hear a door open 01
先日の不死川さんとの模擬デート称する飲み会は、本当に夢見心地だった。
お酒が入っていたこともあるけど、居酒屋で不死川さんを目の前にして一緒に焼き鳥を食べることになるなんて。
最初は本当に夢かもしれないって、指先が震えたけど、頬を抓ったら痛かったので夢じゃなかった。
そんな私をみて、不死川さんは何してんだァってそっと頬の手を掴むものだから、うへぇ!大丈夫です!なんて大声が出てしまった。
触れ合った掌の感触が忘れられなくて、不死川さんって存在するんだって感動さえ覚えた。
居酒屋も不死川さんの行きつけとだけあって、こじんまりしながらも値段に見合わずおいしいものばかりだった。
エレベーターに閉じ込められたり、同期とのデートがなくなったりと酷いこともあったけど、不死川さんという推しとの一生分の思い出が作れたとあって私はこれほどになく幸せだった。
この思い出を一生胸に刻んで生きていこう、なんて心に決めた模擬デートだった。
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不死川さんと模擬デートをした翌日。
テンション高く出社すれば、先に出勤していた胡蝶先輩と目が合う。
「おはよう。今日はなんだかご機嫌ね。昨日デートって言っていたものね」
にっこりと女神のような笑みを向ける先輩。
ふわふわとした様子なのに、観察眼はさすがだなと舌を巻く。
「そうなんです。実は同期とのデートは色々あって中止になったんですが、不死川さんと模擬デートに行ったんですよ!」
そういった瞬間、胡蝶先輩はぐいと前のめりになり、がっちりと私の肩を掴む。
「・・・その話、詳しく聞かせてほしいなぁ・・」
何故かすごく嬉しそうな胡蝶先輩の眼の奥が光っている気がする。
何となく断れない雰囲気を察して、私は先日私に起こったまるで乙女ゲームイベントのような出来事を伝えた。
「・・うーん、なるほど・・」
胡蝶先輩はなぜかすごく苦笑いをしながら、私に向き直る。
「そうよねぇ、名前ちゃんは、そう、だもんねぇ」
「?何の話ですか?」
眉がハの時になっている胡蝶先輩に私が首をかしげていると、コンコンと入り口をノックする音が聞こえた。
常時、総務課の入り口は開かれているが、皆入る前にマナーのようにノックするのが通例になっている。
振り向けば顔を覗かせたのは不死川さんだった。
私たちが会話しているのを見つけると、よォとばかりに手をあげてこちらに近づいてくる。
はっ!!これは、私、完全にお邪魔虫なのでは!?!?
確か先日のエレベーターの会話の中で、不死川さんの好みが胡蝶先輩って話があったはず。
しかもしかも胡蝶先輩がなかなか不死川さんの想いに気付かない、なんて話もあった気がする!
これは、私の模擬デートまで付き合ってくれた不死川さんの恋を全力で応援せねばなるまい。
使命感に駆られながら、私は「ああ、そういえば朝一の仕事があったんでしたー」と、分かりやすい棒演技になりながらもそっと、胡蝶先輩の席を離れ、自分の席に戻るミッションを達成した。
よかった。
これで胡蝶先輩の不死川さんへの恋愛ポイントは少しは上がるはずだし、私の恋愛経験値もうっすいながら増えたはずである。
自席にて一人ホクホクと笑みをこぼしていると「おい」なんて声をかけられて、肩がびくりと震えた。
「ひゃっ!・・不死川さん!?」
「なんで逃げンだよ・・・」
「逃げてない、逃げてないです。言い方に誤解があります」
正確には二人の邪魔をしないように退避したんですけど?
