僕らの旭川

アイヌの女達の歓待を受けた次の日、主犯格である刺青の囚人の鈴川聖弘の処遇をどうするかの話し合いが設けられた。女達は関わりたくないとの意見。尾形は殺して皮を剥ごうとしている。アシリパは無抵抗の人間を殺すのはしたくないようだったので私は何も言わなかった。判断は杉元に委ねられたが、鈴川が囚人の情報を持っていると言っていることもあり、ひとまず土方達と合流してから決める事になった。

男がいなくなったからずっとコタンにいろと別れ際にアイヌの女達に引き止められた。子供もいないので子種が欲しいらしい。ヤる気まんまんの牛山とは裏腹に、先を急ぐ杉元と尾形について私達はコタンから旅立つ事となった。

コタンが見えなくなっても名残惜しそうな牛山を引きずる杉元の横にきた私は彼に声をかける。

「牛山さんだけじゃなく杉元さんや尾形さんも求められてたじゃないですか。種だけなら三人でやればそんなに時間も取らなかったんじゃないですか?急ぐ必要ありました?」

「…結城さん、男はそんなヤろうと思ってすぐ出来る奴ばかりじゃないの。そもそも人の営みを作業みたいな言い方するのはおやめなさい。」

眉間を寄せ、口を曲げて、すごく嫌そうな顔をする杉元。まるでお母さんみたいな事をいう。男というものはチャンスがあればやりたいものだと思っていてたが、杉元は意外と乙女でロマンチックらしい。

「真面目なんですね。」

「いや普通よ?牛山がおかしいだけだからね?これからの時代は一夫一妻で一途な男よ。」

牛山を蔑みながら胸を張って答える杉元。雄々しい見た目に反して彼はなんとピュアなんだろう。

「杉元さんも未来を生きてますね。私の時代はそれが普通ですけど、明治、大正、昭和ぐらいまでは妾とか浮気とか男は手出しまくってなんぼの世界でしょう?」

「ええ〜?それは金持ちだけの話じゃない?それか一人の愛で満たされない可哀想な人間なんだよ。」

ため息を吐きながら答える杉元の肩に、牛山が手を置いた。

「それは違うぞ、杉元。俺は沢山の女に愛を与える事が出来るキューピッドなんだぜ?つまり、愛とチンポが大きすぎるんだな。」

自信満々な顔をする牛山。まじめに言っているのだからある意味器がデカすぎる。愛と性欲が強すぎてたまにコントロールが効かなくなるらしいのが怖いが、私とアシリパに矢印が向いてないのだけが幸いだった。

「いろんな男と女がいるという事だ。しっかり見極めろよ。男装の麗人。」

牛山に背中をパンと軽く叩かれる。ダウンジャケットにパンツスタイルという山で動きやすい格好をしてるだけなのに、未だに私が男装していると思っているらしい。私が男になりたい思ってるから私に矢印が向いてこないのかもしれない。誤解を解こうとしたが、それで狙われるようになるのも面倒なので、牛山には誤解したままでいてもらう事にした。

ーーーー

落ち合う約束をしていた樺戸監獄の一番近い宿で永倉新八と合流出来たが、白石が第七師団に捕まってしまったらしい。その後、樺戸監獄から50キロ先の深川村で白石を助けようとした土方とキロランケ達とも再会したが、救出には失敗したようだ。これ以上は皆は助ける気はなかったようで、まあ…いいか…という空気が流れた。

「え…本当にいいんですか?網走監獄に脱獄王の力がいるんじゃ…?」

「いや…俺は助けたい。この詐欺師を使おう。」

杉元の一言で鈴川聖弘を使って旭川監獄へと向かうことになった。旭川監獄まで残り25キロほどの距離だった。

旭川に向かう途中で鈴川が逃げようとしたので皆で追い詰める。アシリパが弓矢で脅し、キロランケが待ち伏せし、杉元が逃げる鈴川の尻を刺し、土方が足を引っ掛け、牛山が馬乗りになって身動きが取らないようにした。一連の流れを見ていた私は思わずパチパチと手を叩いてしまう。

