16:駆け足の玉響



「名前、準備できたかァ」

祭り当日、玄関で先に準備が終わった実弥が下駄を履きながら名前を呼ぶ。
普段着慣れない浴衣に袖を通したこと、名前と一緒に出かけるとあって、実弥は態度には出さないが内心ずっと落ち着かないでいた。
いつもなら名前を呼ぶなんてしないだろうに気が急いているためかもしれない。

「はい!お待たせして申し訳ありません」

奥からいそいそと名前が出てくる。
普段の質素な女中の着物と違う、華やかな柄の浴衣に結い上げた髪には簪が揺れている。
紅もつけているからだろうか。いつもと違う大人びたようなその姿に実弥は目を奪われた。心臓の音が間近に聞こえる。可愛い、という感情だったが実弥はどう表現して良いか分からず、行くぞと声をかけるのが精一杯だった。
熱くなった顔を見られたくなくて先を歩く。
ついて行く名前は、準備が遅くなって機嫌を損ねてしまったかな、と窺いながら実弥の後を追った。




町に近づくにつれ、人が多くなってくる。
慣れない下駄とも合って、片目の見えない名前は人を避けながら実弥についていくので必死だった。

途中、すれ違う際に人にぶつかった。

「ごめんなさい」

頭を下げながら謝って、再度実弥の後を追う。少し先で、実弥は止まって待ってくれていた。

「申し訳ありません。人が多くてなかなか進めなくて」

頭を下げながら、言い訳のようなに言葉を並べる。

ふと、目の前に実弥が手を差し出した。
意味が分からず、困惑する顔を上げて実弥を見つめた。

「実弥様?」

「手、握っとけェ」

はぐれたら困るしなァ。そういわれて、再度差し出された手を見つめる。

一瞬で顔が耳まで真っ赤に染まった。
心の中は混乱してどうするのが正解なのかわからない。
女中だったらどうするのが正しいのだろう。
断るべきなのだろうか。

でも今、目の前の自身の為に差し出された手を名前は握り返したくて仕方がなかった。
おずおずと、差し出された左手の小指をそっと握った。
その様子に実弥は笑う。

「そんなんじゃ、すぐはぐれちまうぞォ」

そう言って、名前の手を外すと手を絡めて繋ぎ直す。
実弥の手のごつごつとした感触とじんわりと手を包まれた暖かさに、名前は深呼吸した。
そうしないとドキドキと音を立てる心臓が保ちそうになかった。



祭りに近づくにつれ、賑やかな雑踏が響いてくる。
提灯や、祭りの屋台が並んでいる光景に名前はわぁと声を弾ませた。
光輝く林檎飴に、ふわふわと雲のような綿菓子、大きな桶には金魚が泳ぎ、子供たちは射的で必死に玩具を狙っている。この場にいるだけで心躍りそうだ。
あたりを見回すように、色んなものに目移りしては目を輝かせる名前を見て、実弥は顔を綻ばせた。
まるで子供のような反応だ。


「祭りに来たことねぇのかァ?」

「はい。田舎に住んでいたもので・・」

変わらず輝くような瞳で笑みを溢す名前に実弥は息を飲む。
屈託のない笑顔は今まで見た中で1番自然で、眩しいものだった。

「・・名前の好きなところを見りゃいい。俺は何回か来たことあるしなァ」

「・・でも・・・」

祭りを見たい好奇心と、女中として主に使えねばとの葛藤で、名前は視線を落とした。

「名前」

ぽんと頭に手が置かれ、名前は落ちていた視線をあげた。
実弥の優しい笑みに思わず見惚れそうになる。

「今日は女中とじゃねェ、名前と祭りに来てんだ」

だから、好きにしろォと言われ、名前は目を瞬かせた。

『楽しい逢引きにしてね』

何故か別れ際の同期の言葉が不意に浮かび、本当に何もわかってなかったのは自身だけなのかと恥ずかしくなる。
どうしようと散々迷った挙句小さな声で絞り出した。

「あの・・、あちらのべっこう飴が見たくて」

「あァ、行くぞォ」

小さく告げられた願いに実弥が口角をあげたまま繋いだ手が引かれるものだからあまりに嬉しくて、名前は一瞬夢ではないかと心配になった。
でも掌の暖かさも、耳に届く様々な騒音も、鼻をくすぐる食べ物の良い香りも、どれも本物で。
嬉しさで鼻の奥がつんとして泣きそうになるのを堪えるのに必死だった。


