ラッコ鍋

鉄砲店でナガンM1985の購入と弾薬の補充が出来た私と尾形は杉元達と無事に合流した。既に白石とインカラマッとチカパシもいたので丁度良かったようだ。

「結城!髪の毛を纏めたんだな!とても似合ってるぞ!」

私の髪型に気付いたアシリパさんが駆け寄ってすぐに褒めてくれた。「器用だなぁ!」と編み込まれた私の頭をキラキラとした目で見ている。

「すぐそこに問屋があったから、ついでに着物も買おうか。結城さんには俺のシャツは大きすぎるからね。」

杉元がニカっと笑って問屋を指差す。皆がゾロゾロとついてきて、私の着物を選ぶことになった。

「この麻の紬が一番安いのでこれにします。」

「いやいや…地味すぎ!!せっかく結城ちゃんが女の子の格好するのに勿体ない!御召縮緬や銘仙は?あ!元禄模様の小袖と似合いそうだなぁ〜!」

無地の紬を手に取ったが、白石に却下された。尾形に銃を買ったこともあり節約優先に頭が切り替わっていたが、確かにせっかくなら可愛い着物が着たい。

「…だけど、山や森の中を歩くとなると絹の着物はちょっと手が出せませんね。色鮮やかで可愛いんですけど。」

「絣は?綿だから通気性もいいし夏にいいよ?普段着で着やすいし、髪紐も藍色だから合うんじゃないかな?」

私がたくさんの着物を前に悩んでいると杉元が紺絣を勧めてきた。勝手に私に当てて「似合う、似合う」と言っている。白石はもっと派手な着物を着てほしい様で微妙な顔をしていた。
 
「絣にしとけ、結城。藍染めは発酵させて染めてるから虫除けにも良い。私達アイヌも藍染めの布や糸を和人から買って服を作っている。インカラマッの様な赤の染色は自分達でやるが、藍色は和人の本土でしか出来ない。だから絣の藍色と私の藍色はお揃いだ。」

額当てを指差しながら目を細めて朗らかに笑うアシリパ。彼女から嬉しそうにお揃いと言われたらこれを買うしかない。縞模様の白い帯と浅葱色の帯留めと合わせて4円60銭を支払い、その場で着付けて貰った。

「フン…やっと普通の女になったな。」

尾形が何故か満足そうに鼻を鳴らした。後ろにいた白石が目をキラキラさせて手を差し出してくる。

「お…おお…やっぱり、ちゃんとすれば可愛いじゃねぇーか!結城ちゃん!!俺…お付き合いしたら一途で情熱的よ?どう?」

「あ、間に合ってます。」

「即断…っ!!」

白石の顔自体は悪くないのだが、付き合うとかは今は考えられない。キラキラとした顔でアピールされたが即答で断った。着物姿になった私はさっきまで脱いでいた登山靴を履き直し、下ろしていたバックパックと三十年式小銃とSIGM400を背負う。その瞬間、白石の顔がまた微妙な顔に戻った。

「…装備がゴツすぎる…!こんな女の子いない…!!尾形ちゃん!結城ちゃんのどこが普通の女なの…!」

白石が涙目になりながら尾形の肩をポコポコと叩く。杉元とアシリパは普通に喜んでくれているので、白石の事は無視して借りていたシャツを杉元に返した。

「…なんか良い匂いする。男の匂いと全然違う…!」

「杉元さん、やめて下さい。怒りますよ。」

私が着ていたシャツの匂いを嗅ぐ杉元のお尻を引っ叩く。流石に体臭を確認されるのは恥ずかしい。準備が出来た私達はフチの15番目の妹のいる釧路の海岸近くのコタンへと歩き出した。

「歩幅が大きすぎる、すぐに着物が崩れるぞ。もっと内股気味に歩け。手を大きく振るな。時計を見る時は肘をはるな、下品だ。手を上げる時は肌が見えない様に反対の手で袖口を押さえろ。」

動くたびに私の後ろを歩く尾形がチクチクと注意してくる。少し歩いただけで、もう着物を脱ぎたくなっていた。

ーーーー

無事に海岸のコタンにつき、フチの15番目の妹と合流した。アシリパと白石と杉元は海亀を取るんだと船に乗って海へと漕ぎ出す。私は泳げないので尾形と一緒にオカヒジキやカメノテを集める事にした。十分にとった後で私は砂浜で砂遊びをはじめるが、何故か尾形も付き合ってくれた。

