羆退治と春の訪れ

息を切らしながらエディーの館に着いた私は、扉を開けて書斎に入った。裸になってアザラシの毛皮を着ようとしていたエディーを反射的に引っ叩く。そのままライフルの銃口をエディーに向けて叫んだ。

「赤毛のヒグマは3匹いましたよ!!こんなの聞いてません!」

「モンスターが…3匹…??」

倒れたエディーに脅すように低い声で詰め寄った。

「隠し持っている武器を出して下さい。このままでは貴方の部下も馬も、私の仲間も全部喰い殺される。 …『I can do all things through him who strengthens me.』」

「それは困るな…。『Don’t be afraid, for I am with you.…』か、…分かった。」

聖書の一節を使って脅すと、エディーも同じように聖書の言葉を呟いて答えてくれた。鼻から滲む血を拭ったエディーは私を武器がある倉庫へと案内してくれる。マキシム機関銃が置いてあり、その横には車もあった。

「良いものがあって良かったです。機関銃はヒグマに有効でしょう。車は…ガソリン入ってますか?」

「いや、入ってない。…しかし…ガソリン自動車を知ってるのか。日本ではまだ馬車が主流だろう?合っても蒸気自動車ぐらいだと思ってたが…。アメリカでもガソリン車が量産され始めたのは最近で、このフォード君からもらったのもまだ試作器なんだがな。」

機関銃を車に乗せながら私が聞くと、エディーは首を横に振り、ガソリンを給油口から入れながらそう私に語った。

「フォード車ですか。いい車をお持ちのようで助かりました。いざという時は私も運転できますね。」

「…君は何者だ?…名家の帰国子女だとしても、どうして東京ではなくこんな所にいる?」

エディーの問いに、私は微笑むだけで答えない。機関銃はあまりに重くて腕が吊りそうだったが、なんとか乗せる事ができた。このマキシム機関銃は水冷式なので冷却水も車に積むのを忘れない。

準備に時間がかかったが、やっと倉庫から出る事ができた。エディーに運転して貰って森に行こうとした矢先、褌姿の血だらけの男がやってきた。上半身がヤクザの刺青が入っており、下半身は囚人の刺青が入っている。傷だらけのヤクザの囚人はエディーを一発殴った後、当然のように車に乗り込んだ。

「…ん?どういう事?誰ですか?」

「赤毛のヒグマにやられた。姫がまだ農家に残っている!」

杉元達が逃げ込んだ農家には他にも人がいたみたいだ。探していた刺青の囚人だけど。このヤクザの囚人を倒すよりも、先にヒグマを斃してアシリパ達を救うのが先決だと判断した私は、彼に機関銃を任せた。

「ぬはははッひき肉にしてくれるはクマ公ども!!」

エディーが運転し、ヤクザの親分がマキシム機関銃を持ち、私は後ろの席でライフルのマガジンを装填する。農家に向かって走る車の助手席に座っていた親分は杉元達を見つけて、杉元の後ろにいる中年の男に向かって叫んだ。

「姫〜〜ッ!!!」

皆が戸惑う中、親分が機関銃で赤毛のヒグマを狙う。私は走ってくるアシリパの手を掴んで、前の席に座らせた。その後、白石やキロランケ、杉元の手も引っ張る。

「結城さん…!助けに来てくれたんだな…!」

「当たり前…っ…です!」

皆が乗ったことを確認して車を走らせるが最後の一頭が追いかけてくる。ライフルで狙おうとするが、あまりにぎゅうぎゅうで押されすぎて照準を合わせにくい。毒で走るのが遅くなったヒグマは撃たなくても倒れていきそうだったため、銃を下ろした。

すると、姫と呼ばれた男がドスを落とし、拾おうとして男までも落ちてしまった。追いかけてきたヒグマはすかさず男を咥えて襲った。親分は姫を救おうと車から降りてヒグマに立ち向かう。

「…!二人とも死にますよ!?」

私が急いでヒグマの頭を狙ってライフルのトリガーを引いた。

ドンッ…!

「頭に当たったのに…倒れない…!」

「ヒグマの頭蓋骨は硬い!殺す時は鼻か心臓を狙え!」
 
この間にヒグマは鋭い爪で親分の腹を割いた。もうどうやっても二人を助けるのは間に合わない。しかし親分はそれでも諦めず、ドスでヒグマの鼻を切り落とし、肛門にドスを突き刺してヒグマを殺した。身体が裂け、血だらけの二人は愛を伝え合いながら、手を繋いで死んでいった。

