大雪山

旭川監獄から東に進んだ上空。白石の救出が成功し、白石が裏切っていなかった事も分かり、私達は再会を喜んだ。尾形は杉元が兵士から奪った三十八式の銃を嬉しそうに弄っている。このまま気球で網走まで飛んでいく事を私たちは願った。

しかし乗ってしばらく飛んでいるとエンジンから変な音がし始めた。白石と杉元がウキー!と叫びながらエンジンを叩く。アシリパも参戦して叫ぶので尾形が「やかましい!」と怒った。

「結城さんはどうにか出来ないのか?」

「エンジン関係は冷却水を入れるのとエンジンオイルを入れるぐらいしかしなかったから分かりませんね。車に積んでるエンジンと同じようなので分かる人が見れば直せるんでしょうけど…。私はお手上げです。」

杉元に聞かれるが首を横に振った。結局このまま風に任せることになった。岩場の側を通るので皆ひやひやしている。

「パウチチャシだ。パウチカムイが住む村という意味で…パウチカムイは淫魔であまり心の良くない神様だ。取り憑かれるとその人間は素っ裸になって踊り狂う。」

「ハッハッハッそんな馬鹿な…アイヌは想像が豊かだねえ。」

アシリパの話を聞いているとついに方向を自由に調整できなくなった気球船が木に引っかかった。このまま風で網走まで行かないか期待したが、そうは上手く行かないらしい。

「第七師団の兵営から東に40キロくらいは移動できたな。馬に乗って追ってくる兵士が見えた。あんな目立つものに乗っていたんだからおおよその位置は把握されている。急ぐぞ。」

双眼鏡を見ながら状況を常に把握していた尾形の指示で、私達は急いで山を越えるため道なき道を歩き始めた。山歩きに慣れているアシリパが先頭に立って私達をを引率する。尾形は最後尾で常に双眼鏡を使って追っ手が迫ってないか見張ってくれていた。

川を越え、森に入り、林を抜ける。一つの山を越えて、雪山の手間に来たところで尾形が叫んだ。

「見つかった!!急げッ!大雪山を越えて逃げるしかない!」

旭川から60キロは離れたというのに、執念深い連中である。第七師団を撒くために尾形の指示で、大雪山という標高2千近くある山を越えることになった。天気が崩れて風が強くなり、雨も降ってきそうだ。せっかく春過ぎたというのに、真冬の寒さが私達を襲う。

「この高さだと燃やす木が生えてねぇ!!戻って下山しよう!!」

「馬鹿を言え。追っ手が来てるんだぞ。」

白石の提案をすぐ様却下する尾形。日暮れと天候の影響でどんどん気温が急降下していく。皆の鼻の頭が赤くなり、震え始めた。白石の鼻だけじゃなく顔全体が赤く染まり、虚言を言い始め、どんどん様子がおかしくなっていく。

