モンスター狩り

苫小牧から2日かけて南へ45キロほど歩き、日高に入った私達。白石の話では囚人の男が「ダン」というアメリカ人に会う為に日高に向かったらしい。海辺に出てアザラシを捕まえたりしながら、フチの姉がいる日高のコタンに到着した。ここを拠点に囚人の情報を集める算段だ。

「見てほら、トッカリが獲れたんだ。」

「肉と皮ですよお婆ちゃん。」

挨拶を済ませたアシリパが杉元が持った毛皮と私が持つ肉を指差した。杉元もニコニコと、綺麗に剥ぎ取った毛皮を見せる。するとアシリパの大伯母は何故かハラハラと泣き出してしまった。話をよくよく聞くと代々譲り受けてきたアザラシの皮で作られた花嫁衣装を、義理の息子が30円で売って逃げてしまったらしい。感覚的に1円で一万円前後の物が買えるので、大事な花嫁衣装を30万ほどで売ってしまった事になる。

「フチの家に伝わっていたものなら私にとっても大切なものだ。私が買い戻してくる。」

「アシリパちゃぁん、そんなお金あるのぉ?…あ!結城ちゃんが競馬で勝ったお金かぁ…30円以上はあるもんなぁ…ちょっとは分けてくれよぉ〜!」

「……。」

苫小牧競馬場で旅資金も全部スっておいて懲りないとはクズの中のクズである。すっからぴんになった白石が私にすり寄ってくるので無言で頭を叩いた。アシリパも馬券の引き換えをしていたようだったから同じく37円以上は持っている。二人分のお金を合わせたら買い戻す資金は余裕であった。

「いいだろうか。結城、杉元。」

アシリパの問いに、フチに世話になっている私と杉元はもちろんと答えた。義理の息子が売った相手は近くで牧場を経営するエディー・ダンというアメリカ人だそうだ。

「…白石さんが言ってた囚人が向かった先も、もしかして同じアメリカ人じゃないですか?」

「それなら都合が良いな。ひとまず、代々伝わる花嫁衣装を返してもらうとするか。」

私が白石の話を思い出すとポキポキと指を鳴らす杉元。私達はさっそくコタンの近くにあるエディーの牧場へと訪ねた。

ーーーー

ガラス張りの洋式木造建造物の中に入ると、エディーの書斎へと案内された。高価な調度品と共に剥製や絵画などが並んでいる。ソファに座った私達はフチの姉から聞いたことをエディーに全て話した。するとエディーはコーヒーを片手に口を開いた。

「日本へ来て25年になる。珍しいものが好きでね。アイヌのものを集めているんだ。あの服も気に入っている。」

エディーは返したくなさそうな物言いだ。そんな彼にアシリパは改めて告げる。

「事情は話したはずだ。そっちが払った30円は返す。」

「30円?100円じゃなかったかなあ?」

エディーの言葉に不穏な空気が書斎を包んだ。30万円で売った物が100万になるなんて酷いぼったくりである。そもそも私とアシリパのお金を合わせても100円には届きそうもない。

「ダンさんよ。戦争ってどういう時に起こるか知ってるかい?舐めた要求をぶっかけられて交渉が決裂した時だ。」

杉元がドスのきかせた声でエディーに向かって言った。彼に苛立った私も杉元に続いてエディーを睨みつけた。

「You are devious man .How do you do business when you are dishonest?He is a man who killed thousands of soldiers in the Russo-Japanese War and was called immortal. He's serious.」
(貴方は悪意のある男ですね、そんなに不誠実でどうやって商売をしているんですか?彼は日露戦争で幾千もの兵を殺した不死身と呼ばれる男です。彼は本気ですよ。)

私がそう伝えながら三十年式小銃のボルトを手前に動かし杉元に渡すと、エディーの顔から血の気がサーッと引いていった。

「ん?結城ちゃん、なんて言ってるの?」

緊迫した空気を読まずに白石が呑気に尋ねてくる。エディーは唾を飲み込んだ後に、一つ提案していきた。

「I don't want to go to war. Let's trade.モンスターを斃せたら30円でアザラシ皮の服を返そう。うちの馬が何頭も襲われている。従業員もモンスターを恐れて退治する人間がいない。そいつの死体を持って来ればアザラシの皮の服を30円で返す。」