「サルカニ合戦か!」

鈴川が顔を青くしながら突っ込んだ。私と同じように見守っていた尾形が鈴川のそばに寄る。

「鈴川聖弘よ。この三十年式歩兵銃の表尺を見ろ。二千メートルまで目盛りがあるな?二千メートル先まで弾丸が届くってことだ。二千メートル以上俺から逃げ切れるか試してみるか?」

尾形が鈴川にメモリを見せつけながら言った。鈴川は顔が真っ青になり、冷や汗を流している。

「私が三十年式で正確に打てるのは百メートルぐらいで、アサルトライフルにスコープつけても五百メートルぐらいまでなので尾形さんと命のやりとりをしたらすぐ殺されちゃいますね。」

私は感心しながらつい言葉をこぼしてしまった。ハハッと私が笑って顔を上げたが、尾形と杉元の目から光が消えている。面白くない冗談らしい。するとアシリパがフラフラしながら巨大なストゥ持ってきた。

「逃げる奴や結城を傷つける奴はストゥでぶん殴ってやる。」

どうやら旭川のコタンから持ってきたようだ。私達は旭川監獄に行く前にひとまず近くのコタンで作戦会議をすることにした。誰に変装するかの作戦会議で犬童四郎助という網走監獄の典獄に決まる。禿げた村長から鈴川はみるみると厳格で潔癖で威厳のある顔に変わっていった。皆がびっくりしているとアシリパは先にスヤスヤと寝落ちしてしまう。変装は鈴川に任せて会議は解散することになった。

寝る前に厠を借りて戻ろうと外を歩いていたときだった。急に背後から現れた杉元に声をかけられた。

「…結城さん。ちょっと話できるか?」

急に何だろうと心当たりのない私は首を傾げたが、ひとまず頷いて杉元の後ろを着いて歩いた。コタンのすぐ北にある川沿いの石に二人で腰掛ける。杉元は手を顔の前で組み、意を決したように私に問いかけた。

「月形のコタンで…俺の為に男を殺したか…?」

すぐに尾形がチクったなと悟った。私がコタンで男を殺したのを見たのは彼だけだ。尾形はどうやら人の心を乱すのが好きらしい。

「…ええ。それがどうしましたか?」

動揺している杉元に私は淡々と答えた。肯定する私を見て杉元は苦虫を潰したような顔をする。

「出会った頃の結城さんは人の死体を見るだけで吐く人だったし…今もどんな奴にも手を合わせる人だ…。」

杉元は眉間に皺を寄せ、目を赤くしている。杉元が話す私はどこか美化されていて居心地が悪い。

「純粋なアシリパさんと結城さんには…手を汚して欲しくない…。だから…結城さんを…人殺しにはさせたくなかった…ッ。」

杉元は唇を強く噛み締めている。彼は純粋な私が汚れてしまったとでも思っているのだろうか。そもそも純粋でもないし、自分の判断でやった事なのにすごく不愉快だ。

あまりにも強く噛み締めて血が滲んできた杉元の唇に指で触れて拭った。彼は驚いた様にこちらを見る。

「じゃあ、私の銃は…この手はなんの為にあるんです?アシリパさんや杉元さんを守る為じゃないんですか?」

「でも…ッ。」

反論しようとする杉元の顔を両手で掴んだ。杉元の目の奥が揺れている。目を逸らせない様に両手に力をいれて言葉を続けた。

「私は人を殺しても何も変わりません。動物を殺すのも人間を殺すのもどちらも殺生であり、優劣はありませんよ。生きる為にやった事だから私の手は汚れてません。」

至近距離で堂々と言い切った後、私はドヤ顔で左の眉と口角を上げた。

「そもそも私の魂は人を殺したぐらいでは穢せないですけど?」

杉元が唾を飲み込む音がする。私はそのまま杉元の顔を掴んたまま私の額に寄せた。

「杉元さんは汚れてなんかないです。国の為に最前線で命を張った人が穢れてしまうのなら、戦争を選んだ日本国民全員が穢れてます。そもそも戦いがない時代や国なんて無いじゃないですか。生きる為なら親兄弟でも人は殺し合うんです。人間も動物も。」

