08
中学は、何か事情がない限り、全員強制で部活に入らなくてはいけない。名前は、絵を描く事が好きだったので、美術部に入っていた。美術部は、割と早く終わるので帰宅も遅くはならない。
3年生になり、運動部など大会があるわけではない為、引退の時期もはっきりとはないが、さすがに受験生なので10月以降部に出る3年生はほぼいない。名前も、余程の用事がない限りは部に出る事はない。
この日は、ずっと置きっ放しにしていた油絵の道具を整理し持ち帰る為に部に顔を出した。いつもよりも少しだけ遅くなってしまい、暗くなり始めた帰り道を急いで歩いた。
「ねぇ、キミ高校生?」
突然名前は肩を掴まれ声をかけられた。
「違います…。」
驚いて声が小さくなってしまう。
相手は高校生か大学生ぐらいの年齢の男2人。
「えっ、中学生?」
「スッゲーかわいいねー。」
グイグイと肩を押されながら脇道に追いやられる事に名前は恐怖を覚える。
「あの、帰りたいので、離してください。」
「ちょーかわいいじゃーん!」
このままではいけないとは思っていても、恐怖で声が出せずに名前はただただ震え次第に涙が溢れてくる。
「えーもしかして、怖がってる?」
「お前が怖えーんだって。」
「えーそんな事ないよねぇ。ぎゅーしてあげるよー。」
名前は腕を引っ張られ、膝をついて転ぶ。歯がカチカチと音が鳴る。怖い、助けて、と名前は叫ぶが、心の中でしか叫べない。
「…にしてんだよ。」
なんで今この声が聞こえるのか、幻聴かと名前は思った。
「あー?」
「なんだ?お前。」
ゆっくりと声がする方へ顔を向けると後ろにある街灯で逆光になり顔は見えない。けれど、名前には誰だかすぐに分かった。
「あら…く…」
なんとか声を絞り出す。
ゆっくりと近づく荒北に、彼らは笑う。
「なになに、そんな怖い顔してどうしたの?」
「何してんだって聞いてんだよ。」
「えーまだ何もしてないよー。」
「これから遊びに行こうかって話してたら、この子転んじゃってさぁ。」
違う、違う、違うと名前は必死に首を横にふり、声を出そうと口をパクパクさせる。
「た……すけ…て」
やっと出た小さな小さな名前の声は荒北にはしっかりと届いた。
「離せよ。」
「えー?」
「…さっさと離せっていってんだヨォ!」
そう言って、荒北は殴りかかった。
年上の男、しかも相手は2人となれば、荒北だってそう簡単に勝てるはずはない。初めのうちは、荒北の持つ身体能力で相手の拳を交わしつつ荒北は殴りかかっていたが、羽交い締めにされてしまえば、それは意味をなくしてしまう。
「やっと捕まえた。」
「あーマジいってぇー。」
そう言って荒北を後ろから羽交い締めにし、もうひとりが荒北に殴りかかる。誰か助けてと周りを見回すも、あまり人はいない。そこにいる人達も関わりたくないのか、見て見ぬ振りで通り過ぎてしまう。
「やめっ…。」
名前は、荒北を殴っている男の足にしがみついた。何度も振り払われそうになるのを必死に離さない。苛立った男は名前に手を上げようとした時、荒北を羽交い締めにしていた男が止めた。
「おい、さすがに女には手をあげんな。」
そう言うと、荒北から手を離し、いくぞと言ってもうひとりの男を連れて行ってしまった。
「たっ…たすかっ…た。」
名前はアスファルトに倒れこみ、荒北は壁にもたれズルズルと座り込んだ。
「荒北くん、ごっ…ごめんなさい、ごめんなさい…」
名前は、四つん這いの状態でなんとか荒北のそばにより泣きながら何度も謝った。荒北はほっとしたような顔で名前を見つめていた。
「名前ちゃん?」
少しして、また聞いたことのある声がした。見ると名前の兄の彼女であった。
そのすぐ後ろに兄が立っているのが見えた。
「えっ?名前?」
2人が駆け寄ってくる。兄は名前を見て、荒北に殴りかかりそうになったところを名前が兄の腕を掴んで止める。
「お兄ちゃん!違うの!やめて!助けてくれたの!」
兄の彼女は、名前の肩を抱き何があったのかと聞いた。名前もゆっくりと話す。
「荒北くん、名前を助けてくれてありがとう。」
意識はしっかりしているが、あちこち殴られた為、立ち上がってもフラフラの状態なので兄が肩を貸し荒北を立ち上がらせる。
「怪我もしているし、これから病院に連れていくから。」
そう兄が言うと、荒北は病院には行かないと言う。
「こんな怪我大した事ないんで。」
「そんな事ない、ちゃんと手当をした方がいい。」
そう言っても首を横にふる。
「でもこのまま家に帰すわけにもいかないから。病院が嫌なら、うちに来てもらうよ。」
兄は荒北の拒否の言葉も聞かず、ズルズルと引きずって連れて行ってしまう。名前は、兄の彼女に肩を抱かれたまま、2人の後ろをついて家まで帰った。
家に着くと、怪我人を連れた兄、泣き腫らした目で兄の彼女に肩を抱かれる名前を見て血相を変える両親。
「とにかく先に荒北くんの怪我を手当して欲しい。」
と兄が母親に言うと、急いで救急箱を持ってきた。
リビングのソファーに座らせ、断る荒北をよそに母親は手当を始めた。
手当をしながら、名前は何があったか話す。話し終わると、両親は荒北に何度も何度もお礼を伝えた。娘を助けてくれてありがとう、娘を守ってくれてありがとう、と。
両親はこんな状態でひとり帰すわけには行かないから送らせて欲しい、ご両親にも説明させて欲しいと言ったが、
「仕事でこの時間いないんで。」
と荒北は断った。それなら明日にでも電話したいから電話番号を教えて欲しいと言うが、それもまた荒北は首を横に振った。
「あの、ひとりで帰れるんで。どうも。」
軽く頭を下げて、そのまま家を出てしまった。
「待って!荒北くん!」
慌てて追いかける名前に、呼ばれた荒北は立ち止まるも振り返りはしない。
「ありがとう、本当にありがとう。怖くて…怖くてどうしたらいいのか分からなかった。荒北くん、助けてくれてありがとう。怪我させてしまって、ごめんなさい。」
「礼はいらねェ。」
そう言って荒北はそのまま歩いて行ってしまった。
「オレはお前に酷いことをしたんだから…礼なんて言う必要ねーんだヨ。」
小さな声で呟いた荒北の声は、もちろん名前には届いてはいない。
その後、名前は両親に2年の時に同じクラスだった事を伝え、当時の連絡網から電話番号を知り、母親は翌日電話をし、後日助けてもらったお礼とその時に負わせてしまった怪我の謝罪に伺った。
家には荒北本人はいなかった。荒北の母は、
「怪我なんてしょっちゅうしてるので気になさらないで下さい。こちらこそ怪我の手当てまでして頂いてありがとうございます。」
そして今回の怪我は少しだけ嬉しいとも話してくれた。
「誰かを助けるために負った怪我なんて、いまのあの子を見ていると想像できないけれど。あれだけひねくれて荒れていても、誰かを助けるっていう気持ちを持っていてくれた事が嬉しかった。」
と笑う荒北の母の笑顔は、本当に嬉しそうだった。
2019.11.28