「What are you saying? When we kill a monster, we don't pay. Think of a horse that has been killed so far or a horse that will be killed tomorrow.」
(何を言ってんの?私達がモンスターを退治するならお金を払うわけがないでしょう。これまで殺された馬や今後死ぬ馬の値段を考えて。)

今度は元の値段で返す代わりに面倒な条件をつけてきたエディー。タダで牧場の問題を解決したい思惑がバレバレである。少しでも値切ろうとする私とエディーとの交渉が白熱する横で、杉元は既にキレていた。

「いいから…さっさと返せよオッサンッ!」

今にも殴り込みそうな雰囲気の中、エディーの部下がモンスターが出たと書斎に飛び込んできた。みんなで急いで牧場へと走る。モンスターと呼ばれたのは馬を背負って森に帰る赤毛のヒグマだった。

「杉元、結城!撃て!弓じゃ届かない!」

「シライシどけッ!」

アシリパの声に杉元が引き金を引く。私も急いで先程ボルトを引いていた三十年式を構えてトリガーを引いた。杉元の弾は掠めたが、私の弾はお尻に当たる。しかし、悲鳴を上げながら時速60キロという車と同じ速度で森に逃げていくヒグマに決定打はあたえれなかった。

「クソッ」

杉元が歯を強く食いしばる。私もアサルトライフルをすぐに構えれなかった事に後悔した。一つ4キロもある銃を二つ肩に下げていると、どうしても初動が遅くなる。

結局、私達は何度傷をつけても元に戻る不死身と言われるヒグマを退治することになった。キロランケと白石は農家に避難し、銃を持っている私は杉元とアシリパとエディーの部下と四人で行動することにした。

「アシリパさん、アメリカ人の馬が何頭食われようと知ったこっちゃない。こんなこと時間の無駄じゃないか?」

不満を抱えた杉元が口を尖らせながらアシリパに問う。

「じゃあどうするつもりだったんだ?アメリカ人も殺して服を奪うのか?」

しかし彼女は意志の固い口調で逆に質問を返した。杉元は力でねじ伏せようと思っていたのか、何も言えずに黙りこむ。すぐに暴力で解決しようとするのは杉元の悪い癖だ。

「あのアザラシの服はフチたちの花嫁衣装だ。あの服はせめて血で穢したくない。」

杉元も殺してまで奪い返そうとは思ってないだろうが、アシリパは花嫁衣装を神聖視しているようで少しの暴力も嫌がった。これまでたくさんの血を流してきた杉元は複雑な顔をしている。二人の中で気まずい沈黙が流れた。そんな彼らを見かねた私は重い空気の中で口を開く。

「アメリカの商人は少しでも利益を確保しないと負けたと思うので、情ではなく交渉が必要なんです。エディーは金もあり、部下も多数いるし、きっと隠している武器もある。ある程度脅したとしても、正面から戦うのは得策ではありません。」

杉元に暴力での解決は現実的ではない事を冷静に告げた。彼は横目で私の言葉に耳を傾けている。

「この牧場はアイヌコタンからも近いです。赤毛のヒグマを放置しておけばこの牧場が全部やられた後、コタンが狙われないとも限りません。花嫁衣装を取り返せて、30円も浮いて、フチのお姉さんの村も守れるのであればいい取引なのでは?」

血で穢れるとかそういう感情的な問題ではなく、論理的に考えてもヒグマ退治をした方が得だと説明する。そうして二人に笑いかけると、アシリパも口角を上げて頷いた。さっきまで張りつめていた糸が解けていく。

「ふふ。そうだな。赤毛のヒグマは性格が悪くて凶暴だから斃しておくのは悪くない。」

アシリパが笑ったことで杉元も「仕方ないな」と笑ってくれる。やっと笑みが溢れた杉元と目を合わせると、眉尻を下げ、目を細くしてこちらを見ていた。エディーの部下が語った毒餌を撒いてオオカミの絶滅に加担したエディーに思うところはあるが、大伯母に迷惑をかけないよう穏便に済ます為にもヒグマを探すことにした。

森の中を歩き、土饅頭を見つけたアシリパはその上に乗る。こうする事で自分の獲物を横取りされるとヒグマが怒るのだという。さっそく片目がない赤毛のヒグマがアシリパに向かってきた。杉元と私が正面から向かってくる熊に銃を向けていると、背後から男の悲鳴が聞こえる。エディーの部下が襲われていた。私は急いで後ろに振り向いて男を襲うヒグマに弾を撃ち放った。

パンッ!パンッ!

