北見の写真

土方達と合流した私達は屈斜路湖から70キロ北西にある北見を目指して歩いた。いつものように尾形の隣を歩くが、色々あったせいで少し気まずい。

「盗賊どもと戦った時に必ず二発撃っていたが、確実に殺すためか?」

「…はい。口径が9mmなので身体に二発か頭と胸を両方撃っておく方が殺傷率が格段に上がります。」

私は頷いて答えた。ダブルタップという技術で特殊部隊や軍人が必ず覚えさせられる技だ。APSという遊戯射撃でも使うので、私も用いていた。あの暗い中でよく音を聞いているものである。

「足を狙うわけでもなく、お前が積極的に殺しにいってるのをアシリパが気付いてるぞ。きっと結城が変わってしまった事を悲しんでるだろうよ。」

人の触られたく無い部分を煽ってくる尾形。捻くれ具合が相変わらずである。

「アシリパさんが悲しもうと、アシリパさんが死ぬよりは良いです。快楽殺人鬼にならない限りはアシリパさんが私を嫌う事はないですよ。」

自分の心は見せない尾形に、私の心を乱されるのは癪なので冷静に答えた。ふーんと尾形は面白くなさそうだ。

「アシリパの為なら人殺しに罪悪感が湧かないんだな。殺されるのはそれなりの非があるからだとお前も知っているから抵抗なく引き金が引けるんだろ?」

お前も同じだろ?と当然のように聞いてくる尾形に対して、私はすぐに否定した。

「え?罪悪感は湧きますよ?向こうに非があったとしても私に裁く権利はないですし、殺した時点で私は悪だと思ってますが…。」

価値観の違いに普通に戸惑ってしまう。この男は常に自分が正しいと思って人を撃っているのだろうか。じゃあその正しさとは何が基準なんだろう。

「罪悪感を抱かないのは俺が欠けてるからか?両親の愛情の有無で違いが生まれなどしないだろう?」

また尾形の目がどこか遠くにいきはじめた。普段から光のない死んだ魚のような目だが、地雷原に突っ込むとより負のオーラを背負い出すのですぐにわかる。

「心の防御反応ではないですか?本当に罪悪感がない人間はそんなこと考えもしないでしょう。悩むという事は罪悪感があるけれど向き合うと心が壊れるから忌諱してるのでは?」

支離滅裂な問答が始まる気がした私は、なるべく客観的に考えを述べていく。ちょっとでも変な事を言ったらまた銃を向けられそうだ。

「両親の愛情の有無での違いより、育った環境や元々もっている性質での違いの方が大きいと思いますけどね。」

複雑で恵まれない家庭環境だったのだろうという事は、父親の名前や違う苗字、中将の息子なのに茨城で育った事からも何となく分かる。相当拗らせてそうなのも、以前の会話から伺えた。この男は愛情が貰えなかった事で自分がおかしい人間になってしまったと思い込んでるのだろうか。

「清い人間がいると思うか?清くない人間とは何が違う?」

「えー…清く見える人はいても全てが清い人間はいないでしょう。好悪を持ち、考えを持ち、清濁を持つのが人間でしょう。神様でさえ罪を背負い、迷いながら悟っていくじゃないですか。」

なんか禅問答しているみたいでだんだん疲れてきた。もう、お寺でも教会でもいいからそっちに頼って欲しい。私に答えを求められても困るし、尾形の中で考えがある以上、私が何を言っても響かないだろう。

「そんな哲学的な難しい事ばかり考えてたら頭が疲れますよ。それより今日食べるご飯について考えましょう。この時期はヤマメが美味しいですよ。」

いつの間にか前を歩くキロランケ達との距離が随分あいて見えなくなってしまっていたので、私は尾形の手を引いて皆の元へと急いだ。彼らに追いつくまでは、握った手が解かれる事はなかった。

ーーーー

屈斜路湖から歩いて3日、北見についた私達は廣瀬写真館という所に来ていた。不安がっているフチにアシリパの写真を送るためと杉元が言っていたが、杉元が土方達とこっそり何か話しているようだったので、作戦の一貫かもしれない。