屋台に並べられた様々なべっこう飴を見ていると、不意に鴉の形に似たものを見つけた。

『お世話になってる鴉さんに似てる』

そう思って1人笑っていると、目の前のその鴉に似た飴は横から伸びた手に取り上げられた。

「これ、もらえるかァ」

「はいよ!そのまま持って行っていいぜ」

実弥がお金を渡せば、店主は笑顔で返事をする。

「ほら、欲しかったんだろォ?」

実弥が購入した飴を、名前に差し出した。

「そんな!実弥様に買っていただくなんて」

「そこは素直にありがとう、だろォが」

あわあわと慌てる名前の前に押し出された飴を受け取ると、きゅっと握った。

「・・・ありがとうございます。一生、一生、大切にします」

「それは流石に食べてやれェ」





日が暮れ始め、提灯に灯が灯り出す。
太鼓の音色が聞こえ、名前はあちらこちらと歩き回って祭りを堪能して満足していた。
それに実弥と一緒に、手を繋いで歩けるなんて夢のようだった。
ずっとこの時間が続けばいいのに。そんな勝手な望みまで思いかけて、強欲だな1人心の中で笑った。

今日は実弥といつもより距離が近い感じがして、ずっと心臓が煩かった。
恋人同士だったら、いつもこんな感じなんだろうか。
今まで恋人らしい人もいなかったので、名前は恋愛経験に乏しい。
毎日こんなにドキドキしていたら心臓がもたない気がする。
恋人同士というのは本当に気持ちを強く持っているものなんだな。

いつも実弥と一緒にいたい。
それは女中としての使命感とずっと思っていた。
否、思い込もうとしていた。
でも今日一緒にいて、近くで笑う実弥を見て、もう隠し切れないほどに心から愛情が溢れてしまった。

完全に自分は実弥のことを好きでいてしまっている。

横を歩く実弥にちらりと目をやる。

「どうしたァ?まだ食べるかァ?」

紫の瞳と目が合えば、心臓が大きく跳ねた。






少し雑踏から離れた場所にきた。
横を歩いていた実弥がふと繋いでいた手を離した。
どうしたのかと顔を上げる。
実弥の銀髪はあの、自身を女中に誘ってくれたあの夕暮れのように真っ赤に染まっていた。
顔も朱色に染まっているが、それはきっと夕暮れの太陽のせいだろう。

いつもは怒ったようなそんな表情の多い実弥が、眉を下げ困ったような何か迷っているような、そんな表情をしたので名前はどうしたのかと思案する。

「実弥様、どうされました?」

思わず声をかければ、実弥は片手で顔を覆った。
あー、と何か考えるように黙り込んでしまった。
体調でも悪いのかと不安になった時、実弥は急に顔を上げた。
瞳には決意の色が見えた。

「名前」

「はい、なんでしょう」

急に改まったような実弥の態度にどうしたのだろうと疑問符を浮かべながら、名前は返事をする。



「これから一生、俺と共にいてほしい」


「え・・・」


実弥が頬を赤く染めているのは太陽のせいでない。
本当に頬が赤くなっていることに気がついた。

そんな実弥を見つめながら、名前は完全に混乱していた。

それはどういう意味なのだろう。

どういう風にとらえたらいいの?

なんだか勘違いしてしまいそうになる。




頬を染め動きが止まってしまった名前を見つめながら、実弥は決意を固める。
ずっと言おうと思っていた気持ちを伝えると。
体の関係があろうが、日々一緒に過ごそうが、今まで彼女の気持ちは聞いたことがない。
正直、鬼狩りをしていていつ死ぬかとも分からない身で彼女を幸せにするなんて大それた事をいうなんて、と思ってしまうこともあるが。

それ以上に今目の前で焦っている彼女を離したくは無かった。

「名前、俺はー



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