「助けられなくてごめんなさい。」

「いや、あいつらは苫小牧競馬場で大損してキロランケを殺しにきた奴だ。気にするな。…皮剥いでくる。」

私が一発で殺せなかった事に反省すると、杉元が私の頭にポンと手をおいて、ナイフを持って親分の元に歩いていった。

無事に赤毛のヒグマを3匹殺し、刺青人皮を手に入れた私達はエディーの書斎に戻り、アザラシ皮の花嫁衣装を返してもらった。車や機関銃を使って助けて貰ったので無料で返して貰うことは出来なかったが、なんとか交渉で30円から10円にまけて貰った。馬一頭で最低20円はするらしいので、ヒグマを三頭倒して今後の被害を抑えただけでも十分だろう。

「この弓誰が作ったんだろう。とても良いものだな。」

「わかるかね。日高の名高い老猟師から譲って貰った弓だ。赤毛と戦って弓が折れたそうだね?それは君に送ろう。」

書斎の壁にかかった弓に興味を持ったアシリパに、エディーは太っ腹にもその弓を譲ってくれた。ただ、エディーは刺青人皮の事が気になったようで頭を突っ込んでくる。

「かわりと言ってはなんだが…あの親分の下半身にあった入れ墨、剥いで持っていく理由を聞かせてくれないか?」

「ダンさんあんた悪い人じゃ無さそうだから忠告するが、知らない方がいい。刺青に関われば命を失うぞ。」

杉元がエディーに関わらないように言うと、エディーは人間の皮膚で出来た本を見せながら情報を教えてくれた。夕張で作られたことと、奇妙な刺青の皮もあったこと。それを聞いた私たちの次の目的地は自動的に夕張になった。去り際、エディーは私に向かって手を差しだしてくる。

「ミス結城、今後困ったときはいつでも頼りにくると良い。有能な君を引き抜けたら一番だが、それは難しいだろう?だから君と縁が切れないように力になることを約束しよう。」

言語も違う日本に来て、その中でも更に厳しい北海道でたった一人で身を立てたエディーを私は尊敬していた。二十五年間北海道の自然と戦ってきた男だったからだ。私は彼と強く握手をして、お礼を言って去った。

ーーーー

「そもそも結城ちゃんって何者?英語は喋れるし、銃は撃てるし、珍しいものばかり持ってる。そして髪の毛が伸びるたびにどんどん色が変わってねぇーかぁ?」

コタンに戻る最中、森を歩きながら白石が私に尋ねた。キロランケも気になるようで後ろから私の横にきて聞きにくる。

「あー…うーん…。普通の日本人なんですけどね。100年後から来た。」

「は?本気?」

「さー…私の頭がおかしくなってなければ本当かも知れないし、嘘かもしれない。元いた世界に戻りたいけど方法も分からず、家も家族も居場所もない、ただ死に損ないの女ですよ。」

白石が半信半疑で驚いている。キロランケは髭を撫でながら何か考えていた。

「それでアシリパは天から貰ったって言ったのか。」

「…天は何を思ってこんな事をしたんでしょうね。役目があるとすれば、最初に出会ったアシリパさんや杉元さんを助けろという事でしょう。杉元さんは不死身らしいので、私の命はアシリパさんに捧げる所存ですよ。」

そう悟ったように笑う私に白石とキロランケは「勿体ない」と口を揃えて言った。特に白石は前のめりになっている。

「それだけの容姿と器量があれば、磨けば花街でテッペンとれるぜ!?」

「英語を喋れる日本人は貴重だから身体売らなくったって、まともな仕事がすぐに見つかるさ。領事館でだって働けるし、海外と取引する商事の嫁にもなれるな。」

「だろ!?キロちゃん!未来が分かるなら預言者にもなれるよなぁ?金塊を探さなくても結城ちゃんなら幸せに生きる道はいくらでもあるよぉ?」

ナンデナンデと駄々をこねるように腕を振る白石。なぜ彼らは私の人生をそんなに真剣に考えているんだろう。

「…うーん…そういうのはどうでもいいですね。」

私はこの時代の自分に興味がないので、白石とキロランケの話を聞く気は一切なかった。こちらに来てすぐは生きる気力があったのだ。だが、文化や生活、価値観の違いを実感するたびに、自分はこの時代の人間ではない事を思い知らされた。ここにいてはいけないような感覚さえしてくる。自分がどう生きようと、どう死のうとどうでもいいし、考えるのが面倒になってしまったのだ。だから私は流されるままここにいるし、死ぬんだったらアシリパの為に死にたい。

