気を失ってから、どれくらい立ったのだろう。ほんの数秒なのか、数分なのか。だが長い時間は立っていないらしい。気づけば大空を見上げていた。
 起き上がろうとしたが、身体は怠くてうまく動かせない。自分とオーガンの、ふたつの錬成反応が作用してしまったのだろうか。
 自暴自棄になったオーガンを止めようと自分も錬金術を使って。それからどうなったのだろう。そう思って隣を見れば、オーガンもまた地面に倒れて空を見上げていた。すぐそばでロイたちが何か言っている。爆発が起きた様子はない。ああ、良かった。全員生きている。
 空は広い。
 あの子は、このどこまでも続く広い空を自由に駆け回っているのだろうか。母さんはこの空のどこかで見ているのだろうか。非科学的なことは信じていないのに、そんなことをらしくもなくした。

「あの子、な。俺が助けたときには、もう手遅れだったんだ」

 エドワードは静かに語りだした。あの日のこと。オーガンはあの子を見殺しにしたと言っていたが、エドワードがそんなことをするわけがない。
 あの日、少女は錬金術に巻き込まれた。助け出したときにはもう手遅れの状態で、それでもエドワードは助けを呼びに行こうとしたのだがその時少女に手を掴まれたのだ。自分の生きた証を見届けて欲しい、と。その切実な願いをエドワードは断ることができなかったのだ。
 あの子は最期に笑っていた。でもあの時何が正しい行動だったのか、答えのない答えをエドワードは探し続けたが、それは今でも分からない。

「なあ、もう分かってるんだろ。あの子にどうして惹かれたのか」

 オーガンは黙って空を見上げている。オーガンはウィンリィに諭されて、気づいたはずだ。なぜあの子だったのか。双方に家族愛があったからだとウィンリィは言った。でもそこに至るまでには。

「俺も感じていたけど。あの子……なんとなく、母さんに似てたよな」

 トリシャと、あの子は似ていた。誰であろうと受け入れてくれる雰囲気が、どことなく。だからこそ、エドワードは記憶に蓋を閉め、オーガンはあの子に惹かれたのだ。
 きっかけはそれだった。少女を通してトリシャを見ていたこともあっただろう。だが、時を経てあの子はトリシャとは違う面を持つことに気づき、少女自身を見るようになっていったのだ。
 本当は心のどこかで分かっていたはずだ。トリシャ以外にも、受け入れてくれる人はいるのだと。だが拒絶される恐怖からか、現実から目を背けていたのだ。

「……あの子は、すべて知っていた」

 オーガンは独り言のように呟いたエドワードを、このとき初めて見た。

「最期に、『あの人のこと、恨まないでね』って言ったんだ。何も知らない俺に、恨まないでって。あの子は、あんたが母さんを追いかけ続けてることも、人体実験してたことも、俺のことも、すべて知っていたんだ」

 オーガンの目が見開く。
 すべてを知っていた?そんなことって。だって、そんなこと一言も。そんな素振りもなかったはずだ。なら、いつ知ったのだろう?
 ………そうか、あの子は家を出るようになって、どこかに出かけるようになったな。
 その時だろう。オーガンが何をしているのか知ってしまったのは。純粋に後をついてきたのか、何か感づいて調べたのか、それは分からない。けれど、全て、知っていた、のか。
 愕然としているオーガンに、続けてエドワードは口を開いた。

「だから多分、あんたが本当は自分を受け入れて欲しいことも、自分のことを本当の意味で大切にしてたのも知っていたんだと思う」

 そう聞いて、思い出したのはあの日のこと。
 最期、あの子は震える手を天へ伸ばした。定まらない視点は、どこを見ていたのか。エドワードか、それともこの偉大な空か、それとも。
 あの場所に、エドワードより上の場所にいたのは………自分だ。

「だから、あの子は幸せだったはずだ」

 オーガンの眼尻から、一粒の涙が流れる。
 最期まであの子は幸せだった。幸せのまま逝った。
 自分の元から全て離れて絶望しか残っていない。でも、それでも、あの子が幸せだったのなら。
 思い上がりでもいい。勝手だと思ってくれていい。あの子は、私を本当に愛してくれていた。家族として、あるいは別の絆として、本当に大切にしていてくれていたんだ。
 ふと、風に乗ってふたりの声が聞こえた気がした。

『ありがとう、私を愛してくれて』

――――――――ああ、




 涙を流すオーガンを、エドワードは静かに微笑んで見守っていた。
 やっぱり、母さんは偉大だ。ひとりの男の人生は悲しいものだった。けれど、もう、大丈夫だろう。母さんがいなかったら、きっと誰からの愛情も知らずに生きていた。進む道は間違えてしまったけれど、母さんに救われていたんだ。だからこそ、オーガンは這い上がれたのだから。
 雲の流れゆく様を見ながら感傷に浸っていると、タイミングを見計らったようにロイがオーガンの傍にやってきた。

「貴方が改心しようと、罪を犯した者を見逃すことはできない」
「ああ、分かっている」
「貴方は東方司令部の監獄に収容されることになるだろう」

 拉致、人体実験。それら命を弄んだ行為は決して許されることはない。遺族の方は死刑を望んでいる声もある。それを決めるのは上層部だが、そこはオーガン次第になるだろう。
 憑き物が取れたような顔をしているオーガンに、ロイは盛大な溜息をつき、ある物を差し出した。

「……オーガン・ルージック。貴方の人体実験をしていた家で、これが見つかったそうだ」

 それは、少女が書いたのであろう手紙だった。いつかの時のためにと、わざわざあの家まで行って置いてきたのだろう。読み進めると、彼女がすべて知っていたこと、これからのオーガンが幸せであるようにと綴られた手紙だった。
 全て失ったと思っていたが、彼女はオーガンを想って大切な宝を遺してくれていたのだ。
 償うべき罪は大きい。いくら彼女らがオーガンに遺したことがあるとしても、ふたりとオーガンが出会えることはもうない。後から知ったところでもう遅い。ふたりはもうこの世にいないのだから。それでも、オーガンはどこか救われたような気がした。
 この事件の行く末を見守るように、赤い花が花びらとなって空中に舞った。
 暖かな風が頬を撫でる。
 鮮やかなほど青空がどこまでも続き、この事件は静かに幕を閉じた。




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