君と紡ぐ明日への対角線



「ぼやけた輪郭を映し出すのは君」→3万HITリクエスト「青空の対価は君の声」の続き




まだ夏の暑さがうだるように体にのしかかってくる日々が続くある日。
冷房がついているとはいえ、教室の人数のせいがあまり冷気は感じられない。
ぱたぱたと何人かの生徒は下敷きをうちわ代わりに扇いでいた。
前回の席替えの時のように、ホームルームの時間。
教壇に立った義勇が告げる。

「今日は合唱コンクールの係決めをする」

きたね、そんな時期かぁ、とざわざわと沸き立つ教室。
そんな様子を実弥は他人事のように眺めていた。



合唱コンクールは文化祭の前に行われるこの学校の行事の一つだ。
一位になったクラスは文化祭での催しを開く教室を選べるとの特典が付いてくる。
つまりは一番人通りが多く集客が見込める昇降口に近い教室が獲得できれば、より文化祭での売り上げが期待できるわけだ。
文化祭や他の行事もそうだが、この学校では行事を大切に楽しもう皆と団結しようとの信念の元、いつも気合の入った文化祭が行われる。
合唱コンクールは文化祭前のクラスの団結力を高めるためことが目的である。

合唱コンクールは女子ソプラノ、男子アルトに分かれて課題曲を歌い、音楽の先生がその歌声を聞いて評価し順位をつける。
もちろん合唱部でない限り、普段は歌の練習なんてしていない為、放課後にはクラス毎に皆残って練習が行われる。
そのため、この時期は学校全体が放課後、歌声で賑やかになる。

ただ、所属している部活によっては、試合も近いため部活優先となり練習が免除される部活もある。
実弥が所属している剣道部も例に漏れず、大会が近いためコンクールの練習にはほぼ参加しない。
そのため現状でほぼ戦力外となっているため、実弥は興味なさげに欠伸を噛み締めた。


「まずはピアノの演奏の係を決めたいのだが」

これまた音楽のおの字も体に染み付いてない自分には関係のない話だなと、実弥は肘をついて頭を傾けた。
コンクールでは誰か1人、ピアノを弾く担当が必要だ。
先生は贔屓にもなるため関与しないので、クラスのメンバーの中から誰か1人、決めないといけない。
この時ばかりはピアノが弾ける生徒は重宝される。

「誰か立候補したい者はいないか?」

義勇の良く通る声に教室はしんと静まり返る。
残念ながら今回のクラスには、ピアノが趣味、という人間はいなかったようだ。
そうなると、大体は女子でピアノを少し習っていたとか、吹奏楽部の子達にお声がかかるわけだ。
しかし立候補がいない時点で、自分の腕には自信がない子達ばかりなのである。
なんとなくピアノを弾けそうに見える女の子たちはそっと下を向く。
数人、目を伏せた様子の女子を見て、実弥はさて、どうやって決めんのかねェと行く末を見守っていた。
完全に他人事ではあるが、ぴりぴりとした教室の雰囲気は居心地のいいものではない。


静まり返り何の反応もない教室の中で、冨岡は教団の上で眉間に皺を寄せる。

「・・・名前は前に、ピアノやっていただろう・・?」

「!ちょっと義勇!」

溢れるように冨岡の口から出た名前に、実弥は声を上げた隣の名前の方を向いた。
教室中の視線が名前に集まる。
注目が集まることが苦手だろう名前は視線に耐え切れず下を向いた。

「やってたんなら、苗字でいいんじゃないの?」

クラスの男子がぽつりと無責任な発言をこぼした。
それを機に、クラスの雰囲気が名前が担当でいいのではないかとざわめき出す。

「苗字さん、ピアノ上手そうだもんね」

「俺たちを助けると思って」

自分たちには関係ないような人任せなクラスメイトの発言に、名前の隣で内心腹を立てながら実弥は成り行きを見守る。
下手に自分が出ていっても余計に拗れるだけだ。

しばらく教室の様子をうかがっていた義勇が口を開いた。

「名前、ピアノの担当でいいか?」

観念したように眉を下げたまま顔を赤くした名前は冨岡の言葉に一瞬、怯んだような表情をした。
だが、周りの期待するような視線に耐えれなかったのか、聞き取れるかどうかの小さな声ではいと返事をした。
拍手が沸き起こり、黒板にピアノ担当:苗字の名前が書き込まれる。
じっと耐えるように下を向いたままの名前を実弥は横目で見守っていた。


