五 半睡半醒


 薄い水色の晴れ模様に鳥の囀りが響く白昼、産屋敷邸のもとにはひさごに関する報告が届いていた。
 布団から上体を起こした当主、耀哉の腕には専属の鎹烏が留まり、彼の隣には妻のあまねと娘たちが控えている。耀哉はゆったりとしたいつもの口調で烏へ話しかけ、先程自分の咳払いで中断させてしまった報告を続けるよう促した。

「……ふう、問題ないよ。さあ、続きを話してごらん」
「…岩井茶山にて、師を持たずに単独で鬼狩りをしている女を隊士達が発見しました。齢は二十二、呼吸は派生を持たず独自に習得しています。最終選別への参加を希望しております」
「……」

 白濁しかけた眼をゆっくりと瞬き、口を僅かに開いて驚く。彼の動作は常に緩慢だった。しかし彼が感じた驚きは並大抵のものではない。娘たちも小さな手を口元に当て、物珍しそうな表情を浮かべていた。

 育手を持たずに、独学で鬼を滅殺する者は確かに今までに存在していた。岩柱の悲鳴輿行冥や風柱の不死川実弥は、身内ともども鬼に襲われた際に咄嗟の行動で滅殺に成功した。しかしそれを、鬼殺隊を介さず、自らの使命として鬼を狩り続ける者が現れたとは。
 彼女は地域の伝承を信じて鬼の存在を知っていたのか、それとも縁者を鬼に殺された過去があるのか……。耀哉は見知らぬ剣士へ思いを馳せ、ふと目を伏せた。

「最終選別は、ちょうど一ヶ月後だね。そんな"子"が入隊してくれるのなら心強い。名前は何というのかな」
「生駒ひさご、と」
「ひさご……、私と同じ年だというのに、これまでたった一人で戦ってきたんだね。是非、最終選別へ参加して頂こう」

 にっこりと笑う彼に、鎹烏はかくんと首を傾げた。首に提げた房飾りが揺れる。

「しかしながら、隊士の報告に添えて、一つ補足がございます」
「うん」
「精神病の気が見られます。入隊後は鎹烏による観察・報告が必須になるかと」


- - -


「嘘でしょ」

 ひさごは今にも白目を剥きそうな表情でその場に立ち尽くしていた。
 偶然出会った鬼殺隊の一般隊士達の取り計らいにより最終選別への参加許可が降りたひさごであったが、指定された場所に出向くと、そこにいたのは彼女よりも年下の子供達ばかりだった。おおよそ十代前半か中頃。中学生ぐらいの子が大半だった。中にはまだ背が伸び切っていない、ほぼ小学生と変わりないような子すらいる。
 つまり、この場にいる二十代の参加者はひさご一人しかいなかった。上背が一回り以上も抜きん出ているうえ、参加者の中で一番服がボロボロである。目立つ、というより悪目立ちしていた。

「(こ、こんな小さい子しかいないの…!?先に言ってよ村田くん…!めっちゃ目立っちゃってるじゃん…!)」

 だらだらと冷や汗をかきながら、唯一の拠り所である刀の柄を両手でぎゅうと握る。
 今、ひさごの腰には二振りの刀が提げられていた。一つは珠世から与えられた普通の日本刀、もう一つは参加の際に与えられた日輪刀だ。
 ひさごはこれでようやく鬼を殺せる刀を手に入れることができた。常に一晩中鬼を斬りまくっていたため、彼女にとって「首を斬るだけで殺せる」という存在は非常にありがたい存在になっていた。

「あの大人、一人だけ二振り刀を持ってる……」
「なんで大人なのに此処に……」

 それを遠巻きに眺める子供達のささやき声は、勿論ひさごの耳にも届いていた。
 敵ではないとアピールするために子供達へにっこりと笑顔を向けてみるが、彼らがぎょっとした表情で目をそらしているところを見ると、ただの逆効果だったようだ。
 客観的に見ればひさごは強烈な不審者であったので、彼らの反応は最もだった。
 そうこうしているうちにおかっぱ頭の振り袖を纏った幼児達が最終選別についての説明を始めている。
 子どもたちに怯えられたショックでほとんど聞き流してしまっていた。

「…この中で七日間生き抜くことが条件でございます。では、行ってらっしゃいませ」

 そう言い切り、幼児達が頭を下げると、周りの子供達は途端に一斉に走り出した。ひさごもそれを見てゆったりと一歩目を踏み出す。その時、後ろからドンッと肩のあたりに衝撃を受けた。

