アイヌコタン

真っ白な雪で覆われた大地を杉元と二人で並んで歩く。彼はさっきまで抱えた子熊をコートの中に詰め込んでいて、不自然に胸元がふっくらしている。
 
「…何で子熊を隠してるんですか?」

「ほら!アシリパさんに見つかったらにチタタプにして食べられるかもしれないだろ!」

「チタタプ?」

「切り刻んむんだよ!」

屈強な男だというのに、彼はアシリパさんに怯えていた。アシリパはきっと何でも食べてきたんだろう。「こんなに可愛いのにそれは嫌だな…。」と私が呟くと、横で「そうだろう!?」と杉元は何度も頷いていた。

歩きながらあたりを見回しているとアシリパの姿を見つけた。隣には白い、巨大な犬が彼女を守るように勇ましくたっている。

「良かった。無事だったか…。あ…あの時の白いオオカミだ。」

「オオカミ?日本では絶滅したと思ってました。」

「俺もだ。唯一の生き残りらしい。」

これまでみたどの大型犬よりも遥かに大きく、アシリパの身長もゆうに越す白い獣の姿に、これがオオカミかと納得してしてしまう。私達がアシリパのそばに寄ると、オオカミはすぐに去ってしまった。アシリパ以外とは馴れ合いはしないらしい。

「そこの兵士はオオカミが?…死んでるのか?」

杉元がアシリパに問うと、彼女は変な方向に足が曲がった男を横目で見て頷いた。撃たれたわけでも、大量に出血している訳でもないので、手当をしたら助かるのではという考えが頭によぎる。だが、アシリパは早くその場を離れたがっていたので、彼女の言う通りあの男も死んだのだと思うことにした。

「杉元、それどうした?」

三人で歩いていると、さっきまで杉元がコートの下に隠していた子熊動いて顔を出していた。彼は叫びながらアシリパから必死に子熊を隠そうとしている。彼女に隠せるわけもなく、子熊をどうするのかと問われると、杉元は汗をかきながら必死に子熊をかくまった。

「こいつは俺が面倒を見るッ!母親代わりになるんだあ!」

彼は見た目の厳つさに反して、案外母性が強いらしい。子熊は可愛いとは思うが、さっき親熊に殺された男達を見てしまったので、彼ほど子熊を庇おうという気は起こらず、アシリパと彼のやりとりを外から眺めていた。

アシリパが彼に子熊の知識があるのか、育てられるのか問うと、杉元は怯えながら観念したように子熊を差し出した。

「わかった…こいつはアシリパさんだけで食ってくれ。こいつの脳みそに塩かけて食うとか俺には無理だ。」

「はぁ?食べんぞ。」

杉元の言葉に間髪いれずにアシリパが否定した。何でも食べると思ったのは彼の勘違いらしい。ただ、彼女は動物の脳みそに塩かけて食べるようだ。昨日は鍋で良かったとほっとしてしまった。

「私達は猟で子熊を捕まえたら村で大切に育てる習慣がある。結城をコタンに連れて行くつもりだったし、行こう!私のコタンへ!」

杉元はホッとしたような顔を浮かべて、優しく子熊を撫でた。可愛い子熊が切り刻まれないのは私も安心したが、これから大きなヒグマになるのだからいずれ殺されるだろう。その未来を思うと私はこの子熊を撫でる事は出来なかった。

雪山を抜けて川が見えてきた頃、そばに十数戸の家と集落があるのが見えた。家の周りには何か動物の頭蓋骨が飾られている。藁や植物で出来た家をみて、歴史的な遺産を眺めている感覚になった。時代の違いをまざまざと感じた私は、少し鳥肌が立っていた。

アイヌの村に入っていくと子供達がアシリパの周りに集まって歓迎してくれた。杉元や私にも平気で近寄ってくる。

「みんな俺を怖がらないな。」

「アイヌは好奇心旺盛だ。新しいもの好きなんだ。杉元だけじゃなく、結城も珍しくて気になるんだろう。…あ!フチ!」

アシリパがどうやら祖母を見つけたらしい。家とフチを紹介してくれた。杉元はすぐに出ていこうとしたが、フチの好意で泊まらせてもらうことになった。

「遭難して行く当てもない結城さんならまだしも、俺がここにいては迷惑がかかるんじゃないか?」

杉元が心配そうにフチに尋ねた。彼とアシリパが軍人達に追われていたのを思い出して、確かにと心で頷く。フチは日本語が分からないようで、隣に座るアシリパが翻訳してフチに伝えた。

「タネパ アシリパ タク ニシパ ネ クス アキヤン ネレ ナー」

フチが返事をしてくれているが、全く何を言っているか分らない。アシリパが連れてきたからとにかくもてなしてくれるらしい。フチの死んだ夫が村で一番偉かったから誰も文句は言ってこないようだ。アシリパが権威の象徴である、フチの口の周りの刺青を見せながら教えたくれた。窓から覗いていた村のみんなも歓迎してくれいるようだったので杉元と私は言葉に甘えることにした。

フチは家にアシリパと二人で暮らしているらしい。アシリパの母は若い頃に病死、祖父も六年前に病死との事だった。ただ、子供達が出入りしているようで、家の中は賑やかだ。

「シンナキサラ!」

5才ほどの女の子が杉元を指差しながら言う。アイヌと違って変な耳と言ってるらしい。アシリパがピアスをつけた丸くて分厚い耳たぶを見せてくれた。

「結城は薄くて小さい耳たぶなのに穴を開けてるんだな。飾りもキラキラしていて綺麗だ。」

アシリパが私の耳につけたピアスに触りながらそう言った。トパーズの石の小さなピアスはアシリパの大きなフープピアスと違って控えめだが、それもまた珍しくて気に入ったようだ。幼いアイヌの女の子のオソマも加わり、アイヌの名前の付け方や文化を教わった。

フチが慣れた手つきで子熊に肉汁と米汁を飲ませる。アシリパも子熊を触ろうとしないので杉元が不思議に思って聞くと、伝統儀礼で神の国に送るということだった。やっぱり大きくなったら貴重な食糧になるし食べるよな…と二人の会話を聞きながら思う。ただ、アイヌは全てのものを神と敬った上での行為であった。アイヌの教えと、現実的なアシリパの考えを、杉元と一緒に興味深く聞いていた。

「わたしは新しい時代のアイヌの女なんだ!」

そう宣言するアシリパは輝いている。わたしが彼女に見惚れていると、ばっちりと目があい見つめられた。

「結城はシサムの新しい女か?帰る家も場所もないと言っていたが、どういう経緯か教えてくれないか?」

コタンに着いてやっと腰を落ち着けた私たちは、その夜、日が暮れた後も話すこととなった。


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