ホームルームが終わるとすぐに名前は立ち上がり、冨岡のところに行って何かを訴えていたようだった。
それも結局、意味もなさなかったのか足取り重く戻ってくると、すとんと席に腰を下ろした。

「ピアノ、習ってんのか?」

実弥が話しかければ泣きそうな瞳が訴えるように此方を向いて、実弥は内心焦る。
でも次の瞬間、困ったような笑顔に変わった。

「あ、うん・・ちょっと前だけど」

眉を下げたままの顔で、名前は視線を下に逸らした。
名前の性格なら、きっと人前で目立つような事は苦手だろうなと実弥は思う。
しかも、クラスを代表して、なんてことはプレッシャーの何物でもないのではないか。
ホームルームでの焦った様子が浮かび、実弥はクラスメイト達の無関心さに腹を立てつつ、名前は大丈夫かと思案する。

「・・・結構前にやってたっていっても、楽譜は読めるし、ある程度弾けるんだろ?」

「う、ん。まぁ、そうだね」

「すげぇなァ。俺、全くできねェから尊敬するわァ」

本心からそう言えば、名前の顔が薄らと赤くなる。

「でも、本当に上手くなくて・・自信もないし・・・練習すればなんとか聞けるくらいにはなれる、かなぁ?」

最後は少し疑問の音を残しつつ、また困ったように名前は笑う。

「・・・・やらねェって言えばいいんじゃねェの?」

場の雰囲気に押されてしまったであろう名前に、そういえば、うーんと考え込んでしまった。

「他にやる人もいないみたいだったし・・。下手くそで申し訳ないけど−」

話の途中で担任が教室に入ってきた。
号令がかかり、実弥と名前の会話はそこで終わった。

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放課後、大会前と気合の入った顧問に散々しごかれ、実弥達剣道部の部員は疲れから体力の限界だった。
暑さも加え、体にまとわりつく衣服が気持ち悪い。
服を引っ張って空気を逃しながら、ぶつぶつと愚痴を呟きつつ、部室を後にする。

「本当、顧問、容赦ないよなぁ」

同級生で隣のクラスの匡近が、伸びをしながら横を歩く実弥に声をかける。
夏の夜が長いといっても日は沈みかけていた。

「疲れたァ」

「俺、腹減った。帰りにコンビニ行かないか?」

「・・・そうすっかァ」

匡近と会話しながら、昇降口を横切ろうとしていると、実弥は走って出てきた誰かとぶつかった。

「わっ!ごめんなさいっ!」

「!いや、こっちこそ、悪かーって名前?」

ぶつかった体を離しながら、顔を覗き込めば見知った顔が目を真ん丸にしていた。

「あ・・、実弥くん!」

驚いた顔の後に一瞬、名前がしまったというような表情になったことを実弥は見逃さなかった。

「今から帰りかァ?・・・それにしちゃ随分と遅くねぇかァ?」

「あ、うん、えーと、その、せ、先生に頼まれごとされて・・気づいたらこの時間で・・」

あからさまにそわそわして言葉を紡ぐ名前に内心嘘だなと思いつつ、名前が聞いてほしくないなら深く突っ込むべきでないかと実弥は思う。

「そうか、大変だったなァ。今から帰るんだろォ?」

「うん」

「危ないから送る」

「あ・・でも、実弥くん。粂野くんと帰るところだったんじゃ・・」

そういって、名前はちらりと横に居た匡近の方を見た。
きっと一緒に帰るところであろう2人の予定を邪魔をしてしまったかと不安そうに見つめている。
そんな様子の名前を可愛いなと思いつつ、匡近と目があった実弥はこれでもかと言わんばかりに眉間に皺を寄せ、ガンを飛ばした。