「風をよける場所を探すんだ!!低体温症で死んじまうぞ!」

「テントは張れます!ここに張ってもいいですか?」

尾形の指示に私はバックパックから山岳用の一人用テントを出そうとするが杉元に止められる。

「あの黄色と赤のか?色が派手すぎる!すぐに見つかっちまうぞ!」

穴を掘って身を隠せる程の雪も残っていない。打つ手が無くなって狼狽える私達。そんな中、何かに気付いたアシリパが大きい声を出して、指を刺した。
 
「ユクだッ!杉元オスを撃て!大きいのが3頭必要だ!」

アシリパの声ですぐさま尾形が銃を構えた。私も反射的に肩から銃を下ろし、ツノが生えたオスを狙い撃つ。

パンッ…! パシュッ…

私が放った銃弾がエゾシカの心臓を貫通し1頭斃したと思ったら、尾形はたった一発の銃弾で2頭を斃していた。

「2頭同時に…ッ!!」

尾形の鮮やかな狙撃に驚いた杉元は、使う必要のなくなった小銃を下げた。

「急いで皮を剥がせッ!大雑把でいい!!白石も捕まえろ!低体温症で錯乱しているッ!」

私とアシリパと尾形がそれぞれ皮を剥いでいく。手が寒さでかじかんで痛いが、手間取ればそれだけリスクが上がる。必死で私達が作業する横で杉元は錯乱して裸になった白石を捕まえにいった。杉元は尾形が皮を剥いだメスのエゾシカにパウチカムイに取り憑かれた白石を突っ込んだ。残りの身体が大きいオスのエゾシカ2匹にそれぞれ2人で入る事になる。アシリパと杉元と話す暇もなく、尾形に手を引かれてエゾシカの中に入った。

寒さで震えていた身体がエゾシカの残っていた体温で溶けていく。尾形が私を後ろから抱きしめるような形になっているので尾形の体温のお陰もあるのだろう。

「ありがとうございます。尾形さんの指示はいつも的確だし、銃の腕はやっぱり天才的ですね。」

「フン…。」

私を抱きしめる腕に顔を寄せながら尾形に感謝するといつもの様に鼻をならして返された。きっと今もドヤ顔なんだろう。彼の腕の中でうとうとし始めると急に強く抱きしめられて苦しくなる。腕を離すように彼の腕を叩くとやっと緩めてくれた。何が起こったのかと振り向こうとすると尾形が囁いた。

「旭川のコタンで…何で杉元と抱き合ってた。」

見られていたのかと少し恥ずかしくなる。私は尾形にあの日の事を詳しく説明した。

「尾形さんが杉元さんに月形のコタンでの事を密告するから杉元さん落ち込んじゃったんですよ。なので慰めてただけです。」

「…お前は目の前で男が落ち込んでたら誰でも抱きしめるのか?」

緩められたと思った腕にまた力が入り出した。何だこれは。嫉妬されているのだろうか。それともただの嫌がらせだろうか。

「違います。杉元さんは私にとって家族みたいなものだから…。家族が落ち込んでたら抱きしめますよ。アシリパさんが落ち込んでもそうします。」

私が締め付ける尾形の腕に抗議しながらそう答えると、彼の力がスッと緩んだ。

「…じゃあ俺は……。」

尾形の言葉が止まる。言いかけた言葉は分からないが、悲しみが滲んだ声色だった。もしかして家族に抱きしめられたことが無いのだろうか。

もしかしたらこの男は寂しいのかもしれない。そう思った私はくるりと尾形の方へと向き直って思いっきり抱きしめた。強く強く抱きしめた。

「家族じゃないけど抱きしめてあげます。」

「……いや、やめろ。求めてない。」

私が抱きしめると途端に逃げ出そうとする。気まぐれな猫か。言うことを聞くのは癪なので、より強く抱きしめた。

「絶対に嫌です。」

いつも嫌がらせをしてくるのでお返しだと私がそう言って笑う。そうすると今度は尾形が私の左鎖骨と首の間に歯を立て、噛んだ。

「ちょっと!本当にネコなんですか!?噛むのはやめてください!」

「ぁあ?さっき杉元には噛んでも良いって言ってたじゃねえか。」

キレながらすぐに揚げ足をとってくる尾形。全然状況が違うんですけど…と思いながら私はため息をつく。彼の顔を見るといつもの意地悪な尾形に戻っていた。

「……はぁ…。もういいですよ。好きに噛めばいいんじゃないですか?死なない程度にしてくださいね…。」

面倒くさくなった私は脱力しながらもう一度、尾形を抱きしめた。すると、彼は噛まずに私の肩に顔を埋めた。やるなと言えばやるし、やれと言えばやらないし、天邪鬼すぎるだろう。