そのまま杉元のおでこを私のおでこを思い切りぶつけた。「痛っ!」と思わず杉元が漏らす。

「杉元さんが誰よりも純粋で綺麗な心を持っているのを知ってます。だから、自分は汚れてるみたいな言い方はしないでくれますか?怒りますよ?」

「…いやもう怒ってるじゃん…。」

杉元がおでこをおさえながら言った。彼が変な事を言ったせいなので仕方がない。住む世界が違うと線を引かせはしない。彼を地獄に落ちさせやしない。一緒に戦って、一緒に背負ってやる。

「私も杉元さんも地獄じゃなくて金塊を持って極楽浄土に行くんです。地獄の沙汰も金次第というでしょ?お金があれば閻魔様の裁判も有利になりますからね。」

私がおどけて見せると、杉元がフッと少しだけ笑った。「三途の川を渡るにも金がいるもんね。」と彼が苦笑いしながらこぼす。

「…結城さんごめん。俺が失礼だった。」

杉元が私の肩に顔をうずくめながら言った。

「ええ、とても失礼ですよ。私にも、杉元さんにも。」

私は杉元の背中に手をまわしてそっと撫でた。ベトナム戦争やイラク戦争の後、アメリカの退役軍人達が自殺したり精神疾患に悩まされたのは聞いたことがある。きっと杉元は日露戦争で負った心の傷と今も必死に戦っているんだろう。

「もっと杉元さん自身を愛して下さい。自分を見捨てないで下さいね。」

「…結城さんにもそっくりそのまま同じ言葉を返したいね。」

私には言われたく無かったらしい。杉元の手が私の背中に周り、そのまま抱きしめた。お互いがお互いを慰めるように撫でたり、背中をトントンする。恋人でもないのに抱擁している私達はきっと自分自身を抱きしめているんだろう。お互いの心臓の音と体温が心地よかった。

ーーーー

次の日、皆で話し合う中で杉元が白石が土方達と内通した事に気付いたことを告げた。永倉はもう過ぎた事だろうと言うが、杉元は裏切り者は許せないようだった。それでも救出する意思に変わり無いようで下調べをした後、鈴川と杉元が2人で旭川監獄にいる27聯隊の聯隊長の元へと行った。

私と尾形は兵舎が見える木の上に登って待機していた。双眼鏡で部屋の様子を伺う。白石が部屋に入ってきたのを見て交渉が上手くいったのを察してホッとした。しかし一人の男が兵舎に走る姿が見えた。不安に思って尾形のいる方へ向くと双眼鏡の光がチカッチカッと2回光った。非常事態の合図だ。いつでも援護出来る様に杉元や白石達を見つめた。

「俺は不死身の杉元だッ!!」

叫び声と共に杉元と白石が窓から飛び降りた。追いかけてくる兵士の肩を尾形が銃弾で貫いた。私は続けて頭を狙う。ヘッドショットが決まったのを確認すると木から降りて杉元の元へと走った。

「杉元こっちはダメだッ!南へ逃げろ!あっちだッ!さっきの銃声で蜂どもがあちこちの巣から飛び出してきた!」

尾形の指示で南へ走る。血だらけの杉元の右脇を白石が支えていたので私は左脇に入って二人で支えた。

「杉元が撃たれちまった!」

「不死身なんだろ?死ぬ気で走れッ!」

「無理だッこんな傷の杉元が走り続けられるわけねえッ!」

白石と尾形が言い合いながら叫び続ける。杉元の息はどんどん荒くなっていく。

「俺の…脚が止まったら…白石ッ…お前がアシリパさんを網走監獄まで……。」

珍しく弱音を吐く杉元。私はグッと左脇だけじゃなくて腰を持って半分身体を持ち上げながら前に前に引っ張る。

「…杉元さんは…アシリパさんを見届けるんです…っ!誰かに託したりするな…っ!」

「…結城…さん…。」

息を切らし、黙って走っていると目の前に気球が上がろうとしていた。杉元と白石は驚いて思わず声上げる。

「気球隊の試作機だ!」

「あれだッ!あれを奪うぞッ!」

尾形と白石の指示に銃で兵士を脅しながら飛び乗った。杉元は兵士が持っていた銃を奪って戦っている。杉元と白石を気球に乗せると、登ってくる兵士達を必死で振り落とす。銃で撃ちたいが引火するので腰につけていたサバイバルナイフを取り出して気球の骨組みに掴まる手を次々と刺しては落としていった。

ギャァァア!!

