釧路の夏

森を抜け林を抜け標高二千メートル級の大雪山から下山した私達は十勝地方を通って釧路に向かっていた。あれだけ寒かった山の上とは違って、過ごしやすい気温で歩きやすい。杉元と白石は上着を脱ぎ、アシリパも毛皮を脱いで初夏の装いになっていたが、尾形だけはいつもと変わらない軍服に外套のままだった。ダウンジャケットを着て歩いていると昼間は流石に暑くなってきたので、私も上着を脱いでバックパックに詰め込んだ。

「…結城さん、その格好どうにかならない?」

するとさっそく杉元から注意が入ってしまう。黒のタートルネックとカーキのカーゴパンツというシンプルな格好だが、駄目らしい。

「…普通の格好ですけど…見苦しいですか?」

「見苦しい…というより、目のやり場に困る。」

杉元が眉を下げて困った顔をした。彼の耳が少しだけ赤い。杉元の後ろにいる白石はニヤニヤといやらしい目で私を見ていた。

「俺は好きよ?結城ちゃん似合ってるし、そのままでいいと思うけどなぁ〜?」

ふひひと笑うと白石の頭を杉元が叩いた。腕を組んだ尾形が私の全身を上から下まで見ると冷めた目で私を見下ろす。

「女は身体の線を出すような服は着ないのが常識だ。みんな小袖を着るし、洋装でも胸元はふわっとしてる。お前の姿は男共に胸を触れと言っている淫女のようなものだな。」

「いやいや…尾形ちゃん言い過ぎよ?」

白石が庇ってくれたが、尾形の言葉に恥ずかしくなった私は顔を真っ赤にしてダウンジャケットで胸元を隠した。

「街では着物が短くて少し肌が見えただけで逮捕された例もある。風俗壊乱罪で捕まりたいのなら好きにすればいいが、そんな間抜けとは手を組みたくはないな。」

「……教えて頂きありがとうございます…。」

私は羞恥心でプルプルと震えながら尾形に礼を言った。涙目になる私をアシリパがヨシヨシと撫でてくれる。「他に服はないのか?」と聞かれて出てくるのはタンクトップや速乾性のTシャツやヒートテックの長袖などピッタリしたものばかりだ。小樽の町で買った小袖はフチのチセに置いてきてしまっていた。

「……先に網走監獄に入ってます…。」

膝から崩れ落ち、絶望した私はアシリパに頭を下げた。見かねたアシリパは杉元に声をかける。

「杉元、次の街に着くまでお前の服を貸してやれ。着物の下に着ているのでいいから。」

杉元が小袖の下に着ていた白シャツをその場で脱ぐと私に渡してきた。タートルネックの上に彼のシャツを着る。ブカブカなお陰で身体のラインは出なくなった。袖も余るが腕まで捲れば大丈夫だろう。

「…これはこれで…。」

「…危険だな。」

私を品定めするように眺める白石と杉元。これ以上着させられたら暑くて意味がなくなってしまうので勘弁してほしい。

「捕まらないならいいでしょうが。見るな、見るな。」

杉元と白石を手でシッシッと払って、私はアシリパさんの側にくっついて歩くことにした。

気温が高くなってきたお陰で草がすくすく育っている。光に照らされる新緑が眩しい。そんな草が生い茂る森の中を探索していると白石が痛みを訴えて叫んだ。何があったかと近寄ると、白石が蛇に頭を噛まれていた。蛇が嫌いなアシリパは怖さのあまりに悲鳴を上げる。杉元が白石の手に握られた蛇を見て驚いた。

「蝮じゃねえか!!毒あるぞソレ!」

「その蝮は死んでるのか?死んでるのかッ?」

アシリパが興奮しながら白石に詰め寄る。

「石でぶっ叩いてやったわ…ただ咬まれたとこすげぇ痛くなってきた…。毒でしぬかも…アシリパちゃん吸い出してくれ!!」

「いろいろと気持ち悪いから嫌だ!蝮の毒ではめったに死なないから我慢しろ!日が落ちて暗くなる前に薬になる草を探してくる。」

アシリパはそう言い残して立ち去ってしまった。白石は杉元や尾形に吸ってもらえるように頼むがどちらにも断られていた。可哀想に。

「…二次感染とか無ければ吸いましょうか?」

「いや、やめろ。絶対に吸うな。」

私が吸おうとしたら全力で杉元に止められたので、せめてもと水でしっかり洗い流してあげた。発熱がでるかもしれないのでカロナールも口に放り込む。処置をしてる間にアシリパがヨモギとショウブを取って帰ってきた。今度はアシリパがヨモギを火に焚き、自然治療をしていく。