やっと静かになって落ち着いたと思ったら、再び尾形が口を開いた。私の耳元で喋るので少しくすぐったい。

「…結城はどこから来た。いつからやってきた。お前が持ってる銃…この時代には無いぞ。海外製だとしても拳銃もライフルも精度が良すぎる。」

私が眠ってる隙に勝手に触ったのだろう。SIGM400やG19を盗まれなかったのは幸いだが、油断も隙もない。全員に伝えてるし、どうせバレるだろうと思った私は素直に告げた。

「あー…100年後ぐらい先の未来からですね…。」

「フン…。やっぱりな。」

いや、何でそうすぐに理解出来るのか分からない。そもそも銃だけで気付くとか頭がおかし過ぎる。普通は真実を告げても証拠品を見せたとしても信じることが出来ない話の筈だ。

「戻れないからアシリパ達と一緒にいるのか。」

「そうですね。持て余してしまった私の命はアシリパさんに捧げようかなと。」

理解力と察しが早い尾形の質問に私は頷く。ついでに白石やキロランケにも告げた気持ちを伝えた。

「……。」

私がそう言うと無言で強く抱きしめられた。ミシミシっと嫌な音がする。尾形が本気で抱きしめると肋骨が折れそうになるのでやめてほしい。私の発言が気に入らないとすぐ力に走る男だなと察した。

「…アシリパさんじゃなくて、尾形さんのために生きて欲しいですか?」

私は抱きしめられる痛みからヤケクソになって少し意地悪な質問をした。彼は私達の関係が羨ましいのかもしれないと思って出た言葉だった。しかし、尾形から返答がない。

黙っているかと思えば尾形が私の肩に顔を埋めたまま、肩を吸いはじめた。舐めて、吸って、優しく噛む。全身ぞわぞわっと鳥肌が立つ。

「…っなん!?…え!?」

身を悶えながら必死に抵抗すると、今度は頬をつねられた。

「覚悟がないのに冗談を言う奴は痛い目みると覚えるんだな。」

「…あい。すいません。」

チッ…と尾形に舌打ちをされ、私は肩を落としながら頷いた。もうこれ以上余計な事を言うのはやめよう。そして深く関わるのもやめとこう。向かいあい抱きしめ合ったままだが、全ての情報をシャットダウンするように目を閉じた。そのまま尾形と体温を共有しながら深い眠りへと落ちていった。

ーーーー

グラグラと身体が揺れる。まだ眠っていたいのに。温かいこの温もりを離したくないのに。私はうずくまって目の前の温かいものに縋りついた。うつらうつらと夢の世界へと戻ろうとすると、耳元で誰かの呼び声聞こえた。

「……い!…おい、結城!起きろ!」

尾形の声にビクッと肩が揺れる。急いでエゾシカの身体から外を見るとヒグマに囲まれているのに気づいた。ゆっくり音を立てないように出て行く。

「白石が持っていかれる!!」

白石が入っていたシカがずりずりとヒグマに引き摺られていく。反動でシカのお尻から転がった白石はおぎゃあと赤ちゃんのような声を上げた。すると何故か集まっていたヒグマが怯んで逃げたので、私達は支え合いながらゆっくりとその場を立ち去った。

追っ手の裏を行くために私達はそのまま網走を目指すのではなく、十勝を通って刺青人皮の情報がある釧路に行く事にした。罠でネズミを取りながら下山を始めた。

「鹿肉が食べたかったぜ…ヒグマめ。」

「朝起きたらすぐ食べたかったので、昨晩切り落とした鹿肉のバラだけ取ってきてます。ジップロックで二重にしてるから匂いは漏れてなかったと思うんですが…危ないですか?」

ヒグマに悪態をつく杉元に向かって、私はバックパックに入れていた鹿肉を見せた。唐辛子やニンニクやプクサキナなどの香草に包み、ジップロックで二重にした上で、雪を入れた保冷バッグで包んでる。杉元に髪の毛をぐしゃぐしゃにされながら褒められた。

