薄暗い更衣室から足を踏み出した私は、外の明るさに目を細めた。今日はとうに過ぎた夏を思い出させるくらいに日差しが強い。グローブをはめたばかりの両手にはすでに薄っすらと汗が滲み、結びきれなかった髪の毛は頬に張り付くように垂れ下がっていた。
 とりあえずこれでと手渡された借り物のユニフォームは身に合わなくて、少し動くたびに襟首のところがチクチクしてむず痒い。そして今朝から何の食物も入れていない胃は、緊張で今にも張り裂けそうだった。
 自分の箒さばきに自信がない訳ではもちろんなくて、むしろ前任シーカーといい勝負だと密かに思っている。けれどそんな自信満々な私は今、口の中がカラカラに渇ききってしまうほどに緊張してしまっていた。一人で自由気ままに飛ぶのとはわけが違うのだ。これは試験なのだから。


 先に競技場で準備をしていたキャプテンは私の姿に気がつくなり、抱えていたブラッジャーを隣のチームメイトに押し付けて駆け寄ってきた。

「ミョウジ! 待ってたぞ!」
「お、お待たせしました」
「いやいや、まさか君が来てくれるとはなあいやあ……俺、君のお父さんのファンだったんだよ。それにしてもミョウジの目の色はお父さんと同じだな。ああ、そうだ、これは前からずっと思ってたことなんだけど――」

 日焼けした肌に、口元から時折のぞく白い歯が印象的だ。何かと騒がしい人だと思っていたけれど、実際に目の前にすると予想していた以上の迫力がある。トロールも一目散に逃げていくに違いない……ってまずい! 全然話聞いてなかった。
 私が内心慌てていると、突然彼は話を中断してくぐもった声を上げた。

「いってぇ……」

 頭を抱えてしゃがみ込む彼のすぐそばにバットが転がっている。まさか、このバットが頭に命中したんだろうか。

「キャプテン!」

 ものすごく痛そうだ。私も地面にしゃがんで彼の顔を覗き込む。よかった、血は流れていない。それならば、と私は思案する。マダムポンフリーの顔が頭に浮かんだ時、話し声が近づいて来るのが聞こえた。ブラッジャーを抱えた先輩とポッターだった。

「キャプテン、すみません。軌道をずらそうとしたんですけど、どうも上手くいかなかったみたいですね」

 ポッターはキャプテンにちらりと視線を送ってから、地面に転がるバットを杖先で数回突いた。何も起こらない。けれどいまだに頭を抱える彼よりもバットのほうが気になるみたいで、眉を寄せてそれを見つめている。

 状況が飲み込めない私は、ブラッジャーを抱える先輩に一体何が起きたのかと視線だけで問いかける。すると先輩は忌々しげな表情を崩さずに、予想外のことを口にした。

「スリザリンのええと、名前は何だっけ……とにかくスリザリンの奴だ。そいつが君を狙ってバットを飛ばした。で、それに気付いたポッターが急いで妨害呪文を掛けたが、間に合わなかったっていうところだな」
「……私を?」
「ああ、あの位置からだと間違えなく君を狙ったんだと思う。……お前、今回のはやばいやつだったか?」

 先輩がキャプテンを振り返った。先ほどまでとは打って変わり、その表情は余裕を失って心配の色が濃くなっている。そうだ、今はキャプテンが大変だ。自分が狙われたという事実で頭が一杯になっていた私も、ハッとして視線を向ける。しばらくの沈黙の後に、キャプテンは頭から手を離して振り絞るような声を出した。

「やばい……やつだな」
「よし、じゃあ……おーい! ハーパー、こいつを医務室に運んでくれ」

 ハーパーという人が駆けつけて来て、移動呪文でキャプテンを浮かせたまま運び始めた。けれど一人分の魔力では、がっしりとした体格のキャプテンを運ぶのはやはり難しいみたいで、時々危なっかしくよろけてしまっている。
 手伝いますと私が申し出るより先に、その様子を見ていた先輩が「ちょっと、君たちはここで待ってて」と手をひらひら振って、彼らの後を追った。