「写真師の田本さんはヒジカタの古い知り合いだから安心しろ。せっかくだから思い出にみんなで撮影会しようぜ。」

杉元の一声で皆が撮影する事になった。一人一人順番に撮っていく。インカラマッはシラッキカムイを頭に乗せ、キロランケはタバコを手に持って撮影していた。

「牛山さんはなんでストゥ…??」

「写真ではチンポの大きさが分からんだろう。」

謎に男性アピールをする牛山と、無表情で一緒に写る家永。並んだ二人は夫婦の様にも思える写真だった。杉元とアシリパが撮った後、私も呼ばれる。

「フチは結城のことも気にかけていたから三人で撮ろう。きっと喜ぶ。」

都丹から返してもらったSIGM400と三十年式銃を手に持って、アシリパの後ろに立った。6秒間動いてはいけないらしいので、まばたきをやめ、思わず息も止める。

「…なっ!これは…っ!!どういう事だ…!?」

写真家の田本が慌て出した。何度も何度も撮影するが、撮れないようで涙目になり始めた。

「どうした??機械が壊れたのか?」

杉元とアシリパが田本のカメラに駆け寄る。田本は恐る恐る写真機の中を二人に見せながら口を開いた。

「七瀬さんだけ…姿が映らないんです…。」

「……え?」

衝撃のあまりに私は一人、固まってしまった。カメラを覗くアシリパと杉元も目を丸くしている。撮影の様子を見ていた尾形が私の横に立ち、私の左肩をグッと掴んで肩を組んだ。

「これで撮ってみろ。」

尾形の指示に従って田本がもう一度撮り直す。6秒後田本はついに腰を抜かしてしまった。

「彼女…彼女だけ消えるんです…七瀬さんは…人間…ですか?」

アシリパと杉元が見たのは、見えない空間に寄りかかる尾形と不自然に浮いた尾形の手だった。私が着ている着物は写らないのに、三十年式歩兵銃だけは綺麗に立っているらしい。カメラを覗いていた二人の顔が青くなる。田本の言葉に私の目から自然と涙が滲んできた。

「あはは…私って…幽霊だったんですね…。」

この時代に来た理由は分からなかったが、既に死んでるとは思わなかった。アメリカの山奥で知らないうちに脳卒中や心臓発作でも起こして死んでしまってたのだろうか。では、今ここにいる私は何なんだろう。自覚がなかった化け物なのか。涙が頬を伝い、床に落ちる。私の顔には歪んだ笑顔が張り付いたままだった。

「違う!違うぞ!結城はここにいる、体温がある!痛みもあるだろう!?自分の存在を否定するな!」

アシリパが私に駆け寄って両手を握りしめる。涙が止まらない私の背中にアシリパはジャンプしてよじ登った。

「結城!おんぶだ!これでもう一度写真を撮れ!写らなくてもお前の存在はちゃんとあるんだ!」

私がアシリパをおんぶし直して、涙を拭って写真を撮ってもらう。すると、宙に浮いているアシリパさんの写真が出来たらしい。田本の横にいた杉元が思わず吹き出していた。アシリパを下ろし、二人で顔を見合わせて苦笑いをする。アシリパと尾形と撮ったので杉元とも撮りたい私は彼を幕の方に呼んだ。

「私、杉元さんをお姫様抱っこしてみていいですか?」

「え…?重いよ?無理じゃない?」

「鍛えてきたので大丈夫です。低い位置になっちゃいますが、6秒間頑張ります。」

照れる杉元を宥めながら、腹筋に力を入れて一気にお姫様抱っこした。腰を低く落としたダンベルを持ち上げるような体勢でプルプルと震えているので全然カッコ良くはない。「はい!いいよ!」と田本さんの声がかかると、一気に崩れて杉元を落としてしまう。

「…いたっ!」

「あ、ごめんなさい。想像以上に筋肉が詰まってて腕が限界でした。」

仕方ないなぁと笑う杉元。いつの間にか涙も引っ込んでいた。田本の写真機を覗いていたアシリパは腹を抱えて笑っている。一人、お姫様抱っこ状態で浮いている杉元があまりに珍妙だったようだ。

「白石さんとも撮りたいんですが、白石さんは?」

「アイツなら石川啄木と遊郭に行ったらしいぞ。」

私がキョロキョロと見渡すと、杉元が起き上がりながら教えてくれた。教科書で習った人の名前にまたびっくりしてしまう。

「石川啄木って歌人の…?え?」

「ただの新聞記者って聞いたんだが、有名な人なのか?」

「ええ、まあ…いずれ有名になる人です。白石さんと撮れなかったのは残念ですけど、思い出に残る良い機会になりました。」

私は田本さんに深く礼をして、写真館をあとにした。自分が人間でないかも知れない事実には衝撃的だったが、皆が普通に接してくれたので大分救われた。現像したら姿が浮き出てこないかなとも淡い期待を抱いたが、次の日貰った写真には相変わらず私の姿はなかった。アシリパと杉元と尾形と撮った写真を貰って、大事に懐にしまった。