その間に私は蝮の胴体を切り落とし、皮を剥ぎ、小さい内臓を取り分け、ナイフで骨ごとミンチにした。行者ニンニクとニリンソウ、町で買っていた山椒や塩も加えて粘り気が出たらまとめていく。

「結城、何を作っているんだ?」

「え?マムシのハンバーグ。」

私が笑顔で言うとアシリパが絶叫を上げて後ずさった。

「あ、ごめんなさい。マムシの血飲みたかったですか?心臓ならあるけど…精がつくし食べます?」

アシリパは全力で首を横に振った。普段はどんな生き物の脳みそでも食べるのに蛇はダメらしい。杉元も驚いていたが、私は逆に食べない事に驚いた。自衛隊のレンジャーの人に教わってからと言うもの、ヘビは山籠りする時の良い食糧として常食していたから。

「杉元!さっきのマムシの頭にヨモギの茎は刺さなかったのか!?」

「いや、やっといたよ。頭から下を結城さんが勝手に切り落としていったんだ。あの茎はどういう意味があるの?」

「悪さしたマムシはああすれば生き返らないとフチが話してくれた。ヨモギは様々なおはらいの場面で使う魔除けの草なんだ。それなのに食べるなんて…。」

アシリパと杉元のやり取りにへーと頷きながらマムシのハンバーグを焼いていく。蝮の心臓は誰も食べないみたいなのでパクッと一人で食べといた。

「ほら、ハンバーグ出来ましたよ。精がつくし、何より美味しいから食べなさい。」

私が焼けたハンバーグをアシリパに見せるが、またもや全身で拒否される。チタタプより食べやすくしているのに残念だ。勿体ないので杉元と白石と尾形に食べさせた。

「…上手いな。弾力があって、濃厚だ。骨もウナギの骨みたいでいける。臭みもニンニクと山椒が消してくれてるな。」

杉元が案外気に入ってくれた。白石も尾形も味わって食べている。マムシを美味しいと食べる私達をアシリパは信じられないようだ。そして、サクソモアイエプの話やアイヌの蛇の迷信を語り出した。蛇を怖がるアシリパをからかう杉元と白石。私は尾形のそばでヘビとカエルとウツボの美味しさを語っていた。すると、急に杉元と白石が慌て出す。

「サクソモアイエプだ!!!」

叫び声を聞いて立ち上がり、アシリパに手を引かれて逃げ出した。

「まって!あれだけ大きいならとても美味しいはずです!食べましょう!!」

「結城やめろ!サクソモアイエプは近づくだけで全身腫れ上がるし、本気で命を落とす!!」

全速力で逃げ出すアシリパに手を引っぱられ、残念ながら大蛇を食べることは出来なかった。アマニュウという蛇が嫌うという草をアシリパから全身に擦り付けられる。その夜は草むらから離れ、松の木の下で松の葉をしき、ヨモギとアマニュウを火で焚きながら眠りについた。

私はいつものように銀マットの上で寝袋に入って寝ていると、いきなり寝袋のチャックをおろされた。驚いて目を覚ますと尾形が目の前に迫っていた。

「ちょっ…!!何…ですか…!!」

「マムシを食べさせたのはお前だろ。こうなるとは思わなかったのか?」

どういう事だと戸惑っていると、尾形の膝が私の足の間に入った。その一瞬であ、襲われると悟る。

「…すみません。毎日、長距離歩くから精つけとこっていう善意だったんです。許して下さい。」

顔を両手で隠しながら謝罪した。軍人の男に本気を出されたら力で勝てないし、抵抗も出来ない。犯されないことを祈りながら目を瞑った。

呼吸をとめて何秒たっただろうか。私にのし掛かっていた体重が軽くなる。目をそっとあけて覆っていた手の隙間から覗くと、尾形は立ち上がってどこか外へと歩いて行ってしまった。助かった私は大きく息をはいた。