「わ」
「ボケた面しやがって、両刀使いの卑怯者が。お前なんかどうせすぐ死んじまうぜ」

 目付きの悪い少年だった。首に勾玉を紐で巻き付けている。ぎろりと睨まれた目に「へ?」としか言葉が出ない。どうやら彼がすれ違いざまに肩をぶつけてきたようで、呆然と瞠目するひさごを見て「フン」と鼻で笑い、先に山へ駆けていった。
 その後ろ姿を驚きながらも目で追う。彼らは山の山頂へと一目散に駆け抜けていったようだ。
 …今のはまあ、無かったことにして。それよりも気になっていたのは、誰もかれも刀を握りしめる手が小さい事だった。大正時代は現代よりも食生活が恵まれていなかったせいだろうか、なおさら彼らの体格が小柄に見えた。

「……あのクソガキ…」

 咄嗟に飛び出た言葉は悪態だった。全然なかったことにできていない。
 あんな子供達が、鬼を相手に戦うとは。きっと誰もがここで生き残れるわけではないだろう。鬼殺隊の隊士達から、最終選別の生還率は著しく低いと聞いた。眼の前の光景を見てみれば、それは確かに当たり前だった。
 あんなに隙の多い動きをして、刀を握るには小さすぎる手をして、果たして鬼と対峙できるだろうか。食われる子は一体何人いるのだろう。……ん?

 待て。子供達を食べた鬼はその分強くなる。そしてどんどん倒せなくなっていく。
 おや? もしかして、山の向こうには最終選別に参加した子供達を食い続けている鬼が沢山いるのではないか?
 その鬼は、果たして私が倒せる強さだろうか?

「……え…?」

 1年間の生活で少なからず腕に自信をつけてきた筈だった。それが一切通用しなかったらどうしよう。
 先程の少年の発言が今になって効き始めた。やばい、やばい。考えれば考える程、じわじわと湧き上がる不安で息が詰まってしまった。
 えっ、怖い。でも後戻りする場所が無い。だって、この日のために一年間ずっとこの大正時代を生き抜いてきたのに。私、ここで死んだら、もう元いる場所には戻れないよね? どんなふうに鬼に殺されるんだろう、あの子達はどうやって殺されてしまうんだろう?
 今までの戦闘で命を落としかけた瞬間はいくつもあった。その記憶が走馬灯のように脳裏を延々と駆け巡っていく。
 いつのまにか四肢が緊張で冷え切っていた。

 不安のあまりひさごが脳内で珠世に向かって念力を飛ばし始めたとき、早速山一体に絹を裂くような子供の悲鳴が響いた。ビクッとひさごの肩が跳ねる。

「ああーっ、やめて、やめて、嫌だ……嫌だあああ あっ」
「……」

 追い詰められている子供の絶叫が突然止んだ。想像する限りでは、声の主の生存率は限りなく低い気がする。
 なんだここは、今まで生きてきたなかで一番地獄に近い場所じゃないか。
 耳の後ろから心臓の脈動が聞こえる。ひさごは堅く目を瞑り、歯を食いしばり、左胸あたりの着物を鷲掴んだ。まるで早鐘を打つ心臓をこの手で無理やり押しつぶすように。

「怖い…怖い…めっちゃ怖い…よし、こんなに怖いなら大丈夫…」

 この一年、恐怖を感じると妙な感覚を得るようになっていた。まるで自分が自分ではないような、珠世と出会った夜に感じていた「これは夢だ」という現実味のない心地のような。
 深呼吸を繰り返し、浅い息をどうにか整える。体中に酸素を行き渡らせていくイメージで、体のコントロールを"自分"という第三者にゆっくり委ねていく。
 つまるところそれは現実逃避なのだが、彼女の場合はそれが度を越して離人という症状につながっていた。

「……生駒様?」

 幼児の一人が、俯いたきり動かないひさごに声を掛ける。ゆっくりと顔を上げた彼女は、まだ冷や汗こそかいているものの、ついさっきまでの恐怖が随分薄れた表情を浮かべていた。
 この感覚が体に染み渡って、ようやく自由自在に自分の体を動かすことができる。どんなに心の奥底で怯えていても、何故か自分の体を客観的に見下ろしているような、例えばゲームのキャラクターとして自分を自分で動かしているような、体に纏わりつく感情を一切無視して動けるようになる。

「……すみません、大丈夫です! では、行ってきます」

 それが精神を病んでいる状態だと、彼女自身は全く気付いていなかった。
 もしかしたら心のどこかで気づいているかもしれない。だがこれが無いと、彼女は今まで生き延びられなかった。