「今は未来の事は考えられないです。金塊が見つかるなり、真実が分かるなり、アシリパさんと杉元さんの願いが叶ってから、また身の振り方を考えますよ。」

「そんなに悠長だと嫁にいきおくれちゃうよ〜?俺が貰っちゃうよ〜?」

白石がニヤニヤしながら両手の指をさしてくる。さっきまで花街を薦めてきた男から嫁に貰うとか口に出されても嬉しくない。

「一人で生きていく術はアシリパさんから教えて貰ってるんで大丈夫です。」

「ええーっ!俺と一緒になるよりも一人のほうが良いって!?結城ちゃん酷いっ!!」

泣き真似をする白石の背中を一部始終聞いていたアシリパがストゥで殴った。「イタイ!」と悶える白石をアシリパが見下ろしながら言う。

「結城の相手は私が厳しく審査する。白石、お前はダメだ。財布の紐の緩さと下半身の緩さを閉めてから出直してこい。」

「わあ、アシリパさん、頼もしい。」

皆で冗談を言い、笑い合いながら道を踏みしめていく。いつもなら会話に入ってくる杉元だが、何も言わずにただ黙っていた。

ーーーー

アシリパの大伯母がいるコタンに戻ってきた。お婆ちゃんは花嫁衣装を見て泣いて喜んでくれた。それぞれ山で獲ってきたサクラマスとフキノトウ、フキと行者ニンニクでオハウを作る。花嫁衣装とともに春がきたことを皆で喜びながら食卓を囲んだ。

「長い冬を乾燥した食材で乗り越えたからどこのコタンでも新鮮な青物が食べれるのがとても嬉しい季節なんだよな。」

キロランケの言葉に皆が顔を綻ばせた。冬から季節が変わってしまった事をフキの苦さが教えてくれる。時間が流れていることの怖さを飲み込むようにイチャニウオハウの温かい汁を胃に流し込んだ。

アシリパは疲れたようでご飯が食べ終わったら誰よりも先に眠ってしまった。大人たちだけで火を囲みながら話を始める。

「キロランケは奥さん心配じゃねえのか?そろそろ畑耕すのに馬が必要な時期だろ?」

杉元がキロランケに尋ねると村には奥さんの親兄弟が沢山いるし働き者で強い女だから大丈夫だと答えた。キロランケは金塊が欲しそうでもないし、アシリパのお父さんのために動いているのか、アイヌの未来のために動いているのか、本当の目的があまり掴めなかった。

「…でなんだよ、その顔。」

白石がぐるぐる巻にされた杉元の顔にツッコミをいれる。

「イタドリの若葉とかヨモギとか…傷に聞く薬草だそうだ。クマの油もアシリパさんに毎日塗られる。俺は傷跡なんてどうだっていいんだけど。」

杉元が白石の問いに答えるとキロランケは微笑ましそうにアシリパを横目で見ながら呟いた。

「傷が増える前の顔が気に入ってたのかな?」

その言葉ですぐに悟った私はキロランケと一緒に微笑みあった。アシリパは杉元が好きなのだろう。可愛い恋心だ。それを聞いた白石は杉元に探りをいれる。

「たしかにもともとモテそうな顔ではあるよな。さすがに結婚はしてないんだろ?地元に『いい人』くらいいるんじゃねえのか?」

杉元は黙ったまま何も答えない。杉元から親友のお嫁さんの話を聞いていた私も口をつぐんで成り行きを見守った。

「あれ?否定しないね?ひょっとして金塊が欲しいのもその女が関係してんのかい?」

「シライシ、もういいだろその話は。」

キロランケが止めるが白石は不服そうだ。恋話に飢えているらしい。

「えぇー…じゃあ結城ちゃんは?元の世界に戻りたいのって、恋人がいたからなんじゃないの?」

「いえ、好きな人はいましたが恋仲になる前に病死しました。戻りたい理由は家族も友人も仕事もあるし、私の生きてきた全てが元の世界にあるからですね。」

「あ…そう…病死ね…。」

私は白石の問いに素直に答えた。しかし病死という単語を聞いて、白石はもう何も聞いてこなかった。触れない方がいい話題だと思ったのだろう。もう終わった話なので気にしてないのだが、白石はキュンキュンする話の方が良かったみたいだ。

話題が途切れ、自然と皆んなで大人しく寝転がった。私はいつもの定位置、杉元とアシリパの間で横になる。寝袋の中に体を入れてゆっくりと息を吐いた。目の前にはコートを着たまま寝ている杉元の背中がある。まだ寝息はたっておらず、起きてるのかと背中を見ていたら、急に杉元が振り返った。寝転んで同じ目線になっているため、杉元の顔が至近距離にくる。

「…戻れる方法がない以上、結城さんにはこの時代で生きる理由を持って欲しいと思ってる。何でもいいから。」

杉元の目は真剣だった。人より色素の薄い彼の瞳から目を逸らせない。

「死なないでほしい。アシリパさんのためにと身を挺するのもやめてほしい。結城さんが死んだら俺が泣く。」

私は何も言えず、笑うことも出来ず、彼の目をただ見つめていた。


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