「はぁ…。男女って…面倒くさすぎる…。」

男達と旅している事は重々分かっていたが、最近は異性として接される事が増えた気がする。皆が女に飢えているのは分かるが、私を意識されても困るだけなので勘弁してほしい。
 
しばらく頭を抱えていると尾形が帰ってきた。虚な目を見て色々察してしまった。思わず彼を見つめてしまう。

「…怯える女をぶち犯す趣味はねぇよ。」

「…良心ではなく趣味…?」

ハハッと尾形に笑われる。乾いた笑顔が怖すぎる。手を出しては来なかったが、未だに得体の知れない尾形に怯えながら眠りについた。

次の日の朝、杉元と白石が朝勃ちが凄いと騒いでいた。尾形は死んだ目をしている。申し訳ない気持ちになって私はアシリパの耳をそっと塞いだ。

ーーーー

いつの間にか季節はすっかり夏になり湿原ではクロユリが揺れている。丹頂鶴を捕まえて湿原から白石と尾形の元に戻ってきた私達は、さっそく鶴を鍋にした。泥臭いがなんとか食べれない事はない。白石はプンプン怒っていた。

「普段は獲らないけど杉元が『北海道の珍味を食べ尽くしたいんだ』…っていつも言ってたから…。」

「言ってねえだろ。俺はそんな目的で北海道を旅してるんじゃないんだよ!」

白石がなぜ丹頂鶴を獲ったのかと怒るのでアシリパは捏造しながら言った。杉元にすぐに否定されてしまったが。するとアシリパは少し考えた後、杉元にこれまで聞いてなかった事を尋ねた。

「杉元は…どうして金塊が欲しいんだ?」

「まだ言ってなかったっけ。戦争で死んだ親友の嫁さんをアメリカに連れてって目の治療を受けさせてやりたいんだ。」

私は杉元から以前聞いていたので、余計な事は何も言わずにただ耳を傾ける。

「『惚れた女のため』ってのはその未亡人のことか?」

余計な事を言うのは決まって尾形だ。アシリパの気持ちを考えろと私は尾形を睨み付ける。真面目な杉元は否定も肯定もせずに黙ってしまった。するとアシリパが急に釧路に伝わる鶴の舞を踊り出した。杉元は完全に戸惑っている。

「…どうして急に踊ったの?」

「別に…鶴食べたから…。」

杉元の問いにアシリパは顔を赤くしながら答えた。嫉妬してるからに決まってるだろうと思ったが、鈍感な杉元は気付かない。アシリパを見て尾形がほくそ笑んでいた。相変わらず意地悪な奴である。だが、せっかく杉元の話になったのでこれまで突っ込んでなかった話を聞いてみた。

「そもそも日露戦争が終わってからもう2年経ってますよね。再婚話が出てきもおかしくないのに…彼女は杉元さんを信じて待っているんですか?」

「…彼女は何も知らない。俺と親友だけでの話だったから。」

杉元の答えに私は生ぬるい目になった。出た、男の何も言わないけど分かってくれてるって思ってるやつ。女は以外と強く前を向いて生きてるのに、男は過去を想ってロマンを求めるやつだよ。私は「ああ、そうなんですね。」とだけ口にする。これは彼女の側にいる資格がないとか悩んでいたり、金塊を探している間に、再婚してたなどあり得る話だ。アシリパが入る余地ありまくりだったので安心した。

「こっちに誰かくるぞ。」

尾形の声で振り向くとインカラマッと男の子が走ってきた。アシリパ曰くチカパシという知っている子らしい。チカパシは息を切らせながらアシリパを探しに来たと言った。

「谷垣ニシパと探しに来た!でも…谷垣ニシパが大変なことに!!」

皆が谷垣の名前に反応する。尾形が無言で殺気を放っていたので、尾形が谷垣とやり合っていた事を思い出した。勘違いからの戦闘だと谷垣が言っていたが、嫌な予感がする。

インカラマッとチカパシが言うには最近家畜などを惨殺する人間が出たらしく、そのカムイを穢す犯人が谷垣だと誤解され追われているようだった。インカラマッが二瓶鉄造について知るアイヌの男達と出会った話を語る。