次の日も同じように海岸に行く。杉元と白石はいたが、アシリパの姿は見当たらなかった。マンボウを獲りに行ったらしい。私は昨日に引き続き砂の城の作成に取り掛かることにした。暇そうだった白石と杉元にも手伝ってもらって、かまくら程の巨大な城が完成目前まできた。

「わ!やだぁ〜…バッタきらーい!!」

杉元の乙女な反応に思わず顔を上げた。白石も「不死身のくせに」とちょっと馬鹿にしている。砂の城にもバッタがとまったので払うが、また飛んできた。空を見ると、バッタの大群がすぐ近くまで押し寄せてきていた。

「ぎぇええええッ!!」

「いっぱい飛んでくるッ気持ち悪ぃ!!」

杉元が悲鳴をあげ、白石も必死に追い払う。尾形は外套を被り、私もサバイバルナイフを取り出して振り回すが大量のバッタに成す術がない。

「…っ!!このバッタ!服を齧ってきます!!…買ったばかりなのに…!!」

「あの番屋に避難だ!走れ!!」

杉元の言葉に私達四人は急いで番屋まで駆けて逃げた。谷垣もちょうど合流して避難する。空はバッタに覆われて真っ黒で、窓にも沢山のバッタが張り付いていた。

「一体何が起きてるんだ?」

皆が混乱している中で尾形が説明を始めた。

「飛蝗ってやつだ。洪水やらなんやらで条件が重なると大発生するときがあるらしい。こいつら集団で飛び立つと何十キロもの距離を移動して海だって越えちまう。移動した先々では農作物はもちろん草木は食い尽くされ、家の着物まで食われる。」

「蝗害って中国やアフリカだけの話だと思ってました。日本でもあったんですね。」

窓の外を覗きながら私はポカンと口を開けて呟いた。勢いよくぶつかってはボトボトと落ちるバッタが気持ち悪い。

「北海道では明治初期から何度か大蝗災が起こって屯田兵もバッタの退治に大砲を持って駆り出されたそうだ。第七師団じゃ語り草になってる。」

へーと尾形の言葉に頷いた。バッタはどこまでも遠くまで空を覆っていて、しばらくは過ぎ去りそうにない。白石が腹が減ったと騒ぎ出したため、私は台所で谷垣からもらったというラッコの肉を切って鍋を作り始めた。

「…くさみありそうだし、プクサキナだけじゃなく、生姜もいれとこ…。」

肉を切って火にかけていくと、変な匂いが漂い始めた。私は急いで薬味を追加して味をみる。肉の味は悪くなかったが、独特の匂いにだんだんと顔が紅潮してきた。頭が朦朧としはじめて気持ちが悪い。

「ごめんなさい…頭がクラクラしてきたから奥の部屋で休みます。ラッコのオハウはもう食べれるので、火にかけといて好きに食べてて下さい。」

「結城さんありがとう。顔が赤いが一人で平気か?」

フラフラとラッコ鍋を広間の囲炉裏にかける私に杉元が心配そうに声をかけた。整った顔で上目遣い気味に尋ねる彼を見ると胸の奥が苦しくなってきたのですぐに顔を横に振って断る。

「…一人の方が良いです。少し横になったら戻るとは思います。食欲はないので私の分は残さなくて良いですからね。」

そう告げて、私は一人で隣の部屋に寝転んだ。

奥の部屋に横たわった私は、身体の中から湧き出るような暑さと必死に戦っていた。芯から燃えるように身体が火照り、どれだけ水を飲んでも変わらない。帯を解いて、絣を脱いで、中に着ていたTシャツも脱いでブラとタンクトップだけになった。本当は着物の下に来ていたズボンも脱ぎたいが、人が入ってきたら困るのでそれだけは何とか守った。

身体の奥から何かが疼いてくるのを感じる。これは好きな人と触れた時に湧いてくるどうしようもないものだ。心当たりがある身体の感覚に戸惑いながらも、項垂れながら必死で戦っていた。この襖を開けたら肉体が引き締まった男達がたくさんいる。その男達と触れ合えたらどれだけ気持ちが良いだろう。よこしまな感情が脳を支配していく。

「…なに…これ……っ…こんなの…私じゃない…っ…。」

爪を腕に強く立てる。あまりに力を入れすぎて深く刺さってしまい腕から血が出ていた。そんな痛みでも誤魔化せない欲情が私を包んでいた。油断したら我を忘れるか、気絶してしまいそうだ。ラッコ鍋の肉を味見してしまったのがいけなかったのか、匂いがだめなのか、それはもう分からない。

