18:ひとときの縁
少し歩いたところで道端にうずくまっている女の子を見つけて名前は駆け寄った。
女の子を覗き込めば、上げられたその顔にはたくさんの涙の痕が残っていた。
夕方、1人で膝を抱えて涙を流している状況に名前は顔をしかめる。
名前と不安そうな瞳が交差した。
「どうしたの?」
覗き込むように尋ねれば、女の子は口を結び深呼吸を一つして絞り出すように告げる。
「・・・お祭りにきて・・。お母さんとはぐれたの」
足が痛い、と座り込んでいる女の子の足を見つめる。足首のところが赤く腫れ、手を当てれば熱を持っていた。捻挫だろうと名前は持っていた手拭いで簡単に足首を固定した。
「どう?歩けそう?」
女の子の腕を持ち上げ体を起こしてやりながら聞いてみる。
少し足を曲げたり体重をかけたりしていた女の子はうんと小さくうなずく。
そんな様子の女の子を見ながら、名前はその後ろにある夕日に目をやった。
太陽はもう沈みかけていた。早くしないと夜になる。
「家はどっち?」
「あっち」
屋敷と反対方向の山の方を指差した。
「私も一緒に行くから、家に帰ろう」
そういって女の子の手を握って、名前は歩き出した。
森の中に入ったところで、日が沈み辺りは暗闇に包まれる。淡く照らす月明かりだけが頼みの綱だ。
足元にまとわりつく雑草を踏みしめながら、名前は進んでいく。
風が吹くたび揺れる木に、毎回心を焦らせながら女の子の指さす方に少しずつ歩いていった。気持ちばかりが先走ってしまうが、女の子の歩調は足をくじいたせいでゆっくりだった。
がさりと草むらが揺れる音がして、つないでいた女の子の手がギュッと握られる。
「・・・おねぇちゃん」
不安そうな声で呼ぶ、その小さな手を握り返した。
「大丈夫だよ、おねぇちゃんがついてるから」
女の子を励ましながら笑顔を作る。
もし鬼と対峙したとなればこちらに勝機はほぼない。
数年前に刀を握っていたといっても、もう昔の話だ。
体力もなく、感もあてにはならないだろう。
ましてや以前と違い片目を失っている今となっては。
自分が持っているのは護身用の小刀だけ。
もし、鬼に出会ったその時はー。
覚悟を決めないといけないだろう。
胸元にいれた小刀を出すことがなければいいと思いつつ名前は歩を進めた。
ふと、周りの気温が下がったような気がした。
肌にざわざわとした感触が走る。
嫌な予感がして名前は立ち止まった。
女の子は動かなくなった名前におねぇちゃん?と小さく問いかける。
進む先に何かいる。
それは過去に何度か対峙した事のある人ざるものと感じ、脂汗が額に浮かんだ。
できる限りの警戒態勢になり、両足にぐっと力を込める。
かがみ込んで女の子の耳元で呟いた。
「いい?私が手を離したら、すぐ来た道の方に駆け出すんだよ」
後ろは振り向かないで。雰囲気を察したのか、女の子は黙ったままこくりとうなずいた。
次の瞬間、草むらからぬっと黒い塊が現れた。
ぱっと見ると人のようだが、血走る目や大きく開いた口から見える伸びた歯や舌に、やはり人ではないと睨むように目を細める。
額には主張する様に二本のツノが伸びていた。
鬼だった。名前は振り払うように女の子の手を離した。
「いい匂いがすると思ったら女と子供か。これはいい」
長い舌で舌舐めずりをすれば、じゅるりと嫌な音が聞こえた。
ひゃっと青ざめた顔をして固まってしまった女の子に名前は「早くっ!」と怒鳴るように叫んだ。
弾かれたように女の子は一目散に来た道を走り始めた。
「逃さねぇぞ」
追いかけようと女の子の方に向き直った鬼の前に名前は立ちはだかった。
抜刀した小刀を向けて、必死に間合いを取る。
『時間稼ぎも難しいかもしれないけど』
少しでも女の子を遠くへ逃すには、自分を標的にさせてこの場に止まらせるしかない。
ぐっと小刀を握る手に力を入れた。
「ククッ、そんなもんで俺に勝てるとでも思ってんのかぁ」
そう言って目の前の鬼は一気に間合いを詰めて、名前に殴りかかってきた。
間一髪、最初の攻撃は避けたものの、次に死角になっている目の方から飛んできた腕には気付けず、鬼の腕は名前の右半身にめり込んだ。
そのまま体は飛ばされ、木に打ち付けられる。
「かっ、はぁ」
体の痛みに顔をしかめながら、体がズルズルと地面に沈む。
目を開けるとすぐ目の前に鬼の顔があって、名前の顔は青ざめた。
「傷もんだが、なかなかいい顔してんじゃねぇかぁ」
三日月のように細められる目。舌舐めずりをする口からはぼたぼたとよだれの様なものが落ちる。
「目は一つは見えるのかねぇ」
そう言って名前の左眼をじっと食い入るように見つめてくる。
何故か一瞬ぐらりと視界が歪んだような気がした。
満足気に鬼は口角を上げた。
引きつる顔を必死に堪え、目の前の鬼を睨みつけた。
「いいねぇ。勝気な感じも嫌いじゃねぇな」
そういうとひゅっと鬼の長い爪が目にも止まらぬ速さで下された。
名前が来ていた浴衣が一瞬で裂かれ、白い肌が外気に晒される。
名前はその場に組み敷かれ、手は頭の上で束ねられ股の間には鬼が体を入れてくる。
何せ身体は痛くて抵抗する力も入らない。
「食べる前に体の具合も味わっておこうかぁ」
そう言って長い舌が名前の胸のに触るとぞわりとした感触が襲い、名前は体を震わせた。
「たくさん犯して犯して、その後食ってやるからよぉ!」
ほぼ何もつけていない体に鬼の手が這う。
その感触に吐き気を覚えながら名前は奥歯を噛み締めた。
悔しくて、情けなくて、涙が出そうになるのをぐっと堪える。
ここまでか、と思いながら名前は鬼を睨みつけていた。
家族も皆、鬼に殺された。
今まさに自身も殺されかけている。
鬼が憎い。憎い憎い。
でもこの力の差はどうすることもできない。ましてや、傷を負ったこの体では。
足を力任せに開かれるとともに、首にぐっと鬼の手がかかった。
首を絞めつけてくる力強さに顔をしかめて、必死に空気を吸おうと口からは声にならない音が漏れる。
「苦しむ顔見ながら犯すの最高なんだよなぁ」
酸素が取り込めなくて、意識が飛びそうになる。
実弥様に最後にお会いしたかったなぁ。
『名前』
消えかかりそうな意識の中、優しく名前を呼ぶ実弥の声が聞こえた気がして、一粒涙が、地面に落ちた。
半分意識がとんだところで、急に首元の鬼の手が緩んだ。
「くっ、はぁっ!はぁはぁ」
一気に空気を吸い込みながら、ぼやけてきた焦点を合わせれば顔の真前にあった鬼の顔がゴロリと滑るように傾いていく。
そのまま、ごとりと地面に落ちた。
「ひっ」
思わず声を上げて鬼の様子に目を見張る。
体を押さえつけていたはずの鬼の身体はたちまち塵となって消えていく。
一体何がー。
考えていると鬼のいた背後に炎の様な髪がなびいているのが見えた。
「・・・れ、んごくさん・・」
「やはり名前か!久しいな」
目を細め笑う煉獄の顔を名前は信じられないものを見るような目で見つめた。
MONOMO