出入り口に近づいた気配に、男は机に向かっていた顔を上げた。周囲を覆う大きな天幕に人影が差している。

手をかけられた出入り口の布地が引き上げられ、束の間入り込む外からの光が両の目を刺した。

「今日は暇そうだな、マーク」
「またお前か。暇なのはそっちじゃないか?」

声もかけずに入ってきたのは大柄な体躯の男で、マークは握ったままの筆を机上に放り出す。記憶に間違いがなければ、この男はほんの数日前にもこうしてやってきていたはずだ。以前からなんだかんだと理由を作ってはほとんど定期的に顔を見せていたが、最近は頻繁すぎる。

街の片隅に開いた小さな占い屋にこんなに厳つい男連中が出入りしているとなると噂が立つ。クチコミで広げてきた人脈と経営だ、悪い噂話ひとつで破綻する可能性も低くはない。簡単に潰れるわけにもいかないというのに、この男は。存外利口な頭をしているのだからそれくらい理解していないはずがないだろうに。

「そんなに何度も来たってな、状況はそう変わりゃしないんだよ。緊急事態なら刻一刻と変動するわけだが今はそうじゃない。わかってるだろうが」

マークの言い分に男は浅黒い腕を組み低く唸る。

「だがいつその緊急事態になるかわからないのが世の中ってもんだろう」
「ブレン」
「あんたならすでに知ってるだろうけど、昨日もまた血の気の多い連中が兵士と遣り合った。俺だって無駄な争いがしたいわけじゃねえ、だが抑えておくにも限度ってもんがある」
「その限度とやらを突破する勢いなのか、組織のやつらは」

頷くブレンの表情は硬く、彼の苦労を物語っていた。ブレンの所属する組織は堂々と口外できるようなものではなく、そもそも血気盛んな人間でもなければ入ろうなどと思うはずもないとはマークも承知している。

――これだから若い連中は。

「国が引っくり返ろうが知ったこっちゃないが、頼むから巻き込まないでくれよ」

嘆息する。年月を費やし第三者という立ち位置は確立したつもりで、どんなことが起きようと傍観する側でいると決めているのだ。例えば改革だ革命だとかの名のもとに反乱が起きたり、誰それの復讐だとか敵討ちで人が死に、そうして国が混沌としたとしても。

一歩でも踏み込んでしまえばただでは済まない。

幼子が目の前で殺害されても簡単には流されまいと決意は固い。何があろうと他人は他人、他人事である限り誰を恨むことも誰かに不興を買うのも最低限で済むはずだ。もう二度と自分の大切なものを蔑ろにするようなことはしない。

「わかってる。あんたは情報を売ってくれさえすればいい。迷惑をかけるつもりはない」
「とか言いながら頻繁に来るのはどうなんだ。うちは表向き単なる占い屋だ、血なまぐさい野郎がひょいひょい顔出すような店じゃないんだがな」
「ははっ、悪いな。俺も気が急いてるみたいだ。一度落ち着かないとな」

苦笑して髪が伸びっぱなしの頭を掻くブレンは悪い人間ではない。知っているからこそ、情報屋として取引相手として選別したうちの一人なのだ。苦労人だと思うのだがさほど自覚はしていないようなところもいい、と思うのだ。つまりマークはブレンを買っている。

「急いては事を仕損じるって言葉があるが、仕損じるわけにはいかないんだろう」

嘴を突っ込むつもりはないが。

マークは手元にあった紙の束を捲った。裏付けの取れていないただの覚え書きだ。噂話のひとつでもくれてやろうか、暇潰しにくらいはなるだろう。

「そういえば、こんな噂を知っているか?」






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