フラフラと襖の方へと近づいた。男達のぶつかる音がする。私の脳内はもう人には見せられないほど卑猥なものになっていた。さっきまでは守っていたカーゴパンツもついに脱いでしまっている。息も荒くなって、ついに襖に手をかけた。

ブチッ…

襖を開けようとしたその時、私はお箸を振り上げ、太ももを突き刺した。僅かに残っていた理性を総動員した結果である。さっきとは比べものにならない激痛に身が悶える。刺すよりも抜く方が痛くて、涙が滲んでいた。それでもこの痛みのお陰で理性が少し戻ったようで、私は襖から手を離し、太ももから血を流しながら外に出た。

まだバッタは飛んでくる。私はかまくらのように固めて作っていた砂の城に身を隠した。ちょうどひとりふたりだけ入れる大きさに作っておいてよかったと安堵する。まだ身体はあつい。奥に眠る熱は燻ったまま、私は少しだけ瞼を閉じた。

足音がする。どのくらい眠っただろうか。長い時間の気もするし、一瞬な気もする。まだ少し寝ぼけながら目をそっとあけると杉元がいた。彼は私の前に立ち尽くし、あんぐりと口を開けている。

「結城さん!そんな格好でどうしたの!?しかも腕と太ももから血が出てる!!」

下着にタンクトップだけという姿に驚いた杉元は急いで着ていた小袖を私に着せた。彼はシャツも脱いで、それを破いて太ももを止血しようとする。急に太ももに触れられた私は思わず矯声を出して身をよじった。杉元が驚いて固まっている。

「ご…ごめんなさい…。あのラッコ鍋を…食べてから…おかしくなってしまって……。」

私は涙を瞳にためて、震えてながら言った。杉元に触れられた事で取り戻した理性が一瞬でふき飛ぶ。目の前に男が来たという事実に身体が耐えられなくなっていた。

「お願い…します…杉元さ…ん…助けて…下さい…っ…楽に…なりたい……ッ…。」

私は上半身裸になった杉元の胸に寄りかかり、縋りついた。顔を上げて彼の目を見つめる。彼の瞳の中は揺れていた。杉元もラッコ鍋を食べた筈だし、押せばいけるんじゃなかろうか、と動かない頭に良くない考えがうっすらと浮かぶ。

ついに、抱きついている杉元の体温と息遣いに耐えきれなくなった私は彼の顔を両手で包んで、口づけをした。杉元の目が大きく開かれた気がしたが、そんな事はどうでもいい。ゆっくり触れるようなキスから少しずつ深くなっていく。

「結城…さん……。」

杉元が私の名前を呼ぶ。朦朧とした私はもう目の焦点も合っていなかったけれど、貪るようにまた口づけをした。甘くてたまらない味がする。舌と舌が絡まり、唾液の音がいやらしく響いている。頭に響き、脳みそが侵されているような感覚と共に、下から湧き上がる熱に支配されていた。

私は本能のままに杉元の手をとり自分自身の胸に当てた。すると彼の手が少しだけ震え、私を覆う唇もそっと離れてしまった。

「ごめん。楽にしてあげたいけど無理だ。…俺はちゃんと見つめ合って、名前を呼び合ってしたい。このまま流れでやっても最初で最後になるだろ?」

杉元は何故か泣きそうな顔をしていた。泣きそうなのはこちらのほうなのに、何故ここでやめてしまうのか。杉元は私の乱れた小袖をなおし、太ももにキツく包帯を巻いてから走り去ってしまった。

置いて行かれた私は燃え上がった情欲を放置され、余計に悶え苦しむことになった。人肌が恋しくてもう頭がおかしくなる。私は砂の城から這い出て、足を引き摺りながら海岸線から丘へと歩いていった。耐えられないほどの欲情と孤独感が人を求めていたのだろう。

しばらく歩いていると海風にあたって少しだけ身体の熱が冷めてきた。ただ日が落ちたのもあり、自分がどこにいてどこに向かっていたのかも分からず途方に暮れてしまう。空が明るくなったら分かるだろうかと、私はその場にへたり込んでしまった。膝を抱えていると遠くから灯りがユラユラとこちらに近づいてくる。

灯りにぼんやりと照らされたのは見知った顔だった。

「…尾形…さん?」

「裸足で血塗れで何やってんだ。着物もはだけてるぞ。」

尾形の手には番屋で脱いだはずの私の服が綺麗に折り畳まれていた。服を脱いで出ていった私を探してくれたのだろうか。彼からすぐに服を着るように指示される。私は杉元から借りた乱れた小袖を渡して、ズボンを履いていった。