「二瓶鉄造の村田銃…あの出来事がその後まさかあんな事態になるとは…。」

「ハンッ!!占い師のクセにぇ?」

「やめなさい、アシリパさん。」

神妙に語るインカラマッにアシリパが喧嘩を売るように馬鹿にするので、後ろから口を押さえた。インカラマッは気にしていないと手を振って話を続ける。姉畑支遁という変わった学者と共に過ごしていたら谷垣の銃と弾薬が盗まれ、新たな犠牲に使われたという。尾形は呆れて舌打ちをしている。すると白石が思い出したように話し出した。

「囚人に学者がいるってのは聞いたことがある。あちこちで家畜を殺して回って牧場主に見つかって大怪我させてしまったとか…。」

白石の言葉に杉元が頷く。彼は横目で少し腹黒い顔をしながら口を開いた。

「鈴川聖弘から聞いた情報と一致するぜ。そいつが入れ墨脱獄囚24人のひとりだ。とにかく犯人は二瓶の銃を持っている。手分けして探そう。」

「さっきの鹿の死骸が一番新しい犯人の跡だ!行くぞ杉元!」

杉元とアシリパの一声で皆で手分けして囚人を探すことになった。私は白石達と一緒に行動しようとしていたが、尾形が一人で抜けていこうとして嫌な予感がしたので、こっそり彼のあとをつけた。木々を抜けた先で銃声が響く。私は急いで音のもとへと向かった。

「谷垣きさまは小樽にいたはずだ。何をしにここへ来た?鶴見中尉の命令で俺を追ってきたのか?」

池のほとりにつくと尾形がアイヌの男達に囲まれた谷垣を詰問していた。谷垣は必死で弁解する。

「おれはとっくに下りた!軍にもあんたにも関わる気はない。世話になった婆ちゃんのもとに孫娘を無事帰す。それが俺の『役目』だ。」

「尾形さん、銃を下ろしてください!谷垣さんの言ってる事は本当です。谷垣さんは軍人ではなくマタギとして生きていくことを選んだんです!」

追いついた私も谷垣を庇うように叫んだ。私の顔を見た谷垣が嬉しそうに目を開く。しかし私の声を無視して尾形はボルト引き、排莢、リロードした。
 
「頼めよ。『助けてください尾形上等兵殿』と。」

なんでそんなに上からなんだ、この男は。不気味な笑みを浮かべる尾形にアイヌの男が「銃捨てろッ」と叫ぶ。アイヌの男達が皆ピリピリしていた。

「あんたの助ける方法なんて…あんたはこの人たちを皆殺しにする選択しか取らないだろう。手を出すな!!ちゃんと話せば分かってくれる!」

谷垣がそう尾形を止めるが、逆に「皆殺し」という単語に男達がざわつき始める。

「ははッ…遠慮するなって…。」

銃を上げようとする尾形にアイヌの男が銃を向けた。

「テッポ オスラ!」

「俺に銃を向けるな。殺すぞ?」

「…尾形さんやめて下さい!撃たないで!!!」

本気だと思った私は後ろから尾形に抱きついてとめた。右手で尾形の腰を掴み、左手で三十八式の前床を叩いて銃口を下げる。背後から飛び掛かられた尾形は私の腹部を肘で思い切り殴った。

「うぐっ…っ。」

尾形の肘がちょうど鳩尾に入り、苦しみながらも必死で銃を押さえて必死に止めていると、アイヌの長老らしき人が出てきて男達の銃を下げさせた。尾形も銃を下げると、とりあえず村まで案内してくれる事になった。

「背後から飛びつくな。トリガーに指がかかったら撃つところだぞ。」

私はゲホゲホ言いながら頷いた。


PREV | TOP | NEXT
HOME

コメント
前はありません次はありません