ーーーー

北見では土方のお金で宿を取っていた。土方、永倉、家永、牛山、夏太郎、都丹、尾形、キロランケ、インカラマッ、谷垣、チカパシ、白石、杉元、アシリパと私で総勢16名の大所帯だ。白石と牛山は遊郭に、インカラマッと谷垣とチカパシは三人で出かけていた。せっかくの街なので、賭場に行こうと尾形を誘うが嫌な顔をされる。宿でゴロゴロしたいらしい。

「えー…女一人だと舐められるんで勝っても刃物向けられるんですよ。お金渡すんで用心棒として来てくれませんか?」

「じゃあ、俺が行こうか。腕っ節には自信があるぜ?」

キロランケが尾形の代わりに名乗り出てくれた。モリッと見せてくれた腕の筋肉がとても頼もしい。キロランケの優しさに甘えて、さっそく賭場荒らしに向かった。

「あっちに賽子の賭場があるらしいが行かないのか?」

「サイコロはイカサマされたら勝てないですからね。花札かトランプか、せめてビリヤードの撞球場にしましょう。」

「可愛い顔して随分やり込んでんな。こりゃ楽しみだ。」

キロランケが私の頭をポンポンと撫でた。人伝でトランプでの賭場を教えて貰うと、ブラックジャックやポーカーで荒稼ぎしまくった。案の定、色んな所で出禁を喰らい追い出される。

「もう二度と来んなよ!アイヌ野郎!」

賭場の子分衆の三下である客送りがキロランケに暴言を吐いた。カッと頭に血が上った私は懐に手を入れる。

「…は?何で私じゃなくてキロラン…「やめろ、気にしてない。」

手と口を抑えられ、キロランケに引きずられる様に賭場を後にした。「小さい事で怒るな」と子供の様に窘められる。

「勝ち逃げしたのは私であって、キロランケさんはただ側に居てくれただけじゃないですか。アレは明確な差別です。」

「シサムからああいう対応をされてるのは慣れてる。そうカッカするな。ヤクザ相手に銃を出したらそれこそ殺し合いだぞ。」

でも、と言いたかったが、感情的になってヤクザと揉める方が迷惑をかけるので、言葉を飲み込んで素直に謝った。頭を下げる私の髪の毛を、いつものように大きな手で包んでくれる。

「…アイヌはカッコ良いんですからね。文化も伝統も生き方も、全てが尊敬に値するんですよ!」

「ハハッ…ありがとな。分かってくれる人がいるだけで俺達は嬉しいよ。」

頬を膨らませながら熱弁する私を落ち着かせるように、キロランケが背中を撫でる。彼の顔を見上げると、目を細めて父親の様な眼差しで微笑んでいた。

「…キロランケさんは、アイヌですよね?インカラマッさんが言う、極東ロシアの人間じゃないですよね?」

せっかく和やかになった雰囲気を壊す様に、私はキロランケに爆弾を投げつけた。釧路での事がどうしても気になっていたからだ。私は不安なまま、彼の目を見つめる。

「…確かに俺は極東ロシアの人間として、ロシア帝国と戦っていた事があった。アシリパの父親のウイルクと共にな。」

キロランケの目から光が消え、暗い顔になったがそれでも答えてくれた。私は思わず唾を飲み込む。

「だが、戦いに敗れてしまった俺達は北海道へ逃げて来た。そして樺太アイヌの俺達は北海道の地で家族を作ったんだ。樺太アイヌの殆どが日露戦争後に樺太に戻ったのに、俺がここにいるのは北海道にいる子供達の未来の為だ。」

キロランケは強い意志で言い切った。悲しみの奥に燃えていてるのが目を見れば分かる。私はキロランケの言葉を信じたい。

「…そうだったんですね。言いにくい事を教えて頂きありがとうございます。」

私は再び深く頭を下げてキロランケを見た。そして肩に背負っていた小銃をクルリと回してみせる。

「私はアシリパさんの願いを叶えたい。そして出来れば金塊は第七師団でも、土方さんでもなく、アイヌの為に使って欲しいと思ってます。…今は手を組んでいる土方さん達とも敵になる日が来るかもしれない。…だから、私のこと上手く使って下さいね。」