「…ッ!!結城さん、良くやった!!」

「いや駄目だ。ヒグマが嫌いな唐辛子で匂い消しをしているとはいえ、ヒグマは犬よりも鼻がいい。それに執着心もある。追いかけられても銃は使えないだろ?念のため捨てておけ。」

「ええ〜…?ここまで気付かれなかったんだから大丈夫だよアシリパさん。鹿肉食べようよ〜。」

アシリパと杉元が食べるか捨てるかで言い合っている。せっかく大雪山を越えたのにここでクマに襲われたり、銃を使って第七師団に見つかっては堪らないので、私は泣く泣く鹿肉を地面の中に埋めた。

「大丈夫だ。エルムもうまい。」

下山途中はひたすらネズミを焼いて食べた。白石は既にネズミに飽きている。銃声を立てないように鹿や鳥は一切取れないのが辛いところだ。

「少ないけど尾形も食べろ。」

アシリパがネズミを尾形に食べさせてヒンナを催促するが、尾形は黙ったままだ。

「尾形はいつになったらヒンナできるのかな?好きな食べ物ならヒンナ出来るか?尾形の好物はなんだ?」

アシリパがイライラして高速でまばたきをしながら尾形に言った。アシリパの後ろにいる杉元は呆れている。尾形の目は相変わらず死んだままだ。ネズミだけで五人の腹を満たす事は当然出来ず、私達は空腹を抱えながら夜を過ごした。

白石のイビキとアシリパの腹の虫の音でなかなか眠れない。うなされながらも寝ている杉元が羨ましかった。仕方がないので寝袋とマットを持って皆とは少し離れたところで寝ることにする。私が荷物を持つて立ち上がると後ろから服を引かれた。振り返ると銃を抱えたまま寝ていた尾形だった。

「どこに行く。」

「ここじゃ寝れないので、あの白樺の木の下で寝てきます。」

「…俺も移動する。」

尾形も騒音が気になっていたようで一緒に寝床を変える。眠かったので木の下に銀マットを敷いてすぐに寝袋に入ろうとするが、マットを尾形に引っ張られた。

「いつもお前だけコレを使うのはずるいだろ。」

「そんな事言われても…どちらも一人用で一緒に使うとか出来ませんし、元々私のものですから。」

すると尾形はマットを横にし二人分の枕にして、寝袋のチャックを開いて敷き布団にした。フンッと鼻を鳴らす尾形。私の腰のクッションを犠牲にして出来た二人分の寝床に尾形が寝転がった。

「いや、これだと地面の硬さで腰痛いし、普通に寒いんですけど。」

「その分厚いコートは何のためにあるんだ?」

コートでは上半身しか温まらない。女の冷え性を舐めないで頂きたい。私はダウジャケットを腰のクッションにして寝袋を掛け布団にして包まった。

「今度は寒くて眠れないので、コレで勘弁してください。」

尾形はため息をつきながら、外套を下にひいて同じように掛け布団にした寝袋に入ってきた。エゾシカの時と同じように身体をくっつけて寝るしかなくなった。

「…この布団、お前のにおいがするな。」

クンクンと寝袋を嗅がれてしまう。中々洗えてないので私の寝汗が染み付いてる筈だ、恥ずかしくて尾形の顔を左手で掴んでしまう。

「…やめてください。毎回綺麗にする暇はないんですから仕方ないでしょう。…ってまた、嗅ぐな!」

「汗くさ…。」

「文句言うなら出て行け。」

何度も勝手に匂いを嗅いでおいて失礼すぎる尾形の頭をはたこうとするとサッと避けられてしまった。

「嫌いとは言っていないが。落ち着かないこともない…。」

そう言うと尾形は銃を抱えながら寝袋の中で丸まって私の肩に顔をうずめてきた。何なんだコイツはと思ったが、もう抗議するよりも睡眠のほうが大事だった私は寝袋からはみ出ないように身を寄せあって眠った。


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