パチンと音がする。タンクトップの下のブラジャーのホックを引っ張られて外されてしまった。

「へっ?」

「殆ど隠せてない意味のなさそうな股引きといい、胸当てのようなものといい、これは一体なんだ?腰巻きもなしで誘ってんのか?」

ブラが外されて驚いている私のズボンを指でずらしてパンツを堂々と見てくる尾形。明治の下着事情とだいぶ違うらしいが、勝手に見たり触ったりしないでほしい。乳首が透ける。私は急いでブラをつけ直してズボンを腹まで上げ、紺絣の着物を着直した。

「誘ってないです。百年先はこれが普通なんです。このブラジャーという乳あても胸の形を保つために大事なものなんですよ。」

堂々と見てくる尾形に淡々と説明する。恥ずかしがっていたら自分が馬鹿みたいだ。初心な杉元とは大違いである。

服を着替え、顔や腕についてしまった血を拭う私の姿を見て尾形がつぶやいた。

「…ラッコ鍋か?」

「ええ。頭も身体もおかしくなってしまって、見境なく人を襲いそうだったので太ももに箸を刺しました。尾形さん達は大丈夫だったんですか?」

私が尾形に尋ねると彼は黙ってしまった。彼らも色々と大変だったんだろう。これ以上は触れないほうがよさそうだ。

「…一人でいるとおかしくなって気絶してしまう奴もいるらしい。結城もまだ苦しいんだろ?楽にしてやろうか。」

いつもの意地悪な顔で尾形が口角をあげた。憎たらしい顔なのに、色気を感じてしまうあたりまだラッコ鍋の影響が残っているのだろう。

「苦しくないと言えば嘘になりますけど…ある程度の理性は戻ってきたのでやめときます。絶対に後悔するので。」

私はキッパリと断ったが、本当はまだギリギリの淵を歩いていた。彼の腕に飛び込みたい。理性を全部投げ捨てたい。身体はそう叫んでいる。

「…ふーん。目の奥が揺れてるぞ。涙も溜まってる。身体もあつい。何を我慢してるんだ?」

尾形が私の肩を寄せて抱きしめた。暑かったのか第七師団のジャケットは脱いでおり、シャツだけの尾形と外套にすっぽり包まれる。

彼の首筋から硝煙と汗と男性の匂いと線香のような甘い香りが混ざった形容しがたい匂いが漂ってきた。また頭がクラクラしてくる。その香りに惹き寄せられるように身長の殆ど変わらない彼の肩についもたれかかってしまった。しかし我に返って彼の腕を振り解いて必死で逃げようとするが、一切離してくれない。一層力を込めて私を掴み、ギュウギュウと抱き締めてくる。私の首筋には彼の微かな吐息があたった。

「…っ!鬼…っ!…尾形さん…悪魔…ですね…っ!」

尾形が触れるとこから熱くなってきて、ついに腰が抜けてしまう。立てなくなった私を支えようと彼が腰に触れた時、甘い声が出てしまった。お互い見つめ合ったまま沈黙が走る。

「……。」

「……あの。本気で恥ずかしいので顔見ないでください。」

私は腰が抜けたままその場でうずくまって、紅くなった顔を隠した。自尊心はもうボロボロである。

「もう…殺して下さい……。」

ニヤニヤと凝視してくる尾形に、体操座りで泣きながら私は懇願するが、鼻でフンと笑われる。

「羞恥心で死ぬ事をなんと言ったか…憤死じゃなくて、愧死か。良い死因だな。丁重に弔ってやる。」

尾形は銃にカチャカチャと装弾して、こちらに銃口を向けた。だが、槓桿を引いていなければ、引き金を引く事も当然なく、私が落ち着くまでただそばに居てくれた。

私はだんだん眠くなって、海岸線を見ながら銃を抱える尾形にもたれかかる。ふと気づくと眠ってしまっていて、夜になってしまっていた。

「がた…尾形さんっ!…コタンで寝ましょう!帰ってこないと皆が心配します。」

同じように寝ていた尾形を必死で起こそうとすると、右手を引っ張られて手の甲の匂いを嗅がれ、彼の唇が私の甲に触れた。驚いて固まると、彼は丸まってまた寝てしまった。

「……はぁ…。」

動く気がない尾形を見て、私は大きなため息を吐き、諦めて丸まって眠った。お互いの背中だけがくっついて、背中の体温だけを共有していた。


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