「あれ?胡蝶先輩に用事だったんじゃないんですか?」
私の席の横に立ち、背をかがめ私の顔を覗き込んでくる不死川さんの仕草。
何時も不死川さんのおでこにかかる前髪が、少しだけ横に揺れる。
それだけで、どきりと心臓が一つ鳴る。
「俺は名前に用事があるんだけどォ?」
「ひえ・・・!!」
先日の模擬デートの飲み会で、不死川さんに歳も近いし名前で呼びたいなんて言われたのだ。
酔った勢いもあったし、きっと次の日にはそんな話忘れてるだろうって思って「いいですよ」なんて軽く返したのが間違いだった。
推しからの名前呼び捨てなんて、ゲームだと物語がかなり先に進まないと発生しないイベントなのだ。
しかも一定の恋愛ポイントがたまった上でしか発生しない。
つまり、この状況は完全なるバグ、な訳で・・・。
今の私には荷が重すぎるくらいで、心臓が受け止め切れない音がする。
私は耳までじわじわと熱を持つのを止められなくて、慌てて顔を伏せた。
「なっ、なんでしょうかっ!?」
「今度の火曜の夜は空いてるかァ?」
「え?特に予定はないですが・・」
「じゃァ、また飲みに行くかァ」
今週水曜は祝日でお休みだ。
休み前に飲み会を誘ってくれる優しさにさすが不死川さんと気遣いに感動する一方。
その言葉に、嬉しさと申し訳なさとが同時に浮かんできて、私はすごく変な顔をしていたと思う。
「・・・・・胡蝶先輩を誘わなくていいんですか?」
「?胡蝶先輩・・・?」
「あら、ごめんなさいね。私その日は婚約者とデートが入ってるから〜」
会話が聞こえていたのか、胡蝶先輩がこちらに声をかける。
え・・・胡蝶先輩、婚約者いたの!?
知らなかった・・。
急な爆弾発言に驚いたと同時に、胡蝶先輩に婚約者がいるということは不死川さんの片想いは振られてしまったという状況にはたと気づく。
つまりつまり、もしかして、模擬デート兼、胡蝶先輩に振られたヤケ酒なのではないだろうか。
ここはそんな傷ついた不死川さんの気持ちを慰めないわけにはいかない!
「いいんですか・・!また、模擬デートしてもらって・・」
「え?」
「なんだか申し訳ないです・・・!!でも私、不死川さんとならすごく楽しく過ごせたので、もしよければまたお願いしたいです」
ぺこりと頭をさげれば、不死川さんは呆気にとられた顔をしてるし、後ろの胡蝶先輩は必死に笑いをこらえている顔をしていた。
「・・・とりあえず、19時に会社前に集合なァ」
なんだか釈然としないような表情のまま、不死川さんは総務課から去っていった。
その後ろ姿をみながら次回の飲み会ではしっかりと励ましますね!と心の中で思っていると、胡蝶先輩が近づいてくる。
「ふふふ、せっかくの”模擬”デートだから、張り切っておしゃれしましょ」
模擬の部分を強調しつつ、何故か胡蝶先輩は楽しそうににっこりと笑みをこぼした。
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「ううう・・これはやっぱりちょっとおかしいんじゃ・・・」
約束の火曜の夜。
時間前に会社前で独り言を漏らしながら不死川さんを待つ。
あれから胡蝶先輩からの怒涛のようなアドバイスが行われ、今日の模擬デートのためにと、私は履いたことのないふんわりと女の子らしいスカートを履き、靴も少し高めのヒール。
髪も教えてもらった通りに、かわいらしくまとめ上げ、化粧も言われたとおりにいつもと違うように仕上げをして出社した。
完全に課金である。
私レベルにはまだ手が出ないような装備を揃えてしまったにままならない。
胡蝶先輩には「可愛いわぁ」なんて言ってもらえたけど、他の社員さんにはなんだか好機の眼で見られていた気がするし。
「私なんかがこんなことしても・・・」
って言葉を胡蝶先輩に漏らせば。
「彼氏を作るための模擬デートなんでしょ?なら外見も変えていくのもいいんじゃない?」
なんて返される。
会社で人と目が合うたびに逸らしながら、分かりますモブオブモブの私ごときが、髪纏めてんじゃねーよって思ってるんですよね。ひゃー、すみませんすみませんと、1人心の中で平謝りしながら、なるべく目立たないようにそそくさと1日過ごした。