『着いてきたらわかってんだろうなァ?』

「大丈夫!ちょうど俺、まだ部室に用事あったし!」

バチリとウインクしてくる匡近に若干苛立ちを覚えながら、察し能力が高いことは実弥は評価した。

「そう?・・じゃぁお言葉に甘えても・・いいかな?」

少し、躊躇いがちな名前に余計なこと心配すんなと、頭をくしゃくしゃと撫でつける。
サラサラとした髪が、指を通るたび、あの図書室のことが思い出され、実弥は目を細めた。

「行くぞォ」

「うん、ありがとう!粂野くんもまたね!」

ひらひらと手を振る感情のない表情の匡近に実弥も視線で、挨拶を告げた。


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翌日の放課後、また昨日と同じように夕暮れ時、匡近と部活を終え一緒に帰宅する。

「なんなの!?昨日のあの感じ!?俺、話聞いてないけど!?」

「うるせぇ、言ってないから聞いてなくて当然だろォ」

「なになに?実弥は苗字のこと好きなの?」

にやりとしながら着いてくる匡近を振り払うように問いには答えず、実弥は早足で昇降口へと向かう。
無視すんなよー!と、匡近の声が追いかけてきた。

『・・今日もまたいるかもしれねぇ』

少し期待を含んだ胸のまま、昇降口の中に入り名前の靴箱を探す。

確かこの辺りだったと、身をかかげたその時。

「あれ?実弥くん?」

声をかけられ振り向けば、しまったという顔で口に手をやる名前を見つけた。
昨日同様、何かを気にしてそわそわと落ち着かない。
そして、実弥は疑問に思う。
名前が来た方向は、移動教室等がある校舎の方で、普段特別な用事がないと行かない校舎の方向だった。

「あ、えーっと、今日も部活、遅くまでお疲れ様」

何か誤魔化すように、気まずそうに視線を落とす名前に何をしていたのか触れられたくないのかと実弥は少し黙りこくった。

「・・・・今日も遅えなァ?」

「あ、うん。今日も、色々と・・・」

あからさまに上を向く視線を見つめながら、名前が放課後何をしているのか、俄然実弥は気になってくる。

「何してたんだァ」

「えっと。し、資料作り・・とか先生に頼まれて」

「昨日も頼まれたのにかァ」

「た、頼まれやすい体質なのかなぁ・・」

何故か言っている本人が一番不安そうに、言うものだから実弥は思わず小さく笑ってしまった。

「そうかァ。大変だな」

ま、言いたくないなら、無理に聞く必要ないか。
そう思い、横から追いついてきた匡近をまた目で牽制するのだった。


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今日はいつもより少し早めに部活が切り上げとなり、実弥は匡近への別れの挨拶もそこそこに校舎に向かって走っていた。
また、名前は今日もいるかもしれない。
予感に近い思いを胸に抱きながら、下駄箱に着き、名前の靴箱を覗き込む。
思った通り、そこにはまだ外履きの靴が入ったままだった。

『何してんのかねェ』

自身の上履きに履き替え外靴を下駄箱にしまうと、昨日名前が来た方向の校舎に向かう。
校舎からはもう歌の練習も終えたのか、わずかな話し声しかしなかった。
家庭科室や、社会科室、理科室などを順にめぐっていくが、どの教室も鍵が締まり静まり返っていた。
1階、2階の教室を覗き込むがどの教室にも名前の姿はない。

『・・・・当てが外れたかァ?』

きっと昨日も一昨日も、こちらの課外授業の校舎で何かをしていたはず。
そう思っていたが、段々と自信がなくなってくる。
2階から3階への階段を上っている途中、小さな音が実弥の耳に届く。