私が笑うとキロランケも口角を上げてフッと微笑んだ。私の左肩に手を乗せて二回ほど叩くと「頼んだぞ」と私の身を寄せる。煙草と甘い匂いが混ざった大人の匂いがした。

ーーーー

賭場で稼いだお金でお酒を購入した私達が宿に帰ると、既に酒盛りが始まっていた。既に酔い潰れたアシリパがチンポ先生の膝でハンペンを握りしめながら寝ている。土方の隣に知らない顔があったので、乾杯がてらその男の横に座った。

「初めまして、アシリパさんと共に旅をしている七瀬結城と申します。貴方は刺青の囚人ですか?」

酒を注ぎながら男に尋ねるが「えっ!?」と目を見開いて固まった。土方と行動してるのは尾形と新撰組の永倉以外が刺青の囚人なのでこの男とそうかと思ったが違うらしい。

「日泥組というヤクザの若衆だった夏太郎だ。組が壊滅してから私らに着いて来ている。」

「え?ヤクザ!?」

極道の人間は怖いし、関わりたくない。日高で死んだ親分と姫も物騒だったし、乾杯だけしてそっと下がろうとしたら土方に肩を掴まれた。

「ただの若人だ、何故逃げる結城。お前の方がよっぽど物騒なものを持っている上、夏太郎より強いぞ?そもそも年下にビビるんじゃない。」

「え、七瀬さん戦うんですか?しかも俺より強いの!?こんなに綺麗なのに!?」

土方に無理やり座らせられ、酒を注がれてしまった。もう還暦もとうに過ぎた年齢なのに、力が強すぎる。そして、その土方の言葉に反応して夏太郎がキラキラした目で見てくるのが痛い。

「いや、普通に男の人の力には負けますよ。変な事言うのはやめて下さい、土方さん。」

「強さとは力の有無ではなく、実戦で勝てるかどうかだ。そんなに卑下しては都丹が可哀想だろう?」

余計な事を言うなと土方を睨むが、土方は余裕そうに笑う。夏太郎は詳しい話が聞きたい様で前のめりになってきたが、何か期待されても困る私は無言で酒を煽った。

「七瀬さんは銃の扱いはどこで覚えたんですか?俺、拳銃しか持ってないんですけど立ち回りのコツとかあります?」

「…私じゃなくて尾形さんに聞いて下さい。ほら、それより盃が空になってますよ。もっと飲んで。」

無視しても話しかけてくる夏太郎に話よりもとりあえず飲めと、どんどん酒を注ぐ。それを見ていた牛山が間を割って入って誘いをかけてきた。
 
「お嬢さん…いや結城、今夜、俺と一つどうだ?」

髪を束ねて、女の着物を着たからだろう。男装の麗人と呼ばれていたのが懐かしい。私は手をつき丁重にお断りをした。

「牛山さんのお相手には私は不足すぎます。別の良きお相手をお探し下さい。」

「…まあ、そうだろうな。よしよし、ほら固くなるな、俺は無理矢理に手を出す事はせん。」

警戒する私の緊張をほぐすように背中を叩く牛山。全然痛くないのですごく力の加減をしてくれているんだろう。流石、紳士である。その後も夏太郎や土方に構われてゆっくり酒を飲む事が出来なかった私は、厠に行くと告げて一升瓶を持って外に出た。

「…もう酒飲むなって言ったの覚えてねーのか。」

宿の外に出たら一人だと思ったのに、尾形が石垣の上に座っていた。うるさくて宿に居られなかったらしい。

「同意した覚えはありませんよ。いいでしょ別に、幽霊なんだから。」

「本物の幽霊なら足がないはずだろ?切り落としてやろうか。」

隣に座って酒を飲む私に、尾形はナイフを出してきた。目がガチなのはやめてほしい。

「えー…痛いの嫌です。やるなら頭に1発、確実に殺して下さい。」

「して欲しいのか?」

私を見下ろしながら口角を上げる尾形。私は尾形を一度チラッとみて答えた。

「アシリパさんと杉元さん…そして尾形さんの願いが叶ったらお願いします。」

尾形はうんとも嫌とも何も言わなかった。星が瞬くのをただ二人で眺めていた。


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