相手がウザくなったとか?」
「ううん。相手の人は変わらず良い人だよ。
変わったのは私だと思う。
でもどうして違和感があるのか自分でも分からないから、ちょっともやもやしてるんだよね。」
それって、あれじゃないのか。
聞きたくなかったけど、一応聞いてみる。
「…好きな奴ができたんじゃねえの?」
彼女はうーんと首を傾げた。
「そう言われても、誰も思い浮かばないなあ。」
丸井は彼女に好きな人がいない事にほっとしたものの、ちょっとがっかりした自分に気がついた。
好きかどうかも分からない癖に、候補には入れて欲しいだなんておこがましいことだ。
彼女は組んだ両手に顎を乗せ、にこにこしながら丸井に聞いてきた。
「次は丸井くんの番だよ。…ねえ、好きな人いるの?」
「俺か?…うーん、今はどうかな…。」
即答しなかったのは、目の前にいる彼女のことをどう思っているのか、自分でも説明できなかったからだ。
これまで付き合っていた時も、好きってこんなもんじゃなかった筈だとか思ってた。
…あれ。
そう思うってことは、俺は誰かを本気で好きになったことがあったってことか…?
考えていると、突然カランと音がして思考が遮られた。
視線を上げると、驚いたように目を見開いて固まっている彼女と視線が合った。
「あ…。」
さっきの音は、彼女が落としたフォークがワッフルのプレートとぶつかった音だった。
「…全部、思い出した。」
目を逸らした彼女がそう呟いた意味は分からなかった。
その動揺と悲愴が混じったような表情に、丸井は胸がざわつくのを感じた。
「えっ、ど、どうしたんだよ。」
「…ごめん、丸井くん。私、もう行くね。」
声が震えていた。
見えなかったけど、彼女は泣いていたのかもしれない。
「ちょ、おい…!!」
すぐさま自分の分のお金を置くと、彼女は振り向くことなくそのまま店を出て行ってしまった。
…なんでだ?俺、何かしたか?
彼女の辛そうな顔が脳裏に焼き付いて、ループするように何度も再生され続ける。
彼女は一体、何を思い出したのだろう。
根拠もないのに、それが自分に関係あることに思えてならなかった。
丸井は色々な感情が押し寄せるのについていけず、ただ彼女が出て行ったドアを呆然と眺めていた。