逃走

杉元佐一は元帝国陸軍の一等卒。日露戦争後、金欲しさに北海道に来た男らしい。アシリパはアイヌの少女。弓や罠を使って狩猟して暮らしているそうだ。

遭難し、身寄りのない私を心配した二人は、とりあえずアシリパの村に連れて行ってくれるらしい。狭いながらも泊めてもらった狩猟小屋の火の始末をして、村へと向かうために歩き出した。

二人が弓と銃を持っているので、私も念のためガンケースからグロックG19を出して装弾する。ヒグマがいるらしいのであくまで身を守るための銃である。

「その短銃、リボルバーじゃないのか。」

「はい。自動拳銃です。射撃の反動や圧力ですぐ次弾装填してくれるんでリボルバーより良いですよ。散弾銃やライフルには負けますけど、護身用です。」
 
杉元の質問に銃を見せながら答える。狩猟するわけではないので、ライフルはガンケースにしまったままだ。

「ふーん…。名前は聞いたことあるが、そんな良い銃をどこで手に入れたんだか…。」

杉元が不思議そうに私を見つめている。「アメリカですよ」と答えれば、「へー」とだけ返された。案外興味はないらしい。ただ彼は少し微笑んで独り言を呟いた。

「やっぱりアメリカは進んでるんだな。」

貸してもらったのはアメリカだが、拳銃はオーストラリア製である。彼がどこか嬉しそうだったので、アメリカだけじゃなくて世界が進んでるんですとは言わなかった。

アシリパが道中にヒグマの巣など山を案内してくれる。幼いのに次々と出てくる豆知識にひたすら感心してしまう。父に教わったというアシリパはとても生き生きとしていた。

「杉元、あれなんだろう?」

アシリパが昨日私達が出会った場所を指す。何かが光っているようだ。急に杉元がその正体に気付いたようで、アシリパを抱えて叫んだ。

「やばい!あれは双眼鏡だ!結城さん!アンタも走れ!」

急に走れと言われて意味がわからなかったが、置いていかれるのは困るので、コケそうになりながらも必死で着いていく。二人の会話から、誰かに追われているらしい。4人もの追っ手が迫ってきているようで、焦りが伝わってくる。ただ荷物を抱えたまま、杉元から離れないように走るのが精一杯で私には振り返る余裕はなかった。

「アシリパさん、結城さん、それぞれ別れよう。奴らは大人の足跡を追うはずだ。」

足跡を撒くために笹藪に入ったものの、逃げきれないと悟った杉元が私たちにそう告げた。

「刺青人皮…これをアシリパさんが持っていてくれ。俺が持っていればおそらくその場で殺される。もしもアシリパさんが捕まったら一切抵抗せずに奴らに渡せ!何も知らないふりをしろ。子供まで殺す連中じゃない。」

 肺が焼け付くように痛くて、ゼーゼー息をしている横で、何やら物騒な話が展開されている。

「結城さん、巻き込んで済まない。結城さんは捕まっても抵抗せずに正直にこれまでのことを話せば良い。何も知らない民間人なのが分かるはずだ。保護されて街まで連れて行ってくれたら万々歳だろ。」

「…ゼー…分かっ…た…ッー」

苦しくて、とりあえず頷く。アシリパと杉元が金塊とかなんか言っているが、知っても良いことはなさそうなので下を向く。アシリパが杉元に殺されるぞと忠告するが、杉元はうっすら笑って去っていった。

「俺は不死身の杉元だ。」

彼の言葉が耳の奥で反響する。不死身とは羨ましい。私は走り疲れてもう死にそうだ。ただ、二人のためにもここで崩れ落ちるより、少しでも引きつけてからにしようと、重い足を必死で持ち上げて別の道を進んでいった。

足跡が分らないように進みたいが、そんな頭を使う体力もないので、ひたすら真っ直ぐに走る。でもそんな逃げ方ではやはりすぐに追いつかれてしまったようだ。背後に気配を感じた。