アサルトライフルで二発続けて放つ。一発は逸れたが、もう一発は腕に当たって、男を襲った熊は逃げていった。追うか迷ったが、もう一匹とアシリパ達が戦っているし、まずは男の傷を見なければならない。私は男の手を引いてなんとか立たせた。

「傷が深いですね。あの熊の警戒は私がするので、これで押さえてください。」

胸元から手拭いを出して、部下の男に渡す。私は男を守るように銃を構えたまま辺りを警戒した。

「一度に2頭相手は無理だ!一旦引くぞッ!」

杉元とアシリパがこちらに逃げてきた。もう一匹は杉元が銃声で一時的に追い払ったらしい。エディーの部下の男が流れる血をおさえながら訴える。

「アイツ…指が一本無かった。去年の秋、指を銃で吹き飛ばされた奴だ。」

「何のことはねえ。赤毛のヒグマは不死身なんかじゃなくて……2頭いたんだ。」

男の言葉に杉元が返した。それを聞いたアシリパが首を振る。

「いや…あのアメリカ人の言ってることが正しいなら目も指も全部ある赤毛がいるはずだ。赤毛は……3頭いる。」

その言葉に冷や汗が止まらなくなった。森の南にいる銃を持っていない白石とキロランケが危ない。

「農家に向かいましょう…!!白石さんとキロランケさんは武器がない…!」

私達は追ってくる熊を銃で威嚇しながら農家に向かって走っていた。2匹をそれぞれ杉元と分担して狙いながら撃つ。後ろ向きで走りながらだとどうしても狙いが外れてしまう。

「ヒグマは協力し合って鹿を巻狩りすることもある。たぶんあの赤毛たちは兄弟だ!兄弟で獲物を共有してるんだ。銃があるのにしつこく追ってくる。普通のヒグマなら遠くに逃げてしまうのに。やはり赤毛は性格が悪い…。」

アシリパがヒグマの兄弟を見ながらそう呟いた。やっと農家が見えてきた。ドンドンドンとアシリパと男が農家を叩いて白石を呼ぶ。しかし、玄関は開く気配がない。

「こっちだ!!裏へ回れッ!この窓以外は塞いである!!気をつけろッ!家の周りに赤毛がいるぞ!!」

白石の声に家を見ると3頭目の赤毛が迫っていた。先にアシリパから裏へと回って農家へと逃げ込む。杉元は3頭目の赤毛を食い止めるようだ。私は追ってくる2頭を撃ちながら後退する。杉元は再装填が間に合わず3頭目に襲われていた。

「帯革を投げろ杉元ッ!ヒグマはヘビが嫌いなんだッ!!」

杉元が帯革を投げると3頭目が怯んだ。私はそれを見て杉元に叫んだ。

「もう引き付けられない!杉元さん!飛び込んで!!」

「俺よりも結城さんは…ッ!」

裏口の前に来たものの私の方に振り返る杉元の首根っこを白石が掴んだ。アシリパと部下の男と一緒に中に引き上げている。

「モタモタしてると死ぬぞ、杉元!」

「結城さんッ!!!」

白石達に引き上げられた杉元がまだ外にいる私の名前を呼ぶ。引き付けていた2頭の熊に私は胸ポケットに刺していた熊撃退スプレーを噴射した。殺傷力はないが、2頭が強烈な刺激に少しだけ怯む。農家に入りたいが、3頭目がアシリパ達が入った裏口を塞いでいるのを見た私は農家から離れて逃げた。

「結城さんダメだッ!一人になったら死ぬ!!」

「大丈夫です!!死にませんから!!」

私は杉元達に聞こえるように叫んだ後、エディーの館の方へスプレーを撒き散らしながら走って逃げていった。スプレーの匂いが嫌だったのか、それとも私よりも杉元達の血の匂いに引かれたのか分からないが、追いかけてこようとした2頭は諦めて帰っていった。


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