ビョリの居ない朝は、初めてだった。
どれだけ遅くなったとしても外が明るくなる前には帰ってきて、私を抱き締めて眠ったのに。
嫌な予感がして、水すら喉を通らない。

ただソファーに座り込んで帰りを待ち続けた、そんな昼下がり。
インターホンの向こうの彼女はキムヨンソンと名乗った。ビョリからよく聞いていた名前の1人。
オートロックを解いて部屋に上げる。話を聞いて想像していたよりずっと可愛らしい女性だ。

それでも、どこかで分かっていた。
彼女がどうして此処に来たのか、ビョリは何をしているのか。



「これ…ビョリから、預かってたの」



そっとテーブルの上に置かれたのは、宛名もない真っ白な封筒。

嘘だと言って。これは夢だと。だってビョリは昨日も此処に居て、私を抱き締めて、愛してるって。
帰ってくる約束をしたの。だから笑って見送った。



「…自分に何かあったら、貴女にこれを渡してほしいって。」



震える手で封筒に触れると、そこから愛しい彼女の温もりが伝わるようで苦しかった。
読みたくない。読んでしまったら、認めなくちゃいけないみたいで。

だけど、彼女の思いを知りたいのもまた、事実だった。



『……』



ゆっくりと封を切って、手紙を開く。手の震えは止まらない。





名前


この手紙を君が受け取ったという事は、私は君の元に帰れなかったんだね。弱い私のせいだ、ごめんね。

きっと沢山不安にさせてきた。こんな私と過ごすのに嫌気が差した事だってあるかもしれない。
それでも、隣に居てくれてありがとう。
私には何もない。語れるものも誇れるものも、ひとつだって持ってない。
だけど、君と過ごした時間は間違いなく私の人生で1番穏やかで、幸せな時だったと言えるよ。

私は君を、ほんの少しでも幸せに出来たかな?君は私と居て、楽しかっただろうか。
もしもイエスだと言ってくれるなら、何よりの幸せだよ。

いつでも此処で、君を待ってる。だから焦らずにおいで。


愛してるよ、名前。私の全てを懸けて。





『っ…』



泣いたのはいつ振りだろう。向かい側に座る彼女は何も言わずに私を見ていて、その瞳はどこかビョリに似た温もりを灯していた。
私が落ち着くまでただそうしていて、1度だけ私の頭を撫でて出て行った。
一匹狼気質なビョリが彼女を慕っていた理由が、何となく分かった気がした。


気が付いたら日が暮れていて、電気も付けていない部屋は暗闇。
昨日の今頃、ビョリを送り出した時間だろうか。結末は変えられなかったかもしれないけれど、もう少し長く抱き合っていたかったと思った。

棚の中から瓶を出して、中身を一粒残らず水で流し込む。
丸1日何も口にしていない身体は喉が渇いていたようで、ペットボトルの中身を一気に飲み干した。

一気に身体が冷えていく。ソファーに寝転がって、目を閉じる。終わりの時がこんなにも静かだなんて、知らなかった。



『ビョ、リ…』



右手が暖かくなった気がした。その温もりは、この世で唯一愛したその人のものだった。





安らかな終焉を願う。私にも、そして貴女にも。



END.


















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