「ねえ……バットに変な呪文が掛けられてないか、一応確認しといた方がいいって思わないかい?」

 自分が声を掛けられたということを認識するのに時間がかかった。それほどまでに、呟くような小さい声だったのだ。振り向くとポッターが杖を手の平で転がしながら、気怠げに私を見ていた。こちらを見ていて、同時に見ていないような視線だと思った。あまり私に関心を抱いていないということが、ひしひしと伝わってくる。
 だからだろうか。私は苦手なポッターと目を合わせることが出来た。そういえば真正面からしっかりと顔を見るのは初めてかもしれない。彼の瞳がハシバミ色だというのは知っていた。けれど正直、顔に関しては眼鏡っていう印象しかなかったし、思っていたよりも整った顔立ちをしてることに少し驚いた。……なんて失礼なこと考えてるんだろう、私は。
 
「そうだね、スリザリン生が飛ばしたのなら……闇の魔術とか使われてるかもしれないし。マクゴナガル先生のところにでも持っていく?」
「えーと、厨房のあそこだったかな……アクシオ!」

 ポッターは私の言葉を聞いたのか聞かなかったのか、それには答えずにある一点に向かって杖を緩く振った。
 自分から質問しておいて一体、何のつもりなの? 私は眉を顰めつつも、ポッターの視線の先を追った。何か塊のようなものが風をきる勢いでこちらへ向かってくる。え、何! 次第に大きくなっていく塊を前に、私は思わず目をつむった。

「……おっと」

 恐る恐る目を開けると、ポッターが何かを両手でちょうどキャッチしたところだった。
 ……すごい。ついさっき無視されて少しムッとした気持ちは消え失せ、声にこそ出さなかったけれど、私は素直に感心した。呼び寄せ呪文は対象物との距離が伸びれば伸びるほど、格段に難しくなる。厨房からここまではだいぶ離れているし、それを――

「あれ、喉渇いてない? そうかと思ったんだけど」

 不思議そうな声がして我に返った。目の前にはカボチャジュースのパックが差し出されている。

「あ、ありがとう、ポッター」
「どういたしまして」

 私は驚きと困惑で目を瞬いた。ポッターは私に気を遣ってくれたのだろうか。あの、肥大化した自尊心の塊のような人が。半ば信じられない心持ちでそれを受け取り、横目でこっそり隣を窺う。けれどその横顔からは何の表情も読み取れなかった。駄目だ、全然わからない。

 私とポッターはカボチャジュースで喉を潤した後も、そのまま黙り込んでいた。もともと仲がいいわけでもなく、また、仮にもこれからライバル同士になる(向こうがどう思っているかは知らないけれど)ような間柄では、特にこれといって話すこともないからだ。
 ポッターが時折つまらなそうに杖を振って花火を散らしたり、大きな欠伸をしたりと、見るからにリラックスしきっている一方で、私はあの固いバットに激突したキャプテンが無事なのか気が気でなかった。屈強な彼でさえ、あれほど痛がっていたのだから、相当なダメージだったのだろう。
 それならもし、自分があのバットをまともに身に受けていたら……? そのスリザリン生はなぜかはわからないけれど、私を狙っていたのだ。今回、失敗したのを見て、いつかまた不意打ちでもしてくるのだろうか……。

「顔色、悪いね」

 頬にひんやりとしたものが当たり、私は僅かに肩を震わせた。グローブを外した、ポッターの手だった。

「そう?」戸惑いを悟られないようにお腹の底から出した声が、案外冷たいものになってしまう。

「もしかして、さっきの――」

 不意にポッターが口をつぐんで手を引っ込めたので、私は顔を上げた。待たせたな、と叫びながら先輩が駆け寄ってくるところだった。



Uninterested