不死川さんは出張だったらしく、模擬デート前に会社で会わなかったのが幸いだった。
会って、え・・?なんて顔されたら模擬デートどころか当分会社に来れない自信がある。
「悪ィ。待ったか?」
ぼんやりと遠くに行きかけていた意識が、声をかけられ一気に現実に引き戻された。
顔をあげれば、不死川さんが小走りで近づいてくるところだった。
「あ、いえ!ちょうど今出てきたところです」
「そうかァ」
私の顔に向けられていた視線はじっと私を見つめたあと、何度か瞬きするとゆっくりと身体の方に降りていく。
あ、これは、例のモブに似合わない服装を見られている。
と、思うと同時に急に恥ずかしさが湧いてきて、滝のように汗が噴き出した。
「や、あの!この服装は、ですね!胡蝶先輩が折角模擬デートで彼氏作る努力しているならそういったところから始めることも大切との話があって「可愛い」
溢れだす言い訳が、不死川さんが一言漏らした声で一瞬にして止まった。
不死川さんがなんていったのか、うまく耳が機能せず、思わず、へ?なんて間抜けな声が漏れる。
「服装、似合う。普段のシンプルなのも可愛いけど、こういう女性らしい感じも名前に似合ってて可愛い」
「え?ええ??ああああ、ありがとうございますっ!!」
腰を直角にまげて頭を深々とさげれば、不死川さんの笑った声が頭に降ってきた。
あ、なるほど。デートでの褒め言葉は大切だってことだよね、さすが不死川さん!
なんて思いながら、にやける顔を止められず足元ので揺れる真新しいスカートを見つめた。
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火曜の模擬デート後も、何度か不死川さんに模擬デートに誘ってもらった。
最初は緊張もあったのに何度も不死川さんに誘ってもらって時間を一緒に過ごせることが楽しくて仕方なかった。
毎回こんなに楽しくていいのだろうかってくらいに、模擬なのに普通にデートを楽しんでる私が居た。
これは不死川さんのお陰でだいぶレベルアップしたんじゃないかな。
「苗字さん、今度一緒に食事にでもいきませんか?」
「えっ?」
何度か不死川さんとも模擬デートを実践してもらい、異性との会話も大丈夫かもと思い始め、胡蝶先輩のアドバイスのお陰でモブオブモブからモブくらいに昇格できたかもと少しずつ自信をつけ始めたある日。
まさかまさかの、念願のデートに誘われた。
もちろん、模擬じゃなくて、本当のデートだ。
相手は同じ会社の別部署の男性。
時々顔を合わせるから、お互い認識してるくらいって間柄だった。
今日もいつものように必要書類を彼に持って行ったところ、急に呼び止められた。
なんだろうかと、近寄れば、急に先程のお誘いを受けたわけで。
「え?え?私ですか??誰かと誘う人を間違えてませんか?」
「まさか、そんなわけないじゃないですか」
その返答になんてことだ、ついに私にも春がきた!
と頭の中で桜が咲きみだれ、天使がラッパを吹き紙ふぶきを散らす始末。
嬉しくてにやけそうな口元を書類で隠しながら、「ぜひ、行きましょう」と、返答しようとして、ハッと気づく。
この誘いを受けてしまえば、目標達成。
つまり異性と話せないからなんて理由で不死川さんがやってくれてた模擬デートも必要なくなるわけで。
「・・・・」
「苗字さん?」
「ごめんなさい!今、忙しくて・・・」
「そうですか」
別部署の男性は私の断りの返事にも、朗らかに言葉を返してくれた。
また暇が合えば行きましょう、なんて言ってもらえて、私は申し訳ないと思いながらも彼の優しさに感嘆するばかりだった。
以前の私なら絶対に脳内お祭り騒ぎで全力でデートお願いしますっ!って返事するところだったのに。
不死川さんとの模擬デートに行けなくなるから、デートの誘い断るなんて、本末転倒もいいところだ。
でも、でも、
どうしても。
お酒を飲んでとろんとした瞳でグラスを見つめながら、「俺の好きな奴は全く俺の気持ちに気付いてなくてよォ」なんて愚痴る不死川さん。
その瞳がゆっくり上がり、私の視線と絡んだ時の熱を、少しだけ、少しだけ特別だなんて思ってしまったから。
『本当、どうかしてるよね』
そう思うのに、心はどこか軽やかに足音を響かせていた。
MONOMO