「止まれ!なぜ逃げる!」

「…ゼェー…軍人さんに…逃げてくれと言われたから…ッ…です…ハァ…。」

 拳銃をダウンコートの下に隠した私は手を上げて振り返った。杉元と同じような軍服を着た男が1人、立っている。

「軍人…そいつの名前は?」

「え…っと…杉田…浩一…みたいな名前…だったかと……ゼー…。」

「聞いたことがないな。なんでそいつと一緒にいた?」

「…ハァ…昨日、遭難してたら軍人さんとアイヌの少女に助けてもらったんです……とりあえずアイヌの村に案内してもらう…途中でした…。」

 少し濁しながらも男の質問に答えていく。ゆっくりと息を整えながら、顔を上げた。目の前の追っ手の男はまだ訝しんでいる。

「その二人は何の目的で一緒にいるのか知らないのか?」

「…えー…密猟ですか…ね…?ヒグマは美味しいから獲れとかアイヌの少女が軍人さんに言っていました…。巣にも案内されました…。」

「ふーむ…。密猟なら金塊に関わらないからいいが…。変な洋装をしているお前が一番怪しいまであるな。」

言い分は納得してもらえそうだったのに、私の迷彩柄の狩猟用ダウンジャケット、ボトム、帽子、手袋、そして容量のあるバックパックのせいで疑われてしまった。

「…やましい事はないので、荷物の中身なども好きに全部見てください。」

押し問答するのも疲れるので、全面降伏の態勢で荷物もおろして開こうとすると、遠くで銃の音がした。

「…!!向こうで戦いが始まったか…!加勢にいくからお前は俺についてこい!」

軍人は急いで発砲音がするほうに走って行く。やっと一息つけたと思ったのに、私はまた荷物を抱え直してゆっくりと後を追った。

 ドンッ…

 パァン… パァン…

銃声が森にこだまする。軍人の足跡を辿って、やっと追いついたと思ったら、戦闘が終わっていた。軍人三人が熊と相打って死んでいたのだ。一人は銃に撃たれて、一人は顔の皮を剥がれて、そしてさっきまで私と喋っていた男ははらわたをぶちまけられ、木の上に投げられていた。

「……っ!嘘…でしょ…?」

あまりにも残虐に殺された三人の死体を直視してしまった私は、めまいがして吐き気を催してしまう。我慢しようとしても胃液がじりじりと上がってきて、昨日食べたうさぎ鍋を全部戻してしまった。

初めて見た殺された死体。親族の葬儀で見た綺麗に死化粧をした遺体とは全然違うそれは、生々しく、血の匂いが立ち込めていた。

起き上がらなければと、持っていたペットボトルの水で口をゆすぐ。これ以上目の前にある死体を凝視したくなかったが、念仏だけは唱えておこうと目をつぶって手を合わせた。

「…ヒグマは巣穴に入ってきた人間を決してころさない。アシリパさんの言っていたことは本当だったみたいだ。」

 背後から足音と共に聞き覚えのある声が聞こえた。

「……!!杉元さん!無事だったんですね…!」

「ああ。アシリパさんがヒグマのことを教えてくれたお陰でな。」

ニッコリと微笑みかけながら、彼はそう言った。今朝の講義が役に立ったんだろう。手には人形のように可愛い子熊を抱えている。

「結城さんも無事で良かった…が……。」

彼の言葉が詰まる。目線の先には先ほど私が戻してしまった吐瀉物だ。恥ずかしくなって彼の肩を掴んで反対を向けさせる。すぐさま周りの雪を手で掬って覆い被せた。

「…嫌なもの見せて申し訳ないです。」

「いや、慣れてるし平気だ。…持ってる銃で人を殺した事はないのか?」

本当に気にしてないように彼は手のひらを目の前でヒラヒラと揺らした。それよりも、銃を持っているのに耐性がないのが気になるらしい。

「無いです。一般人なので普通に捕まります。拳銃は競技として的に当てるだけですし、ライフルも競技以外は狩猟にしか使いません。」

私がそうキッパリと言い張る杉元は少し嬉しそうに目を細めた。

「…それなら良かった。銃を扱うのはあくまで遊戯ってことだな。…そんなお嬢様なのになんで髪も短くて切って男の格好なんかしてるんだ?」

「…普通の格好のつもりですけど…。狩猟するのに適してるからですかね。それにお嬢様でも何でもないですよ。」

肩上の切りっぱなしボブの髪の毛と狩猟用のダウン、カーキのズボンとキャップのスタイルとは明治時代の女性がする格好からは程遠いらしい。明治になって洋装が増えたといっても、女性はドレスが多いだろうしな、と納得した。私の答えを聞いても要領を得ないと思ったのか、彼は切り替えるように声をかけた。

「…ま、アシリパさんを探そう。」


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