最後に捕まっていた兵士の指も切り落として安心したのも束の間、兵士たちを台にして男が飛び乗ってきた。

「鯉登少尉…!!」

杉元がつぶやいた。鈴川を見抜いて杉元を撃ち抜いた男だ。只者ではない。杉元は尾形から銃剣をもらって待ち構えた。

「自顕流を使うぞ。二発撃たれた状態で勝てる相手じゃない。」

尾形が杉元を止める。尾形に気付いた鯉登が尾形に向かって叫ぶ。

「ヨクモツルミチューイドンヲウッダマゲッセ-ウラギッタナ!マエカラワイノコツハワッゼェスカンカッタ!! オイガコツボンボンチナメクサッセ-!! シラントコイデワルグッボバッカイッユ-チョッタトハシッチョッタァ!!」

尾形に怒っているようだが、訛り過ぎて意味がわからない咆哮になっていた。

「相変わらず何を言ってるかサッパリ分からんですな、鯉登少尉殿。興奮すると早口の薩摩弁になりモスから。」

完全に煽っている尾形。怒った鯉登が激しい初太刀を杉元に食らわせた。受けるなと尾形が叫ぶが、思い切り銃の前床で受ける。私は足元を崩した杉元の背中を咄嗟に支えたが、杉元が反撃できる余裕はない。骨組みに連撃を続ける鯉登は杉元を狙ってまた大きく振りかぶった。

カアァァン!

下から弓矢が飛んできた。きっとアシリパだ。矢に意識が向いた鯉登にサバイバルナイフを投げた。ナイフが鯉登の頬を切り裂くと彼がこっちを睨む。鯉登が私を見ている隙に上から白石が飛んできて、思いっきり蹴飛ばした。

「あはははッ!アバヨ鯉登ちゃん!」

白石もろとも落ちるかと思ったが命綱をつけていたようで、鯉登をバカにしながら笑っていた。アシリパも白石を使って気球に登ってくる。脅威が去ってやっと一息がつけた。

「肩の銃弾は貫通してるが左胸にはまだ弾が入っている。あとで取り出さないと。」

アシリパが杉元の傷口を見ていう。息が荒い杉元を見て私はアシリパを見て首を振った。

「いや、今やりましょう。ピンセットと消毒はあります。ヨモギやガガイモ、あと薬も。いつ追い付かれるか分からないなら早い方がいいはずです。」

私はバックパックから白のTシャツを取り出して
割き、包帯を作った。消毒し、塗り薬をつけ、右肩に包帯を巻いていく。そして裁縫道具からピンセットと針を取り出してライターで炙ると、左胸に刺さった弾を取り出す。

「…ッ。」

「痛いですね。ごめんなさい。私の肩を噛んでもいいですよ。」

「…くっ…噛まねえよ…ッ!」

杉元の左胸は血に染まって銃弾が見にくいが、モタモタしていると彼に負担がかかる。ミチミチ…と傷口を広げて急いで弾を取り出した。創感染にならないように水で傷口を洗う。

「…いッ…ひー…。」

「いやー!!痛そう!!もう直視出来ない!!」

必死に痛みに耐える杉元と、キャーキャー叫ぶ白石。これ以上は見れなかったようで白石は尾形の横に逃げていった。

「…滲みますが、感染症予防なので我慢してください。縫いたいとこですが、普通の糸だと化膿する可能性があるので圧迫して止血だけになります。ごめんなさい。」

「…いや、助かる。」

痛みで涙目になる杉元に口をあけるように指示すると、口の中にフロモックスとカロナールとロキソニンを全部突っ込む。

「…これ噛まずに飲み込んで良かったの?何の薬?」

「噛まない方がいい薬です。抗生物質と解熱剤と鎮痛剤ですね。不死身の杉元さんには必要ないかもしれませんが、未来の薬なので効きますよ。」

飲み合わせ的にも問題ないはずなので、これで創傷からくる熱や痛みを少しでも抑えて欲しい。

「いたいの、いたいの飛んでったー。」

包帯も巻き終わって処置が終わった合図に、包帯の上から撫でて外に飛ばす。

「あ、血がなくなってると思うので干し肉も食べてください。」

最後に持っていた干し肉をちぎって杉元の口に放り込んだ。杉元は何故か頬を染めながら干し肉を噛んでいた。


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