『ピアノ・・・の音』

誰かがピアノ弾いている。
流れるように奏でていた音が、途中外れて音が止まる。
再度ピアノの音が響きだし、また同じところで音が外れた。

音が聞こえる音楽室の近くまで来ると実弥はそっと忍び足になった。
気付かれないように気配を消して音楽室を覗き込む。
3階の突き当りに位置する音楽室の開け放された扉から、グランドピアノの前に座っている名前の姿が見えた。
放課後になって冷房は止まってしまっているからだろうか。
窓は全開に開け放たれ、吹き込む風にカーテンは膨らんでは風を逃しを繰り返している。
そのたびに名前の髪と室内の壁に貼られたプリントが一斉に風に揺れる。
先日の課題曲の一節が流れたと思えば、再度、同じところで音を外した。

「あぁー・・。ここ苦手だなぁ・・・」

小さなため息と独り言をこぼしながら楽譜に何か書き込みを入れた後、再度名前は背筋を伸ばしピアノに向き直った。
俯き加減の真剣な表情に、風にさらわれる度、髪を耳にかけなおすしぐさ。
実弥は目が離せなくなり、しばらく名前に心囚われたように固まっていた。

しばらくして深いため息とともに、名前はピアノの鍵盤を閉じて、後ろを向いた。
鞄に楽譜を入れて帰る準備をしているようだった。

実弥は名前に気付かれないよう、そっとその背中に近づいた。
余程集中しているのか、もうあと50センチという距離に近づいても名前は気づかない。

「名前」

「わっ!」

手元に持っていた楽譜が跳ねて、足元に散らばった。
名前が泣きそうな顔で後ろを振り返った。
その顔は一瞬で驚いた表情に変わる。
ころころとわかりやすく表情の変わる名前を愛おしく思いつつ、実弥は名前隣に立った。

「さ、実弥くんっ!?え?なんでここにいるの?」

「今日は部活、早く終わったんだよ」

「そうなの?でも、なんで音楽室に・・・?」

「最近、名前の様子が変だったからなァ」

そう伝えれば、名前はわかりやすくカーッと顔を赤らめる。

「・・・放課後、残ってた理由・・・嘘だってばれてたんだ・・・」

「まぁなァ。残って課題曲の練習してたのかァ?」

落とした楽譜を拾いながら目をやれば、名前は困ったように笑う。

「うん。家にピアノなくて。教室は合唱の練習してるから練習する場所なくって」

「それならそうとピアノの練習してたって言えばよかっただろ?」

隠し事をされたようで、少し納得のいかない実弥が名前を覗き込む。

「さ、実弥くんだけには、練習してること知られたくなくて・・」

「は?」

俺にだけは秘密にしたいってかァ?

少し、苛立ちに似た焦燥を感じながら実弥は名前の言葉を待つ。

「だって、実弥くんがこの間、私がピアノ弾くことすごいって言ってくれたから。私、こんな下手なピアノ弾いてるところ恥ずかしいから、知られたくないなって思って・・」

ぼそぼそと小さい声で、まるで独白でもするように名前は告げる。

「ちゃんと弾けるようになったところを、実弥くんには聞いてほしくって」

俯きスカートの上に置かれた手を小さく触りながら名前が小声で答える。
瞬間、実弥は思わずにやけそうになる口を手で押さえつけた。
名前の俯いた頭を見下ろしながら、気持ちを落ち着けようと深く息を吸い込む。

なんで俺だけに見せたくないんだよ。

それは。

それは、意識されてるって期待していいのか。




「ふふっ、でも練習してるのばれちゃったね」

下がってしまった眉毛とあどけない笑顔に、実弥は心臓を鷲掴みにされたように動けなくなる。

「・・・実弥くん?」

固まってしまった実弥に名前は不思議そうにの覗き込みながら立ち上がった。

「そろそろ学校閉まんだろォ、帰る準備すんぞォ」

顔を見られないように足早に名前から離れ、開け放たれた窓を閉めに向かった。
上がった呼吸を必死に整えながら、半分閉じた窓の隙間から入ってくる風に頬の熱が沈められればいいとそっと目を閉じた。



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